2011年12月26日月曜日

#63 世界も日本も苦難の年が終わるーー野田首相は突っ走れ

日本では1月の大雪、3月の東日本災害と原発事故、そして9月の奈良・和歌山県の豪雨災害、タイでは洪水と続きました。日本経済も打撃を受けました。世界ではヨーロッパの財政危機、アラブ諸国を始め、年末には金正日死亡と政変が起きました。まあ、こういうことは今年の10大ニュースや回顧を取り上げるメディアに任せて、ここでは書かないことにしましょう。
 今、諸君の多くは苦難をかかえているでしょう。しかし、戦時下の窮乏を強いられた先人や東北の被災者の皆さんを思えば耐えられる。

 今年、若者に贈る言葉 
 私の情報源と言うと、新聞、月刊誌、テレビニュースなどに限られている。情報の現場に身を置いていないし、専門分野のように深く勉強もしていない。テレビで専門以外のことについてしゃべる出演者と変わらず、あまり信用しない方がよい。
 ただし、ばらばらの情報を集めて結論(正確には仮の結論)を出す思考法には注目してほしい。そう、諸君も諸々の情報から結論を引き出すことを無意識のうちにやっている。これを専門用語で帰納法と言い、逆にある事象を論理の規則に従って説明することを帰納法と言う。こんな用語の定義はどうでもよろしい。私もどっちがどっちか定義を間違うことがある。
 大事なことは、もう少し意識して帰納法的思考によって判断することだ。世の中がよく見えてくるし、仕事でも私生活でも役に立つ。何よりも諸君の思考力を高めてくれる。
 私が好きなテレビ番組の一つに『臨場』という警察ドラマがある。ここで捜査が一定の結論に向かう時に、「オレのとは違うなあ」と言って検死官が名セリフで異論を唱える。諸君も自身の感性によって、メディアが安易に世間の流れをつくる中で「オレのとは違うなあ」という感性と帰納的思考を磨いてほしい。感性は思考の始まりだ。

◇ 野田首相は突っ走れ 
 先日、首相は「政権延命を考えていない。民主党のために政治家になったのではない」と述べた。つまり、国のために政治家になり、首相になったのだ。世論調査も選挙も忘れて、国難に立ち向かってほしい。
 彼が信念を貫くにも党内対策と野党対策の両方に神経をすり減らさなければならない。原発も、財政危機も、年金・消費税改革も多くの問題は、自民党が先送りしてきたことに起因する。自民党は政権与党に一歩譲りながら、できる限り修正協議をして法案の成立を支援すべきだ。そうすることで、次の総選挙で第一党になれるだろう。
 他方、民主党では小沢、鳩山両派が自民党より政治の足を引っ張っている。この政治の癌を助長しているのが、NHKテレビと読売新聞だ。ちょっとした小沢と鳩山の動きやコメントを報道している。小沢と鳩山がお好きなのだ。反対意見がほしいのなら、ほかにまともな人材がいるではないか。
 両派の議員は、事ある度に離党をほのめかす。先のTPP協議に反対した山田元農水相以下の小沢派議員が離党を発言したが、誰も離党しない。反対を唱えさえすれば選挙基盤の得点になるからだ。原田元総務相とともに小沢の跡目争いを意識しているかもしれない。
 小沢派と鳩山派の若手議員よ、今のままでは落選するから、仲間とともに両派から離れた方がよい。新グループとして政権に協力した方がよい。世間の空気は若手議員に不利になっている。
 民主党は、首相がいかに努力しようともどっちみち次の選挙で負ける。有権者大衆は政権交代を望み、保守党志向になるからだ。それなら首相は覚悟を決め、信念に基づいて任期いっぱいを朽ち果てる覚悟で政策課題を実行してほしい。
 
