2011年9月28日水曜日

#57 経済政策こそ最重要課題ーー経済が震災と原発事故を支える

 若者諸君、どうか慎重に読んでほしい。今回は問題発言と取られかねない内容を含みますが、私が信じることを書きます。次代に深くかかわることです。

◇ 新内閣も経済政策より原発事故対応に偏重
 今月発足した野田内閣には、首相を除く17人の閣僚には原発担当と震災復興担当の2人の大臣が含まれる。その他原発と復興にかかわる会議体や委員会が置かれている。
 他方、震災復興を含む国家経済の根幹を担う大臣は経済産業大臣だけで、しかも農業が専門である前大臣は舌禍で辞任した。この任命をまったく理解できなかった。しかし、幸いにも更迭するきっかけになった。私は経済で救国の任に当たるには、通産省のエリート官僚であった岡田前幹事長が最適だと思っていた。
 新大臣になった枝野前官房長官は、弁護士で経済の経験がなく、その上、官房長官の時に原発事故対応に深くかかわった。彼の思考には原発がつきまとうだろう。しかも東電の管轄は彼の職務範囲だ。こう見てくると、政府の組織と戦力は国の経済復興より原発対応に偏重していることが分かる。言い換えれば、震災復興と原発対策には充分対応できる体制になっており、しかも目に見えやすく、一本にまとまっている課題だ。
 他方、経済政策には諸説があふれており、今なお議論の段階にとどまっている。政府は議論するだけで決められない。従って実行もできないでいる。いや、民主党政権になってからこんな状態のままだ。今、経産省は素人大臣が辞任したり、改革を訴えるエリート官僚が退職に追いやられたことで批判の対象になっている。この国家の経済を預かる経産省自体がトラブルなのだ。しかし、見方を変えると、企業経営でもそうであるが、トラブルの時こそ改革のチャンスなのだ。枝野大臣は権限のもとで何でもできる。
経済とは経国済民(または経世済民)のことであり、つまり国を経営し、国民を支えることを意味する。
 経済再建によって税収が増えることは、震災復興と原発対応にも支援になる。経産省は震災と原発を他に任せて、ひたすら実効ある政策を立て、果敢に実行してほしい。

◇ 反原発は世論の支持を受けやすい
 本稿#55で「原発ヒステリー」とぎらつくタイトルを付けたこともあって、予期通り評判が良くない。私が原発推進派に取られた。それではどうするんだ?という質問を受けたので私の考えを述べてみよう。
 先ず、今ある原発を段階的に廃止し、将来は全廃する。おそらく30~50年くらいかかると言われる。
 第二に、新規に建設しない。新規建設を止める結論によって代替発電の開発が進むだろう。
 第三に、既存の原発は古い順に廃止していく。従来の安全基準に立地によっては津波対策を強化する。
 第四に、放射能廃棄物の再処理技術の開発を継続し、世界で最高水準の新技術を開発する。

 日本の原発は安全である、と言えば反論されるだろう。しかし、工業施設の一般的安全性から見れば、原発は安全である。福島原発の事故は対応を誤ったことによる突出した例外だ。
 他方、化学プラントも事故を起こすし、飛行機だって墜ちる。我々はそういう世界に生きている。原発との共通点は、時に起きる小事故が保守技術によって修復されていることだ。そして決定的な違いは、原発が最悪の場合に放射能漏れを避けられないことだ。だから原発はいつか廃止しなければならない。この点については国民の総意がある。

◇ 野田政権は民意を超越できるか 
 いずれ総選挙がある。衆参同時選挙も言われている。
 もし候補者が私のような意見を演説で述べれは落選するだろう。まして選挙基盤が弱い小沢グループを中心とする当選一回議員にとってはなおさらだ。だからと言って、民意の支持がある性急な反原発が本当に問題解決になるだろうか?
 現在、国の経済を支える企業は円高、電力不安など4重苦とも6重苦とも言われる困難に見舞われている。このままでは税収も増えない。震災復興と原発は担当組織に任せて、政府と経産省は国全体を見て有効な手当てを迅速に尽くしてもらいたい。
 緊迫した財政状況においても、文部科学省は来年度予算の概算要求で全学校に緊急地震速報を設置するのに75億円、全小中校の耐震化に1500億円、小学校に放射線測定器を配るために7.4億円を盛り込もうとしている。これらは震災に悪乗りしているようなものだ。なぜ緊急度の順に、例えば、3年計画としないのか?こんな例は他の省庁からも出てくるだろう。大臣と官僚も歳出削減の時代認識が足りない。
 党内野党を抱える野田首相は、従来型予算編成を変えるのにひと苦労を強いられる。予算枠に縛られる企業経営者なら、誰もが「選択と集中」のキーワードを認識している。野田首相にこの言葉を贈りたい。

