2013年8月20日火曜日

#98 韓国政府の対日攻勢が激化ーここ数年の我慢が勝負

   韓国大統領の対日敵対意識がすごいな。あまり腹を立てない日本人も怒っている。もうええ加減にしろ、とうんざりしている。  日本の若者たちはどう思っているのだろうか。韓国系在日の若者たちはどう受け止めているのだろうか。このままでは日本で居心地が悪くなるだろう。  先日の日本の民間団体と中国の英字紙による世論調査によると、日本人の中国に対する印象も、中国人の日本に対する印象も「良くない」が90%で過去最悪だとか。
  何度も繰り返すが、一体「中国」と「日本」は何なのか?諸君には「中国人」と「中国政府」をごっちゃにしないでほしい。  おそらく韓国と日本に対する印象も「良くない」が90%でしょう。

◇ サッカーの国際試合で反日の横断たれ幕  
 ソウルで行われたサッカー東アジア大会の日韓戦の試合中に、韓国ファンが「歴史を忘却した民族に未来はない」という反日の巨大な横断幕を掲げた。これに対し、韓国サッカー協会は日本のファンが旭日旗を振ったことがきっかけになったと表明した。  諸君はおかしいと疑問を持ったか?  私の疑問はこうだ。
 先ず、横断幕は事前に用意しなければならないから、旭日旗(朝日新聞の社旗を四つ合わせたようなもの)を振ったことがきっかけではなく、もともと計画されていたことだ。  
   次に、もしそうなら、日本のファンが旭日旗を会場に持ち込むことを知っていたことになる。情報が漏れていたとしか考えられない。  日本のサッカー紅衛兵たちは、旭日旗が戦前の帝国海軍旗であったことを知らなかったか、知っていても他国の座敷で挑戦的な旗を振ることに無知であったかのどちらかだろう。  諸君は過剰反応しない方がよい。たかが教養がない韓国のハングル紅衛兵がうさ晴らしをしただけだから。
 それにしても、と私は思う。なぜ自衛隊3軍の海上自衛隊だけが、艦艇の後部に帝国海軍の旭日旗を掲げているのか?日の丸の国旗だけでよいではないか。

 パク大統領の対日敵対意識が異常  
 諸君は韓国情勢についてはあまり関心がないかもしれない。しかし、事実を知ることは常に重要だ。  そこで、パク大統領の敵対意識むき出しの言動と、韓国政府ほかの悪乗りをまとめてみよう。諸君たちはいくつ知っているかな。

 1) パク大統領が訪米、オバマ大統領との首脳会談の席で日本政府の歴史認識について訴えた。(本稿#92)。  
 2) アメリカ議会に招かれた演説の中で、日本政府の歴史認識と従軍慰安婦問題について非難した。  
 3) パク大統領が慣例に逆らって日本より中国を先に訪問、中国政府に対して、1909年、首相を退任していた伊藤博文を ハルビン駅で暗殺した安重根の像をつくる要請をした。  
 4) 韓国の国会議員グループ、さらに子供を含む市民グループが竹島に上陸した。       
 5) 安倍首相が操縦席に座った航空自衛隊の練習機の機体番号が「731」で、兵器の人体実験を満洲で中国人(一部の朝鮮人)に対し行った旧関東軍の731部隊と同じだと韓国政府が非難した。ほかの練習機でもよかったのに、首相側近や自衛隊幹部もアドバイスできなかったのか? 
 6) 韓国の裁判所が、戦時下に徴用した韓国人労働者に対して未払いとする給料の支払いを三菱重工に命じる判決を下した。韓国政府はこれまで日韓基本条約を守っているが、今度は韓国の司法が突っ張ってきた。判決は日本に及ばないとされるが、以前とこれからの訴訟に影響し、日本企業は難しい対応に迫られる。  
 7) 韓流スターが竹島に遠泳して韓国世論に訴えた。日本の民放テレビは彼が主演する放映を延期して民意に応えた。毎日4,5本もある「韓流ドラマも中止せよ」という意見も聞かれるが、これはやり過ぎだろう。  
 8)終戦記念日に4人の韓国議員が靖国神社の前で、反日の演説を試みたが、日本の警察によって阻止された。他人の座敷に土足で侵入するような無礼な行為だ。韓国のメディアが大きく報道してくれることを狙ったものだろう。