◇ 金正恩の登場 
 喩えてみると、会社で経営に関わってこなかった28歳の息子がいきなり新社長に任命された。それも兄二人をさしおいて。周囲は80歳を超える先代の番頭たちばかり。新社長が賢いのなら、しばらくは雛壇に飾られることに甘んじて、番頭が失脚するか死ぬまでは我慢し、その間に腹心の部下を育てるだろう。
 正恩は国の金庫を開けると金がないことに驚くだろう。どうなるか?
 現在、国連決議により各国が経済制裁を課しているが、中朝国境はざるの穴で中国政府が行っている支援は続く。中国政府は38度線を韓国と向き合う国境と考えているだろうから、現体制維持を戦略にする。北朝鮮をチベット化して直接統治することは金がかかるからだ。
 軍によるクーデターは起きないのか?
 よく跡目争いであるように、番頭将軍が別の息子をかついで自分が実権を握るためにクーデターを起こすケースだ。しかし、中国政府がいちはやく正恩を後継者として承認し、アメリカも暗黙した今では、両大国を敵に回して危険を犯すことはないだろう。今のままの地位で優雅な生活を捨てはしない。
 それにしても、国民の多数も兵士も痩せ細っているのに比べ、幹部は丸々と太っていることに気付かないのだろうか。洗脳によって思考力を失っているのは仕方がないにしても、感性まで奪われているのだろうか。
 日本は何をすべきか?
 中国政府は脱北者の取り締まりを強化している。在中国日本大使館が脱北者を受け入れないという誓約書を取った。脱北者にはもはや海に逃げるしかない。日本政府は日本海側の監視を強めなければならない。

◇ 若者が政治を変える
 先月の大阪市長選挙では若者が動いた。若者が動けば国政選挙も変わる。諸君に問いたい。国政に何を望むのか?諸君の要求は何か?    
        (完)

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2011年12月8日木曜日

#62 今年のプロ野球界を回顧ーー来年はどうなるか?

久しぶりにプロ野球界について書きます。評論家として経営とともにスポーツは私の専門分野でありますが、これまでプロ野球に関しては経営の視点から月刊誌などに書いてきました。
今年もいろいろありました。ざっと振り返ってみましょう。 

◇ 独立リーグとNOMOクラブ 
 去就が不安定だった三重球団は四国アイランドリーグから撤退し、結局、球団を解散した。三重県の立地は四国リーグに参加すること自体無理があったようだ。残念なことではあるが、結果として四国4球団にとっては遠征経費が軽減につながる。
 年末になってクラブ野球の雄、元メジャーリーガーの野茂が持つNOMOベースボールクラブが、堺の使用球場の閉鎖になることから存続の危機に瀕している。このクラブはアマチュアであり、選手が生業を持って練習は夜間に行っているから、移転する球場は照明設備を備えていなければならない。
 さらに、球場の使用が実現しても、地元自治体が地元球団として助成金を出してくれるかどうか。また、移転しても選手の仕事が見つかるかどうか。なんとか切り抜けてほしい。
 プロの独立リーグとアマチュアのNOMOクラブでは、どちらも少数とは言え、12球団のプロ野球に人材を送っているが、選手の将来の生活に関しては独立リーグの方が不安が大きい。
 
◇ 女子プロ野球 
 受けた質問や会合での話をまとめて対談風にしてみよう。
 「あんたが書いた女子プロ野球(本稿#51)で、女子プロの実力は高校野球の下位くらいと評価したが、あれちょっときついのと違うか?」
 「そういう意見はほかにもある。この中で実際に試合を観たのはオレだけやろ。ちょっと技術的に言うとやな、彼女たちは投手でも打撃のパワーでも男に比べて弱い。守備は巧いけど。下位の高校チームの投手を打てないし、投手は打たれる。一試合なら高校に勝てることがあってもリーグ戦をやるなら力の差が出るよ」
 「うん、なるほどな」
 「ほら、11月に第一回女子野球ジャパンカップといのがあってな、これにプロ2球団ともに高校女子野球部に負けた。正確に言うと勝てなかった。というのは同点で規約によって抽選で負けたのや」
 「へえー、そんな大会があったんかいな。ところで、なんで話題になったことがある吉田えりを採用しないのか?」
 「吉田は女子プロの打者に打たれると思うな。なぜかと言うと、女子プロの打者は基本通り手元にしっかり引きつけて打つから、ボールをよく見ている。女子プロでは投手のボールが早くないから、ナックルの効果がそれほど生きないと思うよ」
 「彼女はどうしているの?」
 「アメリカの独立リーグで男たちの中で唯一の女子選手としてやっていると聞く。かつて属していた神戸の独立チームと同じで、話題性があるんだろうな」
 「食っていけるの?」
 「おそらく年収5千ドルももらっているかどうか。食っていけないから親から仕送りを受けているやろな。女子プロ選手は年収200万円だからええわな」
 
