2018年3月20日火曜日

#193 ああ、オリンピックーー頑固老人のぼやき

  ピョンチャン・オリンピック期間、その前後でも新聞とテレビのメディアがはしゃぎました。諸君たちも乗せられたでしょう。  しかし、一つの疑問は、メディアが報道したように日本のメダル13個は長野オリンピックを上回ったのでしょうか。  私は頑張った選手とメダル獲得者にケチをつける意図はありません。  物事を客観的に見る、そして違う視点を持つことは、諸君たちの人生で本当に大切なのです。 

客観的事実とは 
 長野オリンピックでは68種目の競技が行われ、日本選手は12個のメダルを取った。ピョンチャンでは102種目に増えた中でメダル数は13個だった。種目数を比較すればメダル数は増えたのではなく、実際は減ったのだ。
  諸君たちの多くはメディアの報道を鵜呑みにしただろう。メディアの報道とはすべからくこんなものだから惑わされてはならないのだ。ましてスマフォの断片的な情報はもっと危ない。

 ◇ オリンピックの肥大
 オリンピックの肥大化は1984年のロスオリンピックから始まった。 ここからオリンピックは大きく変質した。この大会には開催地に名乗りをあげる国 (都市)がなく、アメリカのやり手のビジネスマン、ユベロスが組織委員会の会長になり、無競争でロスが開催地になった。オリンピック開催の危機に直面したIOCは彼の言いなり、オリンピックを大きく変えた。 

 一つ目は、プロ選手の参加を認めこと。 
 アマチュアにこだわったブランデーシ元IOC会長の時代が終わり、プロ選手の活躍が人気を高めるようになった。 
 二つ目は、商業化により、選手が胸のゼッケンに企業名をつけるようになり、見返りに組織委員会に金を払うようになったこと。  さらに、競技場に広告を出せるようになった。これも組織委員会に巨額の収入をもたらした。 
 三つ目は、テレビの放映権を入札で選び、アメリカのテレビ局を始め、世界から金を集めたこと。  放映権料に加えて、大企業からスポンサーとして巨額の寄付を集めた。 
 大会後、運営が相当の黒字になり、委員会役員にボーナスが支払われた。オリンピックが黒字になることが分かると、一転して開催地に数ヶ国が立候補するほどになった。 

IOCの政治への介入 
 1980年のモスクワオリンピックでは、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国がボイコットした。日本も加わった。アメリカ政府主導の呼びかけに政治に中立であるはずのIOCが屈したのだ。 今回のピョンチャン・オリンピックでも、IOCは韓国政府の説得を受け入れて、参加資格の記録を持たない北朝鮮の選手の参加を認めた。さらにロシアのオリンピック委員会がドーピングに関与したということでロシアが国として参加することを禁止した。ここでもIOCは政治に介入した。
  この大会には4人の台湾選手が参加したが、「Chinese Taipei」の表記を求め、「台湾」の表記を許さなかった。IOCは中国政府の方針に逆らうことができず、何十年もの間Chinese Taipeiの表記しか認めてこなかった。 IOCは政治的中立の立場を守るべきである。
 (台湾表記問題については長文の評論を月刊誌に送った) 

 ◇ ああ、オリンピック!
  オリンピックの肥大化は止まらない。オリンピックはどこまでいくのか?  
  東京オリンピックの追加種目として応募された種目には、航空スポーツ、アメリカンフットボール、ビリヤード、ペタンク、ボウリング、ブリッジ、チェス、ダンススポーツ、フロアボール、フライングディスク、空手、オリエンテーリング、ポロ、ラケットボール、ローラースポーツ、スポーツクライミング、スカッシュ、相撲、サーフィン、綱引き、ウエークボード、武術などがある。復活した野球・ソフトボールなど数種目が東京オリンピックで採用される。 
 ここに掲げたその他の新種目はいずれオリンピックで採用されるだろう。もうクレージーと言うほかない。 
 頑固老人には支持できない新種目がいくつもある。 
 一つ挙げると、東京オリンピックで追加種目になったスポーツクライミング。この人工の壁を登る遊びを初めて見たのは、クルーズ船で子供向けに人工壁をつくっていたことだった。退屈を何よりも嫌がるアメリカ人の大人も登っていた。

 ◇ ワールドカップの発展とオリンピック
  ピョンチャン・オリンピックが終わるや否や、世界各地でスキー、スケート、カーリングなどのワールドカップが開かれた。ワールドカップが発展すると、これがオリンピックの種目を増やしていくことになる。どこまでオリンピックは肥大化するのか? 
 東京オリンピックではさらに種目が増える。今から改革するには遅いが、せめて開会式を簡素にやってほしい。日本は国威発揚は要らない。前菜からデザートまで、すべてメイン料理であるような今の開会式は要らない。  
 先進国しか開催できなった今のオリンピックを中堅の国でも開けるように、種目を絞ったオリンピックに改革してほしいと思う。             (完)   

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2018年3月4日日曜日

#192 富山においでよ(2)――仕事と生活が第一

  前回の東京集中で友達から意見がありました。以前に月刊誌に書いたことで、スポーツ団体と選手が東京に集中していることです。地方から立ち上がり、選手を辞めても 東京に住み続けて解説者やコーチのチャンスを求めます。他方、アメリカの引退選手が一極に集中することはありません。
 政府が地方創生の政策を進めています。これはこれで地方自治体が政策を活用することはよろしい。しかし、本当は諸君たちが動かなければ実を結ばないのです。
  つまり地方を変えることは諸君たち次第です。

