2013年11月28日木曜日

Long and Winding Road to China Democracy

#105 中国政府は本当に強権か?――人民から浮いている朝廷   


 初めはI氏の「上海たより」から、後半の旅行記を省いて前段の部分を転載します。

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               上海たより(2013年11月) 『泰山』

 前にも触れたことのある「衆口難調」という四字成語を当地の新聞で目にすることが増えました。NHK日中合作ドラマ『西太后』(田中裕子主演。浅田次郎原作)の王俊監督が制作秘話として語った中で、この成語を知りました。
 日中双方からの様々な要求、主張そして干渉が渦巻いて押しつぶされそうになったが、「衆口難調」という言葉を思い出し、何とか乗り切った、という控えめな発言でした。直訳意訳すると、衆人の口を調整するのは難しい→皆の口に合う料理はできない、ということでしょうか。ありていに表現すると、ああ言えばこう言う人たちを調和させることは難しい、という達観の発言とも感じます。この言葉が増える社会が良いのか悪いのか、よく考えてみたいと思います。
 10月26日、27日。北京でようやく開催にこぎつけた「北京-東京フォーラム」も一方的な主張を言い放つ最悪の状態から始まり、調整の方向での努力や福田康夫元首相の提案などにより「北京コミットメント」という形に辿り着いたようです。
 開催前後の当地テレビの英語番組でも、元フランス大使らによる対立回避を目指せ、日中は不可分の共存関係だ、どの国にも色んな人間が居るという発言を流していました。新聞も続けて抑制的な報道が続いています。以前から英語番組や英字新聞はかなり本音のサイン(中国の友人たちは「信号」という単語を使います。先般の田中角栄氏の機上爆睡記事も良く読み込んでいて、明らかな「信号」だと言っていました)。
 うがった見方をすると、フォーラムでは調整の方向性が先にあり、それに到るまでに、各自が「主張」するパーフォーマンスのステージを準備しておいたのではないか?中国元外相の遁走も元防衛相の批難もその文脈に従えば分かりやすくなります。 今回のフォーラムでの「衆口難調」は比較的うまくできたのではないでしょうか?

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中国政府は本当に強権政府なのか

 長い間中国政府を強権政府だと信じてきたが、最近はこれが本当にそうなのかと疑問を感じている。
 公害防止と環境保全の政策を例に取ってみよう。 私がオリンピックの前年に北京を訪れた2007年の冬には、建設ラッシュの最中、政府は登録番号によって自家用車の市内乗り入れを制限したり、排煙量の規制を行って大気汚染を抑制しようとしていた。それでも長年の汚染によって街路樹の多くが灰色に染まっていた。
 オリンピック対策として一時的に効を奏したかもしれないが、北京の友達によると、その後はもっと悪化したという。pm2.5の微粒子汚染もひどい。大気だけではなく、全土で河川、地下水、土壌の汚染が広がっている。10年前、胡錦濤政権に変わった時、重要政策の中に環境改善が挙げられていた。それが今日まで実現しなかった。
  他方、日本では、今の中国と似たような公害汚染の時代、1960年代に官産民一丸で環境改善に取り組み、今日ある基盤をつくった。なぜ強権政府ではない日本がここまでできたのだろうか。私は民度、つまり大衆のモラルと長年の遵法教育の差だと思う。

強権政府の不思議  

 中国の強権政府が強権を使えない内政の課題はまだある。
 その一つは、地方政府をほとんど支配できていないことだ。彼らは「農民はがし」と「農地はがし」によって利得を手にしている。農地をはがして工業団地に変えることはまだしも、彼らの流儀がおかしいのは、団地造成にとどまらず、入居者も決まっていないのに建屋をつくっていることだ。多分、造成だけでは彼らの懐を潤わさないからだろう。
 こんなことは私にも分かるのだから、中央政府には見えているはずだ。それでいて地方政府の改革ができない。  

 つい先日、中国政府が日本の防空識別圏と重複し、尖閣島の上空を含む空域を中国の防空識別圏に指定した。外交交渉も何もなしに一方的に発表した。日頃対日攻勢で海軍に比べて影が薄い空軍が示威をしたのか。中国強権政府は今や野心満々の人民解放軍を抑えられないのだろう。中国が日本のみならず、「アジアの嫌われ者」になって何の得があるというのか。
 宗教宗派対立がない点では、中国の統治はまだ楽だと思っていたが、最近ではキリスト教と疑似キリスト教の信者が1億人に広まったという報道があった。反政府勢力になりかねない彼らを弾圧することは現実的に容易ではない。
  私の感性では、中国政府は地方政府、解放軍、国営企業など既得権益集団の上に乗るだけの朝廷に見えてきた。独裁者政権ではない政党独裁政権の政体に期待をしてきた私は失望している。日本政府も自衛隊も中国の挑発に乗らず、じっと時が来ることを待つしかない。                        (完)

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2013年11月21日木曜日

#104 日本語と韓国語の統制ーーこの相反する流れ

 前回、次世代に備えて「若者世論ネット」の立ち上げを勧めました。その中で韓国政府による反日政策に一石を投じるために、若者にできることを9項目挙げましたが、諸君の感性と論理思考でおかしいと思った項目がなかったでしょうか?  それは、項目6)で日本政府の介入を勧めていることで、民間が行う他の8項目とは整合しません。
 最近、新聞に出た週刊誌の広告に、韓国に対して経済封鎖をする提案が出ていましたが、当然、日本政府がやるべきことではありません。政府が動けばますます問題がややこしくなりますから、今のように、「いつでも対話のドアは開かれている」と言って何もしないことが最善の策です。   
 だから、諸君には「静かにじわっと」をモットーに世論をつくることを望むのです。韓国民がそのうち日本敵視が得にならないことを理解すればよいのですから。
 今回は国語を通じて日韓両国の違いを書くことにします。

韓国がハングル一色の時代に回帰
 私が日本企業から韓国に頻繁に出張していた1970年代には、ソウルの道路のレストランや商店の看板に漢字も英語も使われていた。新聞もハングルの中に漢字が使われていた。
 韓国人の友達によると、強烈な民族主義者だった李承晩大統領時代に漢字もアルファベットも禁止され、ハングルだけの国語統制政策のために、漢字を読めない世代が生じた。その後はハングル一辺倒の政策が緩和された。彼は漢字なしでは韓国語の表現力が不充分だと言っていた。
 それが今、政府・官庁から民間企業、新聞、書籍にいたるまでハングル一色になった。市民のメールもハングル。その背景には、パソコンの普及によってハングルで文章を作りやすくなったこともあるが、それよりも民族主義の高まりによる影響が大きいだろう。そして、民族主義が高まる時は内政の問題が大きいのだ。

日本語の乱れがひどい

 韓国の言語統制に比べると、日本語の乱れはひどい。政府による統制は私も誰も望まないが、そうかと言って乱れに任せるというのは問題だ。私は本稿でも以前に取り上げている。誤解されないように、改めて私の考えをはっきりしておきたい。

1) 私的な会話ではどんな日本語が使われても構わない。私は公的な場や多数の視聴者を対象にする場合には、公式日本語として一定の基準が守られるべきではないか。 因みに、アメリカでは小学校から大学まで正しい英語(国語)の教育が重視されている。
2) 新聞のテレビ番組を見ると信じられないくらいカタカナが溢れている。カタカナ外来語の氾濫はこのまま放置してよいのか。
3) 都市名に漢字を変えてひらがな表記が増えているが、前後に助詞があれば区切りが分からないことがある。まさか漢字を読めない市民のためのサービス精神ではあるまい。芸名や商店街にもひらがなだけが使われる。これでよいのか。
4) なんでも頭に「お」をつける、「させていただく」の乱用など敬語の乱れが目立つ。 NHKテレビでは発言者が「もらえる」や「くださる」と正しい表現をしているのに、字幕では「くれる」と言いかえる。国の機関による改革よりも、先ずNHKが 基準をつくって実行すべきだ。

国防の要衝、対馬  

 古くは13世紀の北条時宗の治世時代に、蒙古軍が日本を攻めた元寇では最初に対馬に上陸して島民を皆殺しにした。対馬は朝鮮半島南端からわずか50キロに立地しているので狙われた。これに対し、対馬から九州沿岸までは100キロ。
 今も対馬は国防の要衝であることに変わりがない。しかし、対馬には自衛隊の少数部隊が駐屯しているだけで、国境の守りとしては弱い。
 さらに、対馬は経済が困窮しており、そのために土地が韓国と中国の手に渡っている。あるテレビ番組の中で、韓国人観光客であふれる飲食店のオーナーが、「わがもの顔に騒ぐ韓国人グループを好まないが、生活のためには仕方がない」と言っていた。
 因みに、かつて島の人口は約7万人であったが、今は半減した。島に雇用がないから、若者は島を出ていくからだ。
 対馬は自衛隊だけでは守れない。島の経済を復興しなければ、韓国資本の流入を止められない。淡路鳴門大橋の開通により、対馬とほぼ同じ面積の淡路島は発展して今は人口が16万人になった。孤島の対馬とは比べられないが、政府は何か支援政策を打つべき時だ。

 若者諸君、何か諸君にできることはないか?  いつか私も経済振興のアイデアを求めて対馬を訪ねてみたいと思っている。

《お願い》  「若者塾」のブログは閲覧数が徐々に増えて今はひと月に400~500。しかし、寄せられる意見はメールばかり、知友人からだ。若者諸君から直接「コメント」に投稿してほしい。時に落ちる執筆意欲が高まる。                (完) 

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2013年11月12日火曜日

#103 インターネットと「若者世論ネット」--若者が時代をつくれ

 先月から急に迷惑メールが増えました。3年以前には一泊出張から帰ってパソコンを開くと、100通以上も日本語、英語、中国語の迷惑メールが入っていて悩まされていた。それが昨年から下火になり、多くても10通で削除の手間が省けた。  ところが、最近では一晩に50通以上、そう、夜に入っているのです。ほとんどが英語のもので、日本語は少し、以前にあった中国語はありません。多分、発信元は時差がある国からでしょう。SPAMをくぐりぬけて受信メールにも入ってきます。  私は10年以上前に、一度ウイルスにやられたことがあるので、これに懲りて対策ソフトを入れるだけではなく、発信者名と用件がないメールは開かないことにしています。  一体、発信者はなんのためにやっているのか?読まれもしないのにご苦労さんなことです。こんなことに時間を費やしてもったいないことです。
 さて、海外と交信がある私が狙い打ちにされているのか、それともめくら打ちなのか。 諸君の状況はいかが?

◇ 広まる小中学生のネット病  

   先般、テレビの報道で今時の小中学生は主にスマホでネット交信に毎日4時間も費やしているという。ああ、もったいない!  
   勉強とは縁がないメールとゲーム遊びが主なものだろうから、つまりは時間つぶしと退屈からの逃避だ。退屈は創造力の助けになり、思考力を磨いてくれる。私は退屈が苦手のアメリカ人にこう言っていたものだ。
 そのアメリカで80年代の始め、任天堂のゲームソフトが大ヒットして全国の子供たちに広まった。私が住んでいた町では、金持ちでもしっかりした家庭では普段は子供に小遣いを与えないので、子供たちは新聞配達や夏休みに働いて小遣いを稼ぐ。その代わり、親は誕生日とクリスマスにかなり高額のプレゼントを与える。
 この時に、任天堂のゲーム機はかっこうのプレゼント品になった。 諸君には信じられないことかもしれないが、議会で「日本はアメリカの子供たちを馬鹿にしている」と騒いで、規制を加えようとしたほどだ。賛成者は少数にとどまり、議案は通らなかった。警告を与えようとしたのだろう。
 これに比べると、今の日本では(世界中か?)スマホ熱がはるかにすさまじいが、残念なことに、国会で議論するにいたっていない。
 諸君よ、スマホと読書の4時間はどちらが大切と思うか?一度図書館に行き、一週間でもいい、スマホに手を触れないことにしたらどうだろうか。  インターネットにはこういう利用の仕方がある。「若者世論ネット」とは?

◇ 「若者世論ネット」で緩やかな連帯を

 「若者世論ネット」というのは、中国で若者を中心にするネット紅衛兵が、デモの呼びかけや反日キャンペーンのためにインターネットを使って政治を動かす例にならって、日本の外交や内政の課題について若者世代が世論をつくる一つの手段だ。
 ただし、諸君は自制、識見、礼節を守って若者武士の緩やかな連帯を目指し、あんな教養もなく、簡単に政府に利用されるネット紅衛兵とは一線を画する。各地域に参加を呼びかけるリーダーは要るかもしれないが、全体のリーダーは要らない。新政党に期待するより若者の意見を反映できる。Facebookなどでメールを互いに送り合うだけでよいのだ。保守もリベラルも関係なく、若者の意見を広げるのだ。
 そのうち韓国と中国から注目される存在になるだろう。

◇ 若者が韓国を動かす

 手始めに「若者世論ネット」のテーマに韓国を取り上げてみよう。  

 韓国は対日関係の改善の条件として、日本の首相以下要人の靖国参拝、歴史認識、慰安婦問題、戦中の韓国人労働者への賃金補償を挙げている。アメリカ政府がいかに日本政府に改善を要求しても、日本政府は国家として韓国の言いなりにはなれない、他方、韓国政府は振り上げた拳を下ろすわけにはいかないから、対立の長期化は避けられない。
 仮に、次の選挙で誰が候補に立ったところで、日本に譲歩すれば選挙に勝てないから解決にならない。要は、内政の重い課題が改善され、韓国の世論が変わらなければならない。中国と変わらないのだ。  
 他方、日本のマスコミや大衆市民が、「政府は何をやっているのか」と責め立てても、今、日本政府が関係改善のためにやれることはほとんどない。
 そこで、若者世代が自分たちの時代のためにやれることがある。これは若者から年寄り世代の声を私がまとめたものだ。*印は私のアイデアだ。  

 1)キムチも韓国焼肉も食べない。  
 2)韓国製品も部品も買わない。
*3)韓国の魚を食べない。   
    韓国政府が東北産の魚を輸入禁止にしたことに対する報復というよりは 、その商売の被害 を受けている漁業者への対策として、韓国漁船が竹島海域や 北洋で獲った魚を買わない。その代わり、東北産の魚を積極的に食べよう。
 4)韓国に行かない。観光客も経済団体も。  
 5)新規に韓国人野球選手を雇わない。
*6)対馬の土地を韓国に売ることを止める。
     島民が経済的窮状のため韓国資本に売った土地が中国に転売されて いるという。日本政府が買い戻して既存の自衛隊施設を拡大するか、沖縄の米軍基地の一つを移転する。これは韓国を刺激し過ぎて良い考えではないか。
  7)スポーツの交流試合のために韓国に行かない。
  8)韓国の航空会社を利用しない。
  9)韓国に新規投資をしない。  

 若者など民間が静かにこれらを実行すれば、韓国経済にじわっと利いてくる。日本経済も少し影響を受けるが、まだ持久力がある。韓国政府の反日政策を、諸君たちの時代に変えさせるための代償と思えばいい。
 それでなくとも、韓国経済は危うい。債務は日ごとに膨らむし、1997年と2008年に続く通貨危機も指摘されている。パク大統領はフランスとイギリスを訪問し、儀仗兵を閲兵して気分は良いかもしれないが、外交より内政の問題に取り組むべきだろう。              (完)

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2013年10月26日土曜日

#102 朝鮮半島に何が起きるか?――衰退した半島地政学

 
 
 私は工学部卒で技術者であったが、関心が多岐にわたり、分野をかまわず何でも読書をしてきた。会社勤めをしてからは、独身寮の時代から大きな机と回転椅子を買って、狭い社宅アパートでも一室を占領してきた。雑学の大家(?)と揶揄されたこともあるが、大家であるかは疑問にしても、読書家ではあるだろう。  何十年このかた、毎日3~4時間は読書をしてきた。
 私が知る大企業の元社長は毎日6時間も読書をしてきたという。上には上があるものだ。今は気力が衰えてきたが、それでも2時間くらいは読書している。
 東京世田谷の社宅に住んでいた時、通勤に通る商店街に小さな本屋があった。大書店で立ち読みしたり、新聞広告で興味ある本を知ると、すべてこの本屋から注文した。私がアメリカ企業に転職することになって社宅を引き払うと、本屋の店主は嘆いた。「わあ、ショックです。大口のお客を失った」と。  
 今は、遠い昔の話です。  
  今回は朝鮮半島についていろいろ雑学の発想してみましょう。

◇ 北朝鮮の将来は?  