◇ 横浜新球団が決まった 
 「横浜DeNAベイスターズ」に決まり、これで親会社の社名を冠しない球団が広島だけになった。元の親会社TBSはこれで年間経費の約20億円の赤字負担が無くなった。DeNA社は球団の経営改善を進めるだろうが、新進のIT企業に重い負担になる。
 今回も読売渡辺会長はIT企業による買収に当初乗り気ではなかったという。彼は楽天加入にも反対した。IT企業が持つ球団は三つになったが、彼はお気に召さないようだ。
 因みに、過去の球団親会社の数をたどると、映画3、新聞4、鉄道8だった。その時代を表していて面白い。若者世代はどこまで知っているだろうか。

◇ 読売巨人騒動 
 読売新聞グループが巨人の清武元代表を相手に訴訟を起こした。本来、清武元代表と渡辺読売会長の個人間の確執なのであるが、読売は総力をあげてきた。これでは会社法に照らして清武側には歩がないから、勝ち目がない戦だ。
 ただ、世間は判官びいきで反渡辺感情が強くなるだろう。
 世間はもう忘れたかもしれないが、近鉄・オリックスの合併騒動の時には、渡辺会長は1リーグ10球団制を推進した。これに対し、私は月刊誌で長文の反対論を書いた。プロ野球史を研究してみると、1リーグ10球団制はプロ野球を読売の事業と考えているから、読売の宿願であるようだ。プロ野球がセ・パ両リーグに分裂するきっかけをつくったのも当時の正力松太郎会長の10球団制構想だった。
 プレーオフ制が実施された時、渡辺会長は「パ・リーグの3位球団と巨人が日本シリーズで対戦できるか」と反対した。皮肉なことに、その巨人が3位でプレーオフに出場し、しかも敗退した。読売にとってはお家の一大事なのだろう。
 お荷物球団が三つもある現状に抜本改革がなされないのでは、いつか1リーグ10球団制構想が復活するかもしれない。これについては、いずれ改めて稿を起したい。

◇ ソフトバンクの皆さん、お疲れ様でした  
 ソフトバンクの選手と関係者にとっては長いシーズンだった。
やっと台湾で行われた11月29日のアジアクラブ選手権で彼らが野球から解放された。日本球団5連覇はならなかった。エース級投手を使わずに予選では9-0で勝った韓国に3-5で負けたのだ。勝って当たり前で、観客が4~7千人しか入らない、メディアも関心を払わないこの大会は日本球団にとって重荷だろう。        (完)

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2011年12月5日月曜日

#61 上海たより、その(4)ーー「皮影戯」とは?

