2010年9月26日日曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#5、9月,2010

  大阪に四つのオーケストラは無理
    ーー大阪センチュリーに移転の提案 
                   経営評論家 ・ 岡本 博志

 最近、大阪の四大オーケストラ(以下楽団と略称)が行った経営改革について新聞が相次いで報道している。大阪シンフォニカー交響楽団が大阪交響楽団に改名したこと、関西シンフォニーが新たにコンサートを会員募集で開くこと、それに府の助成金が打ち切られることで経営危機に瀕している大阪センチュリーが来春から公益財団として再出発することだ。これに大阪を代表する大阪フィルハーモニーを加えると四大楽団になる。
 ここでは、特に大阪センチュリーの改革について述べてみることにする。当事者が必死で努力しているのに、こんなことを誰も書きたくないが、経営の視点から大阪の楽団市場を直視してほしいと思う。
 せめてセンチュリーは京都市交響楽団にならって大阪府交響楽団にもっと早く改名すべきだと年来思っていた。この楽団が事実上府営であったことを府民がほとんど知らないからである。
 橋下徹知事が就任以来、大阪府が抱える長年の財政危機に対して打ち出した抜本的改革の一つとして、文化関連の予算が削減されたことにより、センチュリーの年間運営費4億円の助成金が一部カットから来年度ゼロになる。センチュリーは、現在企業からの寄付を働きかけているが、経営の視点から見て今のままで存続は難しい。現実的な経営再建策があるのだろうか?

 大阪に四つのプロオーケストラは無理
 過日、全国紙が全国のプロオーケストラのリストを掲げていた。これによると、全国24のオーケストラのうち4つが大阪圏に立地している。繰り返すと、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪市)、関西フィルハーモニー交響楽団(大阪市)、大阪シンフォニカー交響楽団(堺市)、そして大阪センチュリー交響楽団(豊中市)である。 
 ここで、国内各地のオーケストラ事情を知らないので、滞米生活中に地方都市から出かけて、生で聴く機会があった各地のオーケストラの中から、よく知るニューヨークとシカゴのオーケストラについて紹介してみたい。
 先ず、ニューヨーク市は世界の芸術都市という面があるから、大阪と比較するには適当でないが、それでもプロのオーケストラは有名なニューヨーク・フィルハーモニーのほかにはアメリカン・シンフォニー、オペラ・オーケストラ・ニューヨーク、ニューヨーク・シティ・オペラの4つしかない。
 次に、シカゴは郊外都市を含めて300~400万人の人口であり、大阪圏と良い比較例になるだろう。ここにはシカゴ・シンフォニー、シカゴ・シビックオーケストラの二つ、オペラ・オーケストラを入れても三つしかない。
 他方、大阪圏には文楽など伝統芸能、落語・漫才、人気が定着した劇団四季のミュージカルなど多くの劇場があり、さらに宝塚歌劇とも競合している。この激戦市場においては、府の助成金があろうとなかろうと、もともと四つの大オーケストラの存続には無理がある。
 因みに、家内と私の二人暮らしの我が家では、私の文化経費に年間予算制を敷いている。大阪フィルの会員として定期演奏会のうち二人で2回、家内が友達と出かけるリサイタルなど2回、私単独で文楽に2回、プロ野球観戦2回、それに劇団四季のミュージカル新作が出ると二人で2、3年に1回が許される予算の限界だ。他の大阪人と比較して平均か、それ以上か。大阪は文化の成熟市場であり、拡大は望めないだろう。

