2018年11月28日水曜日

#203 年寄りが重荷の日本――きわどい饅頭論

 政府統計の予測によると、2025年には65歳以上の人口が3600万人を超えるということです。近未来のことだから外れることはないでしょう。全人口の約4人に1人が高齢者とは恐ろしい。  
 政府はあれこれ方策を考えていますが、この困難はちょっとやそっとでは克服できそうもない。我々年寄りは逃げ切りセーフであるが、若い諸君たちには大変なことです。
 論理が正しくとも正しくないことが世にあることを諸君の思考に委ねたい思います。

 ◇ 日本の人口減と社会福祉予算 
 もう20年も前のこと、高齢者が増えて国の医療費負担が重荷になってきた時、大阪市内のコーヒーショップで本を読んでいた。そこへ20代の4人が隣席に座った。いつものように若者たちの声を聴いていた.
 やがて彼らの話題が年寄りのことになった。これまでの若者に比べると、多分テレビのワイドショウから仕入れたのだろうが、まあまあまともな議論を始めた。黙って聴いていた。盗み聴きなのであるが、私にとっては世情を知る機会だった。 記憶に従ってかれらの会話を再現してみよう。

  「一体このまま年寄りが増えると、国の年金負担がオレたちの時代にはどうなるんやろ」
  「年金だけやない。高齢者医療費はもっと悪い」 
  「政府は年々財政負担が増えて赤字がますます悪くなるのに、何も手を打たないな」
   「消費税を値上げすると言っている。それでも焼け石に水やな」
  「いや解決策はある。年寄りが死ねばええのや」
   「そりゃ、無理やで。殺すわけにはいかんやろ」 

 私にはまだ他人事だったから、アホなやっちゃと聞き流しにしたが、今なら腹を立てるだろう。彼らは少なくとも危機感を持っていたが、一般市民の関心は薄かった。

 ◇ 延命治療は本当に正しいか 
 その後20年、最近では延命治療が問題にされてきた。 延命治療というのは、治療で回復することがない病気の高齢者に対し、人工呼吸、 胃ろう(喉に管を入れ、流動食を流して栄養を取る)、点滴などで延命をすること。 多くは意識がない。家族には大変な重荷だ。 
 私は当地で入院して寝たきりの旧友を2年以上、ひたすら意識が戻ることを願って見舞いを続けたが、無意識のまま亡くなった。その大病院には無意識の寝たきり患者があふれていた。
 私はこの機会に遺言の形で「延命治療は受けない」と書いた。なぜなら家内も家族も口頭で医師に死なせてほしいと言うことは困難だからだ。  
 他方、命を救うことは医師の使命だとする医師も死ぬことが分かっていて管を外すことができない。  周囲には親戚が寝たきり患者がいるが、他にも多数、もう数年も延命措置で生きている(これでも生きているのか)。すべて国の高齢者医療保険が適用されている。

 ◇ 「楢山節考」と姥捨て山 
 1957年に深沢七郎が小説「楢山節考」を書いた。木下恵介によって映画化もさ れたので評判になった。今は忘れられたが、テーマは生きている。
 村人が食べていくのも困難な貧しい村で、村の規則によって高齢者を山に捨てるという深刻な哀しい話だった。
 仮に、日本が崩壊の危機になった時、法律で延命措置を禁止したら、諸君はどう考えるか?
  次の世代が生き延びるためにやむを得ないというのは論理的に誤りではないだろう。

優生保護法と被害者の保障 
  戦後間もない昭和23年に国会で優生保護法が成立した。 この優生保護法は劣勢とされる女性に不妊手術や、病気の赤ちゃんと診断された時は中絶を法律の名で行い、強制したのだ。母性の健康と生命を守るという名目もあった。
  これが70年後の今、被害者が人権を無視されたとして政府に保障を求める訴訟を起こしている。政府は当時の政府の誤りを認めて対応している。 さて、本当に当時の政府は誤りだったのだろうか? 
  優生保護法は民意によって選ばれた国会議員か発案し、国会で法律になった。政府は法津のもとに行政機関として対応する義務があった。他に選択はなかった。人道上の問題はさておき、論理だけから言えば、当時の政府に誤りはなかった、と私は思う。
  韓国政府と比較してみよう。 韓国政府は慰安婦と徴用工の問題について、わずか13年前に両国政府間で交わされた合意に反して日本政府に対して保障を求めた。これは論理に反する。論理が反日政策の一つとした非論理を韓国世論に迎合して無理やり通したのだ。
  これの反対例。私がアメリカ生活中に、ノーベル賞の受賞者の精子を使って優秀な子供をつくる運動があった。短いテレビの報道を一回見ただけで盛り上がりはなかったようだ。友達の話ではユダヤ人のグループだったという。 
 帰国してから全国紙に面白い小話が出た。天才学者が若い美人に結婚を申し込み、「私の頭脳と君の身体から素晴らしい子供ができる」と説得したら、美人が言った。 「その逆で私のオツムとあなたの身体で生まれてくる子供が心配」だと。

 ◇ あんこだけでは饅頭にならない
 世の中は、特にビジネスでも政治でも基本は論理で成り立つ。つまり物の道理に従わなければならない。さもなくば「道理が引っ込めば無理が通る」ことになり、世の中が乱れる。 ところが、難しいことは、あんこだけでは饅頭ができないように、何事にも情実の皮である非論理が常に加味される。情実の中で最も説得力があるのは人道的配慮だろう。 
 それでも基本は論理が守らなければならない。本当に難しいことだ。            (完)        

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