2016年2月22日月曜日

#154 中国たよりーー『陸鞨南』を知っていますか

 
 日中間を行き来するI氏が、今回は古い新聞人について紹介します。
 陸鞨南(くが かつなん)は、名前から中国人と思われるかもしれませんが、日本人で明治時代の新聞記者です。私はどこかで名前を見た記憶がありますが、これまで忘れていました。このよう
な人物を今も研究して会合を持つ日本の人々がいることは、日本文化の深さを感じます。
 
 諸君も、今の時代を感じる参考にしてほしいと思います。
   
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 昨年の夏の初めに旧友のTさんから実に控えめに企画展の紹介がありました。その後新聞に比較的大きな企画展の広告が載り、8月に特別講演があることが分かりました。そしてその講師としてTさんの名前が書かれていました。大企業の中国代表としてではなく、陸鞨南研究会主筆・筑波大学客員講師としてのTさんに気付かされました。7月の帰国の際に、横浜関内の重厚な洋館にある日本新聞博物館へ赴きました。充実した企画展示を見て、気合を感じる解説書を求め、更には「司馬遼太郎・青木彰の陸鞨南研究」と題するTさんの文章を拝読して、孤高の新聞「日本」とその主筆であった陸鞨南を発掘し、研究して紹介しようとする人々の熱と力に圧倒されました。   

 新聞「日本」――。陸鞨南(くが かつなん)が明治22年2月11日、大日本帝国憲法発令の日に誕生させたこの新聞は、度重なる発行停止処分にも屈せず、皮相な欧化主義を批判するなど、この国の進むべき方向を示し続けました。また、羯南の厚情を支えに、正岡子規は阿鼻叫喚の病苦の中で俳句や短歌などの文学革新を成し遂げました。 ――日本経済新聞(夕刊)2015年6月20日) 
  政府や政党など特定の勢力の宣伝機関や、営利目的の新聞ではなく、自らの理念にのみ立脚した言論報道機関たる「独立新聞」を目指しました。(中略)羯南、子規亡き後、俊英たちは内外の主要新聞に散り、こんにちの新聞の基礎づくりに貢献しました。

 展示会解説書 巻頭言「開催にあたって」ーー独立記者 陸 羯南。陸羯南は現在の青森県弘前市出身。格調高い政論で明治期の言論界をリードしたが、評論家でも、政治学者でもなく、どこまでも「新聞記者」であった。 「国民主義」を掲げ、日本独自の国民精神の発揚と国民団結を訴えるなど、「日本の近代化の方向に対する本質的に正しい見透し」(丸山眞男「陸羯南‐人と思想」)を示し続けた。いま一つは、羯南自身が「新聞記者の『職分』を作りだそうとした」(有山輝雄「陸羯南」)。

 松田修一『道理と真情の新聞人 陸羯南』(東奥日報社)ーー青木先生が亡くなったあとの形見分けの席で不肖の弟子の私たちは、司馬さん、青木先生からの宿題〈陸羯南と新聞「日本」の研究〉を前にして、正直、途方にくれた。――高木宏治〈宿題「陸羯南研究」に答えていく〉