 大阪フィル・大植英次音楽監督の改革 
 大阪フィルハーモニーの音楽監督である大植氏とは、私が滞米生活中に近くの町で奉仕クラブの役員をしていた時、彼を例会の講師として招いて以来の知己であり、その後彼はアメリカの有力オーケストラの一つであるミネソタ・フィルハーモニーの音楽監督に出世した。
 彼はエリーの音楽監督に就任後、このペンシルベニア州の西北端に位置する人口14万人の中都市のオーケストラを再建した。
 音楽監督というのは、オーケストラ運営の全体に責任があり、演奏計画から楽団員の人事権まで広く権限を持つ地位である。常任指揮者と兼務する例が多い。長年の赤字に苦しむ楽団の再建のために、彼が行った改革について、地元新聞が伝えた記事から紹介してみよう。
 先ず、彼は楽団の小グループを連れて市内の小学校回りを始め、クラシックに親しむ機会をつくる活動を始めた。親も含めて草の根からファンを掘り起こしたのである。ミネソタの音楽監督に抜擢されてからもこの草の根活動を続けた。そして、今も大阪フィルで同じ活動を続けている。
 彼は地域の会合において講師への招きを気軽に引き受けて楽団の広報役を担った。近隣の町に気軽に出かけ、持ち前の話術と明るい人柄でファンを増やした。
 さらに、彼が手を打ったことは、楽団員の約60人のうち半分を常勤から外し、練習と演奏会出演の時だけ手当を払う方式に大改革した。今流に言えば、楽団員を正規社員と非正規社員に二分したのである。当然、非難を受けたが、中都市でプロのオーケストラを永続的に維持するためにはやむを得ないことだっただろう。91年から95年までエリーで音楽監督を務めた後、ミネソタに移る時には市民が盛大な送別会を催した。そして、市街地の通りに彼の名を冠した。結局、市民は彼の大改革を支持したのである。
 きついことを言えば、センチュリーには経営者が不在であった。おそらく府の年間助成金4億円の大きさを理事も楽団員もわかっていなかっただろう。例を最近廃部した社会人野球の大企業野球部に取ると、年間経費として2億円を使っていた。4億円とは大企業野球部二つ分の経費に当たる巨額なのである。
 
 センチュリーは移転によって存続できる
 前述した全国プロオーケストラ24のリストには、関西では大阪圏のほかには京都市交響楽団が挙げられているだけで、神戸、奈良、和歌山の主要都市にはプロオーケストラがない。中国地方の大都市である岡山にも広島にも、そして四国の高松にもない。もしこれが企業なら激戦市場を離れて市場の空白地域に移転するだろう。
 従来体制のままでは通用しない時代には、変革を避けて通れない。センチュリーの楽団員は大植氏が行ったような雇用改革は望まないに違いない。それなら歓迎される新立地で再起を図ってほしい。目を転じてみれば、赤字のプロ野球球団が本拠地移転によって再生した例はいくつもある。それに、近鉄バファローズがオリックスに吸収された時、京セラドームに入った大観衆が今はほとんど消えてしまった。私は遊園地の閉鎖が決まると、急に押し掛ける群れを「にわか遊園地ファン」と呼んでいるが、センチュリーの努力に共感した支援者も一過性になる恐れがある。

 楽団運営の年間予算が8億円とも10億円とも言われるので、来年は資金集めに成功したとしても、その先は危うい。        
 オーケストラの使命とは、生の演奏を提供し、クラシック音楽の普及に貢献することではないか。使命はどこでも果たすことができる。
                      (完)
   

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2010年9月16日木曜日

#38 諸君は民主党代表選挙をどう見たか?――ヘボ八卦見の始末記

 14日に民主党の代表選挙がありました。小沢候補がまるで野党党首のように現政権を批判し続けてきました。「よくもまあ、ぬけぬけと代表選に出馬したもんだ」という巷の声に私も同感でした。
 小沢が嫌い、という声に囲まれる中で、しかも小沢自身が嫌われ者と言う中で、私は「政治は好き嫌いじゃない」と反発してきました。なぜ小沢を首相にしてはならなかったか? ここでいっしょに考えましょう。 

◇ なぜ小沢首相に反対するか?

