2011年4月25日月曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#13, 5月,2011  浪速国の国際化とは?ーー「うめきた」はいただけない


梅田北ヤードの正式名称が「うめきた」に決まった
 大阪駅北地区まちづくり推進協議会(会長、平松大阪市長)が北ヤードに代わる正式名称を一般公募によって「うめきた」に決めた。これが次世代に残す名称として本当にふさわしいのか?
 このニュースを知った時、私はいかにも大阪らしい泥臭さと、浪速国の外を見ない大阪人の習性を感じた。「うめきた」は飲み屋の名前のようだ。あくまで瞬時の直感だ。そして、考えてみた。
 先ず、北ヤード地区は大阪市民と府民に限られた財産ではない。全関西から全国にまで知名度を高めて経済資源として、また観光資源として生かすためには、それにふさわしい施設と名称が備わらなければならない。
 第二には、北ヤードの名称「うめきた」は梅田新道を「うめしん」と呼ぶ地名とは重みが違う。私は誰がなんと言おうが、浪速の国内でも国外でも「梅田公園」と呼ぶ。南から天王寺公園、大阪城公園、中之島公園に続く梅田公園まで大阪を代表する公園の布陣が整う。大公園が多いと言われる東京の日比谷公園、新宿御苑、神宮外苑、上野公園などにも遜色がない。 
 第三には、さて、「うめきた」はどこまで含むのか?梅田北ヤードを超えて大阪駅の北一帯を含むのだろうか?しばらくの間は、「梅田北ヤード」を引きずり、二重ブランドになるだろう。この際、マーケティングの観点から「梅田公園」にブランド統一するべきだ。二重ブランドについては、天王寺と阿倍野の例から本稿に昨年の11月号で詳しく書いている。

人気投票の功罪と危うさ
 今回の北ヤードに代わる名称は市民公募によって決まった。
 市民公募という形は市長にとっても、支援する財界にとっても安全だ。「勝手に決めた」と言われる批判を受けないからだ。それ以上になんでも公募で決められることが慣行化している。本当に公募が良いのか?
 公募とは、大衆に判断を委ねることだろう。選挙はその最たるものであるが、ここでは触れない。
 公募の危うさは人気投票になりやすいことだ。批判を承知で言うと、大衆は深く考えない。この場合、浪速国を超えて、梅田北ヤードを全国に通用する名称は何か、と考えない。浪速国内で自分たちが使い易い名前でありさえすればよいのだ。要するに、大阪人大衆は国際化されていないと言ってよいだろう。
 次世代に継がれることに関しては、時に一過性の選挙より大事なことがある。先人はこうして大阪の歴史に貢献してきた。
 リーダーには民意を説得するか、あるいは人気に左右されずに決断する覚悟が必要だ。そうでなければ、リーダーの資格はない。

◇ 大衆とは何者か
 私はほかに適当な表現がないので大衆という言葉をよく使う。「人を見下げている」とか「自分を高く置いている」とか批判を受けている。しかし、広辞苑で「大衆」を引くと、「多数の人」と書かれており、蔑視の意味はない。そして、私は自分を大衆の中に入れることもあるし、批判の通り大衆の外に置くこともある。
 言うまでもなく、私は日常の生活では100%大衆である。

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2011年4月18日月曜日

#47 原発事故対策は福島原発公社へーー東電から分離しよう

 JRでも私鉄でも駅に行くと被災地支援のために数人のボランティアが並んで寄付を呼びかけています。ハイ、千円。地元の高校吹奏楽部演奏会に行くと、出口で募金箱を持っている高校生。ハイ、千円。家内が我が家を代表して郵便局から一万円を送金。こうして今日までに一万五千円を寄付しました。
前回に職が決まらない若者を被災地に送るという特定目的の基金をインターネットで創設することを提案しましたが、組織はせめて10人でもいいと望んでも私には方法が分からない。力が及ばないので、結局、寄付することしかありません。
 前回の私の稿も含めて、災害の報道にはうんざり、という意見が寄せられました。それでも、メディアとは違う視点から書きたい。

 管理者はしっかりしろ

1)東電が放射性物質(確かセシゥム)の濃度を規制値の千万倍と発表した。素人の私でさえ間違いではないかと思った。後に10万倍に訂正された。発表前に「ちょっと待て。なんぼなんでもおかしいんじゃないか」と疑う管理者はいなかったのか?

2)東電が原発事故が起きた翌日、経産省に次の原発を建設する事業計画書を提出したという。この無神経さよ。提出する前に待ったをかける管理者はいなかったのか?

3)事故直後に燃料プールを冷却する目的で、自衛隊のヘリコプターが原発に向けて散水した。テレビの映像では、安全高度からまかれる水は広範囲に散ってほとんど原発に届いていなかった。自衛隊こそ迷惑なことだった。なんでもやればいいというものではない。事前に効果がないと言った管理者はいなかったのか?

