2015年12月25日金曜日

#151 中国たより、「鴨緑江」と北朝鮮国境地方

 I氏の北朝鮮国境地方への出張報告です。日本のメディアは中国の北京と上海に関心が集中していますから、彼の報告は貴重です。長いですが、下記に全文を紹介します。私の古いOSには「鴨緑江」を直接変換できないので、日本では知名度が低いのでしょうか。すぐには使わないという鴨緑江大橋に巨額の建設費を使ったのは、いざという時に北朝鮮に解放軍が大量の戦車と兵士を送るためではないかと、ヘボ八卦見は憶測しています。
 諸君、これを機会にこの地域の地理を知ってください。

 
 
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  
 11月末日、小春の上海から二時間、数日前の大雪が融けずに残る丹東空港に着きました。遼東半島の東の付根の丹東は、朝鮮半島の西の付根でもあり、黄海に注ぐ鴨緑江を挟んで向かいは北朝鮮の新義州です。東経125度近くに位置する中朝国境の丹東(同じ経度付近には長春そしてハルピンがあります)に定点観測のように足を運ぶようになってから数年が過ぎました。
中朝貿易の70%の貨物が通過する、或る意味デリケートな地域である丹東の縫製工場に専用ラインを設置しています。その為、安全保障貿易の管理規則遵守の確認が最大の出張目的となります。大連からも毎週のように担当者が丹東に赴き、管理動作を行っています。
 加えて今回のような出張監査によって、北朝鮮との禁輸法令に関して社内外の関係者への注意喚起やヒヤリ・ハット違反事故の抑止効果を狙います。  早稲田大学への留学後に、中国企業ではなく当社の大連現地法人で二十年余りの研鑽を積んできた副総経理と丹東での事業提携先のオーナーとの交流は到着直後の夕方から始まりました。
 時節柄、公的な立場の人たちとの従来のような交流は難しいことは承知の上でしたが、オーナーの尽力で、出不精・口篭りがちの昨今の市政府関係者とも面識を得ることができました。 面談前の時間待ちを利用してハイヤー運転手にそれとなく聴くと、最近の平壌(ピョンヤン)訪問の様子を話してくれました。国境の橋を渡った新義州で長時間待たされ、ようやく動いた鉄道は新義州から平壌までの300km弱を5時間余りかけて行く。線路の鋲が盗まれて緩んでいる、枕木コンクリートが劣化している、だから加速できない、と言われているとのこと。平壌はとても綺麗で清潔にしている、商品が飾られているようだが詳しくは分からない。
 巷間伝えられるように、平壌などの都市は見られて恥ずかしくないモデル都市であり、高官など選ばれた人たちの住む街、トイレットペーパーもある、とのことでした。
   翌朝、3年前に訪れた黄金坪開発区(最近では自由貿易区構想)に向かうと、新設なったばかりの新鴨緑江大橋(3030m。中国が22.7億元出資)が見えてきました。警備員が一人だけ歩哨する小さなゲートを特別に開けてもらい、橋の半ばまで入らせてもらいました。積もったパウダースノーに轍が数本あるだけで、人の動きは未だなさそうです。橋の中央部にはゲートがあって北朝鮮側には入れません。中国側の橋のたもとには税関などの公的機関や物流・貿易企業のための高層ビルや物流センターが完成しています。
 しかし、12月1日現在は空っぽでした。脱北者は川向うで厳しく取り締まられ、中国から北朝鮮に逃げ出すような物好きはいないから、警備員は一人で十分なのでしょう。物好きな日本人は、河南省出身という若い国境警備員に御礼をしてから町中に戻りました。 鴨緑江の上流側にある橋は戦前に日本が建設し、1953年に米軍の爆撃で「断橋」となり、現在は観光の目玉。その横に現在使われている鴨緑江大橋があります。
 ちょうど一ヶ月前のソウルで、日中韓の経済フォーラムが開催され、来賓の三首脳のぎこちない握手が為されました。そのフォーラムで韓国の発言者は、日中韓三ヶ国による東北アジア開発の提案を行い、併せて「最近、北朝鮮に経済開放の動きがある」と述べ、この動きに三ヶ国が協調して対応しようと発言しました。 数ヶ月前に発表された「新義州経済特区」のことを指しているのか?もっと別の動きがあるのか?
 少なくとも従来中国が自腹で受け皿を準備しているにも関わらず、北朝鮮が同じ平面でスイッチバックばかりしているように見えましたが、今回はどこが違うのか?と素朴に思いました。  美しい人工スキー場のような新鴨緑江大橋、一人だけの警備兵、ガランドウのビルを見る限り、これまでのパターンが踏襲されているように感じました。建造物だけは完成し、ヒトやモノの流れはこれから・・・の印象でした。
 また日経ソウルの峰岸記者の情報によると、9月3日の北京式典に参列、10月10日の朝鮮労働党70周年記念式典では中国代表の劉雲山常務委員を接遇した崔竜海書記が、11月初めに地方農場に追放されたと韓国国家情報院が公表したようです。  2013年に同じく権力者の最側近で、中国との連繋窓口であった張成澤氏の処刑と軌を一にするのか?少なくとも中国との提携は後退するのではないか?
 一方では、常に斬新な発想で新規開拓を続ける王正華氏が率いる春秋航空(本社;上海虹橋)が、週に4便の上海⇔平壌の航空路を開くとの発表に接したばかりです。
 上記のことについて現地の人たちに聴いてみると、以下のような動きを知りました。  10月10日の劉雲山常務委員の訪朝時には、多くの提案項目が持ち込まれたとのこと。  中でも「一帯一路」構想を敷衍拡大した構想はスケールが大きく、釜山⇔ソウル⇔板門店⇔開城⇔平壌⇔新義州⇔丹東⇔瀋陽・天津・ハルピン⇔中央アジア・ロシア⇔欧州を高速鉄道や高速道路で繋ごうというもの。(3年前に板門店駅で、平壌行きの標識を現認したことを想起。また前述の11月1日のソウルフォーラムで聴いた発言の裏打ち?)
 オーナー氏に新鴨緑江大橋はいつごろ本格稼動すると思うか?と問うと、「早ければ2016年」と即答。カンボジア等の諸国に分工場を設けるより、丹東の地の利と北朝鮮と韓国に繋がる人脈を活かした構想と願望に賭ける厳しい経営者の顔がそこにありました。
 韓国経済の急減速の余波は丹東にも及んでおり、中国市場経済は「不楽観(楽観を許さない)」です。日本向けもアセアンとの競争で一進一退状態であります。平壌の大学を卒業したあと、ソウルの修士課程で学ぶ息子へのバトンタッチまで頑張る父親の顔も見ました。
 丹東から高速鉄道で本渓まで1時間、瀋陽まで2時間そして大連には4時間半で到着。年内には丹東から遼東半島沿いのショートカット鉄路が完成して、大連までを1時間半で結ぶ予定とのこと。35年前に経済開放に踏み切った国のスピードを感じながら、ブリューゲルの「雪中の狩人」のような絵画世界を眺めました。窓景色の単調さとトンネルの多さもあったので、封切される映画を観る前に精読したかった『千畝In Search of Sugihara』(ヒレル・レビン著 清水書院)を手にしました。 口述歴史取材(オーラル・ヒストリー)手法重視の姿勢で、関係者を訪ねて世界を巡り(最初の妻が亡くなる直前に、オーストラリアの養護施設で「発見」して面談に漕ぎ着けたことなど)美談的、人道的な要素に流されない客観事実を優先する姿勢に終始していました。
 杉原千畝がロシア語を学び、ロシア女性と結婚し、ロシアからの鉄道買い上げの折衝に心血を注いだ街、ハルピンへも今では瀋陽から2時間で着きます。
 大連から東京へ移動した12月3日付けの日経新聞の電子版に、山口真典電子編集部次長による丹東に関する記事が掲載されていました。新鴨緑江大橋の写真入りで中韓物流ルートについても述べられていました。
 物好きな日本人が自分一人だけなかったことが分かったので安心しました。 中国の「一帯一路」構想も結構なことです。韓国が景気梃入れと安全保障の横展開を期待することも有りうることです。それ以上に北朝鮮の物流門戸が開くことから経済開放が進展し、ヒトとモノの流れが隠れていた事象を明らかにしていくことを切に念じます。               (了)    

Read more...

Back to TOP  

2015年11月29日日曜日

#150 野党はどこへ行く?ーー民主党にはまだ任せられない

 個人番号通知は届きましたか?
 本人手渡しの簡易書留ですから、留守の場合は配達し直しになり、郵便配達の人は大変です。また、宛先が間違っていたり、古い住所の場合は年金機構に戻されるのでお手上げです。
 私は観ませんでしたが、友達によると、テレビ番組で個人番号制度によって、「個人情報が身ぐるみはがれる」とタレントか評論家が言っていたそうです。例によって、よく知らない無責任な輩です。
 というのは、我々はすでに国に身ぐるみはがされているからです。資産は固定資産税によって、年収は所得申告によって国税庁に情報があります。諸君には関係ないかもしれませんが、犯罪歴や思想警戒者の情報は警察庁が持っています。個人番号にない家族構成などは国政調査から総務省に情報があります。
 今さら年金機構は個人番号から我々の情報を集める必要はないのです。年金機構には、郵便局に住所変更もしない、税金も払わない、市役所の住民基本台帳にも登録しない、国政調査にも協力しないことから「流民」になっている人たちに、救いの手を差し延べる崇高な使命があるのです。これによって「流民」を減らし、年金の加入者を増やし、将来に年金を受け取れるようにするのです。  他方、我々には個人番号制度に登録することは義務みたいなものです。
 さて、今回は政党について私見を述べます。

◇ 民主党の国家意識

 私が自民党を支持しているのは最近数年だけのことで、生涯のほとんどは革新政党を支持してきた。諸君たちは革新政党と言っても知らないかもしれないが、私の政党遍歴は、社会党→民社党→民主党だった。前々回の総選挙で民主党に投票した。民主党が大勝した結果、鳩山政権ができた。 鳩山首相の所信表明演説に注目してテレビ中継で、あのかん高い声で「命を守る政治」から始まる演説を聴いた刹那、「こりゃもうあかん」と思った。理想というより、世間感覚からずれていると感じた。最後まで国家観がなかった。これで私の民主党支持が終わった。  
 アメリカでは、共和党と民主党の間で安全保障や外交の政策で大きな違いはない。今の民主党大統領も選挙運動中は、違いを説いても、いざ大統領になると政策に違いが少なくなる。私が時に抵抗を覚える彼らの愛国心は、変わらない。
  日本の民主党では、安全保障政策が泣きどころだ。無理に自民党との違いを出そうとすることで支持率が上がらない。安保関連法の前後でも自民党の40%超に対し、民主党8%くらいで変わらない。 民主党は、どう国を統治するのか?

 民主党はどこへ行く?  

 民主党はまだ廃案に向けた方針を変えないと言う。集団的自衛権が憲法に違反するとしてこの部分は対案を用意すると言う。現実には少数しか支持されていない。
 予算委員会では、政府提出の法案に対して50分も副代表が反対演説をし、涙さえ浮かべた役者振り。本会議では幹事長が2時間にも及ぶ演説をした。先には委員会質疑で質問より自分の演説に酔った女役者もいた。民主党には三文役者のほかにまともな人材がいるのに、どこが国会審議でどこが大成功なのだ、これでは党員が増えないだろう。
 民主党は原点に立ち返って労働者、農業者、中小企業、弱者のための国内政策で自民党との違いを出すべきだ。これこそ民主党の基盤ではないか。野党の結集は党名を「労働党」に変えればはっきりする。日本では労働党と言えば、先入観があって嫌われるらしい。イギリスの労働党を見ればよい。それでも抵抗感かあるなら党名はとにかく「心は労働党」を目指すべきだ。
 目前の選挙対策に執心しないで、じっくりと政策を明らかにし、政策で旗色を見せてほしい。私は新生民主党を待っている。その時には私も民主党を支持する。諸君、若者世代にも考えてほしい。

民主党の混乱、野党の混乱  

 新聞によれば、民主党の枝野幹事長が「我らこそ保守本流」と言ったとか。何を考えているのか?
 私は安倍首相とその一派が保守本流であると思っている。なぜなら、自民党には安倍首相を本心では支持しないリベラル派の宏池会の流れを汲む岸田派と、安倍首相派に批判的な超保守派が混在しているからだ。安倍首相は両派の人材を内閣に取り込むことでバランスを保っている。岸田派も保守本流と言っている。
 維新の党も混乱している。ころころと代表が変わり、最後に、党が東京派と大阪派に分裂した。これでは頼りにならない。今だに橋下元代表は大阪都構想にこだわり、国政に絞れない。多数の国民には大阪都構想には、野次馬を除いて、関わりがないのだ。
 共産党との選挙協力を進める民主党岡田代表もおかしい。私の知識では、共産党が掲げる政策は、社会主義革命、天皇制廃止、自衛隊廃止、日米安保協定破棄などで今も変えていない。それが今はこの政策を当面は将来の目標にし、当面見送りにしているという。仮に、両党が連立政権を取ることがあれば、たちまち政策の違いで対立するだろう。またまた政党間で混乱を招く。
 野党の混乱は本当に悩ましい。        (完)

Read more...