1)小沢は政治も行政も知らない。グループ議員の一人が「小沢先生は最もよく政治知っておられる」と言っていた。異議あり。彼が知っているのは政治ではなく、政治の裏だ。彼は行政リーダーの経験も少ない。彼の長い政治キャリアの中でたった一度、25年前に自治大臣を務めただけ。当時の自治省は「小さな大官庁」と呼ばれた。わずか400人ほどの所帯でありながら各県に副知事を送り込み、後に選挙で知事に仕立てた。 戦前の内務省のように日本の地方行政を支配していた。今でも自治省出身の役人知事は多い。

2)彼は変われなかった。2006年の民主党代表選挙の演説では「まず私が変わらなければならない」と言って説得力を利かせ、菅候補を破って代表になった。その後彼は変わったか。いや、金丸師匠譲りの金権体質は変わらなかった。今の政治資金問題に関しても、彼のものさしは法律に触れさえしなければよい、という認識のままであり、政治家としてのモラルには気を留めない。

3)本当は自分の政策を持たない。彼の頭は選挙と権謀術策にしか働かないようで、政策に関しては2兆円の予算予備費のうち菅首相がとりあえず1兆円を使うと言えば、全額景気対策に使え、という挙げ足取り。菅首相が雇用創出に全力を尽くすと言えば、景気を良くしなければ雇用は生まれない、というケチ付け。菅首相の財政規律重視に対して、思い切って国債を発行する財政出動によるバラマキで選挙目当てにころころ変わるご都合主義。彼独自の政策は出てこない。

4)対中・対米外交の危うさ。小沢が600人ものグループを引き連れた対中朝貢外交は記憶に新しい。他方、アメリカに対しては普天間基地移転について党決定を覆してさらに新たに交渉すると言う。彼は東アジアにおいて脅威はないと信じている。

5)小沢派は挙党態勢をとらざるを得ない。小沢グループには少数の幹部を除いて人材がいない。だから、政治生命が尽きた鳩山や、騒動屋の西の横綱と私が呼ぶ田中眞紀子まで担ぎ出さなければならない。挙党態勢は虚名だけだった。

6)ニキタ小沢・党第一書記兼首相の資質。陳情の窓口を幹事長に一元化した小沢は独裁者そのものだった。幹事長室で知事にかしずかせて謁見した様を想像すると、昔の役人もここまで威張らなかったと思う。

◇ さて、この選挙はなんだったのか? メディアが小沢敗北の原因として喧しく報じた資金疑惑の問題は小さくはないが、それより核心の原因は小沢グループが菅首相に1イニングも投げさせないで降板させようとしたことだ。立ち上がりに不安定さがあったかもしれないが、まだ失点を取られていない時点で投手を代える監督はいない。また、アメリカでは新大統領に100日はハネムーンと言って議会が攻撃を手控える慣行がある。
 今回の選挙は、言うなれば、小沢の反乱行為であった。民主主義の名のもとになんでも許されるわけではない。従って、反乱首謀者幹部は責任を取らなければならない。小沢のみならず、自分の選挙区で小沢を支持して党員・サポーターで菅候補に敗れた鳩山、原口(総務相)、細野(元幹事長代理)は自ら民主党を離党すべきだろう。これが武士の処し方だ。
 他方、菅首相は挙党態勢の虚名にとらわれず、権力闘争に勝ったのだから、国のために最も強力な内閣と党の人事をやってもらいたい。小沢支持者は当然選挙前から負ければ冷や飯を食わされることを覚悟していたはずだ。
 小沢がやれば政界も官庁もがらっと変わると過剰期待してきた支持者たちには、巨大組織の改革がいかに難しいかが分かっていない。終戦直後に政府がガラポンされた時は破産会社で再建を早く進められたが、今は大国日本の日々の経営を維持しながら改革しなければならない。早い話、倒産した日航の再建さえ3年以上かかる。菅首相は次の総選挙まで2年あると考えて取り組してほしい。
 「やっばり頼れるのは自民党か」という声が出てきた。しかし、これはまだ早い

 私は小沢が騒動を大きくしてから出馬を止めると予測したが、外れ。選挙では菅の議員支持者が230人を超えると読んだが、これも外れ。やはり小沢グループ新人の自立はほとんどなかったようだ。締め付けがすごかったのだろう。
 ヘボ八卦見の見立てが外れた。当たるも八卦、当たらぬも八卦とはこのことか。
 
 

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