◇ 若者よ、アクションを起こせ 
 最近、政府関係者から雇用創出の言葉を聞かない。ここで私のささやかな提案をしてみたい。
 一つは、失業中の若者に運転免許証を国費支援で取らせること。返還を求めると回収に役所の事務コストが増えるから渡し切りでよい。こうすれば職種の機会が広がり、いずれ所得税によって投資を回収できる。
 もう一つは、海外から受け入れる研修・技能実習の制度を一時中止することだ。本当かどうか、中国からだけでも20万人になるという。多くの中小企業では労働者として使っている。中には最低賃金の半分しか支払わず、長時間労働を強いている。彼らは本国で職が得られないので日本に出稼ぎに来ているのが実態だろう。私がかつて改革の経営者を務めた中小企業でも技能実習というより、労働者として使っていた。
 明らかに賃金格差を悪用して日本の若者の雇用機会を奪っている上、日本政府が補助金を出しているという悪制度だ。中国人が帰国後に反日感情を持ったのでは投資効果もない。
 滞米中に80年代不況と呼ばれた時代を経験した。労働組合を先頭にして、「外国人より自国人を優先しろ」と世論が高まった。外国人排斥に結び付く悪い面があった。
 日本ではこんな世論もないから、日本人はおとなしいと思う。
 政府は即効性がある雇用対策を打て。若者はネットで呼び掛けて自ら勝ち取れ。
                                    (完)

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2011年9月14日水曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#17,9月,2011  大阪人の節電3.8%ーーここに大阪の風土が出たか?

 
 9月に入ってようやく電力危機が終わろうとしています。来る冬に暖房によって再び電力危機に見舞われるかもしれませんが、それまでは一息つけそうです。
 他方、9月になるや台風12号が襲来、和歌山、奈良、三重の各県に大雨災害をもたらしました。伝えられる災害の規模は自治体の手に負えるものではなく、法律に基づいて「激甚災害」に指定され、国から復興資金の支援がなされるでしょう。金がない国も大変だ。
 それにしても、台風の通過地域にありながら、大阪は今回も災害の被害とは無縁。皆さんはどう思いますか?

関電管内の節電3.8% 
 関西社会経済研究所が行った調査によると、関電が7月以降要請した15%、政府の10%の節電目標を大きく下回り、関電管内の節電率は3.8%にとどまったという。全国平均の9.9%にも遠く及ばない。にわかには信じがたい。関電の唐突な要請に対する反発があったかもしれないが、調査に誤りがあるのではないかとさえ思う。
 関電の要請より早く自治体連合の関西広域連合は5~10%の節電を呼び掛けている。いずれにしてもこれだけの要請に対して企業や市民は応えなかったのだ。
 関電管内というのは地域が広いのであるが、ここでは地域で最大の電力を使う大阪人について書いてみることにする。
 大阪に出戻りしてから16年になるが、かねがね大阪の風土についていろいろ感じていたことは、どうも大阪人は私の言葉で中益の心に欠けていることが一つだ。中益とは、私益と公益の中間のことで、献身とか奉仕とか崇高な公益の心ではなく、ちょっとだけ公益のために貢献することだ。例えば、前回で述べたように、交通ルールに従って右側を歩き、自転車は左側を走るようなこと。電車では優先座席を年寄りに譲ることもそうだ。誰でもできることだ。
 話を戻すと、節電の心がけも中益ということになる。私は節電率3.8%に大阪の風土が出たと思っている。

 《追記》この#17稿を書き終わってから、もう一つの新聞記事(読売、9/13)が出た。これによると、関電の8月の販売電力量が前年同月比で家庭用が16.1%の減少、大口需要家を含めた平均で9.4%の減少だった。
家庭用では7月が1.5%増だったから市民も節電努力をしたのだ。私は一片だけの情報に頼ることは危ないと改めて自省した。