Back to TOP  

2015年11月20日金曜日

#149 安保関連法の監視はこれから――政府の実行に歯止め

 安保関連法が成立したとは言え、グレーゾーンのように法律にはしばしば不備があり、想定外の事態が起きるかもしれません。また、米国の圧力によって米国流の解釈で法律すれすれの集団的防衛を迫られるかもしれません。
  集団的防衛に沿って自衛隊を海外に派遣することを政府が決断する時には、じっくりと構えて急がない「しぶちん」と「ええかっこしない」の二つをキーワードにする外交を基礎にしてほしい。 野党が集団で安保関連法を廃止にするのではなく、これからは政府の決断一つひとつについて、必要なら我々は歯止めをかけるのです。若者諸君の民力が試されます。

防衛予算に歯止め  

 日本の防衛予算が約5兆円で、ほぼ日本と同じGDPである中国は17~20兆円。いずれ財政破綻を免れない。まともに中国と軍拡競争をするなら、借金(国債)大国日本も危うい。諸君の世代がかぶる。かつてソ連はアメリカとの軍拡競争によって国が崩壊する要因の一つになったことを忘れてはならない。
 さらに、兵力では自衛隊が約25万人、対する中国は230万人(さらに人民武装警察66万人)ではるかに及ばない。それに中国司令官が「兵隊はいくらでもいる」と豪語した。何百人の兵隊が戦死しても政権は揺るがないだろう。
 他方、日本では自民党政権が安定しているとは言え、自衛隊を海外派遣して戦死者が一人でも出れば、首相辞任の騒ぎが起きる不安定さがある。
 安保関連法で守りを固め、同盟国アメリカの軍事力とアジア諸国の支援が頼りである。自衛隊は叡智と装備の充実によって防衛力を維持し、防衛費を抑制するしかない。
 自衛隊は今、戦闘機、水陸両用強襲車、早期警戒機、無人偵察機などをアメリカから買おうとしている。装備の近代化に必要なものかもしれないが、抑制予算内で買うべきだ。 アメリカの圧力もあるだろうが、アメリカには国防産業を守るために、常に戦争や海外支援で兵器を消費させなければならない背景があることを認識すべきだ。

  ◇ イスラム国と難民――饅頭論

 饅頭論とは私が自治体の行政を研究している時に発想した造語だ。説明すると、饅頭はあんこと皮からできていることから、あんこは論理、皮は情緒(非論理)に喩えた。つまり政治の根幹は論理で考え、その上で民意の味加減をつけるというものだ。片側に偏り過ぎると判断を誤り、両者をうまく配分しなければならない。往々にして民意は情緒に流されやすい。そして、皮とあんこが境い目なしになると、饅頭はまずい。
 今、欧州ではイスラム国のテロと難民が大きな問題になっている。安倍首相は外遊先で支援の意思を表明した。日本政府は何をしようとしているか?
 イスラム世界、あるいは中東の事情は日本政府の理解を超えている。その上、これは欧州の問題だ。日本政府は饅頭のあんこ思考では、他国の支援要請や国内の人道的世論に惑わされてはいけない。
 人道的と言うと、すぐに日本も難民を受け入れるべきだという世論が起こる。政府はしっかり見極め、世論をまともに受け入れない決意につくべきだ。饅頭論のあんこだ。
 なぜかと言うと、

  ① 日本は世界の難民受け入れる前に、体制を数年かけて準備しなければならない。さもなくば、国内に混乱を招き、政府の今の統治能力では収拾できなくなる。
  ② 難民問題は、これまで有効なアフリカ対策を軽視してきたヨーロッパ先進国の責任だ。また、テロに関しては、シリアを初め中東問題は、戦後以来の先進国の外交を引きずっている。
  ③ 日本の外交は、アジア地域に中心を置くべきだ。従って、安保関連法の適用も近隣地域に限定する。アフリカや中東に深く関わらないという抑制を利かすべき。
  ④ 難民受け入れも日本は冷たいと言われようとも、非難に耐える覚悟を持つべき。中国とロシアは身を引いている。
 ⑤ いずれ中国が財政破綻する時には、大量の中国難民が台湾、韓国、日本に押し寄せてくる。また、北朝鮮に何事か起きれば難民が渡ってくる。これは日本の難題だ。
  ⑥ 日本に在留する外国人の難民と難民申請者は約6千人、このうち約半分が認定された難民だ。政府の難民認定が少ないと言われるが、資格認定を緩めるとどっと増えるだろう。日本では難民が仕事も少なく、住みにくいと言われる。移民国アメリカにおいても難民の生活は苦しい。この非難には耐えなければならない。
 他の一面は自治体や市民が支援しているにも関わらず、海外では報道されない。

余談――NHK用語のあほらしさ  

 二ヶ月も前のことか、NHKテレビニュースの中で「今後『イスラム国』は国と誤解されるので、『過激派組織IS』に呼称を変えることにしました」という声明を出した。しかし、その後もNHKのBSニュースでは相変わらず「イスラム国」を使っている。他のテレビも新聞も「イスラム国」を使っている。NHKのひとりよがりだろう。
 問題は、名称変更を承認した管理者たちはこの統一の無さに気付いているのか?私は以前から本稿でNHKの中間管理者が弱いことを指摘してきた。企業の管理者はこんなものではない。
 さて、諸君たちは「イスラム国」を独立国と間違えるか?そして俺たちを馬鹿にするなという反感を持たないか?
 因みに、アメリカのテレビニュースでは「IslamicState」とか「ISIS」を使っている。     (完)  

Read more...

Back to TOP  

2015年11月8日日曜日

#148 中国たより――「日韓中」首脳会談

 先の三国首脳会談では、韓中同盟の首脳が待ち構えているソウルへ安倍首相が乗り込むという構図でした。  現場感覚があるI氏が会議の模様を伝えます。どのメディアもここまでは報道しなかったので、情報として貴重です。
 若い諸君の時代には中国と半島に何が起きるかもしれません。長い全文を載せます。

    ――――――――――――――――――――――――――――――

 木々が色づく紅葉の季節、韓国語では丹楓(タンポ)という古風な言葉が残っていると若い現地社員から教えてもらいました。但し、その社員も日常的に使う言葉ではないとのこと。一週間前の北京では銀杏などが色づき黄葉(HUANG YE)と呼んでいました。
 11月1日、街路樹の丹楓が進むソウルで、第5回韓・日・中ビジネスサミットが開かれました。前もってパスポート明細や宿泊先の問合せがあり、厳しい警備への対応を促されましたが、会議式次第や発言者の詳細情報が届いたのは出発前日でした。云うまでもなく、2013年以来となる日本・韓国・中国の三ヶ国首脳会談に合わせた急な動きであり、三つのベクトルがなかなか揃わないままに、なんとか開催に漕ぎ着けた感じです。
 会場のロッテホテルの下見をしてから、近くの繁華街の明洞を久しぶりに散歩しました。以前は看板やポスターに僅かしか見出せなかった漢字がずいぶん増えたことが第一印象でした。次に年配の男には買うものが見つからないほど、化粧品・アパレルの店が圧倒的であることに驚きました。80后(1980年以后の生まれ、一人っ子世代)の中国人女性という、世界的にも購買意欲の高い客層を狙った通りでした。
  いつもビルの谷間に残った大衆食堂での朝食から水先案内を務めてくれる現地法人のボスは、明洞から道を折れた処にある二十世紀初頭に創設された華僑学校、その隣の中国大使館(旧中華民国大使館址)に導いてくれて、中韓国交樹立(=台湾との国交断絶)前後の話を聞かせてくれました。向かいの建物には国民党のシンボルの青天白日が刻まれたまま残り、その前では反中国政府のビラを配る人もいました。そのどちらにも目を留める人もなく、大使館警備員は増強されているとはいえ、雰囲気はのんびりしていました。  
 会議会場では、屈強の私服警官が目立つ程度(本来は目立ってはいけないはず?)で、入場カード登録も安全検査も緩やかでした。開始前の榊原経団連会長の表情も穏やかで、高揚感とともに安堵の色が窺えました。
 二つのセッションに分かれたパネルディスカッションには、韓国は政府高官OB中心、日本は経団連副会長のお二人、中国からは王府井百貨店社長、安邦保険総裁といった民間人がパネラーとして参加されました。
 韓国側から、北朝鮮に市場経済指向の兆しがあるので、物流投資を三ヶ国で支援しようとの提案。更にはロシアも睨んだ北東アジア開発への参画要請がありました。二週間前に、北朝鮮と中国の国境の新義州と丹東で経済開発区構想が「始動」したという報道もありました。何年も前から「始動」し続けているので、今回はギアチェンジがあるのか無いのか現地確認が必要かなと思っています。
 中国側から、北朝鮮関連については具体的な動きを知りたい、という冷ややかな一言。あとは、一路一帯、アジアインフラ銀行(AIIB)などの政策のアピール、そしてGDPの1%の意味が、10年前・20年前とは実額ベースでは大きく異なっていることから、7-9月の前年対比の成長率が0.1%少ないことについての議論の不毛さを強調する「民官人」的発言が記憶に残りました。
 日本側からは、日本は色んな提案企画に反対しているわけではない。いつもドアは開けている。ただ、内容や運営手法を透明にしてもらいたいだけだ、というYES、BUTの印象。
 いずれも、同時並行して行われている三ヶ国首脳会議の動きを見守るハーフウェイの立場であり、踏み込んだ議論にはなりにくい環境だと同情しました。そして、会議の最終章の時間、にわかに報道関係者の数が増え、政府関係者と警備担当が増えました。
 目の前のテーブルに着いた韓国の李外務大臣の後ろ髪が少々不自然だなと思う間もなく、中国の王毅外交部長(外務大臣)が親しげに近づき、その肩を抱くかのようにして隣に座りました。遅れて静かに来場した岸田外務大臣は椅子一つ分の距離を置いて着席しました。衆人環視の中での三人の動きに、現下の三ヶ国の距離感と表現の違い(形式知と暗黙知)を感じてしまいました。    
 そして、朴槿恵大統領に先導された安倍首相と李克強首相の到着。まず三ヶ国の経済団体代表のスピーチ(いずれも経済界の足並みは揃い始めたので政府による支援を宜しく、といった内容)がありました。続いてビジネスサミットへの祝辞目的の簡単な挨拶だけかな、という予想は裏切られ、三首脳はそれぞれの個性と意見を出しつつも、言葉使いと表情を制御していることを感じました。中国語の同時通訳者が少し緊張気味の印象でした。
 昨年秋の北京に、APEC BLUEと称する青空をもたらしてくれた会議での緊張感とギコチナサとは異なり、同じく一週間前の北京で共同声明発表に至らなかった「東京―北京フォーラム」の喰い足らなさ(或いは残尿感)とも違う雰囲気が会場にありました。
 下世話な喩でいえば、しっかり者の妹分が、意地っ張りの二人の男を何とか宥めている光景のようにも見えました。翌朝の新聞一面には、各紙各様の三人の写真が大きく掲載されていました。その写真の表情を見ながら、久米正雄による大正時代の新造語「微苦笑」という言葉を思い出しました。
 数千年に及ぶ交流の歴史があり、今年は2000万人を超える相互往来のある日韓中三ヶ国のGDPは世界全体の25%近くを占めると言います。紅葉、丹楓、黄葉・・・それぞれの国で表現や色合いは異なっていますが、季節の変化を感じる地域の国同士であります。今回のソウルでの集いを友好とか親善とかのお題目ではない現実的なパイプ、パイプが無理なら最低限の生命安全を保障するカテーテルを繋ぐ起点にしてもらいたいと切に思います。
 関空に戻る夕方の大韓航空の機内食は,オニギリ一個でした。オニギリも今では日本・韓国・中国のコンビニで普通に売っている食品です。       (了)

Read more...

Back to TOP  

2015年10月25日日曜日

#147 自分の感性はどこまで?――テレビ出演者がつくる世論

  日本企業から北京に駐在していた友達は、いつか、「中国人はメディアを信用しないのに、日本人はメディアを鵜呑みにする」と言っていました。
 私も共感しますが、「日本人大衆はテレビに出る評論家やタレントに自身の感性を奪われてしまう」と付け加えます。  
    諸君はスマホ中心でテレビをあまり観ないから、感性喪失症から免れているかもしれませんが、如何でしょうか。
 いくつかの話題を挙げて、諸君の自己判断材にしてみましょう。

今、マイナンバーが騒がしい  

 先ず番号通知カードが個人宛に送られ、12桁の個人番号のカードを郵送またはオンラインで市役所に申請する。諸君たちにも通知が来る。来年1月には市町村窓口で個人番号カードを受け取る。ざっとこんなことを町内会に説明に来た市役所の係員から知った。
 ところが、説明後には出席者から個人情報の漏洩について質問が集中した。この背景には年金保険機構のミスから個人情報が外部に流出したトラブルが、メディアでしばしば報道されたからだろう。待てしばし。ここで重要なことは、流出した個人情報よりも年金機構の管理の甘さなのだ。これでは個人番号の管理について疑われても仕方がない。
 しかし、考えてみると、個人番号カードには氏名、住所、誕生日、性別しか記されていないのだから、電話帳程度の情報でしかない。私の情報が漏れたところで、詐欺師グループか通販業者が利用する恐れがあるくらいか。個人番号カードにはこれらの情報が埋め込まれたICチップが貼られているという。なぜ金をかけてこんなものが要るのか?
 因みに、私が渡米時1978年に発給してもらったアメリカの社会保険SOCIAL SECURITY番号カードはぺらぺらの紙一枚で、9桁の番号と氏名それに自分の署名しかない。ところが、この安っぽいカードの主目的は年金の管理であるが、そのほかに所得税の申告、就職、銀行口座の開設、運転免許証の申請など広範に身分を証明するために使われる。滞米18年の間に、偽造など犯罪に使われたことは聞いたことがない。
  プライバシー、プライバシーと世間が騒ぐ時代がいくらかましになったと思っていたら、今また個人番号で騒がれる。 さて、諸君はテレビに出演する評論家やタレントの輩によって、自身の感性や考えに影響されていないか?彼らは政府の施策にはすべて反対し、どぎついことを言って目立たなければ飯を食えない。こんな連中に毒されるなよ。

枯れ葉マーク

 少し古い話であるが、高齢の運転者を対象に年寄りマークを車に貼る法律ができた。 この時、マークのデザインが枯れ葉に似ていると批判が巻き起こり、警察庁が急遽今のデザインに変えた。2500万円の追加経費がかかったという。
 私は枯れ葉を連想しなかったので、ある時10人くらいの会合で「あのマークを見て枯れ葉を連想した?」と尋ねると、「連想しなかった」とみんなが言った。
 テレビ番組の中で出演者の誰かが言ったのを、視聴者が追随して騒ぎ出したのだ。
 私はその後高齢者枠に入ったが、枯れ葉マークを貼りたかった。因みに、罰則規定がないので、町では年寄りマークを貼っている車をめったに見かけない。

後期高齢者

 厚労省が医療保険の赤字増大が止まらないので、対策を講じるために、高齢者を「前期高齢者(65歳~75歳)」と「後期高齢者(75歳以上)」に区分けした。これは企業では「勘定科目別管理」と呼ばれるもので、例えば、赤字の発生源がどこにあるかを知って対応を決めるのに重要な技法だ。どこでもやっている。
  ところが、私も観ていた民放テレビの番組で、おそらく経営には無知な出演者が「後期高齢者」を「姥捨て山」政策と言っていた。これが年寄り大衆に広まって反対した。 ある日、大阪の年寄り中心の会合で、「自分の感性で姥捨て山を発想したか?」と尋ねてみた。誰もがテレビで観たが、自分はそう思わなかったと言った。一人の90歳を超える出席者は、「末期高齢者と呼ぶのがいい」と言って笑わせた。
 若者諸君にはどちらの呼び名でもかまわないだろう。本当にそうなのか?

マイナンバーのまとめ

 私の記憶では90年代に個人番号制が自民党で検討された。しかし、プライバシーとか、国の個人管理強化だとメディアが煽り、反対の世論が強かった。
 一旦、挫折した後、民主党政府が政策として取り上げ、推進の途中で自民党政府に変わってしまった。民主党が起案し、自民党が仕上げたのだ。
 当時の「国民背番号」制という呼称がまずかった。今は、市役所の説明によると、法律の正式名称は「個人番号」だけだそうだ。これ以外に「マイナンバー」と「共通番号」の名称が入り乱れてメディアで使われている。ここでも、カタカナ英語が主に使われている。例によって、政府は大衆がカタカナ英語を好むと思いこみをしているのか?
 諸君に問う。終わりに、個人番号制の目的は何か? テレビによってつくられる世論を鵜呑みにするなよ。自分の感性を大切にしてほしい。             (完)

Read more...

Back to TOP  

2015年10月7日水曜日

#146 沖縄県知事と韓国大統領――その共通点は?

