2016年6月25日土曜日

#162 プエブロ族に見た信仰――日本人の宗教を見直す

 4回続けて信仰・宗教について書いてきました。今回か゜最後になり、これで書き遺すことはありません。悩める若者諸君に贈ります。

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 人は時に信仰を求めて旅をする。四国や熊野古道を旅するお遍路さんはその一つだ。スペインにもある。信仰を求めなくても、旅の中で信仰に触れることがある。 私の旅はそのように、結果として、信仰とは何か、という長い信仰遍歴に示唆を得ることになった。
  家族と私が長年住んだペンシルベニア州北端の町では、三月はまだ寒い。津軽海峡と同じ北緯43度上に位置するが、札幌より寒く、時に気温が摂氏零下20度にも下がることがある。
 90年の初め、勤めていたアメリカ企業を退職、会社の顧問と役員を務めて数年、一息ついて避寒のバケーションを取り、家内とともにニューメキシコ州に出かけた。 周囲の友達は真冬には毎年フロリダやアリゾナに行くが、私と家内がこの年ニューメキシコを選んだのは、かねてからこの町の大学からニューメキシコ大学に移った友達から招かれていたからだ。
 ナバホ・インディアンの伝承物語の研究者である彼、ポール・ゾルブロッド博士は、20年に及ぶ現地調査に基づき、ナバホの創世記を書き上げた。この著作はアメリカでは最も権威があるニューヨーク・タイムズ日曜版の書評で高い評価を得ていた。
 この創造性と空想に満ちた本を読んだ私は、日本の出版社に紹介し、日本語訳『アメリカ・インディアンの神話』(金関寿夫、迫村裕子訳。大修館書店刊。1989年)の出版が実現した。因みに、彼の兄である戦後第一世代の日本学者レオン・ゾルブロッド博士(故人)は『雨月物語』の翻訳者として知られる。ブリティッシュ・コロンビア大学や東大の教授であった。  
 さて、私たちの旅はアルバカーキ空港でポールに出迎えられて始まった。厳寒の冬装束から夏の半そでシャツに着換えて、この日から六日間アルバカーキとサンタフェに泊ってゆったりとあちこちを訪ねる予定であった。ポールが一日付き合ってもらえるとのことで、予約してあったレンタカーを二日間キャンセルした。
 翌朝、ポールの車で出発した。広大な大学のキャンパスを案内した後で、彼が面白い場所、インディアン部族の保護地に案内すると言う。 後でわかることであるが、これには前段の話をする必要がある。

 彼が大学を変わる前に、私が十七年余り住んでいた町では、彼と私はユニタリアン教会に通っていた。ユニタリアンはヨーロッパを発祥にする超宗派の教会であり、アメリカではボストンに本部がある。各地の教会は地域独自に運営され、緩やかな連帯で結ばれている。わずか2万人の町に大きな建物の教会があるのは、18世紀半ばに近郊において世界で初めて地下の油層から原油を汲み上げる技術が開発され、石油産業が勃興したことからとてつもなく豊かな時代があったからである。こういう時代に金持ちがこの町に無宗派の牧師を養成する学校を建てた時、教会も建てた。          郊外を含めると、8万人の郡全体には70もの教会があると言われる町では、保守派のキリスト教会を除けば、どの教会も財政難を抱えていた。 
 特にユニタリアン教会は慢性的に財政難に苦しめられていた。ポールと私も理事として資金集めに苦労してきた。ある時、理事会で理事の一人がジョークを言った。
 「大体ね、日曜礼拝で献金を求めるのに、柄杓(ひしゃく)(棒の先端に舛がついている)を遠慮がちに出しているから、金が集まらないのだ」。別の理事が後追いした。 「いや、それだけじゃない。ユニタリアンは何をするにしてもだらっとして締りがない」 、 「個人に自由な信仰を求めるリベラル宗派の宿命だよ」  
 実際、私が友達の子女の結婚式に出席したキリスト教会ではどこでも、柄杓を持った当番が兵士の行進のように通路をきりっとして歩き、さっと長い柄の先端についた小箱を出してきた。献金する人たちもさっと現金や小切手を入れるものだ。
 ポールと私は自由信仰の信奉者として共感を持ち合える間柄であった。
 因みに、日本には明治時代に福沢諭吉によってユニタリアンが一時広められたが、その後衰退した。福沢諭吉が慶応義塾大学を設立した時にユニタリアン大学も名称の候補であったことが文献に残されている。
 余談はこれくらいにして私たちの旅に戻ろう。
 車は4〇号線を西に向かっていた。市街地を出ると、四方が赤土色の砂漠になった。西部の空はどこまでも青い。いつでも道端の花や木について旅のメモを取る私も、文に書きようがない景色だった。ポールの著書について私が質問した。
 「ナバホの創世記については、古くから人類学者の論文があることを聞いている。あなたの著書はこれらとどこが違うの?」
  「話せば長くなるが、結論を言えば、これまでの研究者たちはナバホ創世物語の筋にとらわれて、祭礼で語られる詩的な要素に気付かなかった。これに対し、私は祭礼が行われる暗闇の中、物語を聴くうちに、そこでは声の響きや韻こそが生命であることに気が付いた。考えてみれば簡単なことであるが、文字を持たないインディアンにとっては音声がすべてなのであり、つまり、全体が詩であるのだ。このことに気付いてからは、ナバホ語を勉強し、できる限りナバホ語の音を英語の音に近づけようとしたのだよ。すべて成功したわけではないが、彼らが踏んでいる韻を英語の韻に置き換えようとした。文も原型に忠実に区切る形にした。詩的文学として彼らの文化を表現しようとしたんだ」
  「つまり、文化人類学の論文ではなく、文学に仕立てたということだね」
  「そう。これまで我々が文化という時、我々が知っている範囲での西洋文化にしか結びつけられない」
 「言うなれば、我々は自分の価値観でしかナバホの文化を見られない」

