2016年12月8日木曜日

#166 「若者塾」復活--どっこい生きている


  8月に本稿の執筆を中止してから4ヶ月半、新作を出さないのにまだ毎月100人くらいの読者に読んでもらっていることは予想外でした。
 知友人からきつい意見をもらい、また励ましもありました。こんなように。
 「ダウンしたのか?」  
  「不定期でよい。書き続けろ」
 「私的なブログを天下の公器と思うな。品がなくてもええ。もっと辛口で書け」
 「いくつかのテーマを短く書け」  
 「専門のアメリカについてもっと書け。アメリカについては4回しか書いていないぞ」   
 「もっと自分のことを書け。講釈より体験に興味があるのだ」  
 本当にありがたく思いました。地元の同人誌に締め切りぎりぎりで小説を応募したし、心筋梗塞の手術から受けた身体障害者の指定もなくなりました。 これを機に「若者塾」を復活しました。不定期ですが、書き続けることにしました。
 
◇ トランプがアメリカ大統領に
 
 トランプは典型的なマッチョmacho(親分型)で、押しが強い、力づく、攻撃的なリーダーのタイプであり、アメリカ社会ではよく見られるが、最近の大統領にはこのタイプは一人もいない。
 彼は、長年所得税を払っていない、会社を倒産させている、彼が設立した大学も倒産させて詐欺罪で28億円もの支払を命ぜられた、女性蔑視と移民差別など悪行がある。政治経験もない上にマクロ経済にはほとんど無知で、海外事情には無関心だった。
 どこから見ても大統領にふさわしくない。 それでいて、有権者の半分の票を取った。なぜなのだろうか?

◇ 中流層の反乱  

  選挙前、アメリカと日本のメディアはトランプの支持層は、白人の労働者と低所得者の弱者を票田とすることを伝えていた。 まともに考えれば、黒人、ヒスパニック、女性の票に頼れない彼は選挙で勝てるはずがなかったのだ。なぜ勝ったのか?
 選挙後、長く住んでいたペンシルベニア州の小さな町の事情を友達に訊いてみた。 保守的社会ではあるが、民主党支持者の勢力もある。今回は私が知る中流層の弁護士、経営者、医者、高校の先生もトランプに投票したという。友達は言った―「共和党に投票したのではない。トランプに投票した」。理性が感情に支配されたのだ。
 おそらく、トランプ派は必ずしも共和党を支持せず、ましてクリントンの民主党の改革には飽き飽きしていた。トランプが勝っても4年間だけ。その間に社会も政治もどう変わるのか、やらしてみたろか。おそらくこんな気持ちで中流層が反乱を起こしたのだ。
  何を隠そう。今は、私も「トランプがどうするか、面白いな」と思っている。

◇ メディアが無視した社会主義

 本稿#153で大統領選挙前の情勢について書いた。その中で私が最も注目したことは、今までとは違って、堂々と社会主義者を名乗るサンダース民主党候補(上院議員)が、相当の支持者を集めたことだ。
 私が住んでいたアメリカでは考えられなかったことで、社会主義的リベラルは嫌われた。 しかし、アメリカの社会主義はマルクスのイデオロギーに関わらないから、中流層に受け入れられやすい。  このことをアメリカのメディアは無視した。私は時に保守的でさえある民主党が内部改革をしないのであれば、労働党か社会党を党名とする第三政党ができるかもしれないと思う。つまり、ヨーロッパ各国のように二大政党時代が終わるだろう。
 日本のメディアはアメリカのメディアに追随しただけだった。テレビにはアメリカ研究者であっても二流の人材しか出てこない。ましてテレビ関係者もタレントもどれほどアメリカを知っているのか?

◇ 日本の駐留米軍経費の負担

 トランプは遊説中に、日本に対して駐留米軍の全経費を負担することを求めた。これは 彼が「日本を守ってやっている」と思い込みをしているからだ。私の論理で言えば、駐留米軍は、第一にアメリカのため、第二に日本のため、第三に沖縄を含めて東シナ海の安全のために駐留している。だから、日本が全額負担するいわれがない。
  若い諸君のために説明すると、アメリカの戦後体制の地政学的戦略は、アメリカ本土を遠く離れた地域に防衛線を敷くことにあるからだ。東アジアでは、北は北海道から南は台湾までの日本海に防衛線を置くことだ。これをアチソンラインと言う。今、これが中国の九段線と重なり、せめぎ合いになっている。日本はアメリカの生命線であると言ってよい。
  日本政府は外交上正面切って言えないから、日本のメディアがこの論理を主張すべきだ。 私は米軍駐留経費の負担をもっと減額してよいと思う。 諸君、日本のメディア(特にテレビ)も世論も頼りにならないのだよ。諸君の時代に変えられるのか?