4)駅前で立つ募金箱を持つ支援者の一人に、「身分証明書を持っていますか?」と尋ねた。「持っていません」と言うので、「誰かリーダーなら持っていますか?」と問うと、「リーダーは居ません。私は市の消防士です」と答えた。消防士を信用して寄付した。市役所でも他の団体でも一人の責任者には身分証明書か、団体の証明書を持たせるべきだ。寄付者が持つ不安を感じる管理者はいないのか?

5)NHKテレビの記者が避難所で被災者にインタビューしている。画面の下の表記文(聴覚障害者のため)には「~してくれる」と書かれる。被災者は「~していただく」、「してもらう」と言っているにもかかわらず。これは以前から毎度のことだ。敬語の誤りに、しかも話し手の言葉を正確に書かないことに管理者は気付かないのか?

6)4月20日、原子力安全・保安院(以下、保安院)が原発事故の国際標準でレベル5から最悪のレベル7に変更した。レベル7と言えば、チェルノブイリ原発と同じで、原子炉そのものが大爆発したケースだ。福島原発では原子炉の外の格納容器でたまった水素が爆発したので比較にならない。上げるとすればレベル6でよかったのだ。この非合理について保安院の管理者は疑問を持たなかったのか?保安院は経産省の下部機関であるから、決定には経産大臣の許可が要るはず。大臣も三役も納得したのか?
 こういう道理に合わない時には裏の背景があることが多い。私はヨーロッパ系の国際原子力機関がレベル7に異論を唱える一方、アメリカの原子力委員会がレベル7の決定に賛成した。八卦見の憶測では、日本に原発事故処理の専門部隊を送り込んでいるアメリカ政府の圧力ではないか。

◇ 福島原発公社に統合されるだろう 
 誰が見ても、今回の事故を収拾するには東電の人材だけでは無理。保安院の人材も大学教授も現場を知らない。疲れきっているはずの現場実働者に交代チームがあるのかどうか。
 そこで、私の提案は東電には電力対策と補償問題に専念させ、原発事故の対応は国の機関とする「福島原発公社」に分離して一元化することだ。公社には東電のほか各電力会社とメーカーから原発関係の技術者に出向してもらう。経験ある退職技術者にも参加してもらう。請負をしている保守専門会社からも技術者と作業者を出してもらう。自衛隊にも専門家がいる。
 こうして公社は日本の英知を集めて原発事故対策の最強チームをつくるのだ。これからの長期戦で得られる技術と知識は日本の国家資産になるだろう。

◇ 世界はなかなか厳しい
 中国を始め、各国が日本への観光をキャンセルしている。また、各国が東北産地の農産物を輸入禁止にした。中でも中国は東京都を含めて対象を関東一円の12都県に広げた。下司の勘ぐりで言えば、これはかつて日本政府が一部の中国農産物の輸入禁止措置を取り、国民が過剰に中国製品を拒絶したことに対する報復かもしれない。
 さらに、ヨーロッパやアジアの諸国が、原発汚染とは関係がない西日本からの工業製品について安全証明書の発行を要求してきた。これに対し、大阪商工会議所が「検査機械を追加して買わなければならない」と発言。彼らも過剰反応しているのだから、まともに対応する必要はない。機械も買わず、人員も増やさず、商議所が従来している原産地証明書に「この産地は被災地から遠く、材料に汚染はない」と一行を書き加えればよいのだ。

◇ 若者諸君、感性と論理思考を磨く機会 
 溢れる災害報道の中で、「おかしいな」と感じる感性と、論理思考を磨こう。

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2011年4月2日土曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#12、4月、2011   国文都市の計画見直しーー決着が本当に難しい

市長選挙でも市民は関心を持たなかった    私が住む茨木市には、前回で書いた安威川ダムのほかにもう一つ大阪府の公共事業がある。それは国際文化公園都市・彩都(国文都市)の建設。 95年にアメリカから帰国して間もなく、この計画について調査研究を始めた。結論は、とても事業として成り立たないということだった。ある与党の市会議員もオフレコで「成功見込みがないかもしれないが、お上が決めたことは止めようがない」と言った。それから私は地元ジャーナル紙で「なぜ事業が成り立たないか?」の理由を書いた。さらに詳しく書いた冊子を発行し、同志を募って市民の会を組織した。あげくに持ち前の実践病が出て、2010年の市長選挙に出馬した。
 