 こんな会話をするうちに目的地に着いた。そこは砂漠の平原の中にあるラグナというプエブロ部族の保護地だった。私はてっきりナバホ部族の集落だと思っていた。なぜ彼が私をここに連れてきたのか分からなかった。 事務所のような建物で係員から説明を聞くと、ポールが案内して歩き始めた。係員からカメラによる撮影はよいが、ビデオカメラの撮影は禁止されていると注意を受けた。
 なぜなのかは質問しなかった。 家内と私はポールの後に続き、赤茶けた小山を登り始めた。道は赤土と小石だけだった。日差しが強い。30分も歩くと、わずかな平地がある山上に出た。そこには巨大なキリスト教会と小さな集落があった。 プエプロ部族の集落にキリスト教会?、と驚きの表情を見せる私に、予期していたようにポールが説明を始めた。
  プエブロ部族全体がキリスト教徒であると言われる。他部族にはほとんど例がない。 17世紀末にそれまで地域を支配していたスペインに対してプエブロが反乱を起こし、サンタフェからスペイン軍を駆逐した。その後10年の間、プエブロが自分たちの土地を統治したが、部族内の権力争いの末、包囲したスペイン軍に降伏した。この時、和睦の条件としてプエブロ部族全体がキリスト教に帰依することを強制された。プエブロは降伏した後も、彼ら独自の信仰を守り続けた。彼らは他の宗教より、かなたの山上に存在するという神を崇めた。 ポールが話を終わった時、巨大な教会の高みから眼下に広がる平原を見下ろしながら、私が質問した。
 「メキシコでも南米でも、絶対一神教のキリスト教を過酷なまでに強制した当時のスペインが、なぜプエブロには緩やかな対応をしたのだろうか?」
 「うーん、私は歴史学者ではないからよく分からないが、推測で言うと、スペインは反乱を再び招いて軍隊の犠牲を払いたくなかったのだろう。さらに、ここから北東に100マイルのサンタフェには、東から有名な歴史街道になっているサンタフェトレイルが延びてきたことで、アメリカの圧力が押してきていた。ほら、この教会はアメリカ軍の侵攻を見張るには最高の砦だったのだよ」
 「他方、プエブロもキリスト教を受け入れることで、部族の安全と、彼らの自然信仰を守った?」    
 「多分、そう思う。ほら、この大木の柱を見ると、彼らの信仰の強さと信念が伝わってくるようだ」  と、彼が教会の柱を指して私に言った。
 彼が続けた話では、プエブロの何十人もの男たちが、かなたに見える山から柱材となる巨木を引きずって運んできたのだという。その山には彼らの神が居る。彼らには柱は神木であったかもしれない。
 夕方、帰路に着いた。陽光で周囲が赤く染まり始め、薄闇の神の山から大きな太陽が昇る来光の荘厳さを思い浮かべた。快適な高速道路に入ると、会話を始めた。 
 「ポール、あなたは著書によって、我々が低く見てきた口承による物語にもっと高い評価を与えようとしたのだと思う。私は山上の教会であなたの説明を聴いていた時、突然身体に霊感のような衝撃を受けた。それはね、我々は彼らの尊い信仰に対しても低く見てきたのではないか、と」  「そう、プリミティブ(原始的)などと呼ぶからね。彼らの伝承創世記もプリミティブと見られてきたのさ」  「私は長年信仰について揺すられてきた。特に、ユニタリアン教会のメンバーになってからはそうだった。説教ではよく『あなた自身の教会を心の中につくれ』なんて言われてきたからね。(二人が笑う)しかし、プエブロ流の信仰こそ世界標準ではないかと思う」  