 怨念や感情に支配される朴大統領の資質について、日本ではよく知られています。また、内政課題、例えば経済改革に対する彼女の無策も指摘されています。
 ところが、問題はよその国だけでなく、同様なことが日本にもあります。それは沖縄県の翁長知事です。彼も怨念と感情に支配されて県政を危うくしているように見えます。
 沖縄の若者諸君、これでよいのですか? ここでは、諸君が頭に来ることを含め、次世代の沖縄のために愚見を書いてみます。
 
翁長知事は論理思考ができない
 
 メディアに報道された知事の言動を挙げてみよう。
 
  「沖縄の基地はアメリカに強制収容された」---戦勝国が敗戦国に対し、基地用の土地を収用するのは当たり前。知事は何を言いたいのか?ソ連は北方4島を強制収容したが、これは領土交換の条約を無視したことに違いがある。
  「沖縄の人々には魂の飢餓感がある」---何を意味するのか、だからどうだと言うのだ?
  「米軍基地の沖縄の負担軽減と新基地反対」---よくある「何でも反対」で現実的な思考力がない。政府も誰もがこうしたいと考えるが、沖縄の地政学的立地が当面許さない。
  「ハワイ州知事の祖祖父は沖縄の出身だから、この縁で支援してほしい」---ここまでになると日本人として恥ずかしい。ハワイ州知事が国政の問題について動けるわけがない。なるほど、翁長知事は県政の守備範囲が分からず、国政との違いを見られない一面が表れている。彼には国は単に敵対する相手でしかない。
 
 知事はハワイのほかワシントンで国会議員に会った。適当にあしらわれただろう。スイスの国連事務所にも行くという。「アメリカの基地が沖縄に多過ぎる」と告げ口外交をしている。
 
中国政府ならこうする
 
 沖縄には独立運動があるという。どっちみち国の財政支援なしではやっていけないのだから現実的とは言えない。 仮の話、琉球国として中国の傘下で自治国になるなら、中国政府はチベット方式を取るだろう。つまり、沖縄人の半分になるまで大量の漢人を送り込み、人民解放軍が駐留し、漢人の商売を支援する。その結果、沖縄人は二流市民の地位に置かれる。 さらに、沖縄の標準語は日本語から北京語(標準話)に変えられる。知事は廃止され、ホンコンのように中国共産党委員が行政のトップに任命される。
 昨今の南アジア、東アジアの中国政府の横暴を見れば、日本にとって沖縄の立地は国家の死活に関わる問題だからその備えはある。安保法制もその一つだ。中国政府はそう簡単に手を出すわけにいかない。
 
私が知事なら、諸君が知事なら  
 
 普天間基地が返還される代わり、その1/4の面積の辺野古基地が建設される。すなわち差し引き3/4は基地が減るのだ。普天間基地の広さは東京ドームの100倍(信じられない)だそうだ。本土人は沖縄人のように当事者意識を共有できないので、沖縄人の心情は分からない。しかし、逆に、心情に左右されないで醒めた目で沖縄を見ることができる。
 辺野古移転は沖縄人に良いことだと見る。本土では過半の人々が辺野古移転は望ましいと考えている。
 知事以下の反対派は、辺野古移転に代わる案を持たない。県外移設などというのは、現実にあり得ないのだから代案とは言えない。最近よく言われているように、知事の狙いは国から巨額の助成金を引き出すことにあるのだろうか。
 私が知事なら、普天間の跡地には、資格審査の前に一旦難民を受け入れる「難民村」(テントの難民キャンプよりずっとましなもの)、台湾資本を主とする「夜市」や「国際市場」、関税がかからない「経済特区」、テーマパークの「USJ」、そして「カジノ」(私は経済力がある東京や大阪の立地に強く反対)などを設ける。もう公共施設は要らない。
 翁長知事にもの申したい。辺野古移転が遅れても、外交上の信用問題はあるが、米軍も日本も困らない。そのまま普天間基地を継続すればよいのだ。知事の交渉力は弱い。
 諸君が知事ならどうする?

諸君が沖縄を変える、これしかない 

  私がアメリカに移る年、もう38年前のこと。沖縄の友達と会食した時、「県教組は偏向教育か反日教育に執心しており、肝心の生徒の学力は落ちる。だから県教組幹部は子供を鹿児島の高校に国内留学させている」という話が出た。現在、この子供世代が沖縄県を動かしているのだろうか。
 昨年10月、翁長知事が就任してからさらに沖縄は孤立していると思う。経済振興では観光以外に、本土経済ともっと密接に関係を深めなければならないというのに。
 今、有効求人倍率は全国平均で1.3, 沖縄では0.85だ。諸君がどうもがいても職が不足している。沖縄を出て他県の空気を吸うといい。仕事のほかに、沖縄の広報役を担ってほしい。

  いつか真冬に韓国の済州島に4,5日滞在したいと思ってきた。私は韓国政府を嫌っているが、理性によって韓国全体や韓国人を対象にしないように心がけている。
  冬に沖縄に行きたいが、今は嫌沖縄感を持たされているから、行くにしても八重垣などにして本島には行かない。                 (完)

Read more...

Back to TOP  

2015年10月3日土曜日

#145 中国たより――済州島4・3事件とは?

 北京在住のI氏が北朝鮮国境地域のほかに韓国の済州島事件について書いています。
 少し前置きが長くなりますが、私も済州島について書くことにしましょう。
 4・3事件というのは、朝鮮半島が南北に分かれた1948年、済州島民が独立を求めて蜂起した時、韓国の軍隊と警察が島民の5人に1人、6万人を虐殺した事件です。
 私が韓国に出張中、親しくなった技術者から、今も本土人の間には済州島民を蔑視していると聞いたことがあります。なぜか、また事実なのかどうか分かりません。
  朝鮮戦争が起きたのは2年後のことです。

 大阪に住んでいた時、済州島を舞台に老夫婦の農民と牛の生活を淡々と描く映画をミニシアターで観たことがあります。ひと昔前のフランス映画のようでした。済州島にはいつか行ってみたいと思っていました。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       「中国たより」

  この春、平凡社ライブラリーの一冊として増補出版された『なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島4・3事件の記憶と文学』(金石範・金時鐘著 文京洙編)を読んで、改めて1948年4月3日の済州島での武装蜂起、それに対する徹底した弾圧粛清や予備検束について系統だって知ることができました。とりわけ、済州島脱出と日本への密入国を経て、きわどく生き延びた金時鐘氏の長い沈黙の重さが印象的でした。
  済州島での事件についての詳細は省きますが、巻末資料に掲載されている盧武鉉大統領の済州4・3事件58周年記念慰霊祭でのスピーチ(2006年4月3日 済州4・3平和公園)を一部引用して、当時の韓国政府の姿勢をお伝えします。
  「国民の皆様。誇らしい歴史であれ、恥ずかしい歴史であれ、歴史はあるがままに残し、整理しなければなりません。とりわけ、国家権力によって恣に行われた過ちは必ず整理して、乗り越えていかなければなりません。国家権力はいかなる場合においても、合法的に行使されなければならず、法から逸脱した責任は特別に重く問われなければなりません。同時に、赦しと和解を口にする前に、やりきれない苦痛を被った方々の傷を治癒し、名誉回復をなさねばなりません。これは国家がしなければならない最小限の道理です。そうしてからこそ、国家権力に対する国民の信頼も確保でき、相生と統合を言うことができると思います。」 (同上書307頁)
 自らの言葉で、自らも内容を信じて、簡潔に述べられた談話だと思います。

 対北朝鮮国境に貿易地区=大橋開通目指す?
 【北京時事】新華社電によると、中国遼寧省政府は7月13日、対北朝鮮国境都市の丹東市に両国の国境地域住民が商品を取引できる貿易地区を設置する方針を明らかにした。既に承認されており、10月から運営するという。  鴨緑江を臨む丹東市の国門湾に設置され、約4万平方キロの土地に交易や物流、検査などのための施設を建設する。丹東は中朝貿易の最大の経由地。国境から20キロ以内に居住する住民だけに貿易地区での交易が許され、北朝鮮の国境住民と商品の取引が可能となる。1日8000元(約16万円)以内なら関税などが免除される。
 貿易地区が設置されるのは中国が新たに鴨緑江に建設した「新鴨緑江大橋」の中国側起点。大橋はほぼ完成しており、昨年に開通する予定だったが、北朝鮮側の事情で開通していない。中国側には貿易地区の運営開始とともに、大橋の開通を目指し、中朝の国境貿易を活発化させる狙いがあるとみられる。
 数年前から定期的に遼寧省丹東市を訪問して、丹東の提携工場との打ち合わせとともに、北朝鮮の動きを色々と教わってきました。特別区の設置や労働者派遣の話が観測気球のように上げられては、その都度「北朝鮮側の事情で」頓挫してきました。その間に丹東の工場の競争力が下がり、一部をカンボジアの工場へ移管することにもなりました。上記記事の動きが具体化するかどうか、中国から30年遅れた対外経済開放政策に北朝鮮がハンドルを切るか?そして丹東が「東北部の深圳」として変貌できるか?
 過去の経緯からみると、楽観的にはなれません。しかし、板門店で神経戦をするよりは、丹東と新義州の間を流れる鴨緑江を脱北ルートの川ではなく、溝通(コミュニケーション)のカテーテル(パイプというには、8000元/日という免税対象の規模からして憚られます)にしてもらいたいと考えています。             (了)

Read more...

Back to TOP  

2015年9月24日木曜日

#144 日本のメディアが急進左翼化ーー極右政党の反動が怖い

 前々回#142で、安保法案に反対するデモ集団が、本当に法案を理解しているのかと疑う内容を書きました。言ってみれば、大衆は当てにならないと。
 「大衆をバカにしている」、「上からの視線で見ている」、「えらそうにものを言うな」などと読者から叱責を受けると思っていました。ところが、これまでのところ批判の意見なし。これは共感を得たのではなく、本稿が読まれていないのでしょう。執筆の気力をそがれる結果になりました。
 ただ一人、若い人から「それじゃあ我々はどうすればよいのですか?法案をどう考えればよいのですか?」と訊かれました。 この問いに答えることは難しいのですが、例を挙げて説明してみましょう。
 
どう自分の考えを決めるか? (重要順なし)
 
  1) 私の古い友達は教養水準が高いが、安保法案のような重要な問題については、『週刊朝日』に寄稿している学者(評論家)を信頼して参考にする。結果として反対になる。
  2) テレビ番組か、新聞を参考にする。例えば、朝日新聞を読めば反対に、読売新聞を読めば賛成に傾きやすい。
  3) 支持する政党を選ぶ。与党なら賛成、民主党なら反対になる。
  4) 知人か友達に相談する。友達が反対なら反対に、私が相談相手なら賛成に説得される。
  5) 詳しい特集を載せる月刊誌を読む。ここまで熱意がある人は少ないだろう。月刊誌によって反対か賛成に影響される。

 さて、テレビ番組で出演者が「結局、一人ひとりが自覚を持って決めてほしい」と言ってオチにしているが、現実を見れば空々しい。諸君はどう思うか?

危ない世論調査の一面

 先月だったか、NHKが会社向けに電話によるアンケート調査を行った。約1100社に電話し、550の回答を得た。このうち反対が450だった。450/550で反対率は61%が反対と結論づけた。これは危ない。なぜなら無回答を入れて450/1100で61%、反対率は61%から41%の間であるからだ。
 どのアンケート調査にもこういう危ない一面がある。ただし、内閣支持率のように何年にもわたって同じ質問をぶつけて継続性があるものはある程度信頼してもいい。
 野党は今も安保法案に関して、国民は80%以上が理解していないと主張している。
 どんなアンケート調査によるものか分からないが、それよりも理解することが難しい上に本当に知る気があるかどうか。

憲法9条と国の安全保障

 はたして諸君たちは憲法第9条の原文を読んだことがあるだろうか?
 9条には二つの項目があることを知っているだろうか? ここに手元にある小六法から引用してみよう。

  ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 アンダーラインは私がつけたものであるが、現実に照らして微妙な内容の条文になっている。日本語としても主語述語の表現がおかしい。②項はいずれ改正の必要がある。
 憲法には集団的自衛権に関する条文はない。これは戦後間もなく憲法が公布された時には、日本はアメリカの庇護下にあり、再軍備は禁止されていたから考慮の対象にもならなかったのだろう。
 因みに、国連憲章には9条①とよく似た条文がある。しかし、集団的自衛権の言葉はどこにも使われていない。国際的に認められているだけで、もともと曖昧なものだったのだ。

安保関連法は成立した

 集団的自衛権については、従来、内閣法制局によって「日本は集団的自衛権を有するが、行使できない」という解釈がなされてきた。なんとも奇妙な話だ。  政府はこれに対し、憲法に沿って集団的自衛権を行使できるとしたので、憲法解釈の変更だと野党や市民からの反発が大きくなった。そして、安保関連法案の核心になった。 私の喩えは品を欠くが、今回の法案は「これまで緩んでいたふんどしを締めた」のである。
 法案反対派は、戦後日本の平和を守ってきたのは憲法9条だと言うが、私はそうは思わない。日本が平和であったのは、重要順に①中国も北朝鮮も脅かす存在ではなかった、②日米安保条約、③自衛隊、④憲法9条であると思う。

極右政党が出てくる恐れ

 参議院で安保法案が可決される前の一週間、購読している読売新聞のほかに、隔日毎に朝日と毎日をコンビニで買って読んだ。朝日と毎日の法案反対キャンペーンは徹底していた。
 テレビの番組でも反対派の学者が圧倒的だった。彼らはキャリアがあり、知名度が高いのに対し、賛成派の論者は若く、影響力の上で弱かった。メディア挙げて左派が優勢だった。オーバーに言えばメディアは左派が支配しているようだった。
 こういう状況下では、次の参議員選挙では極右政党が出てくる恐れがある。  現に、イギリス、ドイツ、フランス、ギリシャ、デンマーク、そしてアメリカでも極右団体が台頭しているから、決して他人事ではない。
 諸君は、これから「日本は神の国」、「忠君愛国」、「国体護持」、「移民・外国人排斥」、「自衛隊の国軍化」などの言葉を聞いたら警戒する必要がある。                  (完)  

Read more...

Back to TOP  

2015年8月25日火曜日

#143 中国たより『暑瑕日記』――普通の中国人社会

 中国叩きの報道や雑誌評論があふれています。私も書いています。
 これに対し、普通の中国社会や中国人の情報が少ないので、I氏からの今回のたよりは日本人と中国人の交流を伝えてくれます。
 この中でI氏の友達が「台湾から大陸へ決死の脱出」と書かれていますが、これは国共内戦に敗れた蒋介石の国民党軍が台湾に侵攻した時のことです。台湾で何が起きるかわからなかったからでしょう。私の台湾人の知人(農学博士)もこの時大陸に北京に渡り、その後半世紀を経て台湾に戻りました。
 
諸君たちにも、私が言う「嫌中は政府が対象で、一般の中国人とは別」を思い起こしてください。

 
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   中国たより、『暑瑕日記』ーー普通の中国人社会

 
 猛烈に暑い日々、小難しい文章を読んで頂くのも、綴るのも回避したい本音を優先して、小学生のように何日分かの「夏休み日記」をお届けすることで楽をさせて頂きます。 中国語では、夏休みは「暑假」と表現すると随分以前に書きました。中国では「閑」という言葉は良く見かけますが(休閑=カジュアル。閑人免進=立入禁止)、「暇」は見かけません。
 この場合の「假」はJiaの4声で開放的に発音し、仮とか真実でないと言う場合の「假」は陰に篭った3声です(假幣=ニセ貨幣、假薬=ニセ薬、假的日本料理など色々あります。

  7月23日(雨);上海では驟雨が続いていました。花屋の譚さんから晩飯を一緒にしようよと誘われました。美味しい上海庶民料理の店かなと思いきや、讃岐うどんが評判の『田屋』を予約したとのこと、聞けば『田屋』のオーナーに長年可愛がられて、色々と助言を貰う関係。門松の初発注者もそのオーナーであり、こちらは二番手だったことを知りました。
 折り入っての話はいつもの長男の針路のこと。留学先はどうしても日本にしたいと息子が言う、花好きで勉強嫌いだった息子が家の近くの日本語学校に通い始めたとのこと。東京・大阪・福岡の何処が良いと思うか?と問われても、野球チームの好みで決めるような問題ではないので困りましたが、先ずは上海で日本語の基礎をしっかり作るようにと助言し、翌日には、大連理工大学の蔡教授編纂の日本語教科書を届けました。息子の針路話の次は、花屋経営の将来についての話でしたが、いつもとは趣が違いました。
  譚さんは、日本人酔客相手の夜の花束商売は終わったことも、倹約奨励・腐敗撲滅政策で大宴会場や開業式などの需要も当面戻らないことも承知していました。個人客を待つやり方(請進来)では、少々店をキレイにしても大きくは伸びないだろう、やはり自ら外に出て安定客を掴みにいくやり方(走出去)が大事ではないか、と常識的なコメントをしたところ、譚さんはニヤリと笑って携帯電話の写真集を見せてくれました。
 そこには若い女性に囲まれて、満面の笑みを浮かべている譚さんが写っていました。銀行や工場が福祉活動の一環として生け花(挿花)やフラワーアレンジメントの教室を開き、その講師として出向いているとのこと、もちろん助手や材料は店から帯同。皆が同じエプロン姿なのを発見し、問い詰めたところ、自らデザインした黒地に「小譚花店」の白抜き文字の洒落た品でした。
 理性消費時代に対応し、サービスと機能で顧客を開拓する姿勢に共感しました。翌日、息子への日本語教科書のお返しとして、エプロンを笑いながら手渡してくれました。

7月25日(曇りのち雷雨);瞿麦先生を紹介して欲しいとの邦字紙支局長からの要請を 実行すべく、ご自宅に同道。1949年に台湾から大陸へ決死の脱出をしてから、日中国交正常化前後の活躍までのことを中心にした話題からでした。
 今回は台湾駐在経験もある支局長が台湾語を交えて闊達な雰囲気を作ってくれたので、色々と新しい知見や深い解釈が増えました。近くの喫茶店に席を移しての茶のみ話も愉しく、ついには男三人ながら別れ辛くなって、晩御飯もご一緒しましょうと車に乗った直後に大雨が降り始め、フロントガラスのワイパーが能力超過となるくらいの豪雨でした。
 何とか(假的でなく真的)日本料理屋に入ったあとも屋根を打つ雨音と雷声が豪快でありました。会話も豪快で、90歳に近い先生の記憶力の素晴らしさと分析洞察力に若い(?)二人も押され気味の愉しい夜でした。                (完)

Read more...