 従軍慰安婦問題と韓国政府の広報  
 アメリカ人からの情報によると、アメリカでは従軍慰安婦がComfort Womenと呼ばれてメティアによっても人権運動団体によっても日本叩きが行われており、他方、日本政府による反論は韓国政府の攻撃的で戦略的な広報にはかなわないという。いつでも守勢の側は弱いものだ。英語には「従軍」が含まれていないが、言うまでもなく、日本の軍隊によって慰安婦の強制的徴用がなされ、施設もつくったと信じられている。  
 韓国政府の戦略は、先ずソウルの日本大使館前に慰安婦像の像を建てたことから始まり、米国各地にも建てられつつある。
 報道されないことが一つある。それは韓国政府が朝鮮戦争時に「特殊慰安隊」と呼んで売春婦を募集したことだ。相手国を攻撃する時には、自国の不利を伏せることは国際交渉の常識だろう。
 慰安婦を日本陸軍が直接関与したかどうかについていろいろ意見があるので、私は確信を持てない。

◇ パク大統領の父・朴正煕大統領の治世  
 私は朴大統領の治世下であった1970年代の日本企業時代、頻繁に韓国に出張した。彼は国民に華美と贅沢を戒め、自らもそうした。彼は善玉の軍人出身独裁者であり、韓国に経済成長をもたらし、最貧国から脱した。
 当時は、月に一日「米を食べない日」を設け、サイレンが突然鳴ると、一斉に屋内に避難する訓練日があった。私はサイレンが鳴るとタクシーの運転手が逃げて車内に残されたことがあった。わけが分からないまま運転手の後を追った。  漢国の社会には緊張感が漂い、国民一丸となって建国にひたすら努力していた時代だった。  
 1965年、朴大統領と佐藤栄作首相が日韓基本条約に調印して両国の関係が正常化された。不幸にして、私が渡米した翌年の1979年に、側近の情報部長によって執務室で射殺された。衝撃的な事件だった。

 諸君たちの世代にどうなるか?
 一体、韓国政府は何を意図しているのか?中国政府に比べれば、韓国政府が抱える内政の課題はましであるのに、何をあせっているのか?ひょっとしたら、1997年のデフォルト(国家の債務不履行、国家経済の破綻)をIMFの支援で辛うじて切り抜けたことに続いて、今またデフォルトの危機がささやかれることと関係があるかもしれない。
 韓国政府が日本と敵対して何の得があるのか、私にはよく分からない。
 いずれにしても、諸君たちには韓国政府に対する反感を一般の韓国市民に広げないでほしい。諸君の時代になっても、程度の差こそあれ、日韓の政府関係は大きく変わらないだろう。日本人は大人(たいじん)の心構えで行こう。        (完)        ―――――――――――――――――――――――――――――――

追記。本稿#96で政府の対中朝貢外交について書いた。さらに今月、自民党の若手国会議員団が中国を訪問したが、中堅の女性幹部に会えるのがやっとで、門前払いも同然。議員たちが物乞いしているように見えた。こんなのは国費の無駄使いだ。若手の交流をしたいのなら、東京の中国大使館員たちを招いてパーティをやってみろ。外交官はなかなか制約や規則をはめられていて出てこないかもしれないが、外交の話題を禁止にして最初は両国の文化を話題にすればいい。要するに、次世代のパイプをつくることが大切。  今度は公明党が議員を中国に訪問させるという。なぜ平等互恵(相互訪問)の原則を理解しないのか?

