2011年5月29日日曜日

#49 震災対応の混乱は当然ーー首相の評価はこれから

 私の知識では、大戦を除けば東日本震災は世界最大の災害ではなかったかと思います。
 政府の対応に対して、神戸震災から学べ、スリーマイル事故から学べ、四川地震から学べ、という声がありました。しかし、どれも単一の災害事例です。つまり、東日本大震災のように地震、津波、原発事故がほとんど同時に起きた複合災害ではありません。日本では、いやどの国においても経験がないのです。震災直後に政府の対応が混乱することは当然です。
 しかし、これまで政府は後手後手、泥縄、場当たり、もぐらたたきと批判の嵐を浴びてきたが、考えてみると、これらの批判はそっくり東電に当てはまることです。こと原発事故に関しては本来東電が対応しなければならないのに、すべて政府の責任にされている面があります。メディアもよく考えてみるべきです。
 
◇ 新聞は取材の原点に立ち返れ 
 福島原発1号機で東電は首相官邸の圧力で海水注入を中断したことが大きく報道された。国会でも追及され、首相は圧力をかけた事実はないと否定した。原子力安全委員会の班目委員長が「再臨界の危険がある」とも「危険はゼロではない」とも発言が混乱した、と新聞が伝えた。その後原発所長が中断をしなかったと東電が情報を訂正した。東電の情報は信頼を失っているが、これは運転記録があるはずだから信用できるだろう。今こそ所長に記者会見を要求すべきだ。
 これでも批判の標的は主に首相に向けられた。「首相は嘘をついている」と言われた。
 さて、27日の新聞記事では、「東電と政府の訂正会見は、調査のずさんさと、公開された情報に対する不信感を強く残した」と書かれていた。よくもまあ新聞は他人事のように書けたものだ。どういうことか説明してみよう。
 海水注入の中断が情報として出た時、なぜ新聞各社の記者は原点である発電所長か所員に対する取材をしなかったのか?手練手管を使って所員から聞き出して検証をしなかったのか?
 今や、私が信頼を置く新聞すら、ガセネタ並みの情報を得てそのまま流すことに疑問を持たない。ほかにも例はいくらでもある。
 新聞の担う使命は重い。なぜならええ加減なテレビのガチャガチャ番組に出演する多くは、主な情報源を新聞に頼っているからだ。そして、大衆に対しては新聞よりテレビがはるかに影響力が大きい。時に世論が当てにならないのはこのためだ。
 新聞人よ、報道の原点に戻ってほしい。

◇ 西岡参院議長の辞職を望む 
 西岡議長は菅首相の辞任を要求する発言を繰り返し、『文芸春秋』誌に寄稿した。さらに、高級誌の影響力に限界があると見たか、先月20日の読売新聞にも寄稿、読売は同調して論説にも取り上げた。論説では西岡議長の中立であるべき立場を批判するどころか、「首相退陣勧告の意味は重い」として彼を支持したのである。私の推測では、保守政治の巨頭である渡辺恒雄会長・主筆の意向が背後にあるのではないか。
 他方、同日の朝日新聞は西岡議長の言動と読売への寄稿について批判する記事を載せた。他の全国紙は取り上げなかった。これを新聞の見識と言うべきだ。
 新聞に対し厳しいことを書いたが、見識を見せた最近の例がある。それは原発事故に関する政府委員会を東大教授が突然辞任した時、各紙が本人の要請による記者会見に応じなかったことだ。委員会に対する誹謗と任務放棄の弁明に決まっているから、メディアも相手にしなかったのだろう。
 そもそも西岡議長の任命が間違っていた。彼の政治歴を見ると、1976年に自民党を出て新自由クラブを結成、10年後自民党に復党、その後新進党→自由党→民主党と渡り歩いてきた。彼も常に政局志向で、小沢一郎や田中真樹子と同じ系列の騒動屋なのだ。彼は議長席にちんとして座っている御仁ではない。
 因みに、彼は長崎を地盤にする二世議員でありながら、かつて衆議員選挙に落選、長崎県知事にも落選、再度衆議員選挙に落選して辛酸をなめた。2010年の参議員選挙で民主党比例区候補に立てられ、やっと政界に復帰した。自民党海部首相の時には、出戻りながら政調会長の要職に就いた。この時に小沢が幹事長だった。彼の行動力と遊泳術は筋金入りなのだ。
 議長席から首相の背後から撃つことは、西部劇のガンマンにも許されない非道の行為だ。即刻辞任するのは首相ではなく、議長ではないか。
 自民党も西岡議長の寄稿を、菅降ろしの支援になるという党利だけにとらわれている。なんと見識がないことよ。