 従来からの経済封鎖に加えて中国が北朝鮮との銀行取引を停止した。これで表向きでは北朝鮮は必要な物を海外から輸入できないことになった。  かつて北朝鮮の輸出三品は、ミサイルなどの武器、麻薬、偽ドル札であったが、海外からの監視が利いているのでどれも輸出できない。つまり外貨を稼ぐ手段がなくなったのだ。 唯一の外貨獲得手段であったケソン工業団地を5ヶ月も封鎖した打撃は大きい。トウシロウ金第一書記は何を考えているのか?
 それにしても、外貨がないはずの北朝鮮で高級レストラン、アイススケート場、高級遊覧船、大遊園地に続いて、次は最新スキー場を建設するという。金はどこから来るのか? 私は素人の推測として、中国が人民元の札束を陸送しているのではないかと疑っている。  この狂った独裁政権の先は危うい。
 最近、ロシアの高官が北朝鮮は韓国に併合されればよいと言ったとか。中国政府もこの暴れ者の舎弟に匙を投げているかもしれないが、そうかと言って見捨てるわけにはいかないだろう。なぜなら中国は38度線を自国の国境と考えているからだ。  しかし、諸君の時代には何か起きるだろう。  

◇  半島の地政学は死んだ

  かつてアメリカの海軍将校だったマハンなどの「半島が敵国に占領されると対岸の国々に覇権が及ぶ」という地政学が流行ったことがある。70年代に日本でもしきりともてはやされ、何冊も本が出た。当時はベトナム戦争の最中で、インドシナ半島で南ベトナムをアメリカが支援するために、戦争を正当化する理論として地政学が使われた。  
 つまり、インドシナ半島が北ベトナムに統合されると、共産主義が半島を超えて各国に広まると言われた。アメリカは大変な警戒感を持っていた。しかし、北ベトナムが南ベトナムを統合しても何も起こらなかった。ベトナムは市場経済と独自の社会主義によって成長しているし、対岸まで支配することはない。共産主義そのものが衰退した。 
  中国の政府と軍部が、太平洋の西半分を支配下に置く野望を持っているとするなら、朝鮮半島全体をチベット化する野望を持っているとしても不思議はない。逆に、韓国が半島を統一する、つまり北朝鮮を併合するなら、韓国経済は重荷に耐えられないだろう。
 このことは、西ドイツが東ドイツを併合して以来、おそらく10年間はどんなに重荷であったかを参考にすればよい。東ドイツ市民は市場、会社、民主主義の意味が分からなかった。その上、東ドイツ語訛りが差別された。 それが今や、東ドイツ出身のメルケル首相がEUの実力者になった。

  テレビのコメントを鵜呑みにするな  

 先日のNHKの海外ニュース番組で、アメリカがシリア攻撃を止めたことについて、東京から出張したキャスターとシリア駐在の記者が対
 あの程度の記者たちに見られるコメントは貧しい。大体、「迷走」と「場当たり」は政府批判でも安易に使われる常用句だ。
 私は別の見方をする。アメリカがシリア攻撃を止めたことについて、オバマ大統領は、フランスのオランド大統領と同じく、議会を説得できず、反対の議決によってシリア攻撃を止められたのだ。  攻撃中止によってロシアを仲裁に巻き込んだことは大きな成果だ。これまでロシアは、中国も、国連常任理事国として拒否権を発動するだけだった。国際紛争には冷淡だった。
 アメリカも財政赤字の最中、戦費を使わずに助かった。もっとも、軍需産業は使われるはずだったミサイルの補充ビジネスを受注できなかったので失望しただろう。

 それにしても、なぜ一方的に空爆しているシリア空軍から制空権を奪わないのだろうか? NATOのフランス空軍は、リビィア内戦で戦闘機を使い、制空権を支配したのに。                (完)

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2013年10月17日木曜日

#101 上海たより、「加倍」

 今年は田中首相の訪中により日中国交正常化されて51年になります。諸君は生まれていなかったから、当時を知る人はいないでしょう。
 今回、上海のI氏から寄せられた「上海たより」の中で、中国の古い記事を紹介しています。中国政府専用機の中でぐうぐう眠っていたのは、いかにも田中首相らしい。また、彼は中国が強大な国家になることを予測しましたが、日本の脅威にはならないと思っていました。なかなか面白いですね。   

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  『あまちゃん』最終回、2012年夏の北三陸鉄道再開祝賀シーンに、何度もソ連国旗が出ていたのが印象的でした。その翌日、緊張の会議シーンにカメラマンが写っていたご愛嬌とともに『半沢直樹』も終わりました。二つのTV番組は中国のDVD店に並んでいます。またDVDを待つまでもなく、放映翌日にインターネットで中国語字幕付きで流されて、熱心な当地のファンの支持を得ているようです。
 弁護士事務所のパートナー先生も早くから『半沢直樹』を追いかけて居ました。豊富な日本経験の持ち主で、熱心なタイガースファンでもある先生に教えて頂きたいことがあります。今年の流行語になりそうな「倍返し」を、中国語字幕では「加倍奉還」と表現していることの可否についてです。  
 東京から逆に上海ドラマを追いかけている後輩社員から、女性同士の諍いシーンでも「加倍奉還」というセリフが出ていたとの報告を貰いました。この中国語訳では、日本語の単純語感から見ると、倍にして(感謝の気持ちを)お返しする、という印象を受けてしまいます。他に適切な言葉がないか色々と調べていますが、「加倍回撃」という訳し方くらいしか思い到らず、自信はありません。    
 相手の名前を訊ねる時の中国語の用法は、普通には「你是誰?」「你姓什麼?」などがあり、相手を尊敬する丁寧な言い方としては「您貴姓?」を使い、問われた方は「免貴姓○」(○は陳とか汪とかの姓)と応えます。尊敬される程の者ではありませんが(「貴」を「免じる」)○と申します、という謙譲表現を挟むことで滑らかな会話となります。
 ところが、ずいぶん昔の中国東北地方を走る夜行列車内で起こった喧嘩の最中、「お前は誰やネン?」とぶつける状況となった時に、この「您貴姓?」が口から出てしまい、周りの爆笑を買って、結果として座が和んで事なきを得た、という失敗(成功?)実例を、今年も大学の集中講座の学生たちに話しました。ところが、或る中国の人から、喧嘩のような緊張した状況でとびきりの丁寧な「您貴姓?」を使うと、言われた方は却って震えあがって、抜き差しならぬ深みにはまる惧れもあるから注意するに越したことはない、と教えて貰いました。
  「加倍奉還」にも、表面的な丁寧さが、まさに凄い脅しを含めた「倍返し」になっているのかも知れないな、とも思い始めています。いずれにせよ、文化や言葉が異なる相手との喧嘩は難しいので、よく自分と相手を見極めて(見くびらず、少しおだてて、臆せず、毅然として・・・)からにすべきだと思います。喧嘩と口説きと値切りは、日本語も含めたどんな言語でも難しくて、残念な思いを若い頃から続けています。  
 40年以上前、雑誌『中国』という一種の啓蒙雑誌がありました。主筆の竹内好による「中国を知るために」という連載は単行本にもなって、初学者の入門書・指南書として分かりやすく熱心に読みました。その中に、果物の話がありました。夏から初秋には、たわわに実をつけた柿の木も晩秋には収穫や落果を続けます。それを見て、中国人は「もう、無くなった」と言い、日本人は「まだ、有るではないか」と反論する。数えきれないくらいあった果実が、数えるばかりになった状態を「もう無い」と感じるか、「まだ有る」と考えるか、という一種の文化論でした。ブドウ園には「もう無い」と判断した日本人は入場せず、「まだ有る」と言う中国人の売り子の言い方が面白くて、竹内好の古い文章を思い出しました。  
 その竹内好が1972年初めのニクソン訪中の報せに接して、朝日ジャーナルに緊急寄稿した一文の題が、たしか「晴天の霹靂」であったと記憶しています。蒋介石の中華民国政府との関係、ベトナム戦争、ソ連とのバランスから見て、米中関係の良化は無いとしていたが、その有りえないことが起こった、と不明を率直に認める文章だったので印象に残っています。しかし、不明であったのは直前まで知らされていなかった日本政府も同じであり、それからほどなく反中国・親台湾の佐藤栄作長期政権が退陣し、田中角栄内閣が成立しました。
 そして、バスに乗り遅れまいとする総資本の後押しで中国を訪問し、戦争状態の終結と国交正常化の交渉を行ったのは、42年前のこの季節でした。 42年前の9月29日の出来事について、9月26日付『環球時報』13頁、周斌氏(元外交部高級通訳。79歳)の手記が掲載されています。
 北京で「中日共同声明」に調印したあと、周恩来首相の専用機で上海へ移動した機内での田中角栄首相、大平正芳外相の様子。上海虹橋空港到着後に直行した「馬陸人民公社」での周首相と張春橋(上海市革命委員会主任。後に四人組として訴追)の振舞い。上海虹橋空港での別れ際に周首相が「天皇陛下に宜しくお伝えください」と語ったことなどを通訳した体験を記述しています。以下に部分抄訳します。  

  田中、機上で鼾をかいて爆睡  
  大平、詩作について(周)総理に教えを請う           
 「田中角栄 上海訪問19時間の追憶」 1972年9月29日午前10時「日中共同声明」発表。多年の外交関係中断から恢復。 午後1時30分 田中・大平は北京を離れ、3時30分 上海に到着。 翌30日午前10時半 上海を離れて帰国。 田中は自らの専用機をあえて使わず、周のソ連製専用機への同乗を強く希望 搭乗10分足らずで、田中は深い眠りに。「機上会談」を要請した田中の外交儀礼を逸した 振る舞いに、大平は大いに当惑し、「済みません」を繰り返しながら、揺り起こそうと するも、周は不快感を微塵も見せず、懐の深い態度で大平を感動させた。 (中略)上海虹橋空港から錦江飯店に向かう前に、嘉定県馬陸人民公社で立寄り。 周は張春橋が接遇する一行から離れて、公社の工場や田畑にいる群衆の中に入って行った。 涙ながらに訴えてくる女工たちに暖かく接していた周の姿勢を、後に田中は回想録に記述し、中国が強大になっても、日本の脅威とは成り得ず中国は侵略国家ではないとしている(後略)

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2013年9月28日土曜日

#100 大黒屋兵蔵とジョン万次郎ーー諸君は武士市民たれ

 最近の月刊誌や週刊誌の韓国叩きはすさまじいな。

 日本人の多くが煽られているかもしれないが、諸君は冷静になりましょう。
今回は100回に当たり、諸君に江戸時代の隠れた偉人の日本人について考えてもらいたいと思います。 

  大黒屋平蔵とジョン万次郎

 一人目は、大黒屋兵蔵(光太夫)。彼は廻船の船頭で1782年に三重県白子の港から江戸に向かう途中、嵐に遭って漂流し、アリューシャン列島の島に漂着した。島民とともに島で生活してロシア語を学んだ。後年、探検隊に随行して当時の首都サンクトペルグでエカチェリーナ女帝に謁見する機会を得た。  
 謁見の席で居並ぶ高官たちを彼の識見と礼節のレベルが高いことで感服させた。「たかが小さな漁船の船長でこの識見と礼節を身につけているとは、一体日本はどんな国なのだ」と。私ははるか昔にテレビドラマで観た。先人を日本人として誇りに思ったことが記憶に残っている。

二人目は、ジョン(仲濱)万次郎。土佐で家が貧しくて働かなければならなかった彼は漁船に乗って手伝いをしていた。14歳の時、嵐に遭い、漁船が漂流して4日後に無人島に上陸、ここで140日以上生活した。幸運にもアメリカの捕鯨船に助けられて渡米。捕鯨船の船長に頭の良さを見込まれて養子になった彼は、アメリカで教育を受け、首席で大学を卒業した。
 遭難してから11年後、帰国した彼は幕府から士分に取り立てられ、通訳としてだけではなく、日米和親条約の締結に貢献した。

 

  諸君よ、武士たれ

 
 東京で過激な韓国嫌いの一団が韓国人街にデモを仕掛けて、韓国人をののしる言葉を浴びせたという。襲われた韓国系の人たちは大半が日本国籍を持つか、日本国籍を持たなくとも在日かだろう。標的が間違っている。一団は私が言う中国のネット紅衛兵のレベルと変わらない。日本人として恥ずかしいことだ。どうしてもデモをやりたいのなら、韓国大使館に行くべきだった。
 彼らは武士ではない。なぜなら識見も礼節も持たないからだ。
 今ではデモの映像が世界に流れる。「なんだ日本もこんな程度か」と見られかねない。

 若者諸君の中で一割が武士の心構えを持ってくれれば日本を危うくすることはないだろう。武士というのは喩えの話であり、他と階級差別をするわけではない。氏素性も学歴も関係がなく、誰でも武士になれる。大黒屋と万次郎を例に挙げたのも、2人が武士の家に生まれず、自らの努力で武士の心構えを身につけたからだ。武士をリーダーと置き換えてもよい。職業は問わない。
 もう一つ武士またはリーダーの資質に「自己抑制」を挙げることができる。 

  李氏朝鮮の末期と近代史

  韓流ドラマの歴史物を1,2回短時間観たことがある。三国時代の抗争物語では華やかな衣装を着た国王と宮中貴族が中心で、ほとんど貧しい民衆は出てこなかった。日本で言えば、奈良時代か平安時代初期のことか。韓国ドラマはここから現代物に飛んで中間の時代を描くドラマはないようだ。
 私は李王朝の末期、日本なら幕末の時代がどのように描かれるか観たいのだが、韓国歴史では惨めな時代だから市民視聴者に受けないのだろうか。

 さて、幕末にあたる頃、日本と同じように、朝鮮政府では開国派と鎖国派が抗争していた。欧米列強は開国を要求して海軍が朝鮮を攻撃したが、最初は1866年のフランスだった。
 ペリーの黒船が来たのは1853年、列強4ヶ国が下関を砲撃したのは1864年のことだから、当時政府間で外交関係があった朝鮮には、日本で何が起きているかの情報が伝わっていたはずだ。それでも朝鮮は対応できず、宮中クーデターを起こすなど混乱した。

  日本が日清戦争に勝利した以後、日本は朝鮮に対して外交を、次いで内政を移管し、最後に1910年日韓併合によって支配した。ここに李氏朝鮮が滅んだ。北からのソ連の圧迫に対応するためだったとされる。日露戦争に判定勝ち(ノックアウトしなかった)してから5年後のことだった。
 韓国人はこれを認めないだろう。認めるような歴史教育をしないだろう。 

  韓国政府が日本の魚を輸入禁止

 韓国政府が原発からの汚染水が海に流れたという理由で、東北地方8県からの魚の輸入を禁止した。
 この中に海がない、したがって漁業をしていない栃木県と群馬県が含まれているのはお笑いか。怨念に縛られているのか、理性を歪めている。韓国政府関係者は地理にうといのだろう。韓国の魚消費の15%を占めるという日本産の輸入業者には大変な打撃だろう。

 もっとも、韓国を知る私でさえ、韓国に八つある「道」(県か州に相当)のうち京畿道と済州道の二つしか今挙げられない。他国のことをあれこれ言えないか。
 さて、諸君は韓国の「道」をいくつ知っているか?         
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2013年9月2日月曜日

#99 怨念に縛られる国に未来はない――韓国にこそ問題が多い

 80年代の冷戦時代に、リーガン大統領は最新型原子力空母の建設、迎撃ミサイルの開発、監視衛星の強化などソ連に対し攻勢を仕掛けました。これに対し、ソ連は国家財政と経済に問題を抱えながら、軍備増強に巨大な予算を使って対抗しました。結果として、ソ連崩壊の原因の一つになったと言われます。  今、中国、日本、韓国は軍拡競争に巻き込まれています。この「悪の連鎖」の行方はどうなるのでしょうか。  
 諸君はばらばらの情報から次の時代をどう予見しますか?