 『遼』 司馬遼太郎記念館会誌 2015年秋季号 ーー産経新聞の京都・大阪にいた司馬遼太郎と、同じ産経新聞東京の青木彰部長は、『竜馬がゆく』の執筆準備の過程で意気投合し、その後『坂の上の雲』『菜の花の沖』をコンビで完成させています。青木彰氏が筑波大学に転じて情報学の指導を行ったことは、『街道をゆく42三浦半島記』に記されています。陸羯南については、同じく『街道をゆく 41 北のまほろば』でも触れています。(「週刊朝日」は子供の頃からずっと家にありました。中国への出張の折には常に朝日文庫版の『街道をゆく』を携帯していました。しかし、陸羯南については昨年までは白髪ぼかしのような記憶しか残っていませんでした)
また正岡子規の死後に、妹の律の養子となった忠三郎さんを軸に正岡一族や関係者を訪ねて綴った『ひとびとの跫音』(司馬遼太郎・中公文庫)で陸羯南ゆかりのエピソードを知ることができます。忠三郎さんは、正岡子規の叔父の加藤拓川の三男。加藤拓川は陸羯南とフランス語を学んだ親友であり、欧州行を前にして伊予松山から上京したばかりの正岡子規の後見を陸羯南に託しました。 司馬遼太郎は週刊朝日に『街道をゆく43 濃尾参州記』の連載途中に亡くなっています。陸羯南について関心を深め、津軽などの関係先に赴いて準備をしていたのでしょうが、小説化する前に時間切れとなりました。青木教授も研究論文の目次まで準備しながら継続できず、Tさんたち弟子に宿題を残すことになりました。
 2月7日の弘前は朝から乾いた雪が降りました。お城近くのコーヒー店で雪見珈琲をしながら時を待ちました。旧軍の師団長官舎で敗戦後は進駐軍に徴用された歴史的建造物も、その日は受験生支援の場所になっていました。 11時に弘前市立博物館での企画展〈陸羯南とその時代〉の会場で高木さんと合流し、地元の陸羯南会の館田会長や三上学芸員の懇切なご案内や説明のお蔭で2時間があっという間でした。Tさんたちが「発掘」した資料もありましたが、横浜での展示会とは異なり陸羯南の出身地ならではの独自性を感じました。三上学芸員には様々な質問に応えてもらい、素人意見も聴いてもらった御礼の準備がなく、読みかけの伊集院静『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』(講談社文庫)を受け取ってもらいました。この本は親しみの湧く文体で子規とその仲間の青春を描いているような気がします。陸羯南も子規の指導者そして庇護者として描かれています。
  館田会長のご厚意で、年に一度の陸羯南会の総会に飛び入り参加させていただきました。2時からの総会の前に、青森市の東奥日報本社からマイカーを飛ばして駆け付けた松田修一さんと会えました。横浜での気合いの籠った展示会解説書を編集された方で、展示会終了後に、解説書を10冊だけ特別手配して貰った経緯もありました。解説書は上海のメディア関係者を囲んでの会合(蛻変の会)で記者の皆さんへの参考資料として差し上げています。 松田さんとは当日朝刊の一面コラムのことや俳句季語のことなど、Tさんを挟んでざっくばらんな話が弾みました。新聞社ではインフルエンザ罹患者が多く、てんてこ舞いしているとのことから、若い頃に読んだ石橋湛山の戦前の評論に「黴菌のせいではなく、黴菌に冒される身体が問題だ」と云う意味の文章についてうろ覚えのことを喋りました。
 後日、松田さんから『石橋湛山評論集』から「黴菌が病気ではない。繁殖を許す体が病気だと知るべきだ」というくだりがすぐに見つかりました、という連絡を貰いました。 松田さんは2月13日に〈陸鞨南とその時代〉展の記念講座でお話しをされます。多くの聴衆が上述の『道理と真情の新聞人 陸羯南』(東奥日報社)や解説書を購入されることを期待しています。 総会後の懇親会、そしてその後の反省会にも同席させてもらい、多くの方から色んな貴重なお話を聴かせてもらいました。まさにオーラルヒストリーの宝庫のようでした。 学生時代の夏の宿題、新任講師の中井英基先生の指導の下、幕末からの国権と民権の流れについて素朴なレポートに試みました。中江兆民と頭山満、幸徳秋水と内田良平などの対比を試みました。その折に福沢諭吉と陸羯南も採り上げようとしましたが果たせなかったことも思い出しました。奇しくも中井先生は北大から筑波大学に転じて、先日お会いした時には筑波大学名誉教授の名刺を頂戴しました。
 翌日横浜に戻ると、街は鉦や太鼓で獅子が舞い、爆竹を鳴らして春節を祝っていいました。馴染になった景珍楼のマダムもご祝儀の紅包を門口に貼り付けて獅子舞を待ち受けながら、忙しいのに従業員は帰国帰郷した、なかなか風邪が治らないと大きなマスク越しにぼやいていました。「黴菌は病気ではない」とは言わず「新年快楽!保重健康!!」とだけ声をかけました。    (了)

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2016年2月7日日曜日

#153 大統領選挙と「刑事コロンボ」----アメリカはますます金持ち天国

 
 いよいよアメリカ大統領選挙の党員集会と予備選挙が始まりました。
 私は滞米中に4回の大統領選挙を身近に見たり、アメリカ人の声を聞いてきましたが、今回の候補選びには明らかにアメリカ社会の変質を感じています。
 どこが変わったのか?  
  そして、次世代の諸君は日本の社会をどう変えたいですか?