関電の節電要請はなんだったのか? 
 関電の15%節電要請には私も驚いた。だから突然の大停電が設備に損傷をもたらし、復旧に時間がかかるのだと当初推測した。停電が長引けば、温度と湿度を一定に保たなければならない半導体製造の工場、医薬品の研究所、冷凍倉庫などが、受けた直接被害に対して損害賠償の請求をするだろうと推測した。
 ところが、電力会社の技術者で定年退職した友達に尋ねたところ、電力設備の損傷は起きないシステムになっているとのこと。というのは、需要の増減に応じて発電量も自動的に調節されるようになっているからだ。需要が発電量を上回る時には他の電力会社から送電を受けられるようになっている。最悪の場合でも遮断機が働いて送電が止められ、発電所に被害が出ない。従って復旧に時間がかからない。こういうことだった。
 そうならば、なぜ関電は突然節電要請をしたのか?
 うがった見方をすると、広域行政の節電目標5~10%では不安があると判断した関電は15%に上げることで、経営責任を担保したのだと思う。というのは、15%以下で万が一全停電が起きても需要家に対する損害賠償の責任から免れるからだ。
 現実に東電の賠償責任の影響を受けて、大阪のテレビなどが論理と感情をごっちゃにして騒ぎ、誤った世論がつくられる結果、関電も賠償に巻き込まれる恐れがある。東電が巨額の賠償を負うのは原発事故に対してであり、関電とは事情が違う。また、関東での政府による節電要請には法的強制力があるのに対し、関電に対する政府要請は自主的な対応である点にも違いがある。
 関電が求めた節電要請は、電力事業者として停電をなんとしてでも起こせないという面子か使命感があるかもしれないが、私は会社を守る経営者の判断ではなかったかと思う。

我が家の節電と被害
 関電からの請求書に書かれた我が家の前月に対する節電率は30%を少し超えた。
 もともと年初から収入減に備えて経費の節約プロジェクトを実行していた。電気について言えば、スイッチの入り切りを徹底して無駄な消費を抑える、テレビは極力観ない、電球を節電型に換える、などの心がけを実行していた。ただ、電球は切れた機会に蛍光電球に取り換えたが、LEDは高いので見送った。居間にある二つのシャンデリアには各々3個の電球が付いており、切れた時にだけ蛍光電球に換えるので、まだ2種類の電球が付いて見た目が良くない。
 各地の自治体が役所の蛍光灯を一斉にLEDに取り換えたという話を聞くが、彼らは大量の蛍光灯をどう処分したのだろうか?LEDをつくるにも相当の電力を消費するので、もったいない気がする。
 さて、こんなところに関電の節電要請が出た。我が家を取り仕切る家内はさらに節電を強化して、原則クーラー禁止をやった。1ヶ月後、私は睡眠阻害でばてた。最近では少し規制緩和になり、寝る時にはタイマーで2時間の使用を許された。それでも節電率は19%だった。 (完)

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2011年9月5日月曜日

#56 上海たより(3) 中朝国境の町

 日本のメディアが伝えない現地情報についてI氏からの寄稿です。今、国連決議によって世界は北朝鮮に対して経済封鎖をしていますが、中国の北朝鮮支援はざるに空いた大きな穴みたいなものです。私の見立てでは、いざ北朝鮮が破綻すれば大量の難民が中国に流れ込む、韓国との38度線国境が揺らぐなどを中国政府が恐れているのではないでしょうか。
 若者諸君、長文でありますが、貴重な情報を終わりまで読み切ってください。諸君の得意な台詞、「オレには関係ないよ」は危ない。

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 ベランダの朝顔の病葉を摘みながら、ふとこの夏を振り返ってみると、中国東北地方の遼寧省そしてコリアに関することに多く触れたことに思い至りました。