 ◇ なぜ就職してから富山を去るか
 会社で私が付き合っていた二人の技術者の友達は退職して東京と静岡に去った。聞くところによると、奥さんが富山の気候に馴染めなかったそうだ。 富山では冬は寒さと雪、梅雨も年によっては長い。私のように暑さが苦手で、冬が苦にならないタイプと、寒さが嫌いなタイプがある。 当時は奥さんが働いていなかったから、苦痛だったかもしれないし、子供の送り迎えも大変だっただろう。車も今日のようには持てなかった。 しかし、今では奥さんが仕事を持てるから、地元の人たちと交流を深められ、生活を充実することができる。外に出ることが必要。
 今、富山県の求人倍率は東京並みの1.8倍だからパートでもアルバイトでも仕事を取れる。フルタイムの仕事も取れるが、奥さんは望まないかもしれない。

 ◇ 便利になった交通機関 
 50年前と比べると、富山市内の交通機関は充実した。路面電車のほかに市外要所を回るライトレールの環状線、張りめぐらされた路線バスがある。私は市街に出る時には車を利用せず、歩きと交通機関を利用することにしている。
  市役所はコンパクトシティと言って行政施設やマンションを市街地に集中する政策を推進している。郊外に広げ過ぎた市街地を集約することであるが、アメリカの都市では当たり前のことだ。郊外に住む市民からは自分たちには何もメリットがないと批判の声もあるが、将来のことを考えれば行政コストを下げ、税負担が軽減される大きなメリットを見ていない。
  最近では逼迫した予算の問題から、富山県の2市が市中でも郊外でも公共施設を統合廃止することに着手した。郊外の公民館など住民の集会施設も対象になっているが、持ちこたえられないものは仕方がない。どんな村落にも寺があり、寺が集会所を提供できるくずだ。アメリカの小さな町では教会が場所を提供している。 

豊富な住宅がある 
 コンパクトシティの政策によって市街地のマンション建設も進んでいる。毎年大型マンションが一つずつ建設されている。 郊外にあるニュータウンで一軒家を売って市街のマンションに引越したい住人、特に高齢者が少なくないが、なかなか家を売れない。このことは移住者が望むなら割安でマイホームを手に入れられることだ。
  郊外に限らず、市中でも空き家が何百軒もあるという。リニュウアルのコストを入れても東京より割安でマイホームが手に入る。市町村では手厚い支援を差しのべている。 行政のホームページに詳しく出ている。  

 ◇ 福祉施設と医療 
 子持ちの移住者には保育所や幼稚園が待機ゼロというのは有難いことだろう。
  開業医も多くあり、かかりつけ医を持てるし、いざ病気になれば病院を紹介してもらえる。富山市内だけでも県立、市立、大学の大病院があり、そのほかに民間の病院がいくつもある。高齢者施設も需給のバランスが取れている。安心できる。

 ◇ 教育と文化・スポーツ施設 
 約40年前、アメリカに移住して郊外を含めても人口3万人の小さな町に住み始めた時、スポーツと音楽の底辺が広いことに驚いた。「日本の町と比較してこれではアメリカにかなわない」と思った。  ところが、例えば音楽では、大きく様変わりして小学校から大学、社会人まで吹奏楽団があり、楽しませてくれる。アメリカ並みかそれ以上になった。スポーツクラブ、屋内テニスコート、スケート場がある。博物館、美術館、科学館は多過ぎると思うほど多くある。 子供たちの教育環境として最もふさわしい町の一つだろう。
  以前、大学で3科目を担当する講師(非常勤)をしていた時、クラスに韓国からの留学生がいた。彼とは個人的な会話をよくした。 ある時、彼は「日本の地方都市はすごい。施設が充実し、市民の手でイベントを活発にやる力がある。市民が何もやらない韓国の地方都市は遅れている」と言った。
 アジア各国に出張していた私にはうなづけるが、実際、どの国も首都だけが繁栄していて地方力は弱かった。韓国も今では変わっただろう。
  富山だけではなく、全国どこでも地方都市は力をつけている。

 ◇ 方言と会話 
 東京から富山に移住すると最初は方言に戸惑う。しかし、大阪で台湾人の貿易関係 者が「大阪で商売するなら大阪弁をしゃべれ」と言われたようなことは富山ではない。 誰も富山弁を強要せず、仕事でも生活でも標準語を受け入れてもらえる。
 ある大企業会長が富山は閉鎖的と言ったが、これは間違いであり、排他的ではないから、保守的と言うべきだろう。移住者はそのうち富山弁に慣れる。
 50年前、私が会社で富山工場に勤務するようになった時、戸惑ったのは地元人の独特の会話だ。私が三つ挙げると「あまのじゃく、揚げ足取り、否定(反射的に)」は相手に悪意がないことを知り、理解することだ。            (完) 

追記。本稿を開くと左側に小項目群があり、その中に地元の人のために書いた「富山篇」があります。関心があれば読んでください。

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