悪の連鎖が韓国経済の重荷
 韓国政府は海軍艦艇を増やし、済州島に大海軍基地を建設するという。その上、陸軍を55万人から40万人に削減するのだそうだ。今でもイージス艦3隻、潜水艦9隻、駆逐艦6隻を保有し、貧弱な北朝鮮海軍を圧倒しているというのに。
 韓国で国防上の最大の問題は、首都ソウルが国境に近過ぎることだ。  歴代政権が首都の機能を120キロ離れた世宗市に移転することに取り組んできたが、結局、白紙撤回して世宗を教育科学経済都市に計画を変更した。巨額の財政負担が伴うことと、移転しても中枢ソウルの防衛にはつながらないからだろう。
 40年前に私が韓国に出張していた時に、人口の2割と富の5割がソウルに集中していると言われていたが、これは今も変わらない。
 北朝鮮によって軍艦が魚雷攻撃で沈められても、民間人が住む島を砲撃されても、反撃できなかったのは、核の脅威ではなく、北朝鮮による「ソウルを火の海にする」という脅かしのせいだ。ミサイルは落とせても、通常兵器の砲弾は防ぎようがない。
 先日、海上自衛隊で最大の多目的ヘリ空母「いずも」(2万トン)が進水した。中国の海軍増強、空母の就航に対応することが背景にある。韓国も対抗意識からいずれ空母を持ちたがるだろう。     
 中国の覇権主義から始まった海軍増強→日本の対応→韓国の追随という悪の連鎖は、どの国にも大きな財政負担をもたらす。しかし、他の二国に比べれば日本には耐力がある。
  政治において情念のような不合理なものはいつか国を滅ぼす。パク大統領に次の言葉を贈る。  「怨念に縛られる国に未来はない」

国連事務総長が日本政府を非難
 母国の韓国に一時帰国したパン・キムン事務総長が日本政府の歴史認識について非難した。「正しい歴史認識を持ってこそ、他の国々から尊敬と信頼を受けられるのではないか」とも発言したという。彼は韓国政府の日本非難に悪乗りした。中立であるべき総長として失格だ。
 彼は国連幹部に韓国人を多く重用し、しかも国際紛争に対して説得力を発揮できないので、国連のみならず、アメリカのメディアからも無能呼ばわりされている。
 ここからは例によって私の推測をしてみよう。 彼は事務総長として2016年に2期目の任期が切れる。国連内外から尊敬されていない職場にやる気を無くしているかもしれない。  そこで、彼が次に目指すものは韓国の次期大統領だろう。韓国人として国連トップに就いただけでも韓国のヒーローであることに加えて、ここで時流の日本非難に乗ればさらに韓国人の支持が高まる。大統領選挙では当選確実だろう。
 反共、反日主義者と言われるパン総長も、そしてパク大統領も、韓流偏向の歴史教育の産物だから、日韓史については半面しか知らないだろう。

韓国の登山遭難者と日本人との違い
 7月末に20人の登山パーティが中央アルプスの宝剣岳で遭難した。雨で気温が下がり、パーティがばらばらになって4人の死者が出た。その後報道がないので分からないが、ほかに死者が出たかもしれない。 遭難の原因はいくつもある。
 先ず、天気予報を無視したこと。日本語も読めず、情報を取れなかったのだろう。
  二つ目は、防寒具はポンチョしか持たず、寒さへの装備をしていなかったこと。韓国には最高峰で1700メートルの山だから、2900メートルの寒さは経験がなかった。
 三つ目は、異国での初めての登山であるのにガイドを雇わなかったこと。標識と登山者に従えばよいと考えたのだろう。天候急変に対する備え、道に迷う恐れに対してガイドは必要だった。
  四つ目は、日本語も充分しゃべれず、緊急事態でパーティをまとめられなかったリーダーに資質が欠けていたこと。彼らは日本に来る航空運賃や日本国内での旅費、宿泊費、食費などの経費を出せるのだから、金持ちか中流のクラスであったはずだ。それでいてガイド料をけちった。仮に日本のパーテイが韓国の山に登るなら、当然、ガイドを雇っただろう。

 国民性の違いはまだある。彼らは登山者とすれ違いをした時、韓国語で挨拶したという。 このクラスの日本人が韓国の山に登るなら、「こんにちは」、「ありがとう」くらいの韓国語を習うに違いない。
 さて、彼らの捜索費用を日本側が韓国大使館を経由して請求しただろうか?日本人に適用するのと同じルールに従って請求することが原則だ。テレビか週刊誌に追跡取材をしてほしい。

  ◇ 韓国人の女子ゴルファー
 女子ゴルフのCATレディースの結果はひどいものだった。トップ10位中に優勝者以下韓国人選手が4人を占めた。ほかでも毎度のように韓国人が優勝している。 日本の有力選手がアメリカのツアーに参加しているので、その留守に韓国人の優勝を許している。
 日本の女子選手よ、しっかりせんか!

  私が若い頃、確かマーシュというオーストラリア人の強いゴルファーがいた。日本のツアーで圧勝していた。あまりに勝ち続けている時、日本のギャラリーからGo home!と言われた。彼は嫌気がさしたのか、アメリカのツアーに転戦したが、あまり振るわなかった。
 韓国人選手よ、本国では賞金が安いから日本で稼ぎたいのだろうが、ぼつぼつGO home!の声がかかる。その前に本国に帰る潮時だ。
 仮に、日本選手が韓国で勝とうものなら2回目にはブーイングして騒ぎ立てるだろう。やはり国民性の違いがある。

前回#98について読者から寄せられた意見  
 〈その一〉 永い永い中国各王朝からモンゴル、高麗の圧政下で虐げられ、独立して、自分で事を成したことのない民族で、「自己の不満、不具合は全て他人、他国のせい」として命脈を繋いできた人々のDNAは、拭い去ることは不可能でしょう。気の毒な民族です。皆が皆歪んでいる人達ではないでしょうが、幾つか世界に誇れる「成功例」を作ることが、この民族の明るさを手に入れる唯一の策だろうと思います。
 70~80年代は韓国に通っていましたが、「経営者も技術者もサーやるぞ!」と走りはじめた頃で、貧しいが明るい時期でした。確かに急速に繁栄を手に入れましたが、全員のものでは無かったこと、長続きしなかったことで、マタゾロ本性が出て来たと思います。
  周囲としては、無視し、「自分でやれ!」と距離を置くのが、彼等への親切でしょう。

 〈その二〉  アメリカ政府が日本政府だけに韓国との関係改善の圧力をかけているのだ。アメリカ人は、政府も市民も、韓国の広報を信じてまともな歴史を知っちゃいない。

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2013年8月20日火曜日

#98 韓国政府の対日攻勢が激化ーここ数年の我慢が勝負

   韓国大統領の対日敵対意識がすごいな。あまり腹を立てない日本人も怒っている。もうええ加減にしろ、とうんざりしている。  日本の若者たちはどう思っているのだろうか。韓国系在日の若者たちはどう受け止めているのだろうか。このままでは日本で居心地が悪くなるだろう。  先日の日本の民間団体と中国の英字紙による世論調査によると、日本人の中国に対する印象も、中国人の日本に対する印象も「良くない」が90%で過去最悪だとか。
  何度も繰り返すが、一体「中国」と「日本」は何なのか?諸君には「中国人」と「中国政府」をごっちゃにしないでほしい。  おそらく韓国と日本に対する印象も「良くない」が90%でしょう。

◇ サッカーの国際試合で反日の横断たれ幕  
 ソウルで行われたサッカー東アジア大会の日韓戦の試合中に、韓国ファンが「歴史を忘却した民族に未来はない」という反日の巨大な横断幕を掲げた。これに対し、韓国サッカー協会は日本のファンが旭日旗を振ったことがきっかけになったと表明した。  諸君はおかしいと疑問を持ったか?  私の疑問はこうだ。
 先ず、横断幕は事前に用意しなければならないから、旭日旗(朝日新聞の社旗を四つ合わせたようなもの)を振ったことがきっかけではなく、もともと計画されていたことだ。  
   次に、もしそうなら、日本のファンが旭日旗を会場に持ち込むことを知っていたことになる。情報が漏れていたとしか考えられない。  日本のサッカー紅衛兵たちは、旭日旗が戦前の帝国海軍旗であったことを知らなかったか、知っていても他国の座敷で挑戦的な旗を振ることに無知であったかのどちらかだろう。  諸君は過剰反応しない方がよい。たかが教養がない韓国のハングル紅衛兵がうさ晴らしをしただけだから。
 それにしても、と私は思う。なぜ自衛隊3軍の海上自衛隊だけが、艦艇の後部に帝国海軍の旭日旗を掲げているのか?日の丸の国旗だけでよいではないか。

 パク大統領の対日敵対意識が異常  
 諸君は韓国情勢についてはあまり関心がないかもしれない。しかし、事実を知ることは常に重要だ。  そこで、パク大統領の敵対意識むき出しの言動と、韓国政府ほかの悪乗りをまとめてみよう。諸君たちはいくつ知っているかな。

 1) パク大統領が訪米、オバマ大統領との首脳会談の席で日本政府の歴史認識について訴えた。(本稿#92)。  
 2) アメリカ議会に招かれた演説の中で、日本政府の歴史認識と従軍慰安婦問題について非難した。  
 3) パク大統領が慣例に逆らって日本より中国を先に訪問、中国政府に対して、1909年、首相を退任していた伊藤博文を ハルビン駅で暗殺した安重根の像をつくる要請をした。  
 4) 韓国の国会議員グループ、さらに子供を含む市民グループが竹島に上陸した。       
 5) 安倍首相が操縦席に座った航空自衛隊の練習機の機体番号が「731」で、兵器の人体実験を満洲で中国人(一部の朝鮮人)に対し行った旧関東軍の731部隊と同じだと韓国政府が非難した。ほかの練習機でもよかったのに、首相側近や自衛隊幹部もアドバイスできなかったのか? 
 6) 韓国の裁判所が、戦時下に徴用した韓国人労働者に対して未払いとする給料の支払いを三菱重工に命じる判決を下した。韓国政府はこれまで日韓基本条約を守っているが、今度は韓国の司法が突っ張ってきた。判決は日本に及ばないとされるが、以前とこれからの訴訟に影響し、日本企業は難しい対応に迫られる。  
 7) 韓流スターが竹島に遠泳して韓国世論に訴えた。日本の民放テレビは彼が主演する放映を延期して民意に応えた。毎日4,5本もある「韓流ドラマも中止せよ」という意見も聞かれるが、これはやり過ぎだろう。  
 8)終戦記念日に4人の韓国議員が靖国神社の前で、反日の演説を試みたが、日本の警察によって阻止された。他人の座敷に土足で侵入するような無礼な行為だ。韓国のメディアが大きく報道してくれることを狙ったものだろう。

 従軍慰安婦問題と韓国政府の広報  
 アメリカ人からの情報によると、アメリカでは従軍慰安婦がComfort Womenと呼ばれてメティアによっても人権運動団体によっても日本叩きが行われており、他方、日本政府による反論は韓国政府の攻撃的で戦略的な広報にはかなわないという。いつでも守勢の側は弱いものだ。英語には「従軍」が含まれていないが、言うまでもなく、日本の軍隊によって慰安婦の強制的徴用がなされ、施設もつくったと信じられている。  
 韓国政府の戦略は、先ずソウルの日本大使館前に慰安婦像の像を建てたことから始まり、米国各地にも建てられつつある。
 報道されないことが一つある。それは韓国政府が朝鮮戦争時に「特殊慰安隊」と呼んで売春婦を募集したことだ。相手国を攻撃する時には、自国の不利を伏せることは国際交渉の常識だろう。
 慰安婦を日本陸軍が直接関与したかどうかについていろいろ意見があるので、私は確信を持てない。

◇ パク大統領の父・朴正煕大統領の治世  
 私は朴大統領の治世下であった1970年代の日本企業時代、頻繁に韓国に出張した。彼は国民に華美と贅沢を戒め、自らもそうした。彼は善玉の軍人出身独裁者であり、韓国に経済成長をもたらし、最貧国から脱した。
 当時は、月に一日「米を食べない日」を設け、サイレンが突然鳴ると、一斉に屋内に避難する訓練日があった。私はサイレンが鳴るとタクシーの運転手が逃げて車内に残されたことがあった。わけが分からないまま運転手の後を追った。  漢国の社会には緊張感が漂い、国民一丸となって建国にひたすら努力していた時代だった。  
 1965年、朴大統領と佐藤栄作首相が日韓基本条約に調印して両国の関係が正常化された。不幸にして、私が渡米した翌年の1979年に、側近の情報部長によって執務室で射殺された。衝撃的な事件だった。

 諸君たちの世代にどうなるか?
 一体、韓国政府は何を意図しているのか?中国政府に比べれば、韓国政府が抱える内政の課題はましであるのに、何をあせっているのか?ひょっとしたら、1997年のデフォルト(国家の債務不履行、国家経済の破綻)をIMFの支援で辛うじて切り抜けたことに続いて、今またデフォルトの危機がささやかれることと関係があるかもしれない。
 韓国政府が日本と敵対して何の得があるのか、私にはよく分からない。
 いずれにしても、諸君たちには韓国政府に対する反感を一般の韓国市民に広げないでほしい。諸君の時代になっても、程度の差こそあれ、日韓の政府関係は大きく変わらないだろう。日本人は大人(たいじん)の心構えで行こう。        (完)        ―――――――――――――――――――――――――――――――

追記。本稿#96で政府の対中朝貢外交について書いた。さらに今月、自民党の若手国会議員団が中国を訪問したが、中堅の女性幹部に会えるのがやっとで、門前払いも同然。議員たちが物乞いしているように見えた。こんなのは国費の無駄使いだ。若手の交流をしたいのなら、東京の中国大使館員たちを招いてパーティをやってみろ。外交官はなかなか制約や規則をはめられていて出てこないかもしれないが、外交の話題を禁止にして最初は両国の文化を話題にすればいい。要するに、次世代のパイプをつくることが大切。  今度は公明党が議員を中国に訪問させるという。なぜ平等互恵(相互訪問)の原則を理解しないのか?