Back to TOP  

2015年7月29日水曜日

#142 安保法案と世論――大衆は往々にして愚か

 今月の本稿執筆に意欲がなく、危うくノーヒット(執筆ゼロ)になるところでした。
 世間が騒がしい。安保法案を始めとしていろいろあります。通常はマスコミが騒いでいる間は本稿では書かないのですが、今回は諸君たちに訊ねたいので取り上げます。

  ◇ 安保関連法案が衆院可決と反対デモ  

 いつもながら反対派のデモが目立つ。そこでデモ参加者に尋ねてみたい。

1. 衆院で可決された安保関連法案は11本あるが、このうち10本はすでにある法律の補強あるいは補充のためであり、ただ1本の「国際平和支援法」だけが新法だ。これを知っているか?
2. 新聞に掲載された全法案を読んだか?
3. いつもキャッチコピーが巧い共産党の「戦争法案」呼称によって「戦争反対」、「戦前に戻すな」、「徴兵制を許すな」、「アメリカの戦争に加担するな」など看板や紙を掲げているが、どの法案が戦争に導くのか?
4. 個別的自衛権と集団的自衛権の違い、特に集団的自衛権を理解しているか?
5. 2項目ある憲法9条の本文を読んだことがあるか?

 上記の質問5項目について私はすべて「ハイ」であるが、それでも一抹の不安を感じながら法案に賛成している。安倍首相は戦争をしないための法案だと、国会で答弁していることに対し、一理あると思う。つまり、抑止力が利くからだ。
 ある程度法案を理解している私でさえ、全面賛成になれないのは、自国の安全保障について法案が事態の想定に立っていて、想定が間違っていることや、想定を超える事態が起きるかもしれないからだろう。
 ほんのひと昔、冷戦時代には仮想敵国がソ連であった。そのために国土の北方の守りが重視された。ソ連の偵察機や戦闘機が日本の領空を侵犯したが、目的は自衛隊の監視能力を探ることにあっただろう。領土を拡大する野心はなかった。
 それが今は領海や島の支配を目的にする中国が仮想敵国になり、南方の守りが重要になった。 戦後70年、日本周辺の環境が大きく変わったのである。「日本はこれまで憲法9条のお陰で平和にやってこられた」という考えは、時代と環境の変化を無視している。何事においても「これまでやってこられた」ということは、これからもやっていけるということにはならない。官僚組織も企業もそうだ。ここが分かれ目なのだ。

中国の覇権主義、仮想の上の仮想  

 そもそも安保関連法案は中国の限りない覇権主義に対応したもの。日本がここまで守りを固めることができたのは中国のお陰だ。
 中国政府は人民解放軍の圧力によって、南沙諸島を埋め立てて軍事基地を建設することで南シナ海全域を領海化、実効支配を固めた。私の仮想では、次には北上して日中の領海境界線に沿って建設した16基ものガス田開発施設を軍事基地化する。これで実効支配を固めたら尖閣諸島に軍事基地(始めは観測施設が目的だと言うだろう)を建設し、東シナ海の領海化を狙ってくるだろう。
 さらに、青島から上海の沖まで黄海を領海化することだ。これでアジアの海域を中国が支配することになる。彼らの狙いは無人島を実効支配することだから、日本としてはガス田と尖閣諸島に対策を講じなくてはならない。
 他方、黄海も支配されかねないというのに、パク大統領は反日で習皇帝にすり寄るばかりで、中国の野望には盲目。韓国は危うい。
 2,3年前のこと、人民解放軍の将軍がアメリカ軍の将軍に対し、「ハワイの西は中国が、東はアメリカが支配下に置くことにしたい」と公言した。パーティの立ち話で冗談を言ったのではない。中国海軍の心に秘めた野望が思わず出たのだろう。
 日本の領土で最東端に位置する南鳥島は、東京都の行政下にある。東京から1800キロも離れている。自衛隊の航空基地があり、隊員と気象庁職員が20人常駐しているたけで、住民はいない。ここも中国が領有権を主張しているが、日本が実効支配しているので、無人島のようには中国が支配することは容易ではない。しかし、中国が太平洋の拠点として狙っていることは確かだろう。  諸君たちは私の仮想を信じないかもしれない。しかし、考えてみるといい。
 中国のような独裁国家では、その激しい権力闘争がゆえに侵略活動を続けなければならない。世界史においても戦争に負けるまでとどまらなかった例がいくらでもある。中国も国家経済が破綻するまで覇権主義を止めないだろう。

一体、大衆とは何なのか?

 安倍政権に対する支持率が40%に落ちたという。政府は熱心に安保法案を説明し、国民の理解に努めている。ええ加減な世論調査と、その結果、80%は理解していないと野党が政府を責める。しかし、私は大衆の20%も理解しているとは思わない。これから政府がいくら説明しても変わりがないだろう。なぜなら、大衆は真剣に関心を持っているわけではないからだ。
 支持率が落ちたのは、法案そのものより、「与党が強行採決したことは民主主義の否定であり許しがたい」という批判が受けているせいだ。これなど国会採決を野党が欠席したのだから、野党が招いた結果であるのに、大衆はそうは考えない。
 また、維新の党が採決が近くなってから対案を提出したのは、採決の先送り戦術でしかない。それでも「対案の審議を無視した」と言えば大衆に受ける。
  テレビでも出演の識者(昔は進歩主義者と言った)はほとんどが法案反対だから、大衆視聴者も反対に流される。本当のところ、賛成派は少なくないはずだ。
  民意は尊重しなければならない、同時に民意に従うだけでは政治とは言えない。政治とは本当に難しいものだと思う。 以前にも大衆、大衆と書いて大衆を低く見ていると批判を受けたことがある。一般の人々という意味で使っているし、広辞苑には「多くの人」と記されている。愚かな大衆を意味する言葉には衆愚がある。
  さて、若者諸君たちは大衆なのか、衆愚なのか?諸君たちは何者なのか?     (完)     

Read more...

Back to TOP  

2015年6月25日木曜日

#141 テレビコマーシャル,やりたい放題――これでいいのか?

 昨年12月に脊柱管狭窄症の手術を受けて2週間入院しました。  腹の周りにコルセットを巻いて、ベッドに横になっているだけの生活ですから、読書をするか(本を持つ腕がすぐ疲れる)、テレビを観るか、うたた寝をするしかありません。最初のうちはテレビをぼうっと観ていましたが、ある日、番組研究(?)をしてみる気になりました。
 ここに報告します。

◇ あふれる韓流ドラマ  

 こりゃあひどいわ。ある平日のテレビ番組を新聞の番組案内で見ると、BS日テレでは毎日4本の韓流の連続ドラマを放映している。そのほかの民放BSテレビを合わせて3本、NHKBSでも1本、計8本になる。もっとあるかもしれない。
 現代劇もあるが、時代劇ではどれも4~7世紀の三国時代(日本の縄文、弥生時代)を描いている。ドラマだからすべて史実ではないだろうが、創作ドラマであることに責めを負わない。
 問題にするのはドラマそのものではなく、その数の多さだ。聞くところによると、どの民放テレビも自主番組の制作には金がかかるから、韓国から番組を買った方が安上がりのだという。

 私が高校生の頃、そしてその後もアメリカのドラマが全盛だった。記憶をたどると、「アンタッチャブル」、「ローハイド」、「アイラブルーシー」、「ララミー牧場」、「逃亡者」、そして最近では「刑事コロンボ」などが毎週放映されて、私もよく観た。どれも名作だった。
 ただ、韓流ドラマと違う点は、アメリカドラマは連続していても毎週の話は完結、週一回だったのに対し、韓流ドラマはNHKの大河ドラマのように話が連続し、毎日何本もやっていることだ。私はどのドラマも一回しか観ていないが、面白くない。
 今、午前と真昼間の韓流ドラマを誰が観ているのだろうか?

 BSのコマーシャルはひど過ぎる  

 先ず、頻繁に入れられるBSのコマーシャルは一回につき5分以上で長い、長い。午前はどの局もまるでコマーシャル専用のようだ。
 コマーシャル専門の俳優、老令でほかに出番がない俳優に加えて、教授や弁護士(かっこ悪いと思わないのか?)を使って消費者に仕立てる。名が知れた大企業から知られていない中小メーカーまで、栄養剤(サプリ)のコマーシャルを流す。青汁か緑汁のコマーシャルは激烈な競争だ。すっぽん、にんにく、しじみ、青魚の成分がたっぷり入っているという。はてな、一粒に「しじみ300個分」だとか「まぐろ9皿分」が含まれるなんて。そんなに栄養分が必要なのか?
 また、よくあるように、「厚生労働省の摂取基準」などと、お上の名を使うのは、消費者が信じやすい効果を狙っている。  さらに、コンドロイチン、グルコサミン、DHA、DNA、コンスタンチンなど栄養成分のカタカナ語で消費者を釣りあげようとする。これら、学名なの?
 こんなセリフは空々しい。例えば、

 「これから30分の間、電話担当者を倍増します」
 「コマーシャル終了後30分以内にお申し込みの方には半額にします」
 「おひとり様3個以内に限ります」
 「個人の感想です」  

 若者諸君、こんな栄養剤を買う金があったら、美味いものを食べた方がいいよ。私は今日まで人並みに健康であるが、栄養剤は生涯摂ったことがない。これからも摂らない。
 ハイ、これは「個人の感想です」。

◇ テレビで濫用の外来語5悪  

 ますます外来語のカタカナ語が増えている。挙げられないほど多いが、ここでは諸君には使ってほしくない悪例を五つ出してみる。  

 リベンジ revenge 日本では安易に使われているが、これは本当にきつい意味なので、ハリウッドのアクション映画以外で日常に聞いたことがない。マスコミも使わない。 意味は「復讐」であり、「仇討ち」に相当する。私の記憶ではスポーツ紙が使い始め、今では広く使われるようになった。野球でも何でも「雪辱」と言うべき。リベンジと言うとアメリカ人はびっくりすると思うよ。
 コラボ collaboration 辞書によると「共同制作」とか「協調」と訳されている。それが今ではコラボと略されて「協力」、「融合」、「共演」などの意味で、cooperationとcoordinationと混用し、なんでもコラボ。まあ、なんでも使う便利語がコラボなのだ。20年も前か、公明党の女性議員が国会質疑の中で「コーディネート」と何度も言っていたが、初めて聞いた。ただし、コーディネートでは短縮語をつくれないから、コラボに取って代わられたのだろう。
 ウインウイン win-win 「双方が勝ちの関係」という意味で、「相互利益」と言えばいいものを、ことさらカタカナ語を使う。聞き手は分かるのか?
 ブイエス vs. ラテン語のversusの略語であるが、ヴアーサスと発音し、ブイエスとは言わない。「○○対△△」の「対」をわざわざブイエスと言うのをかっこええと思っているのか。
 マタハラ maternity harassment  「妊婦いじめ」のことで、妊娠した社員を仕事で差別をしたり、休退職を勧告すること。「セクハラ」、「パワハラ」、「モラハラ」と広がって「マタハラ」と来た。これは品が悪いな。
  他方、使用者の3悪を挙げれば、政治家・自治体首長、教授・評論家、テレビキャスター・タレントということになるだろうか。

◇ 誰が観ている?

 諸君の多くはスマホ中心でテレビを観ないだろう。  私もあまり観ない。ニュースもほとんど聴くだけ。時間を取られずにほかの仕事ができるから。
 それでもコマーシャルのスポンサーがつく。アホみたいだが、代理店投資の経費がかからない通販はコストが少なくて儲かるのか。  
 スポーツや映画の専門局が値下げでもすれば、諸君の時代には地上局もBS局も一つや二つは淘汰されるだろう。                  (完)

 追記。6/26に「オワハラ」という新語をNHKテレビで聞いた。もうついていけない。                          

Read more...

Back to TOP  

2015年6月13日土曜日

#140 韓国人の若者へ――反日では国が持たないよ

 1970年代、朴正煕大統領(現大統領の父)の時代に日本企業から韓国によく出張しました。輸出する設備の研修で工場に滞在する韓国技術者に付き合い、逆に私が韓国企業を訪問する機会を通じて何社か大企業の技術部長や技術者と親しくなりました。
 彼らは母国の技術を高めるために献身的な努力をしていました。その中で会食の時に日韓関係のきわどい話をできる間柄になった人もいます。今は故人になりましたが、今日の日韓関係を草場の陰で嘆かれていると思います。
 今回は、若い諸君たちが知らない韓国の話をしてみます。

 当時の韓国には建国の熱気

 まだまだ貧しい国だった。軍人出身の朴大統領は国民に贅沢を戒め、自らも実行していた。ぼちぼち頭をもたげてきた財閥グループのオーナー経営者に対しても厳しい生活の規律を課していた。彼は世界の独裁者の中で善玉だっただろう。社会には緊張感があった。
 ある時、帰国するためソウル国際空港(今は仁川空港が国際空港)に行くと、広いロビーいっぱいに韓国人の集団を見た。親、特に母親たちが大声で泣いていた。見送りに来た代理店の技術者に訊くと、熱砂のサウジで建設労働者として派遣される中年や若者を見送りに来ているのだという。まるで戦場に送られる兵士を見送るようだった。彼らは帰国すると国から住居と職を与えられるということだった。戦場の兵士ほどではないにしても、危険な仕事で死者も出た。
 彼らは国が外貨を稼ぐために危険を覚悟で労働者になった。
 後年、80年代の初め、アメリカ企業から入札の仕事でカイロに出張した帰り、乗り換えの便を待っていたアテネ空港で、上下のトレーニング服を着た集団が現れた。言葉から韓国人と分かった。引率者らしい人に英語で訊くと、カタコトの英語でアラブ国に行く建設労働者だと言った。
 ソウル空港の時からまだ労働者派遣が続いていた。

◇  若い女性が春を売った  

 70年代に韓国企業の多くが日本から機械設備を輸入し、技術導入をしていたので、ソウルには商社やメーカーからの日本人出張者に出くわした。キーセンパーティ(夜の会食)が花盛りだった。たいていセックス絡みで日本人出張者にとって天国の時代だっただろう。
 彼らの一人から、「キーセンでなくてもいくらでも機会がある。彼女たちは弟や妹の学資を稼ぐために売春をしている。多くは昼間の仕事を持っている」という話を聞いた。本当か嘘か他でもこんな話を耳にした。
 ある日、出張先からの帰途、プサンのホテルに泊まった。眠って間もなく、ドアがノックされたので出てみると、何人かの女性を連れた日本人の男が立っていた。そのツアーガイドがツアー客に女性を配達するのに部屋を間違ったのだ。
 この時代には買春付きの日本人ツアーが盛んだった。
 当時、韓国駐留のアメリカ兵専門の売春施設があったという。政府が用意した施設だと聞いたが、本当かどうか?