 「世界標準とは?」  「標準を信仰の基本と言ってもいい。つまり、プエブロは単に武力に対する保身からキリスト教を受け入れたのでもなく、混合信仰でもない。ごく自然に受け入れたのかもしれない。私が閃いた発想では、信仰と宗教は違うのだよ。信仰とは自分が神を畏敬してその前にひれ伏すような本源的なもので、それが自然神信仰であり、その下に生き方の規範として宗教がある。自然信仰の対象は、宇宙神、太陽神、山の神、海の神など民族や個人によってさまざまだ。ただ、私はこういう考えを人に勧める気はない。心の中にしまっておく」  
 「自然信仰は有史以来何千年もあるのに比べ、宗教は二千年でしかないね。自然信仰を原始的とか土着的と呼ぶから低く見てしまうのだろう」
 「そう。普遍的とか、本源的と言ってほしいね」  ここで急に思いついて私が話を続けた。
 「例によって私の話が飛ぶが、ほら、ゴッドファザーの映画の中で、カトリックの枢機卿が水に浸かった小石を取り出して言うシーンがあっただろう。『この石は水に濡れているが、こうして割ってみると中は乾いている。ヨーロッパのキリスト教世界でさえ、信仰心は中まで入っていないのだ』と」  「そう言えば、私も憶えている。早い話、愛とか慈悲の心はどの宗教も教えているが、現実には心の中まではなかなか入って行けない。それであなたの信仰は?」  私はひと呼吸置いて言った   
 「プエブロと同じであることが今日わかった。もともとの原体験は中学生の時、理科の授業で先生が天文学について話していた。なぜ太陽は燃え尽きないのか?なぜ太陽系で惑星の整列が狂わないのか?なぜ全惑星が平面に並んでいるのか?銀河系に太陽のような恒星が何億もある?あり余る疑問に頭が狂いそうになった。子供のことだから、これで私の頭では手に負えない、これで科学者になる夢を捨てた(笑い)。同時に、誰が宇宙を統べているのか?宇宙の神だ、と思った。 これが信仰心のもとになった。後は、キリスト教、仏教、そしてユニタリアンと宗教遍歴をしてきた」  二人が笑った。  アルバカーキのホテルに着くと、ポールに礼を込めて夕食に招いた。そして、別れた。  翌日から、芸術の町と呼ばれるサンタフェで4日間過ごし、真冬の町へ家路についた。   
 あれから30年余、大阪から富山に引っ越してから浄土真宗の寺で法話を聴く機会が増えた。一人の住職は若者の宗教離れに対して、集会でさまざまな話題で話をした 寺でもどこでも若者が仏法に接する機会をつくっているという。  
 この時、アメリカで親交があった真宗の住職がアメリカ人に、真宗とは関係がない座禅を教えていたことを思い出した。彼も「アメリカ人が寺に来て少しでも仏法に触れる機会になればよいのだ」と私に言ったことがある。彼は後に北米地域で最高位の僧になった。
 アメリカへ来る日本人が、アメリカ人との会話で「私は宗教を持たない」とか「無信仰です」と言う。どちらも信仰には関心がないと受けとめられる。日本では宗教は家族の宗教であることが多いが、誤解をされないように、例えば仏教宗派てあると答えてほしい。誰にも信仰心はあると思うからだ      
                  (完)  

