2015年7月29日水曜日

#142 安保法案と世論――大衆は往々にして愚か

 今月の本稿執筆に意欲がなく、危うくノーヒット(執筆ゼロ)になるところでした。
 世間が騒がしい。安保法案を始めとしていろいろあります。通常はマスコミが騒いでいる間は本稿では書かないのですが、今回は諸君たちに訊ねたいので取り上げます。

  ◇ 安保関連法案が衆院可決と反対デモ  

 いつもながら反対派のデモが目立つ。そこでデモ参加者に尋ねてみたい。

1. 衆院で可決された安保関連法案は11本あるが、このうち10本はすでにある法律の補強あるいは補充のためであり、ただ1本の「国際平和支援法」だけが新法だ。これを知っているか?
2. 新聞に掲載された全法案を読んだか?
3. いつもキャッチコピーが巧い共産党の「戦争法案」呼称によって「戦争反対」、「戦前に戻すな」、「徴兵制を許すな」、「アメリカの戦争に加担するな」など看板や紙を掲げているが、どの法案が戦争に導くのか?
4. 個別的自衛権と集団的自衛権の違い、特に集団的自衛権を理解しているか?
5. 2項目ある憲法9条の本文を読んだことがあるか?

 上記の質問5項目について私はすべて「ハイ」であるが、それでも一抹の不安を感じながら法案に賛成している。安倍首相は戦争をしないための法案だと、国会で答弁していることに対し、一理あると思う。つまり、抑止力が利くからだ。
 ある程度法案を理解している私でさえ、全面賛成になれないのは、自国の安全保障について法案が事態の想定に立っていて、想定が間違っていることや、想定を超える事態が起きるかもしれないからだろう。
 ほんのひと昔、冷戦時代には仮想敵国がソ連であった。そのために国土の北方の守りが重視された。ソ連の偵察機や戦闘機が日本の領空を侵犯したが、目的は自衛隊の監視能力を探ることにあっただろう。領土を拡大する野心はなかった。
 それが今は領海や島の支配を目的にする中国が仮想敵国になり、南方の守りが重要になった。 戦後70年、日本周辺の環境が大きく変わったのである。「日本はこれまで憲法9条のお陰で平和にやってこられた」という考えは、時代と環境の変化を無視している。何事においても「これまでやってこられた」ということは、これからもやっていけるということにはならない。官僚組織も企業もそうだ。ここが分かれ目なのだ。

中国の覇権主義、仮想の上の仮想  

 そもそも安保関連法案は中国の限りない覇権主義に対応したもの。日本がここまで守りを固めることができたのは中国のお陰だ。
 中国政府は人民解放軍の圧力によって、南沙諸島を埋め立てて軍事基地を建設することで南シナ海全域を領海化、実効支配を固めた。私の仮想では、次には北上して日中の領海境界線に沿って建設した16基ものガス田開発施設を軍事基地化する。これで実効支配を固めたら尖閣諸島に軍事基地(始めは観測施設が目的だと言うだろう)を建設し、東シナ海の領海化を狙ってくるだろう。
 さらに、青島から上海の沖まで黄海を領海化することだ。これでアジアの海域を中国が支配することになる。彼らの狙いは無人島を実効支配することだから、日本としてはガス田と尖閣諸島に対策を講じなくてはならない。
 他方、黄海も支配されかねないというのに、パク大統領は反日で習皇帝にすり寄るばかりで、中国の野望には盲目。韓国は危うい。
 2,3年前のこと、人民解放軍の将軍がアメリカ軍の将軍に対し、「ハワイの西は中国が、東はアメリカが支配下に置くことにしたい」と公言した。パーティの立ち話で冗談を言ったのではない。中国海軍の心に秘めた野望が思わず出たのだろう。
 日本の領土で最東端に位置する南鳥島は、東京都の行政下にある。東京から1800キロも離れている。自衛隊の航空基地があり、隊員と気象庁職員が20人常駐しているたけで、住民はいない。ここも中国が領有権を主張しているが、日本が実効支配しているので、無人島のようには中国が支配することは容易ではない。しかし、中国が太平洋の拠点として狙っていることは確かだろう。  諸君たちは私の仮想を信じないかもしれない。しかし、考えてみるといい。
 中国のような独裁国家では、その激しい権力闘争がゆえに侵略活動を続けなければならない。世界史においても戦争に負けるまでとどまらなかった例がいくらでもある。中国も国家経済が破綻するまで覇権主義を止めないだろう。

一体、大衆とは何なのか?

 安倍政権に対する支持率が40%に落ちたという。政府は熱心に安保法案を説明し、国民の理解に努めている。ええ加減な世論調査と、その結果、80%は理解していないと野党が政府を責める。しかし、私は大衆の20%も理解しているとは思わない。これから政府がいくら説明しても変わりがないだろう。なぜなら、大衆は真剣に関心を持っているわけではないからだ。
 支持率が落ちたのは、法案そのものより、「与党が強行採決したことは民主主義の否定であり許しがたい」という批判が受けているせいだ。これなど国会採決を野党が欠席したのだから、野党が招いた結果であるのに、大衆はそうは考えない。
 また、維新の党が採決が近くなってから対案を提出したのは、採決の先送り戦術でしかない。それでも「対案の審議を無視した」と言えば大衆に受ける。
  テレビでも出演の識者(昔は進歩主義者と言った)はほとんどが法案反対だから、大衆視聴者も反対に流される。本当のところ、賛成派は少なくないはずだ。
  民意は尊重しなければならない、同時に民意に従うだけでは政治とは言えない。政治とは本当に難しいものだと思う。 以前にも大衆、大衆と書いて大衆を低く見ていると批判を受けたことがある。一般の人々という意味で使っているし、広辞苑には「多くの人」と記されている。愚かな大衆を意味する言葉には衆愚がある。
  さて、若者諸君たちは大衆なのか、衆愚なのか?諸君たちは何者なのか?     (完)     

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