◇  ベトナムで恐れられた韓国軍  

 サイゴン(今はホーチミン)に一ヶ月余り出張していた時、サウナでオーストラリアの新聞記者と一緒になった。気持ち良く汗をかきながら、彼が話してくれた。  「サイゴン近郊に駐留する韓国軍は、襲った村人を皆殺しにするので、ベトコンから恐れられている。一般の韓国人もベトナム人に嫌われている。韓国政府がアメリカからの資金援助の見返りに軍を派遣している。彼らのために韓国政府が売春施設を設けている」などなど。
 別れ際に彼はジョークを言った。  
 「あなたは日本人であってもベトナム人には区別がつかないから、襲われないように気をつけた方がいいよ」と。世話になっていた商社の人からも同じことを言われた。
 それ以後、この警告が利いて一人歩きを止めた。

◇  ハングル回帰は愛国心の表れか

 私が韓国に出張していた時代には、韓国の新聞には少なからず漢字が使われていた。その昔、李承晩大統領は漢字を法律で禁止した。そのために漢字をまったく知らない世代をつくった。
 今また、政府文書も新聞もハングル文字だけになっている。対日攻撃と言い、ハングル強制は愛国心の表れか。どちらもいびつな心理が背景にありそうだ。
 友達の一人は、「あんなハングルだけでよく表現が通じるものだ」と言ったことに対し、「韓国人は、漢字、ひらがな、カタカナに加えて、わけも分からないカタカナ外来語を濫用する日本語こそクレージーだ」と言うだろうとジョークを飛ばした。

◇  安倍首相の対韓国外交に批判  

 相次いで元首相など長老の政治家たちが記者会見で安倍首相の対韓国外交を批判した。今に比べれば、緊張が少ない時代の政治家たちだ。
 首相はそれなりに首脳会談を呼びかけているが、パク大統領はかたくなで受けない。彼らは首相に何をせよというのか?
 感情を抜きにして言えば、韓国政府は責めとケチをつける敵対行為を続けているのであり、日本政府はもっぱら受け身で、韓国に何も要求をしない現状は外交交渉とは言えないではないか。   
 パク大統領は外見からの印象ではきつい性格とは思えない。私の素人診断では偏執狂になっている。彼女への支持率は30%と報道されているが、本当はもっと低いはず。
 韓国では内政の課題が日本より深刻だ。政体では内政は首相の責任とされるが、任命した首相は次から次に辞任。今も首相候補が議会に審査されていて空席のまま。こんな状態では国が持たないだろう。先ず、財閥支配の経済構造を改革して大統領として実績を出してほしいものだ。                     (完)                         

Read more...

Back to TOP  

2015年5月31日日曜日

#139 中国たより――「青島余聞」

 I氏がひと昔前の中国を書いています。1989年は天安門事件が起きた年であり、文化大革命による狂乱の時代が終わってから13年が経ち、中国が発展に向かい始めた頃です。  やはり古い時代の現地情報は貴重ですね。   ――――――――――――――――――――――――――――――   
 
   中国たより――「青島余聞」  
 
 1989年から1992年の山東省青島市に駐在しました。北京の化学品部門との兼務でした。毎週の北京への移動には夜行列車を多く利用しました。航空便も週に何便か就航していましたが、軍用飛行場と同居しているせいか、機材が乏しい時代だったせいか、単機千里を走り各地を転々として青島に立ち寄る便は、大幅な遅延が常態化していました。
 チェックインカウンターの黒板に手書きで四文字「没有時間」と書かれると持久戦の気分になりました。「時間がない→いつ来るか分からない→今夜は来ないかも知れない」と読解するわけです。文庫本とウォークマンと甘納豆が殺風景な待合室での三種の神器でした。
 それならば、約束事が目的地にある時は特に、平均速度が時速百キロ以下で済南など途中駅での停車時間も長いけれど、確実に目的地に向かう夜行列車を選びました。業務を終えた夕方に青島駅から乗車して12時間から14時間で朝の北京に到着です。
 父親がインシュリン注射後に倒れて昏睡状態になった時、1ヵ月後に危篤続いて葬儀の相談の電話が届いた時、前者は夜行列車で、後者は飛行機で北京に向かいました。日本人居留者が20人、日本への直行便がなかった頃のことです。
 その青島の地下鉄工事が大幅に遅れています。地下鉄駅近くに建設された高級ホテルやマンションは玄関口で工事が続けられて大誤算でしょう。当社の事務所のスタッフにも、あと1年以上はバス通勤をしてもらうことになりそうです。想定以上に岩盤が固い難工事なのか?予算管理が軟らか過ぎたのか?理由は不詳です。
 3月末までに終わらなかった監査の為に、4月に入ってから青島に出張しました。監査講評のあと邦銀支店を訪ね、旧知の副支店長との定点観測のような会話。今年は日本人学校の生徒数を質問しました。「70人を切りました。月謝は5,000元にまで上がりました」。意図を汲んで日本円換算で10万円の月謝は世界の日本人学校で一番高いことも教えてくれました。
 中国経済の成長期、日本からの進出が旺盛な時期に、300人の生徒数を見込んで建てられた立派な校舎、その借入金返済や教師招聘費用などの負担が大変であることは、昨春の全国日本商会総会でも報告され衝撃を与えました。その折には、世界で三番目の高額月謝であること、駐在員子弟の教育費を全額負担してくれる恵まれた企業ばかりではなく、ましてや自営業の子弟に於いておや、という議論でした。インターナショナルスクール或いは地元の学校で学ぶか、更には家族を日本に残して単身赴任の選択をするかの切実な問題が、青島に典型として表れています。
  もう一つの話題は、ゴルフ場の閉鎖命令問題です。数年前からの新規建設認可を下ろさない政策は、高級ホテルや大型分譲住宅にゴルフコースを併設させるという対策で潜り抜けられてきました。それが昨年の夏くらいから、環境保全と違法建設取締りという当局の方針が打ち出され、閉鎖命令が為されたゴルフ場も出てきたということです。当然、高額な会員権は紙切れ同然になるのは必至なので、円安で見かけ上は膨らんだ価値を評価替えしなければならないという話を聞きました。本件は全国各地での運用がどうなっているのかの調査ができていないので何とも言えません。
 環境保全については、列島改造が進んだ頃の日本でも、保水力低下や農薬被害、更には生態系や地域集落社会への影響などが問題にされました。ただ、今回の中国では公務員のゴルフ禁止令が出てから、当局の締め付けが厳しくなったという穿ったコメントもありますから、ローカルルールの把握が必要でしょう。 1989年6月までは、北京北郊の十三陵ゴルフ場で何度か遊んだことがあります。クラブハウスに掲げられた名誉会員のプレートの最上段に、時の首相でゴルフ好きだった趙紫陽氏の名前があったことを思い出します。その後、上海動物園前でのタクシー同士の追突事故で歯を三本無くし、左手の握力が60%減となる頚椎症のためゴルフを止め、車の運転も止める前のことです。そろそろピアノの練習などで遅まきながらのリハビリをしたいと思っています。    
 青島の小学校校長の三男として、1931年に生まれた中村八大の家にはグランドピアノがあったことが、自伝的な書物の『ぼく達はこの星で出会った』黒柳徹子・永六輔編(講談社)に載せられた天井の高い応接間でピアノに向かう写真で分かります。ポーランド生まれのユダヤ系ドイツ人のヘルス先生に、中村八大はクラッシック音楽の美の片鱗を教わりました。日本将校(「商工」の誤記ではありません)倶楽部で、「敵性外国人」ヘルス先生が即興で弾いた「荒城の月」と「さくらさくら」の大変奏曲が、軍人を含めた聴衆、そして八大少年に感動を与えたとのこと。この青島時代の体験が、早稲田大学時代から頭角を現し、ジャズピアノのスターへの路に繋がったようです。
 その後、永六輔・坂本九との6・8・9トリオによる「上を向いて歩こう」などの名曲やジェリー藤尾「遠くへ行きたい」、西田佐知子「故郷のように」を初めとする従来の粘着型歌謡曲とは異なる、ちょっと乾いた音楽の世界を拡げてくれたと感じています。 お名前の「八大」は東洋のニースとも呼ばれた青島の海岸線のなかでも、有数の景勝地、別荘地である「八大関」の地名にちなんで名付けられたのではないか?と思いつき、副支店長にも伝えたのですが、上述の著書の「父を想う」という一節に以下の文章があり、ご本人が別の説明をしています。  ・・・三人の男の子の名前に、親父は二大(じだい)、又大(ゆうだい)、八大(はちだい)とすべて大の字をつけた。長男なのに何故「二」としたのか。「トップにはなるな、二番目でいけ。二番目でトップの人を助けなさい」というのが、親父の思想だった。謙譲の美徳を身につけさせたかったのだろう。又大、八大となると、字画を五にするためと、末広がりの意味をもたせたらしい・・・  
 京都人が「先のいくさ」と言えば「応仁の乱」であると言われると何を大げさな、と思ってしまいそうですが、古い商家に生まれ、祇園祭には稚児として山車に登ったという高校時代の友人から、「うちは先のいくさの時に伊勢に逃げたのが響いて、いまだに町内でのランクが低い」と聞いたことがあります。 今の日本の政治家が「先の大戦」と言えば、第二次世界大戦を意味するのでしょうが、ヨーロッパで単に「大戦」と言えば、第一次世界大戦を指すのがむしろ一般的である、ということから説き起こす奈良岡聡智の著作『「八月の砲声」を聞いた日本人 第一次大戦と植村尚浩「ドイツ幽閉記」』には、1914年8月に勃発した第一次世界大戦直下のドイツに在住した800名近い日本人(重光葵、河上肇、小泉信三など後に著名になる人たち。医学関係者が圧倒的に多く、続いて林銃十郎、寺内寿一、梅津美治郎、永田鉄山らの軍人たち。意外だったのは曾我廼家五郎、伊藤道郎らの有名無名の芸人・ダンサー・軽業師の多さ)について書かれています。
  1914年8月23日にドイツに宣戦布告するまでの経緯も興味深く読みました。欧州での火事場のどさくさに紛れて、9月2日に陸軍は山東半島への上陸、11月9日に青島のドイツ軍を降伏させています。(山口県徳山小学校の映画鑑賞会で観た東宝映画、佐藤允主演の『青島要塞特別攻撃機』が青島という地名を知った始まりです)。並行して海軍は10月7日にパラオ島、10月中旬までにトラック島、サイパン島などのドイツ領南洋諸島を占領しています。
 その後、中国に対して山東省におけるドイツ権益の継承など21項目の要求を突きつけ、1915年5月9日に受諾させました。この「対華二十一カ条要求」は、アヘン戦争から始まる中国への諸外国からの軍事圧力、権益拡大が「反英」「反独」などから、一気に「反日」に集約されることになり、現在でも5月9日は「国恥記念日」として語り継がれて、今年で100年になります。
  折しも、北京支局駐在だった吉岡桂子記者(今は偉くなって論説委員)による、奈良岡聡智教授の新著『対華二十一カ条要求とはなんだったのか 第一次大戦と日中対立の原点』への書評が好意的でした。すぐに市民からの購入貸出の要請にノーと言わない図書館に向かいました。その往還に、昨秋までの水田が掘り起こされ、「秋普請穂積の里の稲田消え」と残念に思っていた所を通りました。春までに瀟洒な住宅となり、人も住み、その一角にハナミズキが咲いていて、樹木説明の札には日本に渡来したのは1915年であると書かれていました。
  黒船来航のあとの日米修好条約から50周年の記念に、日本から米国に届けた櫻はワシントンのポトマック河畔に植えられ、春の風物詩になっているようです。米国からはハナミズキが贈られ、今では普通の樹木として日本各地に根を張っています。 記念樹交換から100年、櫻とハナミズキの記念切手で祝うくらいの普通の関係で良いと思います。                (了)   

Read more...

Back to TOP  

2015年5月13日水曜日

#138 英語より浪花節――友達の子供の気概

 先日、友達から今話題の英語教材を孫に贈ろうと思うが、どうかと相談を受けました。
  他でも質問を受けたこともあるので、今回、私の意見を押し付けずに本稿を読んでもらうことにしました。 諸君にも読んでほしいと思います。先ず英語教育について諸君に質問します。自分の意見を述べることができますか?

 「なぜ日本人万人が英語を話せなければならないのか?」
 「なぜ大学入試の共通試験にヒアリングが要るのか?」  
  [世界の言語大国で人はどれだけ英語を話せると思うか?]
 「小学校から英語を教えることに意味があるか?」  
  「読み、書き、文法の学校教育は本当に悪いのか?」
 「諸君はどこまで話せることがか目標か?」
 「学校の英語教育で英語を話せるようになれるか?」  
 「英語の発音に日本語訛りがあることは巧くないことか?」

 これらの問いに答えられたら、下記に進んでください。私の考えのどこに賛成するか、反対するか、考えを決めてください。

◇ 「聴くだけで英語が話せるようになる」

 私が住む町の地方紙には、相変わらず毎週のように英語教材の広告攻勢が今も続いている。この教材を最後まで買うと20万円を超える。英語に対する負い目と、一旦始めると止められない心理をうまく使っている。
 「英語の勉強は要らない」という殺し文句に引っかけられる。 主婦や寿司屋店主の英語を話せるようになったというコメントが写真とともに載せられている。テレビのコマーシャルでもやっている。ほかにも、「机に向かって英語の勉強一切しない」、「暗記・文法も不要」、「東大医学部卒、医学博士も絶賛!!」などと広告に書いている。
 
 写真や映像には人が信じやすい。巧みな販売戦略だ。  しかし、ちょっと待ってほしい。  どんなレベルで英語を話せるのか?
 