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2016年6月3日金曜日

#161 神道と神社ーー国粋主義政党の危険はあるか

 全国に約10万もの神社があると言われます。  その中、約9割を神社本庁が統括し、残る1割は独立系です。もともと日本の歴史ではほとんどの神社が独立の存在であり、地域の神社であったのです。「神道」という呼称も明治以前にはありませんでした。
 今回は宗教と国家の関係について書きます。仏教についてもさまざまな話題を提供して、一連の信仰・宗教について述べてみます。
 若者諸君、古今東西のどの国でも大衆は過度の愛国主義に引っ張られるものです。次代の日本は諸君が守るのです。

◇ 神社本庁と政治

 明治政府が国家の統一のために、全国すべての神社を国家機関の「神祇院」の下に統括し、国家神道の原点になった。戦後、GHQの指令により神社組織は解体されたが、民間の宗教法人「神社本庁」が設立された。  神社本庁は神社の宮司に対し、資格の免状を交付するだけでなく、大神社の宮司任命の人事も行い、今日では強大な組織になっている。表向きは政教分離とは言え、裏では政治権力と深く結びついている。
 例えば、「日本は天皇を中心とする神の国」と発言した森喜朗元首相が属する「神道政治連盟国会議員懇談会」には300人余の国会議員が会員だ。民進党保守派の議員も参加している。現閣僚20人のうち16人が会員だ。
 また、「神道政治連盟」にも多くの国会議員が会員だ。
 さらに、「日本会議」という右派系の民間団体には宗教界、経済界、政界、元官僚、学者の人材など1000人以上が会員で、日本最大の保守政権支援組織だ。

◇ 日本にも極右政党?

  移民政策を誤る、今以上に貧困層が拡大する、若者の失業者が増えるなど社会不安が大きくなると、左翼勢力が台頭するだろう。これに対し、今ヨーロッパ各国で起きているように極右政党が日本でも生まれるかもしれない。 今はマスコミがつくる世論、教育界、仏教界が極右に対して抑止力になっているので、 保守派の安部政権は比較的穏健な政策を取っている。しかし、将来にはどうなるかわからない。
 諸君は政府や保守団体が「神国」、「愛国」、「天皇崇拝」、「大和民族」を強調する事態になれば、警戒してほしい。

◇ 私と一般大衆の寺と神社

  過日、知人と会っていた時、雑談が偶々法事の話題になった。彼は「年回忌も戒名も日本で昔の坊主が金儲けのためにつくったんだよ」と言った。彼はこう言いながらも忠実に法事を営んできた人だ。
  私はこのことが気になってネットで調べてみた。 なるほど彼が言うように、百ヶ日、一周忌、三回忌の三つの法事は中国の儒教の影響によって日本に持ち込まれ、七回忌以降は日本で寺が始めたことが分かった。また、戒名(または法名)は、本来仏門に入った証であり、戒律を守ることを誓う儀式であった。これが日本では故人に授ける風習に変わった。
 さて、私はと言えば、親の祥月命日には家内(僧侶の資格)にお経をあげてもらい、親譲りの仏壇に花も供えてお参りする。 年回忌については、三回忌まではやったが、以降は引っ越しと体調不良のためやれなかった。これからもやることはないだろう。年回忌はなかなか会えない親族と旧交をあたためる良い機会と思う。
  私の神社へのお参りは信仰と言えるかどうか。 どこでも地元の神社が行う祭りにはあの雰囲気が好きでお参りする。 伊勢神宮にも出雲大社にもお参りした。伊勢神宮の境内のたたずまいにはいつも心を打たれる。これには抗しがたい。近所の護国神社にもよく行く。四季折々に樹木の花が咲き、心が安らぎを得られる。どこでも五穀豊穣、家内安全、無病息災、国家安泰、世界平和を祈る。 もともと神社の多数は鎮守の杜にある村落の神社信仰だった。寺とともに神社は村人をつなぐ絆だった。
 他国から神社信仰は、宗教ではないとか原始的、もとはつくり話の神話であると言われようが、他の大宗教の経典、聖書やコーランにも史実ではない神話がたくさんある。信仰や宗教のあり方はどの宗教にも特有の文化なのだから、理屈を言うことには意味がない。祈りは世界の万人の宗教に共通している。
 私は日本人の宗教への接し方は、ごく普通の大衆の一人であると思っている。

◇ 地域と若者への貢献

  帰国して間もなく、市役所や婦人会などから講演に招かれた。主にアメリカの地方 生活を話題にして話した。そこで「アメリカの町を支えているのは何か?」という質問に対して、「教会、学校、地元新聞の三つでしょう」と答えた。
 例えば、数多くある教会の中で六つの教会が連携して「スープキッチン」を行っていた。他の教会グループも参加し、毎日昼食をホームレスや貧困層に無料で提携していた。教会が組織すると、町のスーパーが売れ残りの食材を寄付した。家内も属する教会の担当日に奉仕していた。名前も問わないので誰でも昼食を取れる。教会がリーダーとして組織していた。
 さて、日本の寺は地域のリーダーになっいるか?若者の助けになっているか?
 多分、人も若者も寄ってこないと言うかもしれない。しかし、商店では「お客が来ない」などと言っていては商売にならない。当然なんとかするだろう。  寺もなんとかできるだろう。      (完)  

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