堅い話が続きました。今回はI氏からのたよりをお届けします。メディアが伝えないことなので面白いですね。
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 午後から帰国する客との打合せを終えて、フリーとなった北京の休日。
 地下鉄円明園駅近くにあると、HPで当りをつけた『皮影戯』劇場・記念館を目指しました。ところが、見つけた場所はモヌケの殻、何人かの通行人に聞いても『皮影戯』とはナンじゃ?という反応のみ。かなりの努力をして、ようやく引越ししたばかりであることを警備員から聞きだし、本屋のオバサンから、団員の子供が前を通っていたから、引越し先はたぶん円明園の南門付近であろうと教えてもらいました。
 斜陽期の場末の映画館のような建物の回りに、引越し荷物が散在しており、受付の女性が日本人の客は珍しい、と非常に喜んでくれて60元のチケット(円明園入場券付き)を渡してくれました。HPの住所変更がなかったことについては、笑って不問に付されました(1ヵ月後の今も前住所のままです)。
 上演30分前のステージと客席には、人影はなく、記念館らしきものも閑散。中国人の客も珍しいのではないか?と呟やきながら、時間つぶしに円明園を散歩しました。頤和園と並んで、北京北西に所在する清朝の離宮。最盛期の粋を凝らした名園が1860年の英仏連合軍に蹂躙されたことでも知られています。そんな遺蹟公園を時間つぶしに歩くなど、とんでもない贅沢だと怒られそうですが、遅めの昼食は園内屋台のお好み焼きと素焼きの壷入りヨーグルトという慎ましいものにしたので勝手に許して頂きます。
 
 『皮影戯』とは民間伝承の影絵劇のことで、解説文には、皮影芸術は、西漢武帝時代に、その雛形が誕生し、今日まで2000年に渡り伝承されている。俗に「灯影」、「影戯」等とも呼ばれており、劇に登場する人物や道具は全てロバ皮牛皮を加工彫刻し色を入れて作られている。それを「亮子」と呼ばれる幕に押し付け、操り線や歌、道具を使って物語を表現してゆく、とあります。 「非物質文化遺産(Intangible Cultural Heritage )」と位置づけられていますので、日本で言えば、文楽・歌舞伎・能などの「無形文化遺産」に当るのでしょうか。

 灯りを落とした会場に入ると、子供連れの観客が20人くらい座っていました。一つ目の出し物を「亮子」も向こうで演じたあとに、挨拶に出てきたのは、小学校高学年か初級中学生という感じの子供たちだけでした。舞台裏見学を挟んで、録音と思われる演奏と語りで三幕を演じて、打ち出し。約一時間の異次元体験でしたが、古典芸能鑑賞という先入観で訪ねた者には、かなり素朴で熱心な子供劇に思えました。

 今年の端午節(旧暦5月5日)の休日は6月6日で土日に続いて3連休でした。文楽劇場の制作責任者から京都の大学教授に転じた後藤センセと、共通の友人の立っちゃん(同期入社。会社を辞めて、家業を大きく伸ばしてから、実弟に社長職を譲って、別の起業で悪戦苦闘。ようやくユトリができた昨今です)が上海にやってきました。センセからの事前の要請は、「特に無いのですが、できれば『皮影戯』の調査をしたい、何とか実演を見物できれば幸い」という短いメール。当方も「ナンじゃそりゃあ?」状態でしたが、CS(CUSTOMER SATISFACTION。顧客満足)という商社マンの基本姿勢をクスグル高等戦術にまんまと乗って、先の北京での「諜報活動」となりました。
 しかし、肝心の上海では、身近な中国人に聞くも、やはり「ナンじゃ、そりゃあ?」
「爺さんが話していたかも?」という感じで、上海では断念か、と思っていたら、熱心な人が街はずれの七宝地区で演っているようだという口コミ情報を届けてくれました。
 上海の西郊の青浦・松江区から江蘇省にかけては水郷地帯で、清朝末期までは水運で栄えた町や郷鎮が点在しています。その幾つかが保存されて、「老街」として観光ガイドにも載っています。その一つの朱家角を先ず訪ね、村の城隍廟(鎮守神を祀った廟)で、怪しげな運勢判断の道士に引っ掛かったり、螺旋状天井を持つ昆劇舞台を発見したり、各家の門口の菖蒲の飾り物や粽作りを見物。更には馬桶(マートン。旧来からの室内用簡便トイレ)を堀で洗うシーンを偶然見かけたのは幸ウンでした(馬桶洗いのオバサンからすれば、酔狂な3人のオッサンが対岸から凝視しているのを怪訝に思ったかも?)。