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2013年8月11日日曜日

#97 上海たより、「三伏」

 久しぶりにI氏からの「上海たより」が寄せられました。中国事情に関するエッセイを載せます。  ぎらつく日中関係の中で爽やかな中国事情を伝えるエッセイです。諸君の教養のために参考になることを願います。   

      ―――――――――――――――――――――――――

 
  三伏は夏の季語でもあります。五行説由来で諸説あり、初伏(夏至から第3番目の庚の日から10日間)、中伏(第4番目の庚の日から10或いは20日間)そして末伏(立秋後の庚の日から10日間)と続く三つの伏です。極暑(火の気)を恐れ、庚(かのえ。金の気)が伏して(隠れて)しまう期間が30~40日続くとされます。この時期に韓国ではサンゲタンやポシンタンといった精の付く食材を多く摂るようで、日本の鰻も三伏に由来するのかも知れません。  その三伏に入ってから、上海は体温を超える猛暑が続き、最低気温も30℃前後という状態です。全国主管者会議に集まった香港・台北・広州からの代表も上海の暑さに吃驚し、最高気温が25℃前後の大連の主管者は、同じ国とは思えないと話していました。  そんな暑い時期には、涼しくした部屋に蟄居して、大人しくごろ寝をするか、積読の山を崩しながら昼寝をするのが賢い過ごし方でしょう。
  ところが、賢明ではない凡夫は本の山に向かわず、先週末は蘇州の霊巌山に登り、今週は南京での登山用具などのアウトドア展覧会に赴きました。新幹線で蘇州へは30分、南京へは1時間余りで楽に移動できますし、上海より比較的低い気温(南京/37℃、蘇州/38℃)でしたが三伏の酷暑下の行動であることに変わりがありませんでした。これも猛暑と大雨で名高い長沙の知人から「上海・蘇州・南京の三か所合計で115℃。煉丹炉中の孫悟空のようだ」と妙な暑中見舞いが届きました。  
  金融・流通など第3次産業の進出が多い上海に比して、蘇州は早くから日本の製造業進出の中核として他を圧倒しています。その蘇州の中でも有力メーカーの総経理を長年務め、蘇州日本商工会のドンとして人望の篤いK氏とは、各地での講演にも忙しいコンサルタントのM氏の紹介で、呑み・喋り仲間にしてもらいました。3人ともアラカン族であり、とりわけK氏は宮崎県人で、大分県生まれの人間にとっては、日豊本線(九州イーストコーストの日向と豊前を結ぶ鉄道)繋がりの面でも親近感があります。この春にK氏の肝煎りで蘇州商工会のセミナーが開催され、土曜日午前にも関わらず参集された多くの方々の前で、M氏らとともにお話しをしました。セミナーの後に楓橋や寒山寺などを案内して貰いながら、今後とも単に呑み・喋りだけでなく、お勉強もしましょうと云う事になりました。 今回は蘇州西郊の霊巌山に傾国の美女、西施を探そうというお勉強でした。
   西施は2500歳くらいの美女だから期待はしないようにと笑う先達のK氏を中心に歴史のおさらいをしました。 霊巌山は春秋戦国時代の呉越の戦いの旧跡の一つ。会稽山の戦い(紹興近辺)で危うく命を拾った越王勾践は、臥薪嘗胆して捲土重来を期し、策略として50人の美女を呉王夫差に贈った。夫差は「宮女如花満春殿」と謳われた館娃宮を霊巌山の頂に建て、政治を忘れ、とりわけ西施に溺れた。好機到来と越軍は霊巌山を囲み、夫差を撃ち雪辱を果たす。西施は逃れてその後の行方は今も知れず・・・  
  
   蘇州新区のホテル前からバスで半時間余り、冷房の効いた小奇麗なバスの料金は何処まで乗っても2元(30円)で、霊巌山麓の終点の木瀆まで連れて行ってくれました。木瀆は上記の館娃宮を建設する為に水路で運んだ木材の集積地とのことでした。木瀆は水郷古鎮観光地の一つになっている様子でしたが、今回は登山が目的なので次の愉みに残しました。先達のアドバイスで入場料の必要な正門は回避し、大きく迂回した脇道を採りました。土産物屋が途切れた所は船着場跡のような感じで、そこには立派な石門もあり、どうもこちらが表参道のような気がしてきました。金気が伏せる時期だけに無料入山は有難い。火気も運よく穏やかになり、雲が日差しを遮ってくれました。  讃岐象頭山の金毘羅さんの参道のような傾斜、距離でした。入山料をセーブするような我々には無縁でしたが、前後二人の肩に担われる轎(輿。座席型駕籠)も見かけました。常緑樹側の蝉しぐれが反対側の竹林に反響し、風に揺らぐ竹の葉のせいか妙なる音楽を奏でていました・・・という余裕は先達のK氏だけの世界で、我々は処々にある亭や磨崖仏を給水ポイントにしました。ところが8合目(という程の高山ではありませんが)あたりに基礎だけが残された石碑がありました。基礎部分の裏側の黒く塗られた刻字を辿ると、福岡県八女地区の公共団体が建てた友好祈念の碑であったことが何とか読み取れました。先達の説明では、昨年秋に傷つけられた、元々それほど多くの人が来る場所ではない、何故そこに建てたか不詳、知名度の低い祈念碑までわざわざ傷つけに来たことを知っている人は少ない、報道もされていないと思いますよ、との事でした。
 岩山を抜けて頂上へ。「東晋時代に寺が建てられ、唐代から清代まで禅宗道場として高僧を輩出したが、咸豊30年に兵火で破壊された。民国に到り印光法師らによって浄土宗道場として再興された」と拝観料1元のチケットに書かれていました。チケットの裏には「西施梳粧台遺跡」の図が描かれていました。掃除の行き届いた院内には、参拝者と修行僧が多く、観光客は静かでしたから大声で喋っていたのは我々三人だけだったかも知れません。(当地のガイドのマイク案内とJRアナウンスの煩さには辟易しています。カラオケ同様にマイクを持つ人は謙虚であって欲しいものです)。 とても感じの良いお寺に来ても食欲好奇心は鎮まらず、精進麺を食べさせる堂宇を目敏く見つけました。残念なことに、営業時間が過ぎていてこれも次回の愉みとなりました。椎茸麺が18元という値段札には驚きました。
  入門料が1元なのは、無料にすると却って面倒が多いから、形ばかりの有料にするということでしょう。上海の城隍廟(豫園古鎮の起点)の精進麺は5元(土日祝は8元)ですが、やはり車道もリフトもない聖地のせいで高いのでしょうか?  精進麺に気を取られている内に西施のことは忘れていました。帰りは間道を抜けて下りましょう、と先達はスタスタ細い薮道を歩き始めました。西施が逃れた道、日本人は我々三人しか通ったことのない道という強い確信に満ちた足取りでした。下山後に大きなキャンバスの学校、隠れ家的農村レストランの横を歩いていたら、高級ハイヤーとすれ違いました。この奥を通り抜けはできないから、必ず戻ってくるに違いないハイヤーを捉まえようと衆議一致(ホンネはもう歩きたくない)。 好運にも予測が当たり、ホテルまで快適なドライブでした。
  上海に戻って、積読の山から一冊、『上海游記』『江南游記』を引き出しました。 芥川龍之介が1921年3月から7月末まで、大阪毎日新聞の派遣で各地を歩いた時の紀行文です。新聞連載ということで、ジャーナリスティックな視点を意識したのか、孫文の辛亥革命が袁世凱大総統に掠め取られた時代の混乱を社会荒廃としてとらえています。一方では日本政府の対華21ヶ条要求への反発から排日・抗日の流れが増していることにも目配りして、壁に貼られた檄文や高校生の排日の歌声を見聞きしています。

   また28歳の社会主義者の李人傑氏との面談で、共和でも復辟でもない若い芽吹きを感じているところはサスガです。しかし芥川が滞在中の7月に、中国共産党の第一回大会が上海で秘密裏に行われた事までは当然ご存じありません。 本業の小説家としては、美味求真、妓館名妓、清朝遺臣、上海紡績、租界風物、天蟾舞台などを通して、上海と上海に生きる中国人そして日本人を描いています。上海、杭州、蘇州、南京の名所古跡の「観光」には冷淡というか悪意に近い皮肉な批評が続いています。一方、土地の風や匂い(臭い)を感じる「観風」には厳しい視線や言説の背後に暖かい眼差しと諧謔を感じました。   その芥川が上海在住の島津四十起氏の案内で蘇州霊巌山に登り、霊巌寺を見物しています。まず市内からは初めて乗せられた驢馬で冷や冷やしながらの移動。登り口が見つからず、道を尋ねれば更に分からなくなるという法則通り、ウロウロした挙句に驢馬がエンスト。俳人通人でもある先達は「何、こう云う事も面白いです。あの山がきっと霊巌山ですから、――そうです、兎に角あの山へ登って見ましょう」という姿勢。
  やっとの思いで登ったら、西施弾琴台も館跡も岩があるだけで草もない。折からの雨で太湖も望めず、腹も減ってきた(精進麺の有無は不明。寺の坊主から分けて貰ったどす黒い砂糖をなめても元気は出ない)。そんな情けない思いをしながら下山したら、驢馬がいないし驢馬曳きの子供も見えない。持参した傘は驢馬の荷駄に残したまま。やっと農家の軒先に雨宿り。農夫は駕籠かきを副業にしているのか轎子が見えるが、そんな時に限って先達の中国語は通じない。ついに自己制御が切れて、「お互いに迷惑しますね、案内者がその土地を知らないと、・・・」と売り言葉。島津氏も買い言葉を返し、ずぶ濡れになりながら、血相を変えた男二人が立ち尽くしたのは、もしかすると我々が好運にもハイヤーを捕えた場所辺りではないかと思えてきました。
  その夜は、昨年9月の騒動では難を免れた料理屋で置酒歓談。数千人の工場の様々な課題(賃金上昇だけでなく、食堂運営や社員旅行までも一筋縄ではないこと)から、時節柄か自分の墓をどこに設けるかまで様々な話題で盛り上がりました。K氏の故郷の焼酎「百年の孤独」(黒木酒造の当主はK氏の一年後輩という有難い関係)や銘酒が空になる頃、独り夜舟を漕ぎながら、西施の宮殿を訪ねる夢を見ていました。徒然草の「山までは見ず」の仁和寺の法師ではありませんが、何事にも先達は有らまほしき存在です。芥川の文章を読んで、K氏の有り難さを改めて感じました。立て替えて貰ったバス代と入門料の返金と精進麺を口実に蘇州を再訪することを愉みにしています。   芥川の上海江南游記から90年、二つの国は戦争と体制変革と経済至上時代を経験しました。両国の先達が傷ついた友好祈念碑を訪ねる事はないでしょう。されば、芥川が石碑を見たとしてどんな冷ややかな警句を発するかを想像しながら、火の気が旺盛な三伏を凌ぎたいと思います。(了)  

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2013年8月3日土曜日

#96 オバマは中国を重視?――大いに異論がある

 元外交官が地元紙に寄稿した文には問題があります。人は外交プロの意見には影響を受けるかもしれません。しかし、外交官にはそれぞれ専門分野があり、逆に限界があるものです。
 今回はここから書いてみることにします。 
 中国をめぐる情勢についても触れますが、その道のプロには思考の限界があるので、私のような素人の発想とは違い――たとえ間違いがあっても――があります。 諸君はどちらも鵜呑みにしないで、諸君自身の考えを持ってください。
 外交に限らず、どの分野でも思考力を高めることができます。  特に、次代について常に考えてほしい。

◇ 「オバマは中国を重視」はおかしい  
 元駐イラン大使であった孫崎享氏(以下敬称略)の地元新聞への寄稿を読んだ。彼の論点には偏向があり、無視できない。一つひとつ反論してみよう。アンダーラインの文は新聞からの引用。   
 

 米国大統領は明々白々、日本より中国を大事にすることを世界に示した。
 彼に限らず、どのメディアもオバマ大統領と安倍首相との首脳会談は1時間で、習国家主席との会談は8時間に及び、米国政府は日本より中国重視の姿勢を取っている証だと報道した。しかし、これはおかしな論理だ。
 私は1978年から1995年までアメリカで生活していたが、この18年間で日本関係がメディアで取り上げられたことは貿易問題くらいだった。首脳会談も1時間を超えることはなかった。隣国のカナダについても、アメリカの石炭火力発電の廃ガスがカナダ上空に流れて酸性雨を降らす問題と、東部海岸の国境地帯で両国漁業者が紛争を起こした問題がメディアで報じられたくらい。日常カナダが報道の対象にされることはなかった。
 両国の首脳会談は首相か大統領が変わった時に行われるだけで、1時間を超えることはなかっただろう。 要するに、アメリカは日本ともカナダとも大した政治課題がなかった。他方、アメリカは中国の東シナ海・南シナ海における脅威、日中関係、経済運営、人権問題など放置しておけない課題が多いのだ。  

 オバマ大統領は安倍首相を好きではない。オバマ大統領は基本はリベラルである。
 この論理が通るなら、オバマはリベラルの鳩山、菅元首相が好きということになる。また、英国の保守派キャメロン首相も好きでないということだ。アメリカ大統領が誰であれ、民主党と共和党に関係なく、こと安全保障に関しては大した違いがない。

 歴史的にみれば、在日米軍の日本駐留は同盟というより、占領体制の延長である。(中略) 日本が中国に吠えても、後ろ盾はない。  
 ドイツには、これまで兵数を減らしてきたが、今もNATO軍傘下で68,000人の米軍が駐留している。これも占領体制の延長なのか?
 アメリカ政府が取る防衛戦略の基本は、本土から遠く離れたところに前線を置くことであり、これは今も変わらない。つまり、ヨーロッパ大陸と太平洋東岸に防衛ラインを敷くことだ。その要がイギリスと日本なのだ。
 日米同盟は日本を守ることが、すなわちアメリカを守ることだ。他方、韓国との同盟は対北朝鮮に目的がある。  最近の中国の覇権主義に対応するために、日米同盟はアメリカの国益にかなうのだから、孫崎が唱えるほど日本を軽視していることにはならない。
 アメリカ政府が中国を重視するように見えるのは、山積する問題を抱える中国政府に対して、武力衝突を避け、中国が政策を変えることを迫っているのだ。

 聞くところによると、孫崎はいろいろ問題がある御仁らしい。私は彼を知るわけではないから、彼の人物や他の考えについては書くことはない。ここでは地方の読者を惑わす彼の寄稿一点について異論を書いている。
 地方の諸君よ、偏向した極論に惑わされないようにしてほしい。