 ホテルのチェックインや来客との応対に英語を使えるかもしれないので、虚偽広告とは言えないが、それ以上のレベルには聴くだけでは無理。ちょっとした会話が目標なら、こんな大金を払わなくてもよい。金持ちの大人が買うのは勝手だが、学校で英語を教わっている子供には使わせるな!
 私のお勧めはNHKのラジオ英会話番組だ。もう何十年も聴いてきて、今も時々聴いている。

◇ 仕事に使える英語勉強法

 私がボクサー方式と呼ぶ勉強法だ。常日頃は朝のロードワークのようにラジオ英会話を毎日聴く。そして、試合が決まると、つまり海外旅行や海外出張があると、一ヶ月くらいは集中的に勉強する。その間に仮定法など弱点があると、中学校か高校の文法教科書に戻って勉強し直す。
 物理や数学なら基礎の上に次の理論が成り立っているのに対し、英語はどこからでも入って弱点だけを取り出して勉強できる。この違いがある。勉強と言っても大したことないのだ。

 親の思い込みと押しつけ

 親の多くが学校の英語教育はだめだと思っている。だから高い英語教材を子供に買い与える。これはむなしい投資だろう。これはとんでもない誤解だ。
 大企業経営者もテレビに出るヤツも学校の英語教育を批判してきた。「使いものにならない」と。私がアメリカで会ってきた日本人の英語名手たちは、みんな学校英語の産物であった。
 読み、書き、文法を抜きにしてこういうレベルにはなれない。何でも土台が大切なのに、親たちはなぜこんなことが分からないのか。  諸君が親なら、これから親になるなら、子供に他より先駆けさせたい気になるなよ。

 一つ面白い話。車メーカーに勤めていた友達が、アメリカの子会社の駐在員になった。彼は妻、男の兄弟の四人家族で渡米した。ある日、彼から電話があり、小学校高学年の長男を九州の祖母のところに帰したとか。
 「あれは英語嫌いで、そのため日本に帰りたがった。順応しないのだから仕方ないよ」と言う。訊いてみると、長男は浪花節が大好きで、いつも風呂で唸っていたらしい。私は「その子はしっかりしとるなあ」と真面目に言ったものだ。
 英語は、音楽のように、好き嫌いがあり、素質の違いがある。諸君は子供に英語を押し付けてはあかんよ。  

◇ 一見まともに聞える妄言に惑わされるな

 「英語は早い年齢から始めた方が良い」というのは、かなり広く信じられているようだ。「赤子は勉強しなくても自然に耳から言葉を覚える」がその論拠になっている。
 諸君はこのアホらしさに気がついているだろうか。
 日本人の子供がアメリカで生まれて生活したら、英語を耳から覚えるだろう。しかし、親が帰国するなら日本語は耳から学べない。母国語は思考力の源だから、思考力でハンディを背負う。あれもこれもということにはならないのだ。
 結論を言うと、英会話を始めるに遅すぎるということはない。一念発起すれば何歳からでも巧くなれる。巧くなれないのは、努力を継続しないからだ。テレビで「自分は英語をしゃべれないから、小学校からの英語教育に賛成だ」と言うが、これは学校教育のせいではなく、自分が努力しなかったからだ。多くがそうだろう。

 長い英語の現場について教育の論文

 私は英語が使われる現場に身を置いてきた。会話の上達が早かったのは、その前に読み、書き、文法に強かったからだ。
 終わりに、現場に置いて見聞してきたことを書いた論文を参考にしてほしい。諸君には最後まで読む根気があるかな。  本稿の左端に小項目が並んでいる。「日本語英語」をクリックすると開ける。                         (完)

Read more...

Back to TOP  

2015年5月5日火曜日

#137 アジアインフラ投資銀行――中国政府の野望はどこまで?

 本稿#135の「北京たより」でI氏が、北京在住者としての現場感覚からアジアインフラ投資銀行(以下インフラ銀)について書いています。正論の部類でしょう。
 他方、私はここでインフラ銀について最悪の推測をしてみます。
 なんでもそうですが、人は大きな仕事で決断する時、あるいは人生の転機で決断する時には、最高の結果と最悪の展開を想定するものです。諸君もそうするはずです。私の経験では最悪の結果になる方が多かったと思います。
 それでも、万全とまでいかなくとも最悪に対する対応が心の中でできています。出たとこ勝負より備えを持てます。
 
同業のライバルつぶし  
 
 アジアの途上国の公共事業を支援し、融資するアジア開発銀行(以下ADB)がある。設立以来およそ半世紀になるが、大株主は日本とアメリカで日本が歴代の総裁を送り、経営を担ってきた。本部はマニラにある。言うなれば、独占的存在であったから、融資の基準が厳しいと言われている。
 仮にこれが他の産業であるなら、間違いなく新会社が参入して先発会社に対抗する。当然、新会社は価格やサービスで先発会社より顧客に有利な条件を出して商圏を広げる。その結果、先発会社は追随せざるを得ない。こうして自由主義経済では競争が確保されている。
 話を戻すと、ADBはインフラ銀に対して融資条件を緩和させられる、つまり利益を落とさなければならない。経営上の問題が出てくるだろう。
 中国政府がインフラ銀を自国支配の銀行にするのだから、ADBとの協調融資など現実的ではない。おそらくADBはインフラ銀の条件についていけない。

途上国とヨーロッパ出資国の思惑

 融資を受ける途上国にしてみれば、ちょっとお賽銭を出すだけでご利益に預かれるのだから、喜んでインフラ銀に出資を決めた。ADBより低金利で、公共事業の案件に対して緩い審査で融資を受けられることは有難い話だ。 本当にそうなのか?
 途上国には有難いことで、インフラ銀とADBを天秤にかけてくるだろう。日本としては、これまで実績があるADBの融資とJICA(国際協力機構)の指導力による協力を訴えていくことになるだろう。途上国の中にはインフラ銀を取る安物買いをしない国があるに違いない。
  他方、経済に問題を抱えるヨーロッパ諸国は、出資によって入札の権利を得て、これまで実績に乏しかったアジアの公共事業に進出することが目的だ。

中国の国際金融経験

  私が日本企業からアジア各国に出張していた1970年代、アジアではエコノミストの大来佐武郎(おおきたさぶろう)が経済の巨人として尊敬されていた。彼は経済安定本部(経済企画庁→総理府外局→内閣府)で戦後初の「経済白書」を書き、後に大平内閣の時に民間から外務大臣に登用された。
 彼が70年代に中国政府から招かれて、財政や経済の進講をした時のこと、帰国後「まるで小学生に教えるようだった」というコメントをメディアが伝えていた。それから40年、中国政府は社会主義経済から改革開放によりいびつな資本主義化をしてきた。英才をそろえて国際金融の知識を積んできたにしても、経験は積めなかった。
  何より問題なのは、国際金融の専門家集団の上に半素人の共産党幹部が権限を持っていることだ。

◇ インフラ銀の行方  

 中国政府の途上国支援方式は、公共事業に必要な技術者、労働者、資材のすべてを供給する。建設地では中国レストランから商店まで中国人に進出させるから、工事後にはその町にチャイナタウンができるという。現地に技術移転されないわけだ。
 誰が考えてもこんな援助方式には資金が続かない。そこで、中国政府が考え出したことがインフラ銀なのだ。これで資金の半分を他国に頼ることができる。
  運営も実質は中国の銀行になることは避けられない。なぜならADBはマニラに本部が置かれ、公用語は英語であるのに対し、インフラ銀では本部は北京、職員が多数の中国人で占められる環境では中国語が優先される、融資の通貨は人民元が主流となれば、実態は中国国際銀行になってしまう。
 中国国内でさえ財政金融の構造は怪しい面があるし、当局の能力にも限界があるだろう。 まして国際銀行の経営主体を担えるのか?

◇ インフラ銀も覇権主義の延長か  

 中国政府は栄光の中華民族と中華帝国の建設を掲げて一党独裁を維持しようとしている。 軍事力を背景に領海を広げ、資金援助による途上国を支配する、中華民族の世界への移住を推進する政策は覇権主義と言われるが、私は新型の帝国主義だと見ている。
 インフラ銀もその一巻だろう。 これに日本政府が無駄な投資をすべきではない。政府の出資見送りに反対する意見があるが、商売第一の経済界の声は危ない。
 最後に一つ警告。日本の新聞もテレビも多くがインフラ銀に参加を見送ったのは日本とアメリカだけと報道し、G7の有力国カナダも参加しないことを見落としている。いかにも日本がアメリカに追随していることを伝える偏向報道だ。                      (完)  

Read more...

Back to TOP  

2015年4月12日日曜日

#136 どこかおかしいなあ――地震、東京、地方

 どこか論理がおかしい。こんなことが政治でまかり通っています。政治は時代によって変わります。ある程度は仕方がないことです。それでもおかしい。  いくつか例を挙げて見ましょう。  
 諸君の直観と論理はどうでしょうか?

東京直下地震と首都機能移転  

 政府は東京直下地震に備えて少しでも犠牲者が少なくなるように、専門家グループに研究させている。地震を防ぐことはできないから、対策を講じることは重要なことであり、誰も異論を唱えない。   
 ところが、かつて熱心に議論された首都機能移転は忘れられてしまった。国会が委員会を設立して移転候補地を選んだのは12年前の2003年のこと。栃木・福島、岐阜・愛知、三重・畿央の3候補地を決めたが、最終候補地を決められないまま、国交省の特別チームが解散した。
 与党も野党も、そして都民も忘れた。

関西3空港問題は4空港問題  

 大阪の郊外都市に住んでいた頃、政府の方針に異論を唱えて、伊丹空港を首都機能の一部移転先にすることを提唱していた。
 全国的に関西3空港は知られているかもしれないが、実は八尾市にもう一つ市街地にある八尾空港がある。ここは定期便が飛んでいないが、滑走路2本があり、自衛隊、警察、消防のヘリコプターのほかに飛行学校の軽飛行機に利用されている。
 私の発想は、この飛行場を閉鎖、民間企業の本社地に転用し、飛行場の機能を伊丹空港に集約することである。こうすれば、商業航空は関西空港と神戸空港の2つになり、経営改善になる。さらに伊丹空港の近くには陸上自衛隊の駐屯基地があるが、飛行場がないのでヘリコプターしか飛べない。
 伊丹空港の旅客ビルや施設を利用して首都機能の一部を移転することは、当面現実的だ。そのほかにも、東京あるいは関西に起きるかもしれない大災害に備えて救援物資の備蓄に利用できる。(本稿の「大阪言論」に詳細)  
 なぜ関西の行政も政治家も、そして財界もこんな発想を持てないのか? おかしいな。

地方創生と東京オリンピック  

 政府は果敢に「地方創生」の政策を押し進めている。どの国でも首府は繁栄しているように見えてあまり変わりがないが、途上国では地方都市は貧しく、首府とは大きな格差がある。これが先進国と途上国の違いだ。  
 日本の地方都市も経済不振をかかえているものの、なかなか立派になった。世界の先進国に見劣りしない。 それでも政府が力を入れるのは、地方の経済振興と雇用増加を目的にしているのと同時に、東京一極集中を改善することにもある。
  ところが、その一方でオリンピックを誘致することに都を支援した。5千人規模の選手村を建設した後は誰が住むのか?オリンピック関連のビジネスを求めて地方からの人が増えるだろう。これも矛盾するな。

  諸君よ、ネット検索して「都道府県別有効求人倍率」を見てほしい。1.4を超える、つまり人手不足の県がいくつもある。寮を持つ会社に入るといい。家庭の事情で住む町を離れられない人は気の毒であるが、故郷にこだわることはない。将来、望めば故郷に帰れる。

活断層と津波の見解

 話がばらばらになるが、原子力規制委員会の活断層をめぐる見解もおかしいな。
  一つは、活断層の判定について35万年前から50万年前に変えて、この間の活動を判定基準に入れるという。こんなことが検証できるのか?
  二つ目は、ある原発の再稼働の判定結論を「活断層ではないという確固たる証拠がない」として反対の見解を出した。私に言わせれば、「活断層であるという確固たる証拠もない」のだ。安全につくというだけでは論理が通らない。
 三つ目は、学者が大地震によって高知市で高さ34メートルの津波になると警告した。堤防の高さを検討する地方自治体が振り回されている。防ぎようがないが、どうするのか?
 
2年前か、大学教授が為替レートが1ドル50円になるとテレビで発言していたが、市民を幻惑するような説は先ず学会で発表してからにすべきだ。 災害対策についても、1ドル50円説の根拠が乏しいのと同様ではないかと言えば、言い過ぎかな。             (完)

Read more...

Back to TOP  

2015年4月4日土曜日

#135 北京たより――「歳歳年年」

 I氏がアジアインフラ銀行について述べています。若者諸君には今は直接関係がないかもしれませんが、私の予測では諸君の世代には中国が一時混乱し、日本にも影響が及びます。
 全文を紹介します。                  ――――――――――――――――――――――――――― 

       北京たより(2015年4月――「歳歳年年」

 亮馬橋路の日本大使館の向かい側、中日青年交流会館や21世紀ホテルの敷地の一角に21世紀病院があります。海外旅行保険保有者を対象とする総合病院です。流暢な日本語で対応する係員や穏やかな物腰の看護士のお蔭でこちらの気分も安らぎます。昨年後半、この病院に通い中医系医師により、腰痛や神経痛をゆっくりとしたペースで治してもらいました。ところが春節のあと、2月末の台北から始まった各地での監査や決算配当董事会への対応が3月末まで続きました。その間に、東京での会議や「お別れの会」への出席があり、とうとう足腰の痛みが限界に達しました。東京・天津そして最後の北京での業務をダマシダマシ(身体に対してで、監査には真摯に対応)終えてから、すぐに21世紀病院に向かいました。
 慌しい三月、「春場所の浪花に匂う大銀杏」に接することもなく、いつの間にか千秋楽でした。関脇照の富士の躍進の陰で、同じく関脇に昇進しながら早々に休場した隠岐の海の居ない土俵は寂しかったなどと感じるヒマも無かったです。 「センバツの球は転々宇宙間」をしっかり追いかけることができず残念でした。秋の神宮大会に優勝した仙台育英など有力視されたチームが早々に敗退して「秋から春」の難しさを改めて感じました。ただ松山東が二松学舎に勝利したので、相手校の時代錯誤的な校歌が北京やソウルまで国際放送で流れてこなくて良かったです。
 毎年の三月は中国圏定点観測の渡り鳥生活を繰り返してきました。大連から香港まで各拠点の運営状況を、第三者の視点で点検してもらうことが第一義であることは言うまでもありません。次に現地スタッフとの交流でその土地ならではのトピックスを知ることも大切です。また、現地の銀行やJETROを訪ねて、新鮮な観点を教示してもらうことで、視野を広げる努力を続けてきました。
 更には、誰に対しても強制できることではないのですが、早起きの朝の市場散歩や夕食後の足裏マッサージでの世間話はその街の風に当る機会でもあります。期末の三月以外にも各地を巡ってきましたが、三月であれば「ああ監査だから来るのか」ということでスタッフ達に容易に納得してもらえる利点もあります。また定点観測をしておけば、その後に提案や課題が生まれたときに検討や解決に当っての想像力が湧いてくることもあります。
 三月の折り返し地点、3月15日の日曜の昼下がりに「中国と周辺地域の関係史~遊牧民からみた中国交渉史~」と題するセミナーを聴取しました。日本からのフライトを早めて、空港から直行した大学の教室には駐在仲間の皆さんが席を占めていました。セミナーの先発・中継ぎ・抑えのいずれの講師からも啓発を受けました。『「一帯一路」計画と中国の対外発展戦略』と題する講演の冒頭に、李小鋼主任(上海社会科学院外国投資研究中心)は、・・・北京での両大会が終了しました。今朝ほど恒例の李克強首相による記者会見がありました。内外の記者からの十数項目の質問には「一帯一路」に関するものはなく、首相からも言及がなかったのが意外でした・・・とホットな話題を披露しました。
 念のため、翌日の朝刊記事を浚ってみましたが、確かに「一帯一路」についての記事が見つかりませんでした。  西北部から中央アジア、欧州への経済回廊の「帯」、東南アジアへの海上シルクロードの「路」の水陸同時に推進する経済発展プラン。これを「国際経済合作交流」と見るか「中国の拡大」と見るか? プランを「戦略」と見るか「計画」と見るか?   2015年から公にされる具体的な内容を見るまでは判断がつかない人間にとって、李主任の分析は刺激的でした。李主任は言います・・・「一帯一路」計画にかかわる特定のプロジェクトはいったい援助的な交易プロジェクトなのか、それとも利益を追求する商業プロジェクトなのか、その性質を明確にする必要がある。そうでないと、プロジェクトの評価基準が混同し、最終的にプロジェクトを失敗の道に導く。
 ところが、昨今はアジアインフラ投資銀行(AIIB)へ参加する、しないが大きく取り上げられ、あたかも「一帯一路」プランが銀行設立と表裏一体のような印象までも与えているのではないかと訝っています。まさか新銀行に米国や日本が参加したら「一帯一路」が成功だ、などといった短絡的な見方はしていないと思います。数ヶ月前から北京の早耳の方々から「日本は参加しないとは言っていない」とも聴いています。日本・米国主導(現在の第3出資国は中国)のアジア開発銀行は第二次大戦後の「飢餓と貧困」からの脱却の為に大きな貢献をしたと思っています。多分、うまくアジア開発銀行を活用したのは中国ではなかったでしょうか?
 しかし、アジア経済の成長と拡大により新たな「需要と提案」に応える受け皿が必要になったのは自明であるので、本来は日米が率先して刷新創新をすべきだったと愚考します。