 きっかけは、古川薫の小説。それを渡してくれたのは、滋賀県野洲市の得意先社長でした。戦前の上海生まれの氏は、児玉源太郎の信奉者でして、児玉神社や生家跡を山口県周南市(元は徳山市)まで訪ねて行くくらい熱心な方です。徳山小学校を卒業した縁のあることから、児玉公園で同級生の吉田光雄君(リングネーム長州力で知られています。ミュンヘン五輪に韓国代表で出場)たちと草野球をして遊んでいたなどと話すと、とても喜んでくれました。
 その後、社長から児玉源太郎や乃木希典に関する本が届くようになりました。二年ぶりのお会いしたこの夏は、古川薫の『斜陽に立つ』を渡してくれました。司馬遼太郎が偏頗な思い込みや個人的な嗜好を、「歴史」のように仕上げている誤謬を正した書物という位置づけの本でした。主な舞台はやはり日露戦争、そして遼東
半島の旅順でした。
 それと前後して、東京の岩波ホールで羽田澄子監督の『はるかなる故郷~旅順・大連~』というドキュメンタリー映画、というか、戦前に監督自身が送った外地生活の跡を辿る記録映画を見ました。『人間の条件』や『風雪の門』とは違って坦々と旅順や大連を映像化され、声高な意見が聞こえてこない映画でした。

 以前から気になっていた遼寧省丹東市へ出張したのは7月11日でした。25年くらい前に、開発テーマを探そうと、東北三省をかなり奥地まで歩き回ったことがあります。コーリャンで合板を作れないか、良質の広葉樹を探して突板にする、野生黒スグリからエキスを抽出する、滑石(タルク)の第4の鉱区を見つけよう・・・ 黒龍江省のソ連国境近くや吉林省の長伯山系の山奥を巡りながら、地元の人から、一つ山越しゃ他国(朝鮮)の町だよと言われ、戦前にこんな所まで鉄道を敷いて、日本人が分け入っていたことに、改めて溜息をついたことを思い出します。
 そのような山間の鉄道を乗り継いで、延吉から通化そして丹東に辿りついたことがありました。それ以来の丹東訪問でした。

 この数年、丹東は注目され続けています。北朝鮮と鴨緑江を隔てただけの国境の町ということもあり、政治的にも経済的にも要地であります。5月に、鉄道好きの総書記が中国各地を訪問した直後に、中朝国境の黄金坪島に共同開発区を作る、という情報が流れ、気の早いマスコミは「いよいよ改革開放か」と騒ぎ立てました。安全保障貿易の観点からも、現地の実態を確認しなければならない、と大連から高速道路を3時間半ほど走り、丹東を訪れました。
 繊維縫製事業で提携しているボスの伝手の御陰で、丹東市政府の要路の方と面談ができました。「極めて微妙な事柄である」と前置きがあり、慎重な言葉の拾い方をした呟きを聴き取らせてもらいました。
 
 ・丹東市の開発は、旧区+新区+港湾の結合で着々と進んでいる
 ・国家事業として東北開発は至上命題であり、その鍵は大連郊外の長興島
  開発区(次期首相と目されている李克強副首相が遼寧省のトップの頃に、
  旧満鉄の開発資料を参考に指定された、と長興島開発誘致関係者の話)と
  丹東開発区である
 ・これらの開発は丹東独自のものであり、隣国とは全く関係ない
 ・中朝共同の黄金坪開発区のテープカットが6月に行われたのは事実だが、
  具体的な作業は、未だ緒にも就いていない
 ・相手方の立法も資金手当ても為されていない(ようだ)
 ・中国からの対朝貿易の約80%は丹東経由であるが、見返りに安価な労働
  者を連れてきて、活用しているなどというのはデマである。彼の国の出国
  規制の厳しさはご存知の通り・・・・・・

 面談後、ボスの案内で黄金坪島地区に連れて行ってもらいました。
 島と言っても、小川で隔てられている地域で一部は陸続きになっていました。鉄条網と高電圧線で二重に囲まれており、中国語と英語で三ヶ条のお達しの高札がありました。
 ①乗り越えてはならない ②物を投げ入れてはならない ③話したり、物々交換してはならない。
 撮影禁止とは書かれていないことを確認して看板を撮りました。
 境界の向こう側は、草茫々で彼方に小さな建物が見えるだけでした。
 とても開発の槌音が響く、といった光景ではありませんでした。丹東側の政府機関や体育館などの構造物と境界の向かいの草地の間に立ち、ボスは一言、「30年前に決心した国と未だに決心が付かない国の違い!」と語りました。柵の隙間から、片足だけ越境(CROSSING)して、役人との会食場へ移動しました。
 とても親密な内輪の人たちだけの会食だったせいか、かなり興味深い話も聴けました。食事途中のアトラクションで、久しぶりに民族楽器の長鼓の演奏などを楽しめましたが、こちらの意識過剰のせいか、007の世界を前にしているような気分もありました。