日本政府の対中外交について    
 地方議員団が北京を訪問したし、政府は外務次官を派遣した。中国政府とパイプをつなぐことは大事であるが、相互訪問が原則だ。日本側からだけ中国を訪問する朝貢外交は止めるべきだ。首脳会談をやるなら第三国で行ってほしい。
 朝貢外交の三悪は、新人議員など100人を引き連れて北京を訪問した小沢議員(当時民主党)、再三北京詣でをしている鳩山元衆院議員、わざわざ北京を訪れて「尖閣諸島は田中元首相と周恩来元首相の合意で棚上げされた」と言いに行った野中元自民党議員の一行だろう。当時は中国政府が日本を脅かさない時代だった。
 
 つい先日、毒入り餃子事件の犯人に対し有罪判決が出た。三年もかかった。麻薬犯罪に関しては、即決裁判では犯人が死刑判決を受け、わずか一週間かそこらで死刑が執行されるというのに。  
 諸君は憶えているか?毒入り餃子事件が起きた時、中国政府は「毒は日本で入れられた可能性が高い」と公式見解を表明した。そして、国営の食品メーカーの社長は謝罪するどころか、「我々も被害者なのだ」と言った。中国政府は今も日本に謝罪していない。
 そう、なんでも相手が悪い、謝罪しないことが中華思想なのだろう。  さらに、アメリカから技術や政府情報を盗み取るサイバー攻撃についても、オバマ大統領との首脳会談で習国家主席は自分たちも被害者だと言った。  考えてみよう。サイバー攻撃は愉快犯(人を困らせて喜ぶ)の迷惑メールではない。サイバー攻撃は給料によって生活を保障されている軍人か公務員の大部隊にしかできない。中国か北朝鮮に限られているだろう。                (完)

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2013年7月11日木曜日

#95 NHKが個人に訴訟されたーーカタカナ外国語の乱用

 私は日本放送協会の頭文字を取ったNHKを日本語破壊協会と称して日本語の不正確さと、カタカナ外来語の乱用をあちこちで批判してきました。本稿でも前に書いています。  アメリカから大阪に移り住んで間もない17年前、NHK大阪放送局で将来の幹部と目される若手スタッフと会ったことがあります。この時にもNHKアナウンサーが使う日本語が乱れていることを指摘しました。  しかし、私の指摘も改善につながらず、また本稿で書いたところでNHKには届かない。むしろますます悪くなっています。こう感じている視聴者は全国に多いはずです。  そこへ先月、岐阜の「日本語を大切にする会」の世話人がNHKに対し、外国語乱用について訴訟を起こしました。これは新聞でもネットの意見でも注目されています。NHKは受信料支払いと偏向番組で集団訴訟を受けているが、個人による訴訟は珍しい。  さて、諸君はどう思うのか?  

 「外国語乱用」と提訴  
 新聞に出た小さな記事の全文を引用してみよう。   
    ―――――――――――――――――  
 NHKの放送番組で外国語が乱用され、内容を理解できずに精神的苦痛を受けたとして「日本語を大切にする会」の世話人高橋鵬二さん(71)=岐阜県可児市=が26日までに、NHKに141万円の慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。提訴は25日付。  訴状によると、NHKでは報道、娯楽番組を問わず、番組内で「リスク」、「トラブル」、「ケア」などの外国語が多用されているだけでなく「BSコンシェルジュ」などと番組名にも用いられてと指摘。日本語で容易に表現できる場合でも使われているとし、公共性が強いNHKが日本語を軽視するような姿勢に強い疑問があるとしている。   
    ――――――――――――――――――  
 「NHK」でネット検索してみると、この訴訟について若者の意見は批判的だ。慰謝料に抵抗を感じているようだ。彼らは知らないのか、訴訟には必ずと言ってよいほど金銭請求が伴う。これが判決の元になるからだろう。
 もう一つあった批判は提訴者が取り上げた外国語の例について「このくらいは日常語で知っていて当然、勉強しておけ」というような意見があった。確かに「リスク」、「トラブル」、「ケア」の3語はもうどうしようもないほど日本語化している。  私ならもっとひどい例を挙げるだろう。例えば、「カスタマイズ」、「ネグレクト」、「サンクチュアリ」、「アゴラ」、「アーカイブ」、「オノマトペ」、「アップトュゥデート」、「グラデーション」、「ホスピタリティ」などNHKのアナウンサーやキャスターが使う外国語にはきりがない。
 さらに、歴史的に考える批判があった。それは奈良時代に中国から漢字や漢語が流入して日本語を大きく変えたのだから、カタカナ外国語が増えることに目くじらを立てることもない、という内容だった。どうも若者世代では外国語を問題にしていないようだ。私は若者とは違い、個人提訴者を支持するぞ。

◇ かつてNHKの基準は厳しかった  

 松下電器野球部監督(現、パナソニック常務執行役員)だった鍛冶舎巧さんは、高校野球のNHKラジオとテレビの解説者を25年間も務めた。私は滞米生活中に一時帰国した時と最近の二度お会いしている。彼からいただいた「放送席から『ナイスボール!!』」という著書の中に、解説者になる時にNHK大阪放送局の担当部長から受けた事細かな注意が書かれている。そのくだりを紹介してみよう。   
    ―――――――――――――――――――
「見る人の立場になって解説をして下さい」 「ピッチャーがふりかぶったら話をやめて下さい。視聴者は集中したい場面です」①
「NHKですから、正しい日本語を使って下さい。『ゲッツーは日本で作った俗語ですから、『ダブルプレー』と言って下さい」 「野球人はよく『バンド』と言いますが、『バント』です。『バンド』ではありません」 「『バスターバント』の『バスター』は汚い英語ですから、『エバース』と言って下さい」②
「身体的差別用語、例えば、『このバッターは、アウトコースメ○ラ』『デッドボールで○ッコを引いていますが・・・』等々は避けて下さい」③     ――――――――――――――――――――  
 ここで私が注釈をつけてみたい。  
 ① NHKテレビに出ているプロ野球解説者は、ピッチャーがふりかぶってもしゃべり続けている。常態化している。私は大リーグのテレビ中継を英語で聴くことがあるが、日本の解説者との違いがよく分かる。
 ② 私はアメリカでラジオとテレビの大リーグ中継を長年聴いてきたが、バスター(正確にはbastard)という言葉を聞いたことがない。日本の高校野球でよく見るバントの構えから急に強打に切り替える奇策をバスターバントというらしいのだが、大リーグ選手がやったのを見たことがない。   
 エバースはずっと昔の名内野手で、この奇策をよく使ったと言われる。エバースの言葉も聞いたことがない。多分fake buntと言うだろう。 bastardは特に汚い英語ではなく、庶子とか偽物を意味する。
 ③ 日頃、私はメクラもビッコも身体的差別用語であるのかどうか疑問に思っている。もちろん、障害者に向かって使うことは蔑視であり、許されない。
  なんであれ、当時のNHK基準は厳しかったのだ。その心がけは高く評価されてよい。今、せめてNHK大阪放送局だけでもいいから、往年の基準に従ってアナウンサーやキャスターに正しい基準を教育してほしい。

◇ 諸君にも考えてもらおう
 カタカナ外国語を三つに分類してみた。問題は(2)が無節操に使われていることにある。  諸君も偶にはNHKテレビを観てその実態を知ってほしい。念のため、私は諸君の私的な会話の領域に入るのではない。公共放送としてのNHKに改善を求めている。  
  (1)完全に日本語化してどうしようもない外国語  
  (2)ちゃんとした日本語があるのに格好をつけて使う外国語   
  (3)科学や技術の分野の専門用語でそのままカタカナにする外国語                               
                              (完)  

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2013年6月20日木曜日

#94 長寿と健康を自慢するなかれーーどちらも幸運の賜物

 今は遠い日のこと、滞米生活の初期にカブスカウト(ボーイスカウトの幼少組織)を引率して町の老人ホーム付属の病院を慰問したことがあります。
  病院の廊下を子供たちが大声でクリスマスソングを歌いながら歩きます。部屋のドアに出てくる人もいれば、病気のせいか出てこない人もいます。リーダーが転居していなくなったので、私が臨時リーダーとして後方から付いていました。  
 この時、ふと疑問が湧いたのです。「本当に喜ばれているのだろうか?元気をもらっているのだろうか?」と。  
 みんな高齢者で、病気の人もいる。そこへ元気いっぱいの子供たちが歌って行進する。ひょっとしたら元気だった時代を思い出して悲しくさせているかもしれない。  
 最近、この時からの疑問を感じることがありました。私はへそ曲がりなのでしょうか?

 この老人ホームは、広大な公園のような敷地に何棟もの個室棟と病院を併設している。  敷地の中に夫婦だけの一戸建ちの家を個人の金で建てることもできる。近隣の州にも知られる高級施設だ。入居するには高額の支払いをするか、資産を投げださなければならない。そのために相続遺産を当てにしている子供は入居に反対するという。  
 近郊にある州立の老人ホームで働く看護婦さんと知り合いだった。彼女の話によれば、「本人の意思に反して州立施設に入るお年寄りは長生きしない。他方、高級施設の人たちは長生きします。あそこでは80歳でも若い方で、80歳ならまだチクン(ひよこ)だと言われています」と。命も金次第とは悲しい話です。
 長寿と健康を自慢するなかれ、という3人の例を挙げます。(敬称を略す)

◇ 三浦雄一郎  
 
 三浦が80歳で3度目のエレベスト登頂を目指すことを知った時、私は「ええ加減にせい」という反応を持った。彼が初めて70歳で登頂に成功した時には「やった、グレート」と言った。75歳で2度目の挑戦が報じられた時は、「またか」と思った。  
 4月中旬にベースキャンプに到着してから1ヶ月後に登頂に成功した。日本からの登頂支援者たち、テレビの撮影隊、医師、シェルパの大部隊の総勢100人に支えられ、1億円以上の資金を使っての成果だった。  これが冒険なのか?壮大なショウだった。冒険がショウ化したのだ。
 帰国後、彼は記者会見で述べた。「70歳や80歳で自分をあきらめる人が多すぎる」と。  私はここに引っかかる。病気の人も多い。病気でなくても、冒険を試みることができない人が圧倒的に多い。いかに本人が努力したと言えど、彼は幸運な人であったので、長寿と健康を自慢すべきではないだろう。  
 メディアもはしゃぎ過ぎた。街頭でマイクを向けられた大衆市民も異口同音に彼の偉大さを讃えた。仮に私のように水を差すような意見を述べたとしても放映されなかっただろう。
 もっとはしゃいだのは政府だった。選挙対策と言うのはうがち過ぎかもしれないが、大衆迎合だろう。国民栄誉賞を考えたが、これには適格がないとして、その代わり、国民に夢と希望を与えた功績を讃えて「三浦雄一郎記念日本冒険家大賞」の創設を発表した。格下の賞にしたのだ。  
 同じ頃、女性登山家の河野千鶴子が、静かに日本を発ち、ダウラギリの登頂を目指した。  シェルパ2人を連れるだけの登山中、不運にも、亡くなった。ご冥福を祈る。

日野原重明  
 ドクター日野原は100歳を超えても聖路加記念病院の理事長で現役の医師。これまで医療に大きな貢献をして、功成り名を遂げた大人物だ。
 彼は要職のかたわら全国で講演し、小学生に命の大切さを説いている。その上、ミュージカルに出演した。高齢でありながら、やりたいことをやれる幸運の人だ。いかにも長寿と健康を誇っているようで、尊敬はされるだろうが、多くの健康に恵まれない人たちに勇気を与えているだろうか?
 私はへそ曲がりのようだから、「もうほどほどにしたらいい」と思う。

加山雄三  
 彼が出演するテレビのコマーシャルで、元気に運動する映像を見せた後でこんなことを話す。「皆さん、私のような元気な74歳がいるでしょうか」と。  インチキ臭いコマーシャルが多い中でもこれはひどい例だ。これで勇気づけられる視聴者がどれだけいるだろうか?  
 生計のためなのだから、俳優がコマーシャルに出ることは仕方がない。彼には「役者は与えられた台本を読むだけ」だという言い分はあるだろうが、願わくば、名声にふさわしい見識でコマーシャルを選別してほしい。

長寿と健康は賜り物
 私は70歳を超えて健康で体力もある。それでもいつ病魔に襲われるかもしれない。健康だったのに60歳代で亡くなった友達が二人もいる。たとえ長生きしても人に誇ることはしない。
 さて、若者諸君よ、この稿に対して私を非難するか?                 (完)

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2013年6月3日月曜日

Long and Winding Road to China Democracy

   #93 上海たより(2013年5月)――台湾出張から


 
 前回に書いた韓国のパク大統領に続いて、先月にはドイツでの首脳会談のため訪問中の中国李克強首相が演説した中で、「日本が(尖閣諸島などを)盗んだ」と対日非難を言った。はしたないヤツだ。彼の中華論理に基づけば、終戦直後のドサクサに北方4島を武力で占領したソ連を強盗と呼ばなければならない。海外の諸国の政府や国民はどう受け止めるだろうか? 日本政府の対中外交は、武士のたしなみも持たない相手では苦労が多いと察するが、相手がいかんであれ、武士の姿勢を貫いてほしいと思う。それが日本国の外交であり、そのうち海外から評価されるだろう。
 今回はI氏が中国と台湾について書いています。私はアメリカに次いで台湾を良く知っていますが、彼から違った視点を与えてもらえると思います。         
        ――――――――――――――――――――――――――

 「人混みには出たくない」、「SLEEP」、「家族と家で過ごします」・・・4月29日からの3連休を前にした上海の中國人職員たちの反応です。27,28日の土曜日曜に振替出社して、5月1日の労働節に繋いだ3連休ですが、今一つ盛り上がっていませんでした。それよりも7日連続で出勤する疲労感や、他国は休日なのでメールや電話が届かない、そんな変則的な出勤に身体も気分も乗り切れないようでした。個人的にも、その前の週末も台北支店長交代に立ち会う為の出張をした老骨にはシンドイ出勤でした。  
 変則連休前の当地新聞にも政府の決める休暇について異論異見記事が載っていました。革命後ながらく春節と国慶節だけが長期休暇でありました。そこへ清明節・端午節・中秋節という伝統的な節季を国家級の休暇としました。更に振替を駆使して連休を増やしたものの、今では経済効果も庶民の支持も今一つではないか、という分析でした。米国並みに休日を増しても、休日に何をするかの意識が追い付かず、何ができるかの社会の受け皿が未整備なのかも知れません。