 問題の一つは、中国が本プランを中央銀行主導ではなく、財政部主導で政治的援助に使いすぎると「一帯一路」の国々(或いはその国の政治家)の中から、中国以上に政治的に資金を利用する動きが出てこないかです。
 二つ目は、国内経済の曲がり角にある中国が、1978年以来の「利用外資発展産業。請進来(下世話な訳ですが、外資を利用して国内産業を発展させる。どうぞイラッシャイ)」から「走出去(海外進出、さあ出て行こう)」政策促進へ転換した現在、外資の流出と国内産業の空洞化により国内経済がますます脆弱にならないかです。
 三つ目に、上手く進めば大きなビジネスチャンスとなるとして、ここでも「国進民退」が優勢になり、独占的な国有企業が更に国家経済を壟断しないかです。最後の一点は言うまでもないことですが、民族間摩擦の地域にお金で心を得る手法が通用するか?という過去も現在も存在する課題です。功徳(開発の功と人心を掴む徳)が合体せず、折角の「功」が仇花や恨みの象徴になったことはアジア現代史の一つの残念な流れです。
 李主任の結論;「一帯一路」計画で中国はチャンスがあるが、自分を変えなければならない。「やりたい」を「やってもらいたい」に変えなければならない。  私の楽観論;国際社会に認知されるステージを切磋琢磨の機会と捉え、自国システムの改革に還流させる。 ウルムチ事務所の看板が上がりました。
 先ずは9月の中国・中央アジア・欧州博覧会への出展参加が標的です。ただ事務所の存在機能の本当の発揮は2020年前後になると思っています。
 ウルムチに限らず各地での業務の上で留意すべきことがあります。五年以上も渡り鳥生活を繰り返してくると、先ずマンネリと独断が増えてくることです。そして、もう一点は体力気力への過信です。この二つの要点を解決する方法は一つ『若返り策』です。それは「春隣白髪ぼかしでアラカンに」といった小手先技で、自分自身が若返ることではありません。十分に自覚しているつもりです。 21世紀病院の裏口から春の亮馬河の土手に出て、柳の薄緑色と迎春花(レンギョウ・連翹?)の浅黄色のなかを歩きながら、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」の古い詩を口にしました。                  (了)      

Read more...

Back to TOP  

2015年3月25日水曜日

#134 夢は生きがいか、重荷か?――キャリアの積み重ね方

 諸君たちの中には、夢を持ちながら実現に近寄れず、何をしていいのか苦しんでいる人が多いのではないかと思います。夢、希望、目標、欲望、野心は紙一重の違いです。
 そこで、今回は日々の仕事に不満があっても、一日を無駄にすることなく、仕事を積み重ねて夢に近づくことについて述べてみましょう。政治や外交について書くより少しはお役に立てるか。
 私のアドバイスは、若いうちは「一度は夢や欲望にまみれてみよ、悩まされてみよ」ということです。そのうち考える時がくるかもしれません。その時の判断がなかなか難しいのですが、その時はその時です。

私の夢と「常に不安定の上の安定」

  若い頃、生き方の参考になると思い、著名な僧侶や哲学者が書いた本を何冊も読んだ時期があった。今も変わりないが、スポーツ選手や芸能人が「夢を持て」と煽っていた時代。その中で、一人の高僧が「野心を持つな」と説いていた。多くは実社会での体験なしに書いている。
 私は当時から日本は抑制の文化だと思っていたから、野心を戒めていたが、ただ一つ海外生活の目標にこだわりがあった。会社の役員面接で将来の仕事の希望を問われたので、「海外子会社で工場設立に関わりたい」と答えると、「そんなもの今どこにある?」と笑われた。時代が早かったのだ。
  それから10年の間に、会社は次々と海外工場を建設、社内では中小部門で実績を挙げていたが、私の出番はなくなっていた。アメリカの大学院留学を目指すことを決めてから、紆余曲折した後、結局、会社を退職、機会を与えられたアメリカ企業に転職して家族とともに渡米した。
 将来の帰国に備えて6年でアメリカ企業を顧問の形で退職、同じ町に住んだまま、その後日本企業数社で取締役を務め、一社では社長になった。海外生活は実現したが、順調のように見えても人生が分断されることに悩まされた。サラリーマンの安定はなく、いつもリスクがあった。
 「揺れ動く波頭の上の安定」と称していた。

仕事の核とは何か?

  仕事の核とはキャリアを通じて生かせる専門のことだ。つまりすぐに役に立とうが立つまいが専門職を磨くこと。 私の場合は、技術であった。
 私は学生時代から技術者としては超二流になれても一流にはなれないと自覚していた。技術(工学)にはなんでも興味があったが、得意分野がなかった。会社に入ってからは、社命により設計、営業、貿易を担当して純技術職から遠ざかった。渡米後はさらに経営職に広がった。それでも関係するどの技術にも勉強を続けた。私の広い技術観では一流と思っていたが、これはなかなか評価されにくい。評価されるのはずっと後年のことだった。
  余談になるが、私は読書好きで、不安定か安定か分からない生活の中でも英語と日本語の本を読んでいた。今も変わらない。読書がキャリアに役に立つと思ったことはないが、これがはるか後年に作家業を始めてから血となり肉になった。
  諸君、今の仕事をつまらない、目標に役立たないと思っても、全力でベストを尽くすことは基本だ。今の仕事でナンバーワンになる心がけを失わないでほしい。

夢には資金の備えが要る

  運転免許証を例にして話してみよう。
  免許証はただ持っているだけでは宝の持ち腐れだ。もちろん、配達や販売の仕事に必要だし、海外駐在の仕事では車を運転できないと生活に困る。 私がここで言いたいことは、免許証を単に生活の道具として使うのではなく、「核」として発展させることだ。目的は資金をつくることにある。同時に諸君の自制心が問われる。自制心は強い意志と言い換えてもよい。
 タクシー運転手には2種(営業)免許が要る。タクシー運転手は人手不足だから、2種を取らせてくれる会社がある。入社して2種免許の勉強をしながら、当面は洗車など雑用をし、地理を覚える。タクシーの給与では基本給は安いが、実績に応じて仕事給が支払われるから、努力次第で給料を増やせる。
  バス運転手には2種免許に加えて大型免許が要る。観光バスの運転手も人手不足だ。夜間運転があることは過酷であるが、過酷であるからこそ稼げる。タクシー運転手も同じ。目的は稼ぐことにある。
  建設労働者も人手不足であるが、諸君に体力があるか? 狙い目は、人手不足の仕事と、人が避ける過酷な仕事で、頑張れば資金をつくれる。

試験は諸君を強くする  

 私が住む町で市電に乗っていると、海上保安庁、自衛隊、国税庁が人材を募集するチラシが目についた。地方の警察と消防局も人材を求めている。
 例えば、海上保安庁と一口に言っても、さまざまな職種がある。航海士、操縦士、通信士、救急看護士、潜水士、料理人、通訳のほかに、音楽隊、経理、総務の専門職だ。最初は一般職として試験を受けるのだが、先ず試験を受けてみることだ。
 試験というのは、勉強の目標を与えてくれ、しかも最も集中力を高められる。現状打開のために、試験は階段を上るステップであり、働きながらいつでも受験勉強できる。どの職種を希望するかは合格してから考えても遅くない。
 ほかの機関の試験も受けて合格したら、そこで選択すればよい。いっそうのこと片っ端から受験してみてはどうか。

早い夢の実現は後が大変  

 プロスポーツ選手の希望者も多い。勉強より素質がものを言うから、限界の見定めが重要だ。たとえスター選手になれても、引退後の長い人生を考えなくてはならない。
 みんながみんなコーチになれないし、テレビの仕事には幸運が左右する。何よりも問題は、引退後に普通の仕事に就くことが難しいことだろう。平凡な生活には関心を持てないかもしれない。    
 夢は過ぎたことだと割り切れるだろうか。                   (完)

Read more...

Back to TOP  

2015年3月3日火曜日

#133 北京たより――「嘉義農林」

 今、日本と台湾の合作映画『KANO―海の向こうからの甲子園』が全国で上映されています。全国公開の一ヶ月遅れで上映された当地で私も観ました。
 KANOとは嘉義農林学校の略称、嘉農のことで、戦前の1931年に台湾代表として夏の第9回甲子園大会に初出場し、準優勝を遂げた野球部を描いた映画です。当時は日本が植民地にしていた朝鮮と満州の代表も出場していたのです。
 因みに、当時の学制は中学と専門学校(嘉農が例)が5年、高校と大学予科が3年、大学が3年でした。この旧制高校は戦後、大学になりました。
  諸君たちの興をそがないように、映画の講評は来月にしましょう。 「KANO」は感動的な映画で、また戦前の台湾を知る一端になります。是非観にいってください。
  この映画を2度も観たというI氏が台湾からの「北京たより」を届けます。
    ―――――――――――――――――――――――――

 1980年代初めによく利用した懐かしの兄弟大飯店での新聞記者とのランチミーティング。様々な新台湾の話題の流れは、『KANO』に行き当たりました。映画をテーマにした珈琲ショップが出来たばかりとのことを知りました。名物の飲茶料理はまだ少し残っていましたが、急き立てて案内してもらいました。
 地下鉄を3回乗り換えて、忠孝新生駅で降り立った地区は古い建築物が残った一角。一人では見つけられない場所に店はありました。(www.realguts.com.tw)使い古したバット・グローブ・当時の新聞・映画で使われた古いラジオや将棋盤、そして究めつけは店の前に置かれた古ぼけた自転車。よく見ると、それは山陽堂書店の名前入り、呉投手が初恋の幼馴染を乗せた自転車でした。    
 魏徳聖プロデューサーの前々作『海角7号』、前作の霧社事件を扱った『セデック・パレ』に関する映画資料とともに、壁一杯に関係図書が並んでおり、下村教授の霧社事件に関する訳書や戦前の平安中学や南海ホークスで活躍した台湾出身選手の本もありました。
 近くに住む記者の友人も駆けつけ、昨年夏の広島での平和式典に参加した時のことから始まり、日本への関心度の高さを感じさせる話を一気に語ってくれました。

  1895年 4月 下関講和条約(台湾・澎湖諸島が日本へ割譲)
  1930年    嘉南大圳工事完成  
    1930年10月 霧社事件発生 (翌春に第2霧社事件)
  1931年 8月 嘉義農林野球隊 夏の甲子園準優勝
  1931年 9月 柳条溝事件  
    1937年4月 総督府令 新聞雑誌の漢文欄廃止→中国語の禁止
  1937年 7月 蘆溝橋事件 
  1946年10月 中華民国台湾省行政長官公署 日本語廃止令
  1947年 2月 2.28事件 戒厳令下に  
    1987年 7月 戒厳令解除、廃止

 近藤兵太郎(松山商業OB。嘉義農林監督)や八田興一(桃園大圳そして嘉南大圳の建設指揮)、また一躍スターになった呉明捷投手など、俳優自身の魅力と魏徳聖(プロデューサー、脚本)馬志翔(監督)の演出により、とても格好が良かったのは事実です。 高雄出身の友人は、嘉義農林のことは知らなかったけど、八田さんのことはとても素晴らしいこととして賞賛。台中出身の記者は、歴史背景を巧く調整したりして美化しすぎかな?背中合わせに「理蕃政策」が破綻した霧社事件があるなど、歴史の陰陽も知るべきだとのコメント。二人に対して、『KANO』 が北京で上映されることは無いだろう。
 札幌商業OBの錠者士官が途中下車した嘉義駅に整列する兵隊たちの顔に独特の刺青があったのは、皇民化政策により植民地原住民まで徴兵したことの象徴だろう、と伝えました。昨年、見学した嘉義球場前の記念碑は、巨大なバットと6頭だけの虎の彫刻だったことは記者のみに伝えました。(日本の2頭は戦死。1頭は戦後帰国して社会党茨城県幹部に)
 弁護士は少しウィスキーを召されたか、小学校時代、家庭で使っている言葉を話したら教師から罰金を取られた、家で両親に何故なのか?と問いただしたら、「それを訊ねてはダメだ」と言われた故事を洩らしてくれました。二回りも若い弁護士も「それを訊ねてはダメだ」の時代を生きてきたわけで、2.28事件のことも京都大学留学時にようやく知ったとの痛切な体験も教えてくれました。 ・・・     
 1946年10月25日台湾の「光復節」(祖国復帰記念日)を機に、台湾総督府に代わって台湾の統治機構となった台湾省行政長官公署から発布された日本語廃止令である。1937年に中国語が禁止されて以来、日本が敗戦を迎えるまで日本語一色の世界に生きざるをえなかった台湾の人びとにとっては、台湾の現実を無視した情け容赦のない苛酷な言語政策であった。しかも、台湾人は日本帝国主義の「奴隷化教育」を受けてきたと指弾されれば返す言葉もなかったであろう。・・・ 『文学で読む台湾』下村作次郎(田畑書店 現代アジア叢書22)  

       (中略)

 二二八和平公園で、馬英九総統や選挙で勝ったばかりの柯文哲台北市長が、しめやかに語る言葉の多くは聞き取れませんでしたが「不忘記」「教訓」という単語が頻発していた印象があります。家族が事件被害者であった柯市長についてのメディア報道が多かったと後で聴きました。
 一時間の儀式のあとに乗ったタクシーの林運転手は、「68周年でしたね」という言葉に反応して、「GOOD」と指を立てながら「実は93歳の父親も参列しているんだ」と長い話の口火を切りました。今回は地下鉄にしなくて良かったです。
  北京は快晴です。米国大使館からの空気汚染警報も「GOOD」ではないでしょうか?
                         (了)

Read more...

Back to TOP  

2015年2月12日木曜日

#132 「ええかっこし外交」にブレーキを――武士の心を忘れたか

 二人の日本人がイスラム国に殺されました。私も二人のご冥福を祈ることでは人後に落ちないが、「情」の部分は今さておいて、「理」につくといろいろ考えさせられます。
 諸君はどう思いますか?
 