◇ 首相は直接仕事をするな
 顧みるに東日本大震災が起きる以前から政府も省庁も手一杯課題を抱えていた。そこへ震災対応のための莫大な仕事量が増えた。大変なことだと思うが、せめて首相は実務に追われることなく、リーダーとして大局に立ってほしい。
 首相は市民運動家の出身だから、自ら何でも先頭に立って実行したいという習性から離れられないようだ。これが裏目に出ている。今は一歩引いてこれからの改革本番に取り組んでほしい。
 第一に、広げ過ぎた本部と委員会を整理して実行の権限を与える精鋭組織にすること。
 人材の見極めもついただろうから、人材を整理する。
 第二に、首相はすべての本部長と議長を辞め、最適のリーダーに指揮を任せること。
 首相は任命罷免の人事権を持っていればよい。
 第三に、政府と党の総括と内外の課題に目配りし、次世代のための政治を考えること。「首相は何もしない」という批判は気にしない。大きな組織では何もしないリーダーシップがものを言うこともある。

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2011年5月23日月曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#14、6月、2011  大阪府知事と大阪市長の同時選挙ーー大阪大改革のチャンスを逃がすな 

 大阪市長の限界
 橋下知事が率いる大阪維新の会が過日の統一地方選挙で圧勝した。独自の政策を構想し、実現する知事の力はすごい。
 維新の会は府議会で過半数の議員を当選させ、大阪市議会と堺市議会で第一党になった。さらに、吹田市長選では維新の会候補が現職を破り、私が住む茨木選挙区でも前回民主党市議から自民党に鞍替えして最下位当選した候補が維新の会候補としてトップ当選した。維新の会の勢いは止まらない。さて、橋下知事はどう動くか?
 当然、掲げてきた大阪都構想の実現に向けて動くだろう。
 そのために大阪府より大阪市が抱える問題が大きい、しかも平松市長による改革は足踏み状態だ。労組対策も同和対策も関前市長の方が果敢だった。それどころか、今も幹部はたるんでいる。例えば、市が市長選の支援団体にもなっている地域振興会への3900万円の不適支出を指摘されたにもかかわらず、一年以上も返還を放置してきたこと、各区長が娯楽と見なされる旅行に同行した時の給与返還も、今年3月の期限までになされていないことが新聞で報道された。これは市役所内の綱紀がまだ締まっていないことの表れだろう。
 もっと大事なことは、勧告する委員会の決定事項であれ、市長の改革命令であれ、幹部がまともに実行していないことだ。会社なら更迭されるだろう。言わば、市長の権威がないがしろにされているのだ。
 喩えてみれば、平松市長はかつての商家のおっとりとした旦那のタイプであり、商売人というより教養人みたいなものだ。毎日放送のアナウンサー出身で、役員室長を務めたが、経営責任を負う役員経験がない。その上630人の毎日放送と4万人の大阪市役所では組織の違いが大き過ぎる。論理を基礎にしなければならない改革の仕掛け人としては適していないだろう。

府知事と大阪市長の同時選挙
 次の市長選挙が今年、知事選挙が来年と言われるが、実は一ヶ月余りしか離れていない。知事が唱えるように同時選挙は現実的なのだ。単に何億円の選挙費用が節約できることより、全大阪改革のためには歴史的な意義がある。
 知事は全大阪の改革上、府より大阪市の問題が大きいととらえている。私もそう思う。だからこそ、知事は権限が及ばない大阪市の改革が進まないことに苛立っている。ここから知事が大阪市長に立候補すると言う。私は単なる牽制ではなく、本気だと思っている。
 しかし、だからと言って、大阪市を解体して大阪都一つに統合する、いわゆる大阪都構想には論理の飛躍がある。大阪市の改革は緊急課題であるが、その先には大阪都のほかに私が提唱する大阪市と隣接の市と合併して大大阪市にして再び名実ともに日本第二の都市にする構想もある。まだ選択肢があるかもしれない。
 知事の器量を持ってすれば、本稿#6で詳しく書いたように、大阪府が小さ過ぎるのだ。だから知事は苛立つ。
 次世代のためには、橋下知事が大阪市長になるべきだ。そして、大阪都構想も選択肢として考えながら、一旦白紙から大阪市の改革に取り組んでほしい。
 それでは平松市長は?私は知事になってもらえば良いと思う。4年間の市長経験を生かし、府行政を継承してもらうことは全大阪改革に望ましい。両者が大義のために協力できるはずだ。改革の仕掛け人と改革継承者の組み合わせはなかなか妙味がある。どこにも過去に例がない?そう、例がないからこそやるべきなのだ。
 知事が次の候補としてテレビの司会者を挙げている。もうテレビマンは要らない。