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2013年8月11日日曜日

#97 上海たより、「三伏」

 久しぶりにI氏からの「上海たより」が寄せられました。中国事情に関するエッセイを載せます。  ぎらつく日中関係の中で爽やかな中国事情を伝えるエッセイです。諸君の教養のために参考になることを願います。   

      ―――――――――――――――――――――――――

 
  三伏は夏の季語でもあります。五行説由来で諸説あり、初伏(夏至から第3番目の庚の日から10日間)、中伏(第4番目の庚の日から10或いは20日間)そして末伏(立秋後の庚の日から10日間)と続く三つの伏です。極暑(火の気)を恐れ、庚(かのえ。金の気)が伏して(隠れて)しまう期間が30~40日続くとされます。この時期に韓国ではサンゲタンやポシンタンといった精の付く食材を多く摂るようで、日本の鰻も三伏に由来するのかも知れません。  その三伏に入ってから、上海は体温を超える猛暑が続き、最低気温も30℃前後という状態です。全国主管者会議に集まった香港・台北・広州からの代表も上海の暑さに吃驚し、最高気温が25℃前後の大連の主管者は、同じ国とは思えないと話していました。  そんな暑い時期には、涼しくした部屋に蟄居して、大人しくごろ寝をするか、積読の山を崩しながら昼寝をするのが賢い過ごし方でしょう。
  ところが、賢明ではない凡夫は本の山に向かわず、先週末は蘇州の霊巌山に登り、今週は南京での登山用具などのアウトドア展覧会に赴きました。新幹線で蘇州へは30分、南京へは1時間余りで楽に移動できますし、上海より比較的低い気温(南京/37℃、蘇州/38℃)でしたが三伏の酷暑下の行動であることに変わりがありませんでした。これも猛暑と大雨で名高い長沙の知人から「上海・蘇州・南京の三か所合計で115℃。煉丹炉中の孫悟空のようだ」と妙な暑中見舞いが届きました。  
  金融・流通など第3次産業の進出が多い上海に比して、蘇州は早くから日本の製造業進出の中核として他を圧倒しています。その蘇州の中でも有力メーカーの総経理を長年務め、蘇州日本商工会のドンとして人望の篤いK氏とは、各地での講演にも忙しいコンサルタントのM氏の紹介で、呑み・喋り仲間にしてもらいました。3人ともアラカン族であり、とりわけK氏は宮崎県人で、大分県生まれの人間にとっては、日豊本線(九州イーストコーストの日向と豊前を結ぶ鉄道)繋がりの面でも親近感があります。この春にK氏の肝煎りで蘇州商工会のセミナーが開催され、土曜日午前にも関わらず参集された多くの方々の前で、M氏らとともにお話しをしました。セミナーの後に楓橋や寒山寺などを案内して貰いながら、今後とも単に呑み・喋りだけでなく、お勉強もしましょうと云う事になりました。 今回は蘇州西郊の霊巌山に傾国の美女、西施を探そうというお勉強でした。
   西施は2500歳くらいの美女だから期待はしないようにと笑う先達のK氏を中心に歴史のおさらいをしました。 霊巌山は春秋戦国時代の呉越の戦いの旧跡の一つ。会稽山の戦い(紹興近辺)で危うく命を拾った越王勾践は、臥薪嘗胆して捲土重来を期し、策略として50人の美女を呉王夫差に贈った。夫差は「宮女如花満春殿」と謳われた館娃宮を霊巌山の頂に建て、政治を忘れ、とりわけ西施に溺れた。好機到来と越軍は霊巌山を囲み、夫差を撃ち雪辱を果たす。西施は逃れてその後の行方は今も知れず・・・  
  