 早めに終わった会食のあと、ボスたちと離れて、タクシーで旧区探索に出掛けました。途中にライトアップされていたのは、鴨緑江を跨ぐ二代目の橋であり、列車が通らない時にはトラックが使う、との事。その少し上流に日本が架けたという初代の橋が、朝鮮戦争の際に米軍に空爆された残骸のままにあり、観光名所化している由。
 運転手や足裏マッサージの兄さんに聞いても、異口同音に答えるのは、隣国からの人は外観で直ぐに判る、勲章付きの軍服の団体か選ばれた高官子弟だけ。一般人が来れるはずがない、との言葉でした。またこの地域は元々満州族が中心であり、延辺地区のような朝鮮族が多数を占める土地柄でもないことを教えてもらいました。

 翌朝、朝霧の向こうに広がる緑の土地を眺めました。まさに指呼の間とはこの事と感じる実質的な距離と、政治が隔てる距離の違いの大きさに改めて不条理を感じました。1959年12月から始まった北朝鮮帰国事業で総計9万3340人の在日コリアンや日本人配偶者が「帰国」(菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業 「壮大な拉致」か「追放」か』中央公論新社より)。その中には『キューポラのある街』で吉永小百合・市川好郎が演じた姉弟の子分のサンちゃんのように新潟港向かった子供もいたでしょう。また、二十歳頃から交流のあった在日コリアン夫婦が突然音信不通となり、旦那が勤務していた北朝鮮系貿易会社に尋ねに行っても、そんな人が在職していた事は知らないといった鉄仮面の反応は今も鮮明です。

 直後の東京出張の際に、ソウルオフィスの責任者に決まったO氏と新宿で韓国映画を観てから、彼の案内で新大久保のコリアンタウンで会食しました。
 名作『鯨とり』が23年ぶりにリバイバルされるという週末でしたが、客は我々を含めて3人だけでした。『鯨取り』は大阪天六で、やはりO氏と二人で観て以来。主演のアン・ソンギはその後国民的俳優として信頼を集めており、『祝祭』『シルミド』そして小栗康平監督の『眠る男』にも出演(楽しみに観に行きましたが、ずっと眠るだけで台詞なしでした)。『鯨とり』で失語症の娼婦役を好演したイ・ミスクは、現在では「美人だけどイケズなオバサン役」に嵌まっているとは、O氏の受け売り。1988年のソウル五輪前の混乱期閉塞期の韓国の映画は骨太でした、とは現在の韓流映画についていけないイケズなオッサンの抵抗の弁です。
 そして、日本女性のグループがマッコリをぐいぐい呑んでいる、コリアとの接点の一つの新大久保へ。丹東の話をするには、雰囲気があまりにもアッケラカンとしすぎて、彼我の落差を感じるばかりでした。ましてや、コリア問題の源流の一つは日清・日露戦争に遡るのではないか?といったことを話題にしていたグループは居なかったでしょう。

 8月21日の日経新聞には、お召し列車でロシアに向かった総書記の動きとともに、「黄金坪は6月の着工後2ヶ月を過ぎても、造成などを進める動きはない(中国側丹東の経済関係者)」という記事が載っていました。
 ただ、鴨緑江に架かる現在の橋の下流には、大型の橋が建設中であり、丹東側は橋から、そのまま大きなスペースの土地に直行できる閉鎖型の道路が造成中でした。極めて微妙な問題なので軽率な分析は控えるべき
でしょうが、「保税区」に仕上がるのではないか?と推測しました。
 また国務院新聞弁公室編集の『中国的対外援助』(2011年4月人民出版社)には、2万3000文字のなかで、2ページ目の序言に「朝鮮」の2文字が記載されているのみで、統計や文章はアフリカ、南米、東南アジアに対する援助についてのみでした。ここにも極めて微妙な問題扱いの一端を観察するのは穿ちすぎでしょうか? 丹東の関係者に感謝するとともに、今後の動向は一筋縄では無く、定期的な注視が必要だと感じています。
              (了)




 



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