 結果は投票率が前回の29%から5%増えただけで、共産党候補とともに1万票をもらったが、両候補合わせても現職の4万票には届かなかった。久しぶりの民間人候補が出たことで、わずかに選挙を騒がせたに過ぎなかった。もともと投票率が50%を超えないと勝機がないことは分かっていた。それでも投票率に賭けた。 
 支持者の中から、私が掲げた地域経済振興、安威川ダム建設中止、国文都市計画の見直しの三つの主要政策から後の二つは取り下げるように忠告されたが、大阪府にとっても茨木市にとっても将来に禍根を残すことを知っていて取り下げるわけにはいかない。選挙が盛り上がらなくて、落選してもなんの意味もない。屁みたいな選挙になってしまう。  
 選挙運動中には、安威川ダム建設地域の掲示板ポスターが破られ、その他にも何枚か破られた。嫌がらせ電話も来た。その度に支持者に対して「存在感が出てきた」とジョークを言っていた。選挙後、支持者の一人に数人のゲストとともに慰労会を持ってもらった。会食の中で一人のゲストが言った。「公共事業より専門の経済政策を出しはったらよかったのに」と。私は経済政策を第一に訴えていたのにだ。街頭演説で訴えた政策は存在感どころではなかった。 
 今も多数派の市民は両事業について関心を持っていない。2008年の市長選挙では、現職以外に候補が出ず、この規模の都市では異例のことで、現職が無投票当選した。選挙崩壊だった。 
25年後の国文都市    1986年に本計画を推進するために国際文化公園都市建設推進協議会(協議会と略)が設立されてから25年が経った。次いで88年には事業主体になる国際文化公園都市株式会社(会社と略)が設立された。協議会は府、2市、民間企業が毎年寄付することで運営され、寄付者は会社の出資者と同じ。 その後どうなったか? 最近では協議会も会社も府民と市民の税金を使っているのに、ホームページに決算書を出していない。
 丘陵地にある三つの離れ島からなる国文都市は彩都と呼ばれ、西部地区は住宅地として開発された。UR都市機構が全体区画を担当、実際の住宅建設は民間不動産開発企業が行ってきた。人口5千人、一戸建てとマンションが建ち並ぶ景観が美しい。ニュータウン開発としてはまあまあの成功と言えるだろう。
 次に中部地区。国際交流施設、文化施設、研究所の建設に加えてホテルやデパートも誘致し、高名な学者の華々しい推薦文で謳われた計画は頓挫した。誘致した国のバイオ研究所には土地がなかったので、西部地区の外れに急遽変更して建てられた。ここ西部地区にベンチャー企業が数社進出しているが、まだ集積力が出るには至っていない。 土地を所有する会社が資本金30億円を増資したという話を聞かないので、資金がない。土地はまだ造成もされていない。
 10年ほど以前、茨木駅前にある札幌ビール工場のトップであった知人から工場を案内してもらったことがある。工場は手ぜまで、設備は古かった。閃いた発想を彼に投げてみた。「新立地で近代化工場にすれば従業員120人のままでもっと増産できるだろう。思い切って国文都市の中部地区に進出しないか。今は住居地域指定になっているが、準工業地域に変更させることは難しくないと思うよ。今の特等地を売れば投資資金にお釣りがくる」と。 その後、ビール類似の新製品の売上が伸び、本ビールの生産が減少した。彼は役員定年で退職した。私の提案は消えた。
 さらに、数年前ビール工場は閉鎖された。  前太田知事が退任する年に、武田薬品が新しく建てる中央研究所の誘致に動いた。すでに首都圏に自社土地を持ち、人材も手当てしていた同社の計画は決まっていただろう。同社は前知事の働きかけに対し、お付き合いしたのだと私は推測した。当然、西部地区への誘致は流れた。しかし、議会は準工業地域への変更を承認し、前知事の置き土産になった。これでいつでも工場を誘致できる条件になった。無害型の工場なら地域の発展を願う住民も反対しないだろう。
 最後に東部地区。三つの離れ島の中で最大であり、まだ自然の山林のままだ。 土地を先行所有した阪急グループは開発をあきらめた。土地の減価処理もしただろう。UR都市機構も開発から撤収した。完全に開発計画は中止になった。私は市民環境債という名前で市民が山林を買う形の公債を買ってもらうことを提案していたが、いずれ償還期が来る公債は、相次ぐ大企業の撤退で税収が減った茨木市では財政が許さないだろう。 
 さて、橋下知事はこの二つ目の府営公共事業をどう処理するのか?

住民訴訟が出た  
 最近、住民の一人が府と会社を相手取り、国文都市の計画倒れにより住宅価格が下落した損金の損害賠償を求める訴訟を起こした。計画では5万人の人口を謳いながら5千人にとどまることを知らなかったという。私の相場感覚では、良質のマンション3LDKが2500万円くらいで安い。だから完売した。投資による損失補填はできないことが原則としてある限り、気の毒ではあるが、この訴訟には勝てないだろう。

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