   蘇州新区のホテル前からバスで半時間余り、冷房の効いた小奇麗なバスの料金は何処まで乗っても2元(30円)で、霊巌山麓の終点の木瀆まで連れて行ってくれました。木瀆は上記の館娃宮を建設する為に水路で運んだ木材の集積地とのことでした。木瀆は水郷古鎮観光地の一つになっている様子でしたが、今回は登山が目的なので次の愉みに残しました。先達のアドバイスで入場料の必要な正門は回避し、大きく迂回した脇道を採りました。土産物屋が途切れた所は船着場跡のような感じで、そこには立派な石門もあり、どうもこちらが表参道のような気がしてきました。金気が伏せる時期だけに無料入山は有難い。火気も運よく穏やかになり、雲が日差しを遮ってくれました。  讃岐象頭山の金毘羅さんの参道のような傾斜、距離でした。入山料をセーブするような我々には無縁でしたが、前後二人の肩に担われる轎(輿。座席型駕籠)も見かけました。常緑樹側の蝉しぐれが反対側の竹林に反響し、風に揺らぐ竹の葉のせいか妙なる音楽を奏でていました・・・という余裕は先達のK氏だけの世界で、我々は処々にある亭や磨崖仏を給水ポイントにしました。ところが8合目(という程の高山ではありませんが)あたりに基礎だけが残された石碑がありました。基礎部分の裏側の黒く塗られた刻字を辿ると、福岡県八女地区の公共団体が建てた友好祈念の碑であったことが何とか読み取れました。先達の説明では、昨年秋に傷つけられた、元々それほど多くの人が来る場所ではない、何故そこに建てたか不詳、知名度の低い祈念碑までわざわざ傷つけに来たことを知っている人は少ない、報道もされていないと思いますよ、との事でした。
 岩山を抜けて頂上へ。「東晋時代に寺が建てられ、唐代から清代まで禅宗道場として高僧を輩出したが、咸豊30年に兵火で破壊された。民国に到り印光法師らによって浄土宗道場として再興された」と拝観料1元のチケットに書かれていました。チケットの裏には「西施梳粧台遺跡」の図が描かれていました。掃除の行き届いた院内には、参拝者と修行僧が多く、観光客は静かでしたから大声で喋っていたのは我々三人だけだったかも知れません。(当地のガイドのマイク案内とJRアナウンスの煩さには辟易しています。カラオケ同様にマイクを持つ人は謙虚であって欲しいものです)。 とても感じの良いお寺に来ても食欲好奇心は鎮まらず、精進麺を食べさせる堂宇を目敏く見つけました。残念なことに、営業時間が過ぎていてこれも次回の愉みとなりました。椎茸麺が18元という値段札には驚きました。
  入門料が1元なのは、無料にすると却って面倒が多いから、形ばかりの有料にするということでしょう。上海の城隍廟(豫園古鎮の起点)の精進麺は5元(土日祝は8元)ですが、やはり車道もリフトもない聖地のせいで高いのでしょうか?  精進麺に気を取られている内に西施のことは忘れていました。帰りは間道を抜けて下りましょう、と先達はスタスタ細い薮道を歩き始めました。西施が逃れた道、日本人は我々三人しか通ったことのない道という強い確信に満ちた足取りでした。下山後に大きなキャンバスの学校、隠れ家的農村レストランの横を歩いていたら、高級ハイヤーとすれ違いました。この奥を通り抜けはできないから、必ず戻ってくるに違いないハイヤーを捉まえようと衆議一致(ホンネはもう歩きたくない)。 好運にも予測が当たり、ホテルまで快適なドライブでした。
  上海に戻って、積読の山から一冊、『上海游記』『江南游記』を引き出しました。 芥川龍之介が1921年3月から7月末まで、大阪毎日新聞の派遣で各地を歩いた時の紀行文です。新聞連載ということで、ジャーナリスティックな視点を意識したのか、孫文の辛亥革命が袁世凱大総統に掠め取られた時代の混乱を社会荒廃としてとらえています。一方では日本政府の対華21ヶ条要求への反発から排日・抗日の流れが増していることにも目配りして、壁に貼られた檄文や高校生の排日の歌声を見聞きしています。