本当のところ人は戦闘が好きなのか?  
 
 1980年代中頃のこと。アメリカのテレビニュースが連日ニカラグアの内戦について報道していた。ソ連が支援するサンディニスタ革命政府軍と、アメリカが組織したコントラ反政府軍が激しい戦闘をしたので、「コントラ戦争」と呼ばれる。  
 詳しいことは省いて、私が発想したことについて述べる。批判されるだろう。  テレビニュースには、どちらの軍でも小学校の年代の子供たちが、手にした小銃を空に向けて喜々として撃っている映像が何度も出た。ある日、私は彼らが命の危険を認識せず、戦闘に参加することが面白いのだろうと思った。
 3食(2食かも)が当たる、学校に行かなくてもいい彼らにはエキサイティングなのだ。一発の弾が数百円もすることなど気にしない。バンバン撃つ。私なら仲間たちと木でつくったおもちゃの銃で戦争ごっこをしていた年齢だ。
 大人の兵士も似たようなもの。人を撃つことが面白いに違いない。
 以来何十年、世界中で内戦が止むことは無い。  
 
イスラム国の外国人兵士たち
 
 世界の80ヶ国から2万人もの若者がイスラム国に加わっているという。全体の1/3か1/4になるのだろうから恐ろしい数だ。なぜ外国人が加わるのか?
 マスコミが伝えているように、彼らは自国で職が得られず、将来に希望を持てない状況に置かれているからだろうか。また、彼らの多くは各国に移住したイスラム系移民か、その子供(二世)だと言われる。どの国でも顔に髭を生やし、モスクに行って祈る姿は容易にコミュニティに同化できない。
 明治以後多くの日本人が北米や南米に移住した。例えば、アメリカには戦前の貧しい時代に沖縄や和歌山から移住した。少数グループへの人種差別があり一世たちは大変な辛苦を味わさせられた。
  韓国人のアメリカへの移民は朝鮮戦争後に急増した。難民としてアメリカ政府が受け入れた移住者も多かった。彼らも長い間人種差別のためにまともな職を得られなかった。
 両国の移民に共通する点は、中国人ほど自分たちのコミュニティをつくらずに社会に同化し、そして何よりも一世の親は貧しい生活に甘んじて子供の教育に賭けたことである。
  滞米中のこと、シカゴの寺で講演をする機会があった。一世の高齢者が主な聴衆であったが、今では成功者の部類に入る彼らの顔つきは、苦労の年輪を刻んだような険しい表情に緊張を覚えた。  講演後の懇親会では「今の日本企業駐在員は始めから良い家に入り、新車を乗り回せる」という声を聞いた。バブル期のことであり、私が日本企業から初めてアメリカに出張した時には駐在員でさえこんな恵まれた生活ではなかった。
 いずれにしろ、先人の苦労の上に新しい世代は成り立っている。まして移民少数グループが一代で成功することは難しい。  
 外国人兵士たちは、イスラム国に何を期待するのだろうか?  
 支配されていると感じる現状から逃れてイスラム国に組すれば、一般市民の上に立つ支配者グループになれると思うのか?
 しょせんイスラム国の兵士になったところで、幹部にはなれないし、使い捨てにされるだけ。運よく生き長らえても、戦闘の緊張感と興奮を経験すると、地道で退屈な仕事をやる気がしない。このダメジも大きい。
 日本の兵士志望者に私のメッセージは届かない。せめて諸君の周囲に気をつけてほしい。

「生命第一」の中味が変わる  

 ホンネを出せないマスコミに比べると、私の周囲は冷静に見通していた。

  1)湯川さんは殺される。軍事会社の社長という肩書は知られていただろうから、解放する筋が通らない。
 2)ヨルダンのパイロットは殺されていた。解放すればまた戦闘機で舞い戻ってくるから生かしておけない。  
 3)後藤さんは交渉道具に使われたあげく殺される。パイロットと日本人の交換には道理がない。イスラム国は交渉にならないことを読んでいた。

   後藤(以下敬称略)は生前の活動が高く評価されていたから、一身に同情が集まる。し かし、友を救うという目的で天候が荒れ模様の冬山に単身で登ったようなもの。彼は「全 責任は自分にある」と言って周囲の反対を押し切った。現実には自分で責任を取ると言っ ても何もできない。
 他方、国は法律によって自国人を救出する義務を負っている。
 一人の冬山遭難者の救援にも天候が悪ければ捜索隊は様子を見る。その間に遭難者が死 ぬかもしれないが、数人以上の二重遭難を避けるためにはやむを得ない。これも「生命第 一」 なのだ。将来、政府が様子見することになっても責められない。

  つい先日、これだけ政府を振り回し、世間を騒がせた直後にフリーカメラマンがシリアに渡航しようとした。外務省が法律に則り、彼のパスポートを回収してトラブルを未然に防いだ。こんな悪天候の冬山に勝手に登られたのではかなわない。
  よくあるマスコミを使っての売名行為だろう。彼は憲法が保障する「渡航の自由」と「報道の自由」を守るために提訴を考えるというから、はねっかえりリベラルの弁護士が味方につくだろう。裁判になれば継続して話題になり、彼の名前が報道される。なかなか巧みな戦術だ。

  ◇ 首相の外交にブレーキを

 首相が行ったカイロでの演説が、イスラム国に日本人を処刑するきっかけを与えたという声があるが、私には分からない。ただ私が言えることは、「イスラム国と戦っている国々に人道目的で2億ドルの支援をする」という内容は刺激的で、金持ちが金をばらまくような印象を受けた。
  中国は珍しくエボラ熱ではアフリカに人道貢献したが、外交の基本は「実利外交」だ。もう一つ、国際貢献に冷淡だったロシアは、国土周辺にしか関心がない「国境外交」だろう。
  前にも首相の外交を「ええかっこし外交」と書いたが、もっと地味にやってほしい。今も日本の文化や社会の中で生きている武士の心は、「抑制」なのだから。            (完)  

Read more...

Back to TOP  

2015年1月31日土曜日

#131 アメリカと日本の人種差別――どっちが根深いか?

 前回の内容についてご意見をもらいました。
 「アメリカにも人種差別があるのに、なぜ石原慎太郎の意見にアメリカ人は反発したのでしょうか?」
 そこで話題を広げてもう一回人種差別を取り上げます。 諸君、私に寄せられる意見はメールを通じてです。つまり、知友人からのもの。本当は私を知らない諸君の中からご意見を切望しています。本稿の下の方に「コメント」項目があり、ここをクリックすると自由に書ける欄が出ます。
 
 アメリカの人種差別の現状

 私は1978年に渡米し、生活とビジネスからアメリカの世論を知ろうとしてきた。そこでピンとこなかったのは、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)に対について憎しみと感じるほどのアメリカ人の反感だった。
 アメリカにも人種差別があるのに、と思った。それが理解できたのは、アメリカは法治国家であり、人種差別を禁止する公民権法は1964年に成立していたからだ。つまり、法律上人種差別はないのだから南アフリカとは違うという意識である。そして、心の中の問題は法律が及ばない。日本の社会も同じはずなのだが、法律とモラルの境界があいまいなことがある。
  他方、南アフリカでは、アパルトヘイトは法律によって、黒人のみならずアジア人など有色人を差別し、居住地、乗り物、食堂などで分離規制をしていた。やっとこの法律が廃止されたのは1994年のことだった。
  あれは1980年だったか、当時私が勤めていたアメリカ企業が技術供与していた世界10ヶ国の企業の代表を招いて会議を持った。保養地で行う会議は半分遊びで、南アフリカ人と親しくなった。彼はニューヨークのホテルでクリーニングに出したワイシャツを後日着ようとしたところ片袖が切られていたという。
 ありそうな話であるが、クリーニング屋はどうして彼が南アフリカ人であることを知ったのだろうか、と半信半疑だった。 アパルトヘイトはやっと1994年に廃止された。
 
◇ 大リーグ野球に見る人種差別
 
 今、大リーグ野球の試合に出ている選手のうち、どの球団でも黒人とヒスパニック系黒人が3割を超えているだろう。 ところが、目を観客席に転じてみると、黒人人口の割合が高いニューヨークの球場でさえ黒人の観客は1割にもならない。むしろ日本人の方が多い。
 これは人種差別以前に貧富格差の問題だ。今、球場で試合を観るのに、平均して一人50ドルの入場料を払わなければならない。二人でこれに飲み食い代を入れれば150ドル。とてもとても貧困層が出費できる額ではない。
  結局、表面では人種差別に見えても、実際は貧富格差が背景にある。これはちょっとやそっとでは解決できないから、我々は心の差別を理性で覆い隠すしかしようがない。

 差別される側の弱み

 アメリカの町には生活保護家族を住まわせるアパート群がある。 私が住んでいた町ではビレジ(村)と呼ばれていた。公園のようなきれいな土地に20棟以上もあった。新築時には建物も家具も新しかったのであるが、おしなべて入居者は保守の努力(能力か?)が弱く、すぐ汚くなってしまう。隔離されているようで、一般の市民の間で訪れる人は少ない。
  生活保護家族の子供は、高校の食堂で朝食を無料で食べられる。ある日、友達である高校の先生から電話があった。日本から留学に来ている女子生徒が、生活保護の子供たちと一緒にいつも朝食を取っているのは良くないから注意してほしい、と言うのだ。
 高校で私たちのことは聞いているはずだから、訪ねてくれば相談に乗ろうと思っていたが、気が進まなかった。結局、訪ねて来なかったのでそのままになった。
 おしなべて生活保護の子供たちは成績が悪い、身だしなみも良くないから差別を受けている。それでも富裕層、中流、貧困層の階層の壁を乗り越えることはできる。実際、稀ではあっても実例はある。
 さあて、諸君の周囲を見回してみよう。程度の差こそあれ、日本でも貧困層(例えば、ホームレス)に対する差別、韓国人に対する差別、同和に対する差別がある。改善する政策が取られているが、法律も政策も心の中までは変えられない。

生活保護家族と生活保護国

 世界に約200ある国の中で、1/3は生活保護国だろう。つまり、先進国の援助なしには国が生きていけない。資源なし、資本なし、技術なしでは経済的に独立していけない。 世界の富を不公平に取る先進国が生活保護国の面倒をみることは当然だ。世界はこうして生活保護国を引きずって成り立っている現実がある。
 一国の経済も同じこと。社会は生活保護家族を包含しながら成り立っている。                      (完)  

Read more...

Back to TOP  

2015年1月17日土曜日

#130 刺青、温泉、差別、違和感――ほろ酔いの発想

 狭窄症の手術後は背中と腰がかなり痛いので、トイレと3度の食事を除いてベッドに横たわっていました。できることと言えば、読書とテレビを観ることだけ。平均して一日22時間は寝たり起きたり。これが今も残り、食事後に眠くなり、悩まされています。
 コルセットは身につけているものの、痛みはずっと軽くなって4年越しの痛みから解放されそうです。 
 退院時に医師から「酒は脚の血行を良くする」と勧められたことから、熱燗でちびりちびりやっています。執筆で頭の血行も良くなったように感じます。
 さて、新年第一号は「違和感」をキーワードにして話を進めていきます。

刺青に対する理解は国際化?  

 最近観たテレビ番組で、日本の温泉旅館やホテルが刺青をした外国人観光客を大浴場に入れない規制をしていることを取り上げていた。日本人にも同じ規制をしているのだから問題はない。と、思ったのであるが、意見を求められた大学教授が「外国人の刺青は国際化として理解すべきだ」と言ったことに驚いた。「アホか」と思った。
 台湾にも全国に温泉があり、日本人にも人気が高いが、みんな水着をつけて入らなければならない。屋外の温泉がほとんどだ。台湾では、日本人に対して国際化(?)のために水着なしで入れるようにすべきだ、という話を聞いたことがない。
 あくまで訪問者が相手国の文化を尊重することが原則。刺青観光客も事前に日本の文化を知るべきなのだ。その上で、大浴場に刺青外国人のために専用時間を設けてはどうか。 現実的ではないかもしれないが、これは国際化と関わりがなく、サービスの問題であることを断っておきたい。「郷に入っては郷に従え」という諺もある。
 諸君よ、テレビ番組で物知り顔をする教授や評論家の言うことに気をつけた方がよい。 特に視聴者受けの安っぽい国際化論を述べる輩に対しては。

アメリカの刺青について  

 アメリカで最初に刺青を見たのは40年も前のことだった。二の腕に小さな刺青があり、友達によれば海軍の兵士が魔よけのためにしたのだという。
 それが今や、プロスポーツのバスケット、フットボールから大リーグ野球まで刺青選手が広がった。場所も二の腕から首と腕全体に広がった。魔よけを超えて自己顕示をしているように見える。日本の刺青と違い、彼らのは青一色であることだ。
 日本では江戸時代から極道の間で刺青が行われ、極彩色をちらばめる彫師の文化でもあった。仮にそうだとしても、入れ墨は極道の象徴であるが、一般人には不快感か「違和感」を持たれる。  外国人の刺青に対しても日本人が「違和感」を持つことは当然だ。

人種差別は、実は複合差別   

 昔、石原慎太郎がアメリカの人種差別を非難してアメリカで物議をかもしたことがある。私も彼の意見に間違いはないと思ったが、人種差別に的を絞り過ぎていた。当時、私は人種差別を複合差別ととらえていた。つまり人種差別は複合差別の一部なのだ。だから根が深い。
 アメリカの白人社会である小さな町に住んでいた時、黒人の警察主任と教授に親しくなった。最初は経験が無いことで、感じたのは差別より「違和感」だった。それが友達になると意識しなくなった。
 アメリカで飛行機に乗っていると、丸い帽子をかぶって全身が黒衣のユダヤ人や、ガウンのような全身が白の民族服を着たアラブ人が機内に入ってくることがあった。やはり差別より「違和感」を持たされた。
 サンフランシスコで同性愛者がアパートに旗を立てて同性愛者であることを顕示していたが、ユダヤ人もアラブ人も同じように服装で顕示するのだろうか?
  人は人種の違いだけではなく、容姿、身なり、貧乏、人格、教養、宗教によって差別する。差別は万人の心に潜む意識。人種差別は複合差別の一部だ。

在日イスラム系人は穏健か?

 先日、フランスの新聞社襲撃テロの後、フランスに住むイスラム系人は自分たちに反感が持たれるのではないかと不安を感じていることが伝えられた。実際、フランスの人口の7.5%に当たる470万人が住むというのだから目立つだろう。逆に、一般のフランス人は彼らに脅かされていると感じるかもしれない。 日本ではイスラム系人(ムスリム)は少なく、5~10万人と言われる。それも過激派とは関係がないアジア人が中心だ。白衣も着ないし、穏健な印象を持たされている。
  しかし、ひとたび何かあれば、日本人の感覚を超える行動を起こされることがある。
  もう10以上も前のことだったか、ムスリムの一人が富山市内で路上に一冊のコーランが落ちていることを見つけた。各地から駆けつけたムスリムの一団が警察署を取り巻き、「警察がコーランを捨てた犯人を捜査しないのはけしからん」と騒いだのだ。
 仮に、仏典や聖書が路上に捨てられていても警察は捜査しないだろう。私はイスラム教徒の激しさに「違和感」を覚えた。また、正直な話、日本にイスラム教徒が増えてほしく ないと思った。                           
 諸君はどう思うだろうか?                    (完)  

Read more...

Back to TOP  

編集

Back to TOP