 休日に積読の山を崩そうとしたら、司馬遼太郎の『街道を行く 第40巻 台湾紀行』(朝日新聞社)が出て来た、手にしたら面白くて一気に読んでしまった、とのメールが友人から届きました。日中友好ブームが未だ金属疲労を表面化していなかった当時、一種タブーであった台湾紀行が『週刊朝日』に連載され、単行本出版、朝日文庫出版と続きました。ちょうど台湾で40年余りに渡る戒厳令が解除され、蒋介石・蒋経国父子から次世代にバトンタッチされた時期でした。巻末の著者と李登輝総統との対談もかなり刺激的であったと記憶しています。  
 台北での取引銀行や関係会社への挨拶などの引継ぎ業務も一段落したあと、新旧支店長とH氏(台湾在住20年の知人)と4人で2.28平和公園へ行きました。かつて園内の2.28記念館を同窓の下村作次郎教授に案内してもらいました。次に3年前に再訪した際には国民党への政権交代後の改修中でした。新装された元台湾放送協会(THK)の記念館は視覚的に訴える展示が増えていました。ビデオルームから馬英九総統が挨拶する声が聞こえ、それが閩南語(台湾・福建の日常語)で語られているのが分かりました。
 台湾で結婚し、長く閩南語の世界で生活しているH氏によれば「馬総統は2.28事件関係の場では閩南語で挨拶をします。昔は拙かったけど、だいぶマシになりましたね」との由。

  1945年に犬が去り、大陸から豚が来た、と揶揄される国民党軍の腐敗・横暴への不満が限界に達した1947年2月。多くの無辜の民が犠牲となり、知識人や芸術家が圧迫を受けたことが、映画『非情城市』の国際映画祭授賞などで広く知られるようになったのは1990年代になってからのことでした。若き日の李登輝元総統も身を潜めたと言われています。
 邱永漢は香港へ脱出してから日本へ。その後、作家・金儲けの神様としての邱永漢が有名になりました。昨年逝去した後、著作を探したら若い頃読んだ佳作『呉濁渓』以外は料理とマネービルの関係しか見つかりませんでした。 邱氏に比べると地味な存在かもしれませんが、事件の犠牲者の一人に高一生がいます。台湾嘉義県阿里山郷の鄒族の人。Uyongu Yatauyunganaと発する本名以外に、矢多一夫という日本名で師範学校に学び、戦後は高一生という漢字名となりました。教師、作曲家であり、原住民自治を構想する活動にも従事していた頃に国民党の粛清の対象になりました。
 2008年、天理大学で催されたシンポジウムには高一生の遺族関係者や研究者が集り、末席で傍聴したあと質疑応答にも参加させてもらいました。台湾からの皆さんの熱心な発表には眼を開かされ、素晴らしい歌声は心に沁みました。この会を主宰した下村教授は、2012年台湾行政院「一等原住民族専門賞」を外国人として初めて受賞されました。長年の研鑽の一端を知る者としても、同級生の一人としても心より嬉しい報せでした。  
 2.28記念館のあとに向かった九汾は、映画『非情城市』の舞台にもなった断崖の町です。夕方の雨が続き、崖の洞穴の奥の茶館で阿里山茶を何杯も喫みながら、引継ぎ業務(外地業務ではその土地の風を知ることが肝要だと強弁します)のお喋りの続きをしました。ようやく雨もおとなしくなったので外に出ると、紅い提灯が幻想的でした。同行の男たちも詩心が増したのか、「うぶ毛雨ですね」と異口同音に語りかけてくれました。  

 嘉義という地名を聴くと、直ぐに「嘉義農林」という校名を思い浮かべ、戦前の中等野球大会時代の甲子園で「嘉義旋風」を巻き起こしたという伝説を連想するのは、野球小僧でも所謂オールドファンだけでしょうか? 手元の資料(と言っても毎年春夏の大会前に購入する高校野球雑誌ですが)によれば、夏の大会に台湾代表は1923年から毎年出場、センバツには1930年から3回だけ選ばれています。それに先んじて1921年から青島中学・天津商業などが大陸代表として、釜山商業・京城中学などが朝鮮代表として夏の甲子園に出ています(ともにセンバツには出場なし)。
 1926年夏には円城寺投手の大連商業が準優勝しています。夏の大会は1941年、センバツは1942年から戦争の為に中断します。夏は1946年、春は1947年から復活しますが、当然ながら台湾・大陸・朝鮮の欄には、「3大会消滅」と書かれています。   台湾代表の中で、目覚ましい成績を上げたのが嘉義農林専門学校(現在、国立嘉義大学)です。
 4月半ばに上海に遊びに来られた岡本博志氏の著書『人間機関車;呉征昌 台湾人初の日本プロ野球選手の奮闘生涯』(陳明言訳。台北南天書局出版、2009年)によれば、八田與一氏指導による烏山頭ダム建設や灌漑治水によりサトウキビ栽培が発展、阿里山鉄道建設により木材・樟脳産業が振興。嘉義農林学校は人材育成基地となった。
 松山商業出身の近藤兵太郎氏の指導により野球部も強化された。1931年夏、呉明捷投手を擁して準優勝。(呉明捷は早稲田大学でも活躍し、通算7本塁打は20年後に立教大学の長嶋茂雄に破られるまでの東京六大学野球記録であった。その後輩の呉征昌は快足強打、加えて左腕投手としても優れて、甲子園には春夏4回出場。読売(1937年~連続して首位打者、1943年MVP)阪神(1944年~盗塁王。1946年ノーヒットノーラン試合記録)毎日(1950年~)で活躍。球歴に比べて かなり遅いと思われる1995年に野球殿堂入りしています。
 その呉征昌が1947年の2.28事件の頃、日本に漏れて届く2.28事件の情報を知り、仲間内で「台湾語も日本語も通じない国民党の『国語』の世界になった」と将来の身の振り方を語り合うシーンも描かれています。

  隣人の張勇さん一家から上海郊外の農村・農家跡を整備した釣り堀やレストラン、一種の農業テーマパークの「農家楽」へ行こうと誘われていました。一方折から来訪した岡本氏は上海で農村を見たいという「無理難題」をご希望。そこで折衷案として張さんに二人での参加を要請して快諾を得ました。高級車でのドライブと食事と会話を愉ませて貰った御礼に、岡本氏は台湾で出版された上述の著書『人間機関車』にサインをしてプレゼントされました。
  キッシンジャーの近著『On China』(Henry Kissinger 2011) は、『論中国』(2012年 胡利平ほか訳 中信出版社 68元)として中国でも平積販売されています。出版の素早さと踏み込んだ部分(1989年の事件など)までの訳出が注目されています。中でも1972年2月21日からの北京、ニクソン大統領・キッシンジャー国務長官と毛沢東・周恩来とのやり取りは、(笑)が多く表記された率直な会話の部分が白眉であります。とりわけ台湾、ソ連、日本に関する会話部分に注目しました。
 ここでは、台湾についての一部を転記致します(第九章「恢復関係」;254頁 )。

  毛沢東;我々の共同の友人(老朋友)蒋委員長は今回のことを喜ばないだろう・・・彼は我々を 共匪と呼んでいる。(中略)
 ニクソン;蒋介石は主席を匪と称する。主席は彼を何と呼んでいますか?
 周恩来;一般的には、我々は彼らを『蒋幇』と呼んでいる。時々報道では、我々も彼を匪と呼ぶので、彼も我々を匪と呼ぶことになる。こうして、我々はお互いに罵りあう。
 毛沢東;実際は、我々と彼との交情は、皆さんたちの交情と比べてとてもとても長い。   

  ※「幇」動詞;助ける 名詞;集団。仲間。グループ。組。(例)青幇、四人幇など。                     
                        (了)

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2013年5月11日土曜日

#92 韓国政府の対日非難ーー歴史認識は若者に通じない

 高校の同級生S氏から示唆を受けました。彼は言う、「我々が20歳の時、日露戦争は55年前のことだった。当時日露戦争について思い出すことはなかった。2000年に20歳の若者には終戦は55年前のことだった」と。
 さて、彼の真意は何だったのか?  諸君と考えてみましょう。私自身もよく分からないことがあり、私の考えに異議があれば知らせてください。 

韓国パク大統領の外交は危ない  

 国会議員が靖国神社を参拝する度に中国と韓国の政府が毎年非難する。今年もそうだった。両国政府とも正しい歴史認識と反省を求める。今年は訪米中の韓国パク大統領がオバマ大統領との首脳会談において日本の歴史認識について問題にしている。 「先生、あの子が悪いことをしたよー」と訴えるようなもので、小学校では決まって女の子だった。我ら男はこういうことをしなかった。 
 よく引用されるように、日本政府の公式見解は「村山談話」と言われ、当時の村山首相 が18年前の1995年、戦後50周年の終戦記念日に「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明する」(一部)ということだ。
 要するに、韓国と中国の政府はいつまでも日本政府が謝罪し、彼らの歴史認識を受け入れさせたいことに尽きる。両国とも国民がどこまで歴史を知っているか分からない上に、韓国国民は彼ら流の歴史で教育されているから、政府は世論に支持されている。
 韓国は、中国に比べればましであるが、外交、経済、社会の分野で大きな困難に直面している。  
 例えば、北朝鮮との対峙、財閥支配による産業構造のいびつさ、ウオン高による輸出減、教育の過剰競争、それに格差の広がりなどだ。どれも直ぐには解決できない。だから政府は内政統治の手段として北朝鮮より日本を敵役に使っているのだろう。
 パク大統領は当初アメリカ、中国、日本の順に外遊し、首脳会談を持つことになっていたが、訪日を取りやめた。日本と距離を置く一方で中国に接近し、中韓連携の外交戦略を進める構え。パクさん、これは危ないよ。しょせん中国政府の中華外交に利用されるだけでかなう相手じゃない。

一体正しい歴史認識とは何か?

 韓国政府が求める歴史認識とは、日本政府が韓国に対する過去の過ちを認め、反省の意を繰り返し発言し、行動として閣僚と国会議員の靖国神社参拝を止めることだ。 かつて日韓の学者による歴史と教科書に関する協議が行われたことがあった。両国が受け入れられる歴史観を話合った。当時、私はこれほどナンセンスなことはないと思った。 なぜなら、歴史は各国、各学者の主観によって書かれるものであり、一本にまとめられるはずがないからだ。
 韓国は一本かもしれないが、日本では多種多様な歴史観がある。教科書に限れば、その中では戦後このかた左派史観の日教組が影響力を持ち、教科書選択を支配してきたと言われる。文部省もこれを容認してきた。
  私に言わせれば、正しい歴史認識などあり得ない。特に、歴史は時の政治に影響を受けることを避けられない。
 最近、アメリカの議会が日本政府の歴史認識と慰安婦問題に危惧を表したとか。私はアメリカの高校の歴史教科書を読んだことがあるが、手前勝手な論理が書かれていた。アメリカの有力紙も同様のことを書いた。戦争直前のアメリカの新聞報道を著書(『米国ビジネスマンの思考法――シナリオ国家アメリカ』(講談社、1987)執筆のために調べたことがあるが、それはひどいものだった。日本人に対する人種偏見と戦争を仕掛ける世論を煽っていた。
  私はこと歴史認識についてアメリカの議会と新聞からはとやかく言われたくないと思う。

なぜ中国と韓国だけがこだわるのか?  

 私が知る限り、アジア各国で会った人たちは日本の占領や歴史認識についておおむね反感を持っていない。中でも台湾は別格だ。日本統治時代の開拓投資が評価されているし、地方では神社の鳥居も残されている。かつての植民地総督府は今も総統府として使われている。台湾は戦後海外からの資金支援を受けず、独力で今日オランダに匹敵する国力を築いてきた。
 戦後、日本軍が撤収すると、フランスはかつての仏領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)に、オランダはインドネシアに帰ってきて植民地として支配した。例えば、ベトナムはフランス軍と熾烈な独立戦争を強いられた。民主主義を標榜して日本と戦った宗主国は、再び植民地支配をしたことの矛盾をどう正当化するのか。これら支配された国々、ベトナムやインドネシアでは反フランスや反オランダの歴史認識を求めているのだろうか。  
 中国と韓国が靖国参拝を問題にするのは、A級戦犯14人が祀られていることにある。

若者世代の歴史認識――最も重要なこと  

 戦後68年の今、私が聞いてきた若者世代の意見では歴史認識に関心がない。多くは、「韓国政府が歴史認識だの、反省だのと言ったってオレらには関係がない」、「過去の戦争にも関係がない」と言う。彼らは戦争をもう知らないのだ。  
 今、歴史認識と反省を求めているのは、若者と接触もない私の世代前後だろう。それも少数だ。中高年世代はしらけている。これが現実だから、仕方がない。
 冒頭に書いたS氏の示唆はこういうことだろう。 ならば、どうするか?
 終戦記念日にはメディアが強調するにしても、現実を直視して若者世代にこれからどうやって平和国家日本を維持してゆくのか、考えてもらうことだ。
 他方、戦後この方、反日の偏向教育を受けてきた韓国の若者、時に激しい怒りを露わにする「ハングル紅衛兵」(私の造語、韓国の若者インターネット利用者)は、中国の「ネット紅衛兵」と同様、自国の歴史も日本の歴史もわかっちゃいないだろう。
 最近日本のNPOと韓国のシンクタンクが共同で行った世論調査によると、日本に対する悪い印象を持つ韓国人は76%、逆に韓国に悪い印象を持つ日本人は37%で倍の違いがあった。念のために、これは国に対する印象であり、日本人が嫌い韓国人が嫌いというデータではない。
 諸君たちは韓国政府、韓国、韓国人をごっちゃまぜにするような愚に引っかかってはいけないよ。             (完)

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2013年5月3日金曜日

Long and Winding Road to China Democracy


#91 「ちょっと見」と「中国プロ」――事実に表と裏がある

 
 
 「百聞は一見に如かず」と言われます。確かに聞く情報の危うさに比べると自分の目で見ることは確かな面があります。それでも一見にも誤認が伴います。
 さて、前回一見に基づいて上海について書きました。偏見や誤認があるかもしれないと思い、I氏に確認を求めたところ、下記のようなアドバイスをもらいました。敢えて前回に訂正をしないで、そのまま転載することにしました。

 諸君は私の「ちょっと見」と、上海に長年生活する「中国プロ」の違いを知る上で参考に供します。昔、アメリカにちょっと行ってアメリカを語ることを「アメション」と言いました。この言葉と語源を知っていますか?

 
   I氏からのアドバイス 

    「英語ができる人も居る」「日本語ができる人は滅多にいない」のが実態で、外国語資格を持っている人たちは、ホワイトカラー(白襟族)として外国関係の業務に従事していることが多いようです。
  自己顕示欲の強い人が多いので「日本人に英語を分からないフリをする」ことは少ないと思います

    領事館前のレストラン;中国人オーナー経営の日本料理店がはやらなかったので、別のオーナーが四川料理店を開業。単純な淘汰だと思います。

    領土とアヘンは中国人にとって150年の悪夢に繋がるもので、とりわけ中華が東方の



倭人(小日本人)にやられたことは、中国人全般にマグマのように長く残るだろう、と昨日の大手メーカー総経理+コンサルタント会社の有名人との会合で意見が合致しました。
表面化がヌルイ温泉程度で済む処、火山のように爆発する処・・・現象は様々でしょうが心の底のマグマには常に注意しています。
親日と見られる人も島の問題では一歩も譲りません。

  農村戸籍にしばられ、移動の自由が無かった時代に比べて、改革開放政策で、移動が黙認されたのは大きな変化です。その後、安価な労働力として、徐々に都市政府や国家に認知され、遂には法律で定住が認められました。
教育・医療などの差別も残りますが、代を重ねながら「上海人」になっていくのでしょう。今の「上海人」も浙江・江蘇からの出稼ぎ定住者が代替わりして都会人の顔をしているだけとも感じます。
国内の華僑現象と呼んでよいかもしれません。
 
   中国政府との外交がおかしい

 一昨年になるか、当時民主党の小沢一郎議員が子分の国会議員を100人以上も引き連れて北京詣でをした。胡錦濤前主席に一人ずつ握手をし、喜々として記念写真におさまる姿は朝貢訪問のイメージそのものだった。今でもぞっとする。
 自民党政権の今も、日中交流議員団、高村副総裁、防衛局長の訪問が相次ぎ行われようとしたが、中国政府によってすべてキャンセルされた。
 諸君はここで、おかしいと思わないか?