   また28歳の社会主義者の李人傑氏との面談で、共和でも復辟でもない若い芽吹きを感じているところはサスガです。しかし芥川が滞在中の7月に、中国共産党の第一回大会が上海で秘密裏に行われた事までは当然ご存じありません。 本業の小説家としては、美味求真、妓館名妓、清朝遺臣、上海紡績、租界風物、天蟾舞台などを通して、上海と上海に生きる中国人そして日本人を描いています。上海、杭州、蘇州、南京の名所古跡の「観光」には冷淡というか悪意に近い皮肉な批評が続いています。一方、土地の風や匂い(臭い)を感じる「観風」には厳しい視線や言説の背後に暖かい眼差しと諧謔を感じました。   その芥川が上海在住の島津四十起氏の案内で蘇州霊巌山に登り、霊巌寺を見物しています。まず市内からは初めて乗せられた驢馬で冷や冷やしながらの移動。登り口が見つからず、道を尋ねれば更に分からなくなるという法則通り、ウロウロした挙句に驢馬がエンスト。俳人通人でもある先達は「何、こう云う事も面白いです。あの山がきっと霊巌山ですから、――そうです、兎に角あの山へ登って見ましょう」という姿勢。
  やっとの思いで登ったら、西施弾琴台も館跡も岩があるだけで草もない。折からの雨で太湖も望めず、腹も減ってきた(精進麺の有無は不明。寺の坊主から分けて貰ったどす黒い砂糖をなめても元気は出ない)。そんな情けない思いをしながら下山したら、驢馬がいないし驢馬曳きの子供も見えない。持参した傘は驢馬の荷駄に残したまま。やっと農家の軒先に雨宿り。農夫は駕籠かきを副業にしているのか轎子が見えるが、そんな時に限って先達の中国語は通じない。ついに自己制御が切れて、「お互いに迷惑しますね、案内者がその土地を知らないと、・・・」と売り言葉。島津氏も買い言葉を返し、ずぶ濡れになりながら、血相を変えた男二人が立ち尽くしたのは、もしかすると我々が好運にもハイヤーを捕えた場所辺りではないかと思えてきました。
  その夜は、昨年9月の騒動では難を免れた料理屋で置酒歓談。数千人の工場の様々な課題(賃金上昇だけでなく、食堂運営や社員旅行までも一筋縄ではないこと)から、時節柄か自分の墓をどこに設けるかまで様々な話題で盛り上がりました。K氏の故郷の焼酎「百年の孤独」(黒木酒造の当主はK氏の一年後輩という有難い関係)や銘酒が空になる頃、独り夜舟を漕ぎながら、西施の宮殿を訪ねる夢を見ていました。徒然草の「山までは見ず」の仁和寺の法師ではありませんが、何事にも先達は有らまほしき存在です。芥川の文章を読んで、K氏の有り難さを改めて感じました。立て替えて貰ったバス代と入門料の返金と精進麺を口実に蘇州を再訪することを愉みにしています。   芥川の上海江南游記から90年、二つの国は戦争と体制変革と経済至上時代を経験しました。両国の先達が傷ついた友好祈念碑を訪ねる事はないでしょう。されば、芥川が石碑を見たとしてどんな冷ややかな警句を発するかを想像しながら、火の気が旺盛な三伏を凌ぎたいと思います。(了)  

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2013年8月3日土曜日

#96 オバマは中国を重視?――大いに異論がある

 元外交官が地元紙に寄稿した文には問題があります。人は外交プロの意見には影響を受けるかもしれません。しかし、外交官にはそれぞれ専門分野があり、逆に限界があるものです。
 今回はここから書いてみることにします。 
 中国をめぐる情勢についても触れますが、その道のプロには思考の限界があるので、私のような素人の発想とは違い――たとえ間違いがあっても――があります。 諸君はどちらも鵜呑みにしないで、諸君自身の考えを持ってください。
 外交に限らず、どの分野でも思考力を高めることができます。  特に、次代について常に考えてほしい。

◇ 「オバマは中国を重視」はおかしい  
 元駐イラン大使であった孫崎享氏(以下敬称略)の地元新聞への寄稿を読んだ。彼の論点には偏向があり、無視できない。一つひとつ反論してみよう。アンダーラインの文は新聞からの引用。   
 