◇ 共和党トランプ候補の人気  

  大統領候補の選挙運動は11月の投票日の1年前から始まる。翌年2月、今頃からアイオワ州の党員集会を皮きりに、7月の全国大会で党の大統領候補が選ばれるまで、各州の党員集会または予備選挙が延々と行われる。
   党員集会ではトランプ候補の支持率が落ちて他候補に僅差で2位になるという意外な結果になった。
 アメリカの長い選挙運動中に、メディアが徹底的に経歴を調べあげて暴露することから、例えば、不祥事、不倫、嘘がばれて撤退させられる破目になることは珍しくない。トランプ候補も経歴を洗われている中で、一つメディアが報道しないことがある。
 あれは私が滞米中の1980年代、トランプは祖父の代から受け継いだ不動産事業に加えてカジノ、航空会社など過大な投資をして会社を破産させた。本人も自己破産した。これは事業だから仕方ないが、問題は破産しても、年額50万ドルの生活費を生活権として裁判所から認可されたことだ。当時、平均の年所得は4万ドルくらいの時代だ。メディアも市民の間でも批判が高まった。私も理不尽だと思った。会社破産でも自己破産でも、出資者に対して、言わば、借金を踏み倒したのだ。
 メディアは忘れたのか、違法ではないので批判しないのか?アメリカ市民も忘れた。 それからカムバックした彼が「不動産王」と呼ばれている。彼にはアメリカは天国なのだろう。

  ◇ 民主党サンダース候補が善戦  

 他方、民主党のサンダース候補はこれも本命のクリントン候補にわずか1%の差に詰めよった。  
 私には社会主義者と称するサンダース候補の肉薄に驚いた。以前には考えられない結果だった。
 アメリカでは社会主義者は嫌われる。私が見てきた民主党候補のエドワード・ケネディ上院議員が最良の候補だった。彼は裕福なケネディ家の出身でありながら生涯弱者に肩入れし、社会政策に力を尽くした。情熱的な演説と千両役者のような風貌で人を引付けた。 しかし、社会主義者とか左派のレッテルを貼られて全国大会で敗れた。
 一方、カリフォルニア知事を経験した元映画スターの共和党リーガン候補は3度目の挑戦で共和党候補に選ばれ、そして大統領になった。保守または右派の時代だった。 今、社会主義が表面に出てきた。アメリカは変わった。

◇ 「刑事コロンボ」とアメリカ社会

 今、民放BSテレビ曲でアメリカでも人気があった「刑事コロンボ」が毎日夕方に放映されている。滞米中に観たものもある。  アメリカの会社の同僚から勧められたのがきっかけで英語の勉強に役立ち、会食の席でもよく話題になったのでよく観た。このドラマが人気を博したのは、野心いっぱいの俳優、弁護士、芸術家、医者など成功者が完全犯罪狙いの殺人を犯し、コロンボに仕掛けを見破られて破滅する物語だ。広大な庭園に囲まれ、大邸宅に住み、ベンツのコンバーチブル(オープンカー)やロールスロイスを乗り回し、別荘を持つ彼らの生活が一見華やかに見えながら、実はぎりぎりの生活であり、金のために殺人をしなければならない。それがコロンボによって崩されていく。 一般の市民に快感を与えてくれ、共感を覚えるのだ。
 他方、コロンボと言えば、よれよれのレインコートに着古した背広で、ワイシャツに古いネクタイのいでたち、車も年代物の小型プジョー(フランス製)という設定。そして小男ときている。虚栄の金持ちからは低く見られ、職務上行く高級レストランでは差別扱いを受ける。庶民にとって正義の味方なのだ。
 「刑事コロンボ」は週に一回、一度中断されたが、復活して計79回が放映され、テレビドラマの秀作になった。  私はロスに住んだことがないからよく分からないが、住んでいた町でもペンシルベニア州でもこんな大邸宅に住み、派手な生活をする金持ちを見たことがない。

アメリカは変わるのか

 ここ10年かそこら、アメリカ社会では統計からも明らかに貧富の格差が広がった。富の集中はすさまじいらしい。 アメリカに住み始めた頃、アメリカ人は金持ちに対する妬みがすくなく、むしろ尊敬の念を持っていると感じた。それが社会主義者の台頭により、どう変わるのだろうか。
  日本でも貧富の格差が広がっていると言われる。しかし、日本の金持ちはそれほど贅沢な生活をしていないように思う。                (完)  

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