 日中政府間の対立は両国の問題であり、日本側が一方的に責任を負うわけではない。にもかかわらず、中国側からの日本訪問は一つもない。これでは朝貢外交の続きではないか。
 どういうわけか、日本のメディアはこのおかしさを取り上げない。
 日中対立による経済への打撃は両国の痛み分けである。おそらく中国側に痛みが大きい。これからじわじわと利いてくる。当分の間、日本政府は中国への働きかけを止めた方がよい。「押さず、押されず」でじっと耐えるのも外交だろう。

 先日、中国の駐米大使が、「尖閣問題はすべて日本が一方的に起こした問題」と発言したことが伝えられた。うーん、彼らの論理は分からんなあ。
 もとはと言えば、長年問題としてあったが、昨年9月にウラジオストックで開催されたASEAN会議中に、すれ違いになった胡錦濤主席が野田首相に「尖閣を国有化しないように。さもなくば大問題になるぞ」と脅しをかけたことから問題が表面化した。喩えはよろしくないが、中国組の胡組長が日本組の野田組長に対し、「あのシマには手を付けるな」と言ったいうことだ。
 野田首相は胡組長に逆らってシマを自分の組のものにしたから、胡組長は面子をつぶされたから反攻に出た。日本のテレビ番組では、中国は面子を重んじる、と分かったようなことを解説する出演者がいた。どこに面子を重んじない国があるのか?

   中華思想を中国人は信じているのか

 中華思想の弊害を指摘する意見をあちこちで見聞きする。私は中国政府が内政統治の政治目的にしていると思っていたが、どうももっと国民の間で広がりがあるらしい。民族(漢民族)の優越を説く中国政府のキャンペーンは人に説得力があることは分かる。なぜなら民族の優越を説いて国民を躍らせた例は過去にいくつもあるからだ。
 例えば、ドイツのヒットラー政権はアーリア民族の優越を説き、その結果ユダヤ人を排斥した。最近ではセルビアにおいてセルビア人の優越意識からコソボなどの異民族を圧迫し、民族浄化を行った。ほかならぬ日本でも戦前は大和民族の優越を謳った。
 民族の優越意識は自国民に受けるがゆえに危ない

 ひょっとすると、歴代の中国政府要人は小学校時代から中国古典と毛沢東思想の教育を受けて、外国の著作を読まなかったなら、これが中国政府の勝手な論理に通じているのかもしれない。
 かつて日本政府の首相などが訪中した時、中国政府の要人が中国故事を持ちだし、その知識の程度で人物定めをしたという話を聞いたことがある。世界の文化の中心が中国にあると信じる彼らの中華思想の表れだろう。
 ある学者によると、中華思想は2100年も前の華(または夏)王朝時代から「華夏」教育が行われ、これが中華思想の始まりだという。 

  富山と大連の関係について補足

 前稿で富山と大連の関係について何かあるのだろうか?と書いた。
 早速、読者の友人からメールが入った。彼によると、富山県と大連がある遼寧省とは友好提携をしており、もう37年も前からだそうだ。両県省の間では政府要人、民間人、留学生の交流がある。
 私が「国際地方化」の言葉を提唱した10年も前のことだ。

                 (完)

   

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2013年4月27日土曜日

Long and Winding Road to China Democracy

#90 上海は静かだった――上海の現実  

 
 今月13日から16日まで上海に行ってきました。このブログに「上海たより」を寄稿してもらっている友達のI氏を訪ねていろいろ中国事情を学んできました。  周囲では鳥インフルエンザの渦中に行くことに心配の声を聞きましたが、上海市民の対応を間近に見ることができ、むしろ特別の機会でありました。10年前の新型肺炎(SARS)が北京で流行した時には、中国政府は情報隠ぺいして発表が遅れ、これが感染を拡大したと言われます。  これに懲りた政府は今回には情報を公開し、WHOに協力もしています。
 I氏の話によると、前回から教訓を得たというよりは、この10年間にインターネットがすさまじい勢いで普及し、強権政府でさえ情報を抑え込むことができなくなったとのことです。  日本の週刊誌の新聞広告で「決死の上海ルポ」という見出しが出ていました。
 さて、私の決死の上海ルポは如何に? 本日現在、発熱はありません。

◇ 上海は静かだった    

 日本で報道されるほど鳥インフルエンザもP2.5による大気汚染も騒がれていず、静かだった。誰もマスクをしていないので、私も持参したマスクを使わなかった。滞在した3日間は晴天であったが、空の青さは日本の空より薄い。  土、日曜はI氏につきっきりで案内してもらった。日曜にはI氏が住むマンションの隣家の中国人家族に、ベンツのファミリーバンで郊外を案内され、農村をモデルにした公園を見学した。市街から1時間以上の距離だったが、どこまで行っても高層アパートが林立する住宅地帯で、本物の農村は見られなかった。  この時、「上海市は東京都のようだ」と発想が浮かんだ。
 調べてみると、上海市域は東京都の倍もあることが分かった。人口が倍もある。とてつもなく広い。  

 月曜は一人で観光バスに乗って半日を過ごし、黄浦江めぐりの観光船から両岸の高層ビル群を眺めた。河岸の広い歩道に置かれた椅子に座って、アメリカではどこにでもあるSubwayのホギーを食べながら通り行く観光団や歩行者を眺めていた。夕方までバンドと呼ばれる旧租界地をぶらぶらした。  次から次へやってくる観光団は、日本でもよく見られるように、小旗を持ったガイドに案内される地方からのお上りさんたちだった。日本人にも日本からの観光団にもまったく会わなかった。多分、反日感情か鳥インフルエンザのせいで日本から観光客が来ないのだろう。  
 観光バスに乗る時にトラブルがあった。それは受付にスマホに記録された予約と料金支払いの確認を求められたが、I氏から預かったスマホが見たこともないノキア製の最新型で、そこに記録された「mail」を開けない。係員も分からないと言うから、会社へ電話してデータを確認するように求めたところ、「会社にはあなたの登録データがない」という返事。ええ加減なものだ。この記録を見ないことには乗車券を発行できないと突っ張る。若い男の係員は英語も日本語もできない(あれほど万博の前に上海政府は英会話教育に力を入れたのだから、日本人に英語を分からない振りをしているのか、と疑った)というから説得も利かない。こういうのを埒があかないというのだろう。  仕方ないから、スマホと格闘すること20分、偶然登録の記録が出た。そこには私の予約と支払い済みの記録があった。めでたし!
 後でI氏と会食した時、スマホについて「もう一回やれと言われてもできない」とジョークを言った。彼によると上海ではスマホが何にでも利用されているとのこと。しかし、私の感触では、末端までは理解されていないようで、上滑りしている面があるようだ。ひょっとしたら、スマホ利用が勝ち組と負け組を分けているかもしれない。
 観光バスの車体後面に数ヵ国の国旗が書かれていたが、日の丸が無かった。I氏の生活感では、これは商売を守るための方便だとのこと。つまり外向けに日本または日本人を歓迎しないタテマエを掲げているのだと言う。彼が良く行く中国人オーナーの日本食料理店が中国料理店に衣替えしたのも根は同じ。一般市民もあまり反日感情を持っていないそうだ。彼らは反日ではなく非親日を装っているのか。
 考えてみれば、日本人の感覚では島一つのことで一般市民が激怒することはないのだから。  

 上海を出発する日の早朝5時半、ホテルから近くの地下鉄駅に歩いていると、何人かが歩道を箒で掃除していた。地方から上海に来ているのだろう。上海の道路掃除やごみ収集はこうした底辺の労働者が担っているという。だから春節など彼らが故郷に帰ると、町全体が汚くなる。  私はドイツで出稼ぎのトルコ人やギリシァ人が2等市民として底辺の労働を支えていたことを連想した。日本でもバブル期から日系ブラジル人が安い労働に雇われた。そう、中国の農民工は同じ国民であるのに、2等市民に置かれてきたのだ。

◇ 「国際地方化」時代の中国人研修労働者  

 私が住む富山には国際空港がある。富山から上海のほか北京・大連、台北、ソウル、ウラジオストック(運休中)に国際便が飛んでいる。私は富山から上海までの直行便を利用した。約2時間の飛行でなんと便利なことか。隔世の感とはこのことだろう。  実は、1986年に講談社から『米国ビジネスマンの思考法』が刊行された時に、国際地方化という言葉をつくり、各地の講演でも触れた。  私の時代では、海外出張には羽田空港に行き、貿易部門は東京にあった。それが今では地方の本社に貿易部門を移すことが増え、海外出張は地方空港を利用する。  私が国際地方化を執筆や講演で提唱していると、ある大学教授が国際化は外向きで、地方化は内向きだから並び立たないと書いていた。10年以上経ってアメリカでもglobalとlocalを合わせたglocalizationという造語を目にした。
  往きの飛行機では15人ほどの若い中国人男女と乗り合わせた。待合室で米俵二つ分の大きな袋をカートに積んでいた。生活品のほかにみやげをどっさり持って帰るのだろう。誰もが特別外国人許可証を胸に下げており、訊いてみると3年間の研修労働を終えて大連に帰るのだという。安い労働力に使われて腹を立てることがあったかもしれないが、彼らはみんな幸せそうだった。
  帰りの飛行機では、日本に研修労働に行くという60人の中国人男女に私の席を囲まれた。片言の日本語を話し、やはり大連から富山に行くという。 富山と大連は何か関係があるのだろうか?                    
           (完)

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2013年4月5日金曜日

#89 英語教育について一つの考察ーー大学研究所に出した論文を転載

 やっと春が来た。大阪より一週間遅れで桜が満開になった。まだ寒い日がある。雪国で迎える春は格別だ。  
 新学期の時でもある。世間では「英語は勉強しなくともよい。聞くだけでうまくなれる」式の教材が猛烈な広告攻勢をかけている。80年代にも俳優のオーソン・ウェルズを使った同じような教材が広まったことがある。そして、消えた。  諸君が裕福なら何も言わないが、そうでなければ20万円以上も出費になるこんな教材には投資価値がないよ。
 諸君、落ち着いて考えてみよう。 これから何回か英語(英会話)学習について書きます。  
 次回からはこの論文をたたき台にして多くの皆さんとの議論から、英語の勉強方法について参考に供したいと思います。ただ一つだけ、「世間の風潮に煽られるな。目標によって取り組み方が違う」とアドバイスします。  
 せっかく力を入れて書いても、英語教育関係者のほかには読まれることがないので、私の論文を転載して皆さんの参考に供します。大学からの許可条件に従って転載する今回の稿は長い、本当に長い。皆さんは最後まで読む根気を持てますか?

 ――――――――――――――――――――――――――――――――   
 刊行物名    立命館大学教育科学プロジェクト研究シリーズXI
          「外国語教育におけるFD研究」  
 論文/記事名  実務英語と大学教育の役割          
            ―在米の元経営者から見た日本の英語教育―  
 著者名     岡本 博志、 経営学部講師(非常勤)  
 ページ、図表番号等  17~24頁   (1999年3月)    
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      実 務 英 語 と 大 学 教 育 の 役 割

           ー在米の元経営者から見た日本の英語教育ー                                 

                                                                                                                                                    はじめに――かつての大学英語教育


 私の小論を起こすに先だって、30数年前に私が学生であった時代の英語教育を概観することから始めてみたい。 私が在学していた国立大学においては、一年半の教養課程中に必修科目としての英語を、約50人の全員が理科系であるクラスで受講した。先生から名指しされた学生が英文を読み、和訳していくという形が取られ、それは高校時代の英文解釈のクラスと同じであった。 
  当時、大学受験のために読む英文と言えば、英米の著名な作家の小説が中心であり、どこにも出てくる文学的(非論理的)表現のあいまいさや難解さに悩まされたものだ。それは同時に、入試において獲得点数の分かれ目となる箇所であった。 どういうわけか、大学の英語クラスではテキストとして探偵小説が選ばれた。テキストは比較的薄くて価格が安いこと(今日とは比ぶべくもないほど重要要因だった)、流れるストーリーがあって面白いことなどが考慮されたに違いない。
 多くの学生にとっては高校 時代の英語に比べれば易しく、たいして労苦はなかったが、それが英語との関わりを維持する唯一の機会であった。また、受験準備時代に小説の断片読みをしてきた学生にとっては、一冊の原書を読み切る初めての経験が成果であったかもしれない。
 他方、失ったもの はそれまで培ってきた英文を書く能力であった。まして、英会話の機会はサークル活動(ESSなど)に参加する少数の学生を除けば、誰もの関心事ではなかった。 もし今日、私が担当教師として改革できることがあるとすれば、教材として探偵小説の代わりに、科学評論や技術論文を選んで読ませることくらいだろう。そして、英文の読解力に加えて、論理的に精緻な文章構成と論理的思考力を学べるように配慮するだろう。
  今日、時代が変わっても、クラス編成が50人を越え、英語が一般教育科目である限り、なし得る改革には自ずと限界がある点では変わりようがない。異論もあるが、幸いにして数年前から大学における外国語が選択教科になり、教える側にも学ぶ側にも多様な内容 を選ぶ自由が与えられることになった。
  ここでは、大学が担う英語教育に関して、さまざまな事例を挙げながら、一般教育と特定教育の違いとその対応を基軸として、実社会の現場から見た改革案の一端を述べてゆくことにしたい。

    私が目指す特定教育

  それから30数年後の今、私は専攻科目の他に副専攻科目の「英語で学ぶ経営学」を担当している。 30人余りの学生は、いずれも英語を専攻にしていないが、TOEFLで一定点数を取っている英語の基礎能力の持ち主である。私が学生であった時代では考えられなかったことで、一定の話す能力もある。彼等は海外旅行や日常会話ではほとんど不自由を感じるこ とがないはずだ。さらに能力差は多少あるが、英文を書く能力も持っている。
  しかし、講義を進めるうちに彼等が話す英語には問題があることを見出した。私はもともと講義の目標として、彼等が専門職を遂行するのに、「日本企業の駐在員としてアメリカ(私の長年生活地であったので)で通用する、また私のようにアメリカ企業でマネジャーとして勤められる」ことに置くことにしていた。平たく言えば、私の部下としてこうあってほしい、ということに教え方の基本を置いている。
 当然、日本から海外に出張する際に使う英語より高い目標を設定している。 そこで、いくつか問題を挙げてみよう。
 