大阪府と奈良県の合併
 奈良県は人口140万人、このうち奈良市が36万人。奈良県と大阪府の間では交通網が広く敷かれている。奈良県から大阪への通勤者が多く、経済も一体だと言ってよい。
 本稿#6では和歌山県を含めて関西県をつくることを提唱している。先ず第一歩として平松新知事が持ち前の温厚さを生かして奈良県知事と静かに協議を重ね、大阪府と奈良県の合併を進めてほしい。合併しても歴史的な奈良市の名称が消えるわけではない。
 全国を見ると、廃藩置県以来140年も経つのに、県の合併が一つもないことに驚く。
 参考までに、片山善博前鳥取県知事(現・総務大臣)はテレビによく出演したことで、改革派知事としてよく知られた。自治省出身のエリート官僚から鳥取県知事を2期務めた。彼は岡山県出身であるから、岡山県との合併を期待したが、手をつけなかった。よく知事経験を語るが、鳥取県は人口がわずか59万人の全国最小県だ。隣りの兵庫県は瀬戸内海から日本海までの広域県である好例があるにもかかわらず。行政のプロとは言え、失礼な話、鳥取県知事の経験が全国他県の改革に通用するとは思わない。
 将来いつか、道州制が実現するかもしれない。先ず、隣県との合併が現実的だ。そして県の合併は道州制の障害にはならない。

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2011年5月14日土曜日

#48 中国鉄道事情の今ーー外資・民営企業と国営国有企業

 震災の報道はテレビのガチャガチャ番組や週刊誌に任せて、今回はがらっと内容を変えます。久しぶりに中国事情を取り上げます。
 私の友達で定期的に交信しているI氏からの便りを寄稿の形で書いてもらいました。彼は上海駐在で中国子会社グループを統括する商社のトップであり、若い頃から中国に関わってきました。彼は中国語の読み、書き、話しに堪能だから自由に情報を取れます。
 中国の鉄道について、メディアがここまで詳しく伝えたことはないので、若者諸君の参考に供します。さて、皆さんは何を発想しますか?
 
◇ 寄稿「中国鉄道事情」
 「我国高速鉄路快速発展的主要原因」という雑誌記事を読みました。高速鉄道発展の要因は①党中央、国務院の正確な政策決定、②国家関係部門と地方政府の大きな支持、③鉄道体制の優秀さ、④自主創造による高い目標追求、⑤戦闘的な幹部と職工の隊伍、と書いてありました。
 重点対象として「四縦四横」が上げられていました。
 四縦;①北京⇔上海           1318km
    ②北京⇔武漢⇔広州⇔深圳(香港) 2350km
    ③北京⇔瀋陽⇔ハルピン(大連)  1612km
    ④上海⇔杭州⇔寧波⇔福州⇔深圳  1650km
 四横;①青島⇔石家庄⇔太原        906km
   ②徐州⇔鄭州⇔蘭州        1346km
   ③上海⇔南京⇔武漢⇔重慶⇔成都  1922km
   ④上海⇔杭州⇔南昌⇔長沙⇔昆明  2264km
 これら8路線を核に2020年までに客運専用線を1.6万kmに、営業総距離を12万km以上にする計画です。まさに縦横無尽に世界一の鉄道事業規模を目標とする計画です。いや、計画でした。