 米国大統領は明々白々、日本より中国を大事にすることを世界に示した。
 彼に限らず、どのメディアもオバマ大統領と安倍首相との首脳会談は1時間で、習国家主席との会談は8時間に及び、米国政府は日本より中国重視の姿勢を取っている証だと報道した。しかし、これはおかしな論理だ。
 私は1978年から1995年までアメリカで生活していたが、この18年間で日本関係がメディアで取り上げられたことは貿易問題くらいだった。首脳会談も1時間を超えることはなかった。隣国のカナダについても、アメリカの石炭火力発電の廃ガスがカナダ上空に流れて酸性雨を降らす問題と、東部海岸の国境地帯で両国漁業者が紛争を起こした問題がメディアで報じられたくらい。日常カナダが報道の対象にされることはなかった。
 両国の首脳会談は首相か大統領が変わった時に行われるだけで、1時間を超えることはなかっただろう。 要するに、アメリカは日本ともカナダとも大した政治課題がなかった。他方、アメリカは中国の東シナ海・南シナ海における脅威、日中関係、経済運営、人権問題など放置しておけない課題が多いのだ。  

 オバマ大統領は安倍首相を好きではない。オバマ大統領は基本はリベラルである。
 この論理が通るなら、オバマはリベラルの鳩山、菅元首相が好きということになる。また、英国の保守派キャメロン首相も好きでないということだ。アメリカ大統領が誰であれ、民主党と共和党に関係なく、こと安全保障に関しては大した違いがない。

 歴史的にみれば、在日米軍の日本駐留は同盟というより、占領体制の延長である。(中略) 日本が中国に吠えても、後ろ盾はない。  
 ドイツには、これまで兵数を減らしてきたが、今もNATO軍傘下で68,000人の米軍が駐留している。これも占領体制の延長なのか?
 アメリカ政府が取る防衛戦略の基本は、本土から遠く離れたところに前線を置くことであり、これは今も変わらない。つまり、ヨーロッパ大陸と太平洋東岸に防衛ラインを敷くことだ。その要がイギリスと日本なのだ。
 日米同盟は日本を守ることが、すなわちアメリカを守ることだ。他方、韓国との同盟は対北朝鮮に目的がある。  最近の中国の覇権主義に対応するために、日米同盟はアメリカの国益にかなうのだから、孫崎が唱えるほど日本を軽視していることにはならない。
 アメリカ政府が中国を重視するように見えるのは、山積する問題を抱える中国政府に対して、武力衝突を避け、中国が政策を変えることを迫っているのだ。

 聞くところによると、孫崎はいろいろ問題がある御仁らしい。私は彼を知るわけではないから、彼の人物や他の考えについては書くことはない。ここでは地方の読者を惑わす彼の寄稿一点について異論を書いている。
 地方の諸君よ、偏向した極論に惑わされないようにしてほしい。

日本政府の対中外交について    
 地方議員団が北京を訪問したし、政府は外務次官を派遣した。中国政府とパイプをつなぐことは大事であるが、相互訪問が原則だ。日本側からだけ中国を訪問する朝貢外交は止めるべきだ。首脳会談をやるなら第三国で行ってほしい。
 朝貢外交の三悪は、新人議員など100人を引き連れて北京を訪問した小沢議員(当時民主党)、再三北京詣でをしている鳩山元衆院議員、わざわざ北京を訪れて「尖閣諸島は田中元首相と周恩来元首相の合意で棚上げされた」と言いに行った野中元自民党議員の一行だろう。当時は中国政府が日本を脅かさない時代だった。
 
 つい先日、毒入り餃子事件の犯人に対し有罪判決が出た。三年もかかった。麻薬犯罪に関しては、即決裁判では犯人が死刑判決を受け、わずか一週間かそこらで死刑が執行されるというのに。  
 諸君は憶えているか?毒入り餃子事件が起きた時、中国政府は「毒は日本で入れられた可能性が高い」と公式見解を表明した。そして、国営の食品メーカーの社長は謝罪するどころか、「我々も被害者なのだ」と言った。中国政府は今も日本に謝罪していない。
 そう、なんでも相手が悪い、謝罪しないことが中華思想なのだろう。  さらに、アメリカから技術や政府情報を盗み取るサイバー攻撃についても、オバマ大統領との首脳会談で習国家主席は自分たちも被害者だと言った。  考えてみよう。サイバー攻撃は愉快犯(人を困らせて喜ぶ)の迷惑メールではない。サイバー攻撃は給料によって生活を保障されている軍人か公務員の大部隊にしかできない。中国か北朝鮮に限られているだろう。                (完)

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