  先ず、彼等は目指すべき英語の目標をはっきり意識していないことである。言い換えれば、専門職として使う英語と私的な会話で使う英語の違いを意識することが弱い。私は便宜的に前者を将校英語、後者を兵士英語と呼んでいるが、要するに将校英語は論理的な、 かつ文法上正しい会話を意味する。話し手は聞き手に正確にメッセージを伝え、理解や説得を求める必要と責任を伴うからである。
 実際、アメリカ人の政治家、ジャーナリスト、弁護士、会社役員などの職業人は文法に合った明解な英語を話す。ある時、クラスの一人 が達者な英語の割りにはもたもたした意見の述べ方をするので、日本語で答えるように指示すると、日本語自体が論理的にまとめられず、自分の意見をうまく話せなかった。将校英語の腕を磨くためには、日頃の日本語による論理的表現力を磨くことも大切だろう。
  他方、私的な英会話は個人の文化の領域であり、他人がとやかく言うことではないから、私は講義の対象にしていない。

  第二に、彼等が英語に日本語訛が入ることを嫌い、いかにもネーティブが話す英語に近付くことに腐心しているように見えることである。その結果として流暢に聞こえるが、むしろ聞き取りにくく、どこか馴れ馴れしい英語になっている。時に品格を欠くこともある 。
 私はネーティブの発音に近付く努力より、品格・明確・正確の「三カク」(註1)を目指すことを勧めている。 実例を挙げると、日本の大使が国連で演説する英語を聴いたことがあり、決してネーティブに近い発音ではないが、大使の英語は明確であり、しかも説得力があった。また、俳優のアーノルド・シュワルツフェガーの発音には今もドイツ語訛があるが、かえってそれ が個性の一部をつくっているように感じる。「あの人の英語には訛がある」などとケチを付けるのは国際社会の実態をよく知らないからだろう。もともと発音に関しては、東京に何年住んでも大阪弁訛が取れないタイプと、私のように東京に住むと自然に東京弁になり 、アメリカに住むと英語弁に馴染むタイプがあり、能力というより適性の違いがあるようだ(その代わり、私は正統大阪弁をうまく話せない)。
 
 第三に、私が同年代であった時に比べると、彼等には英文を書く能力が数段高く備わっているが、文章のスタイルが話し言葉調になっていることが気にかかることである。英語には日本語ほど話し言葉と書き言葉の差がないが、それでもビジネス交信においては違い が歴然とある。文章による交信は面談に頼らないだけに、文体や構成の点で的確な配慮が要求される。書き手はじっくりと内容を練る時間が許されるが、同時に読み手もそれなりに構えて読むからである。日本人の書き手としては、先ず目的にかなった良い手本の文章 を模範にしていく他ない。私の経験では、書く英文が良くなるに従い、会話の質が高まっていくようである。

 第四に、彼等の英文に句読点の使い方や文法上の間違いが目に付くことである。日本では英語教育において、文法に重きを置いた教育法に対して批判の声が強いようであるが、アメリカでも高校教育までは国語(英語)の文法をしっかりと教育していることが見落と されているのではないか。アメリカの社会では、文法上正しい英語を使うことが一つの教養水準の目安になっているようだと私は感じている。 例えば、アメリカで私に仕えた秘書は誰もが、デスクの上に辞書(綴りを確かめるため)と文法書を置いて、常に私の文章をチェックして確かめていた。係争に関わる長い文章では、弁護士と秘書が徹底して用語の使い方と構成に加えて文法上の誤りも時間をかけて 正していた。
 それどころか、日本語でもかかる重要文書のみならず、会社では業務文章の用語や文法上の誤りをきちっとチェックすることが普通であり、文法をないがしろにしていることはない。 「英語は耳から」というのは教育法の一面を伝えているだけであり、だから文法を軽視してよいということではない。あくまで文法は基本であり、そこから表現に応用自在が利くのである。喩えて言うなら、会話では、ゴロがイレギュラー・バウンドすればへっぴり 腰(文法に構わず)でも球を捕る方が良いのであり、だからと言って球を捕れたから基本技(文法)を忘れてもよいということにはならない。

  終わりに、彼等の多くは声が小さく、また姿勢や表情が良くないことである。専門職として使う英語では、声、姿勢、表情も表現力の重要な構成要素であり、このことは日本語の表現力にも共通している。これは彼等が努力目標にしていないだけであり、誰かがアド バイスしさえすれば短期間のうちに変わるに違いない。    

          何よりも環境とニーズが決め手  

 企業経営においては、理想とする最強、最良の経営組織を構築することが目標であるべきと理解していながら、慣行や社会的制約のしがらみによって目標に近付けないことが普通である。同様に、大学の英語教育についても、分かっていてもさまざまな制約から理想 の姿を実現することが難しい。それでも、目標を描き、常に目標に近付ける努力が本学でもなされている。
 しかしながら、大学は一体どこまで英語教育について学生に貢献できる、あるいは責任を負うのだろうか?
  いくつか実例に即して述べてゆきたい。

  第一の例。私が設立から取締役を務めていた在米日本企業で、駐在して間もない日本人幹部5人に対して会話を中心に英語を教えていたことがある。もちろん、仕事に直結する英語から議論の仕方まで教えたのであるが、逆に私は彼等から現場の情報を聞き取ること も目的にしていた。土曜日の午前に3時間を充て、英語とは大学以来縁がなかった彼等を手ほどきすることは容易ではなかったが、最大の助けは毎日英語の環境に身を置いていること、習った英語が明日にでも役に立つことを実感している彼等の集中力と意欲がきわめ て高いことであった。月に一度、一年間続けたこのクラスの結果、受講者の中で大きく差がついた。優等生は40代の社長であった。 彼は長年の駐在を予定しているので付け刃ではすまされないことを認識している、毎日英語を使う機会が最も多い(要求される)、文科系出身で他より多く英語を勉強してきている、日常朝も夜もニュース番組を中心にテレビの英語を徹底して聴く努力を続けた、こん なことが成果として利いたのである。
  私の貢献はその成果の一部に過ぎず、大学の英語教育も同様に本人の努力以上の貢献はできない。私自身、会社の幹部英語クラスのように、今のクラスで学生と議論し、もっと個別指導をしたいと希望しているが、一人に3分間話させるだけでも90分も取るのでそ れもかないそうもない。

 第二の例。先日高校(公立)のクラス会に出席した時、発想が閃いて英語に関して調査を試みたことがある。この調査から、45人が全員大学に進学しているクラスの中で、これまでのキャリアにおいて研究・留学・駐在(短期の出張は調査できない)を目的に海外 で生活し、英語を使う必要に迫られた人材は私を含めて5人に過ぎないということが分かった。さらに中学(公立)のクラスを調べてみると、50人の中で海外生活者は私を含めて2人であった。
 時代を経た今日、海外生活者が増えたとしても、それがクラスの2割を 越えることはないだろう。因みに、経営学部生の一学年900人の2割は180人になり、こんなに多くの人材が専門職を遂行するための実務英語を目指すことは考えられない。これから言えることは、全学生を対象にする一般教育としての英語の改革は大学、あるい は学部が負う責任から外してもよいということではないか。言い換えれば、高校までに英語を履修してきた学生に対しては、一般教育としての英語科目を止めて、特定の学生を対象にし、ニーズに合わせた特定内容の英語科目に絞るということである。

  第三の例。カナダにおいては小学4年から、フランス語圏のケベック州では英語を、英語圏のオンタリオ州ではフランス語を第二言語として習うことが義務付けられている。両州を代表する国際都市モントリオールとトロントは、東京・米原間と同じ450キロの距 離にあり、両市の間は飛行機、鉄道、車で便利に行き来できる。
   仕事を通じて長年付き合ってきた友人のカナダ人(オンタリオ州民)も小学4年から高校を卒業するまで9年間もフランス語を習ったにも関わらず、フランス語を話せず、辛うじて辞書を使えば読める程度であるという。ビジネスマンである彼の長男も、フランス語 は父親よりいくらかましというレベルだそうだ。しかし、バイリンガルを要求される中央官僚志望の次男は、中学を卒業するとモントリオールの全寮制私立高校に進学した。
 目的意識(ニーズ)と環境の両面でこれに優る外国語学習の条件を、日本の一般の大学に望む ことは現実に無理というものだろう。 他方、バケーションと仕事で二度訪れたモントリオールでは、ビジネスマンのほとんどがフランス語訛の英語を流暢に話せる。特に、女性のフランス語調のソフトな英語には独特の魅力がある。モントリオールでは市民の多くも英語を話すので、パリで感じたような 不便はなかった。つまるところ、ケベック州のビジネスマンにとっては、自州を越えてより大きい英語圏州(そしてアメリカも)とのビジネスに英語が欠かせないこと、つまりニーズがオンタリオ州ビジネスマンのフランス語との違いをつくっている。
 これに比べると 、日本の学生はケベック州民のようには英語のニーズを肌で感じることはあり得ず、大学もまたこういう学生を対象にする英語教育にハンディを負っている。

  第四の例。10年ほど前に、会議出席とバケーションを兼ね、家内を伴ってヨーロッパを旅行する機会があった。フランスからイギリスに移る時、珍しく午後の連絡船がエンジントラブルで欠航になり、夜行便でドーバーを渡った。当然、船内は満員となり、明らか に学生と分かる群れに取り囲まれることになった。ちょっとしたきっかけから、ワインを回し飲みする学生たちの会話に加えられ、議論の輪の中に入った。
  彼等は、最初、仲間たちと思ったが、そのうち一人旅か二人連れが集まっていることが分かり、彼等の英語には住んでいるスペイン、イタリア、フランス、ベルギー、ドイツ、イギリスなどのお国訛が色濃く出ていた。それでも馴れるに従い、彼等の英語を充分に理 解できるようになり、政治、外交、経済、ヨーロッパ統合など真面目な議論(中には極論もあった)を整然と展開する姿に感心させられた。政治や男女雇用機会など日本事情について私も意見を求められたりした。
 かくて、禍転じて福となる収穫を得る旅になり、その 代わり翌日は眠気に悩まされた。 ひるがえって、日本の学生の中に、こんな車座になって議論できる学生が何人いるだろうか。英語会話の問題よりも、しっかりした知識に基ずいて自分の意見を理路整然と述べられるような表現力の方が気になるのである。
 今日、下関からも福岡からも日韓フェリー 航路が開かれており、料金も安い。学生の往来も多いと聞く。しかし、そこで車座になって英語で議論する機会はおそらく限られているだろう。本学のキャンパスには留学生の姿が目に付くが、留学生たちと車座交流できる機会が多くあるのだろうか。英語でなくとも 、日本語でもよいと私は考えている。

  第五の例。95年12月に、アメリカにおける日本人の雇用機会に関する調査レポートを執筆するために、出版社からニューヨークに派遣された。この中でリクルートの専門家がアメリカで有利に就職するための条件として、「経営学専攻であれば、ほかに第二専攻 として財務、会計、国際ビジネス、広告、ジャーナリズムなど関連分野を取って補強する」(註2)ことを挙げている。
  実際、アメリカの大学では専攻(メジャー)と第二専攻(サブメジャー)の制度が広く取られており、それは外国語との組み合わせも見られる。例えば、イタリア史を専攻する学生が第二専攻にイタリア語を選ぶ、政治学を専攻する学生がソ連を対象にロシア語を第 二専攻にするなどである。
 私が知る限りでは、経営学専攻の学生が外国語を第二専攻にする例を見たことがないが、経営学専攻の学生が日本の経営を研究するため、あるいは日本企業に就職するために日本語を第二専攻にする例もあるはずだ。 このことから発想して、本学においても英語(他の外国語も)の第二専攻制度を設けることを改革案として挙げることができる。これは現行の英語科目が一学期毎に独立して単発的である点を改めて、2年以上の期間にわたって一定の継続性を持たせるのである。
 当 然、他の履修科目が減ることになるが、英語と他の科目のいずれかは大学の内か外(卒業後)で先か後に勉強するかの違いしかない。 アメリカの日本企業経営者の間で、「駐在員の多くはろくに英語を話せない。日本の英語教育は大学を出てもまったく役に立たない」という声を聞くことは日常のことである。それが最近では、「日常会話を話せても仕事には通用しない」という風にいくらか変わってきたように感じている。
 17年以上アメリカに住んでいた私は、最近の駐在員は英語の勉強に対して淡泊になってきたという別の感じ方を持たされている。 私は日本企業時代の30歳から海外出張を始めたが、それまではこと英会話に関してはNHKのラジオ英会話の番組を細々と聴いていたに過ぎない。ただ、属した事業部門がアメリカ企業から技術導入していたために、英文を読む機会が豊富にあった。当時からちょ うどボクシング選手が試合が近付くと練習を強化するように、海外出張がある度に会議を想定して文章をつくって会話の練習をしたり、語彙を増やそうとしてきた。
 本学の学生が多くの科目を履修して私の英語科目に集中することができないのと同じく、私も普段は日 常の業務に忙殺されていたので、年中英語の強化キャンプを張るわけにはゆかなかった。 
 こうした基礎の上に、後年アメリカ企業に転職するために、日本からアメリカに移住したことによってさらに英語の力を付けることになった。当然、年中強化キャンプをしていた ようなもので、こんな特殊な教育環境では英語がうまくなることは当然のことである。
  しかしながら、産業界の要望には時に無理があり、一般教育と特定教育の違いはおろか、特殊教育の違いをも認識せずに大学の教育責任を求めているようなところがある。このあたりは大学が産業界と交流を深めることによって広報してゆく必要がある。
 もともと、 特殊教育に関しては一般の大学も、そして国費を予算に使う文部省も責任を負わないと私は理解している。

    結びー揺れる教育方針への対応

  質はとにかくとして、今日英語を話す日本の学生の量的広がりには隔世の感がある。 私が学生であった時代に受けた読み中心の英語教育から、会話に重きを置いた教育への転換による成果の一面であろう。日本の内外における国際化の進展も背景にある。
 さらに産業界の強い要望も後押しをしてきた。さらに、文部省は現在の試験期間を経て、200 2年からは国際理解教育の名目で小学3年からの英語教育を導入しようとしている。 長年アメリカで日本人の駐在社員や学生を見てきた経験から言えば、現行の英語教育によって彼等の英語会話力は確実に向上している。
 また、前述したように、小学4年から第二言語教育をしているカナダにおいては、英語とフランス語の教育成果には環境とニーズの違いによって大きな格差が見られる。私には、なぜ日本の英語教育にここまで変革(改革と呼べる確証がない)が必要であるのか理解できないでいる。 その一方では、最近インターネットの普及に伴い、英語の読み書きの方が重要であると言う産業人の声も聞くようになった。
 私も年来、学校の教育では読み書きが中心の英語を基本にすべきであり、英会話はその応用であるという意見を唱えてきた。体育教育の例を 引いて、「限られた時間の体育正科では柔道(英会話)に強くなれない。柔道選手になりたければ、柔道部(英会話サークル)か町道場(英会話塾)に行けばよい」というのが持論である。
 今後も高校までの英語教育の基本目的が、1)国際理解を含む一般教養としての英語、2)日本国内で外国人に広く便宜を与えるための会話重視の接客英語(日本人の海外旅行英語も同じ)、3)将来専門職のために使える実務英語のレベル、のいずれに置かれるか によって揺れ動くことになろう。
 それに伴い、基本の英語教育を受けた高校卒業者を受け取る立場と、学生を教育して社会に送り出す立場とのはざまで大学の英語教育も揺すられることになるだろう。 その中で、大学は学部毎に専攻内容のニーズに合わせた英語教科を用意することと、語学ラボや英語サークル活動への支援など環境整備に揺るぎない基軸を置くことを望みたい。                   (完)

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