 鉄道・交通事業を高度成長のバロメーターの一つとするのは、1964年に東京オリンピックと東海道新幹線と名神高速道路の開通が同時に為された例を見るまでもなく、一般的な分かりやすい見方だと思います。
それで、この一年は、中国の交通関係の動きを追いかけてきました。
 今年の1月7日付け北京時事の佐藤雄希記者による「中国、世界一の交通大国に。鉄道・道路を急ピッチで整備」というレポート。
 4兆元景気対策の後押しを受けて、建設が計画を上回るペースで進展。例えば、北京と上海を結ぶ京滬線は、2012年完成の計画を1年前倒しして開通の見通し。所要時間は現在の10時間が半分以下に短縮、とあります。劉志軍鉄道相は「高速鉄道の総延長距離は10年末時点で、8358kmとなり、今年一年だけで、更に5000km延伸される見通し」との談。
 ところが、2月25日、全人代常務委員会はその劉志軍氏の鉄道省書記の党籍を剥奪、続いて鉄道相の職からも解任しました。理由は「重大な規律違反」。3月2日付けの京華時報を転載した北京時事によると、劉氏の側近で高速鉄道プロジェクト責任者の張曙光運輸局長も停職処分となり、妻子が長期間米国に住み、単身で北京に暮らす「裸体官僚」だと報じています。
 家族を海外に居住させ、資産隠しや逃亡先の手段を確保している汚職官僚のことを「裸体官僚」と呼び、中国政府も近年こうした動きを厳しく監督している、と補足しています。
 4月14日の「新京報」には、「最高時速、300kmに引下げ」というタイトルのもと、鉄道省は安全面の考慮から、新幹線速度を従来の350kmから300kmに引下げると発表した、これまでの高速化、整備推進を見直し、消費者のニーズに併せた安全化、細分化へ方向転換をしている、との報道です。
 更に、4月29日の北京ロイターが伝える「経済観察報」によれば、鉄道インフラ投資を7,000億元から4,000億元にカットする方針が出されたとのこと。当該投資は政府歳出の3%を占め、川下分野への間接的波及を含めると大きな影響が懸念されます。後任鉄道相の盛光祖氏(元鉄道部次官)は、劉氏策定の投資計画について、あまりに野心的でリスクが高いと判断したため、投資額は削減されたと語っています。
 以上、春節以降に気付いた報道を整理してみると、そこから幾つかの問題点が読み取れます。
4兆元景気対策の功罪については、各種各論があり、中には日本留学経験も豊かな知識人から穏やかな口調とは言え、「この政策は1960年代初めの大躍進政策の現代版ではないだろうか?」といった疑義を呈されたことも想起しました。
 オリンピックの運動競技ではないのだから、より早く・より高くばかりを目指すことはないのに、武漢→広州の新幹線開通直後の運転手は、定刻より15分(?)早く到着したことを自慢して、顰蹙を買っていたことなどにも、鉄道事業全体の安全意識の低さを感じていました。
 また建設工事の負荷が上がることによって、多発している事故の犠牲者は浮かばれないという思いが強くあります。
 その対極で、国家の将来を左右する高級官僚の私生活の実態が垣間見えることも、1919年の5月4日運動や1989年の教訓に基づく改革が進んでいないことを示唆しており、庶民の不公平感の増幅に繋がることでしょう。
 しかし、何よりも交通行政は安全第一が使命であるべきでして、安全化は消費者のニーズではなく、最低限の権利であると思います。
 一握りの幹部による「野心的計画」によって建設段階に不安が残り、開業後も安全軽視が危惧され、更には一部で声が上がり始めた投資回収不能説(例えば、京滬線の総投資額2,209億元の内、銀行借入と起債が、1、100億元。年利6%で66億円の利息と運行経費のみは、まだ運賃収入でまかなえるとしても、元金返済や減価償却費用までは困難という指摘)という課題もあります。
 新任の鉄道相による計画見直しは、GDPにも影響する側面は誰もが注目すると予想されますが、それよりも、あらゆる意味で健康的な事業化の再出発の面を今後とも注視したいと思います。
 現下の中国では禁忌に近かった「スピードダウン」ということを公にした当たり前の勇気の持続を期待します。
 
 同じく昨年来のテーマとして、並行して注目している中国の電力・エネルギー問題については、別途纏めるつもりです。
 外資・民営企業の牽引力への期待値が低下している中国経済の中で、鉄道・交通にせよ、電力・エネルギーにせよ、大きな流れとして国家直営事業の比重が上がり、官民格差(例えば、3日発表の10年度平均賃金は官が民の1、8倍と変わらず)が今後さらに大きくなるのではないか?
 まさに「国進民退」の傾向が増長する気配を感じます。その行き着く先には、中央集権を背景にした、特定利益共有集団による属人的・恣意的な施策が多くなるのではないか?という懸念も大きくなります。社会主義計画経済への回帰、と言ってしまえばそれまでのことですが。
 外資・民営企業がお役目ご苦労ということで、「元の木阿弥」のような存在になるのは、面白いことではありません。
 木阿弥とは戦国武将の影武者で、武将の死を隠す期間、地位と禄を上げてもらって代役を果たすが、武将の死が公表され、新たな後継者が決まると、地位も禄も下がって「元の木阿弥」となる、ということですが、念のために語源大辞典(東京堂出版 堀井令以知 編)で調べたら、筒井順慶の父親が死んだ際、声の似ていた木阿弥が代わりに病床に臥して影武者を務め、順慶の成人後に木阿弥は元の僧に戻ったと書いてありました。
 外資の人間としては、国営国有企業が強くなるか、民間企業が粘り腰を見せるか、「洞ヶ峠」で眺めて待つことなく、それぞれの強み弱みを見極めながら健康的な機能を磨いていきたいと思っています。

私の感想と発想 
 中国政府にすれば、新幹線建設が国民に対して国威発揚をアピールできる手っ取り早い手段であるにしても、計画の大きさがすごいな。投資額は銭食い虫と言われる空母の建設費が霞むほどの大きさだ。
 鉄道建設は、短期的には建設労働者の雇用を生み、長期的には運行や保守に必要な雇用を増やすことになる。さて、国家の財政が持ちこたえるだろうか?
 私にはかつての日本の国鉄を想い出させた。
因みに、現在中国の鉄道総延長は91,000キロ、日本のそれはJRと私鉄合わせて27,000キロ。
 
                      


 

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