 そして目指す七宝「老街」に移動。人混みを掻き分けてようやく『皮影戯』を上演している小屋に辿りつきました。入場料はなんと5元(65円)。あまりの安さに驚いたのも束の間、6畳くらいの部屋に5列くらい椅子があり、30人強の観客がぎっしり押し込まれました。「亮子」も2mX3mくらいの小ぶりなものでした。しかし、胡弓や笛などの鳴り物は実演、語りも肉声で迫力十分。肉声であるけど、何を言っているかは殆ど分からないな、と思っていたら、子供連れの教育ママ風の奥様が「標準語で演じなさいよ!何が何だか分からない」と声を上げたのに抗して、幕の内側から演者の老人が「昔からうちらは、こない演っているんや!」 と上海語で言い返した(ようです)。
 そんな遣り取りとは関係なく、立っちゃんを初め、半数近くが途中退場。一演目毎の入れ替え制であることに気付いたのは、二番演目を見終えて、興が乗ってきたセンセと二人で居座っているところを、案内係から追い出されてからでした。しかし追加料金は要求されませんでした。そこで三番演目は舞台裏から、6人くらいの年配の演者の手さばき、語り、演奏を覗き見しました。
 その後、整備された記念館を見学、立派に編集された説明書を買おうとしたら、無料で渡してくれました。入場料といい、入れ替え制度の甘さといい、何とも鷹揚な印象が残りました。どうもこれは営利団体ではなく、観光地としての七宝「老街」再開発のための一環事業のような気がしました。その無料の説明書によると、南宋の頃に北方から首都の杭州に伝わり、七宝近辺には清朝光緒帝時代に伝播、その後、毛耕漁(1850~1907)という名手が出て、興行的にも認知され、1920年から30年代には上海市中の大劇場で常打ち公演をするほどの人気であった、その後の内乱、戦争そして革命の時代をくぐり、七代に亘り流派は伝わってきたが、映画やテレビなどの娯楽の普及とともに衰退の一途を辿った、とあります)
 
 「非物質文化遺産」の継承は他所事ならず、日本でもセンセも含めて大変な苦労をされているわけでして、中国においても、北京の子供に演じてもらうやり方、上海の一種のテーマパーク内部で演じるやり方、いずれも一概に是非は言えないな、と思いました。センセの事前の考察は、インドネシアのガムラン(gamelan)音楽とともに演じられる影絵劇が中国に伝わったのではないか?という「南方由来説」なのですが、中国では、独自文化の「北方由来説」が強調されているようです。ただ、いずれにせよ、魯迅の初期作品『社戯(宮芝居)』に描かれているような、農村の人たちのささやかな娯楽の世界の一つであったのでしょう。
 
 帰国当日も、朝から上海の城隍廟をお参りして、廟周囲に広がる豫園「老街」を散歩しました。ところが、その外れの小さな店に、『皮影戯』の影絵人形を売っているのを偶然発見。あくまでも現金決済を主張する店主に、立っちゃんを人質に残して、センセは銀行に走りました。店主の張涛兄さん曰く「お師匠さんが『皮影戯』の演者であり、その指導を受けて制作しているが、七宝での実演は見たことはない、すぐに見に行きたい」とのことでした。     
 旅の終わりに、念願の影絵人形を入手できたので、CS度は上がったことと思います。
 その二週間後にまた、城隍廟の奥深くの店にしかない旨い素麺(一杯8元。精進料理)を食べに行った折に、張涛兄さんの店を冷やかして聴いたら「商売で忙しくて、まだ七宝には行っていない」とのことでした。「あんたのような物好きと違って」という枕詞は呑み込んでくれましたが、顔には書いていたようです。
          
(了)





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