◇ トランプは変わる

 トランプはビジネス馬鹿と言われる。これまでビジネスだけに頭を使ってきたから、ほかには脳が働かない。ヨーロッパやアジアの複雑な情勢が分かっていない。しかし、これまでのように、大衆受けするような思いつきでは大国の大統領が務まらないことを知るだろう。議会もある、彼がつくる政府もある。彼は変わるだろう。

◇ 私は変わらなかった

  ここまで書いてきて読み返すと、友達の上記アドバイスを少しも汲んでいないと思う。 次回からは変えるつもりだ。このままでは読者を増やせないだろう。          (完)                             

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2016年8月11日木曜日

#165 沖縄県が抱える問題 ――次代を考える

\ 今回が最終の「若者塾」になります。まだまだ書きたいことはあるのですが、疲れかどうか気力が減退してきました。そして、長年の悩みは多くの若い諸君たちに私のメッセージが届かなかったことです。 私は、若い諸君たちの100人に1人でいい、どんな仕事でもリーダーになるための思考力、発想力、教養を積んで参考にしてほしいと思って書いてきました。
  一つアドバイスすることは、「オレのとは違うなあ」と感じたら、なぜ違うのかと自問し、大勢に流されることなく、自分の感性を大事にすることです。
 今回、沖縄をテーマにします。締めとしてふさわしい重大な問題を挙げてみましょう。

◇ 竹島、尖閣諸島とフォークランド戦争

 中国の脅威は南シナ海から東シナ海まで及んできている。南シナ海全域の支配が完了すれば、次の中国の狙いは尖閣諸島にあることは現実と言えるだろう。私のような素人でも予測できることだ。
 今、フォークランド島戦争と比較してみよう。
 フ島は周辺の諸島を合わせると沖縄ほどの面積で、3千人のイギリス系住民が暮している。19世紀から両国が領有権を主張してきた。フ戦争では1982年に3ヶ月にわたってアルゼンチン軍とイギリス軍の将兵各5千人が闘った。
 私は滞米中にテレビで戦争の推移を観ていたが、なぜアルゼンチンの沖合500キロにあるフ島をイギリスが支配しているのか、と思った。イギリスは鉄の女サッチャー首相が 陸、海、空の3軍5000人と最新の装備を派遣し、民間の客船クイーンエリザベスまで兵員輸送に使った。なんと大げさな、と思ったが、これではアルゼンチン軍はかなわない。
 結局、フ島に上陸していたアルゼンチン軍が投降して戦争は終わり、イギリスの実効支配は今も変わらない。  
 竹島と尖閣の両島がフ島と違う点は、両島に住民がいないことだ。「住民を保護するため」という戦争目的が立たない。だから竹島に一方的に韓国軍を駐留させて実効支配をしても、「まあ、やらせておけ」として戦闘までして自衛隊によって奪還することをしない。世論も味方しない。
 日本の対応を読んでいる中国は時が来たら尖閣に人民軍を派遣して実効支配をするかもしれない。最近きな臭くなっている。何しろ、世界中から嫌われてもへっちゃらの国だから恐い。
 当事者の沖縄県は地方自治法を盾に取って派兵に反対するだろう。世論も割れるだろう。

◇ 普天間基地の辺野古移転と地方自治法

 99年に地方自治法が改正され、国と自治体の関係が上下から対等に変わった。これによって、今、基地の辺野古移転をめぐって沖縄県と国の対立が最高裁判所に持ち込まれようとしている。先だって高裁が法廷闘争より協議を求める裁定をしたが、もともと協議が成り立たない対立だ。    
 諸君たちの批判を浴びるかもしれないが、国の安全保障についても県と国は対等なのだろうか?最高裁の判決いかんではでは国の統治が危うい。 沖縄県を除く46都道府県知事はどう考えているのだろうか?
 私は国に交渉力の優位があると思う。問題を二つ挙げよう。
 一つ目は、交渉が長引けば、危険と言われる普天間基地の返還が先延びになり、現状が改善されない。現実には政府は困らない。日米で交わされた約束が守られないことで、日本政府は信頼を失うが、米軍沖縄基地には情報部署を置いており、事細かに事態の推移を ホワイトハウスや議会に送っているはずだ。米軍にも今のままで安全の守りがそこなわれることは何もない。米政府が無理押しすれば日本の内政干渉に及ぶことも知っている。
 二つ目は、政府も沖縄の基地削減を目指しており、辺野古移転は過渡的な対応だ。参考までに、ソ連・ロシアからの脅威が少なくなったので、米空軍の千歳基地は返還され、北の守りは自衛隊に任された。仮に、中国の脅威がなくなるなら、沖縄の米軍基地は日本にいつか返還されるかもしれない。日本政府の資金もつがれているが、米国政府にとっても沖縄の基地維持は大変なコストなのだ。
  世界ではどの国でも、外交と安全保障は中央政府の権限だ。
  

  ◇ 中国の九段線とアチソンライン

 九段線は中国政府が敷いた南シナ海、東シナ海から日本海まで領海を広げようとする防衛ラインだ。他方、アチソンラインは戦後に米国が提唱した北海道沖、日本海からフィリピンまでの防衛ラインだ。もともと米国が本土を遠く離れて防衛ラインを敷くのはアジアでもヨーロッパでも国策なのだ。今もこの両ラインがせめぎ合っている。
 中国の論理では、なぜ米国がこの海域を支配するのか、ということになる。私もそう思うことがある。しかし、特にアジアでは中小国ばかりだから中国の覇権主義に対抗できない。米国に公海を守ってもらうしかないのが厳しい現実だ。
 さしあたり、そのうち中国が財政破綻するまでは、現実に対応するしかないではないか。

◇ 沖縄の若者諸君、翁長知事でよいのか?

 舛添前都知事は公費で海外を豪遊したことが批判された。翁長知事も米軍沖縄基地の撤廃を求めて、ワシントン、ホノルル、ジュネーブに公費で豪遊した。知事が国策に反対してこんなことが許されてよいのか。極めつけは敵性国の北京を訪問したことだ。
 私は、琉球王国が薩摩藩に侵攻された時、琉球王が清朝に支援を求めたことを思い出す。これはまだましだ。
 しかし、合法的に沖縄県は日本国に属する自治体であり、自治体の長が敵性国に対し、国に反することを訴えるのは異常だ。地方自治法で許される範囲なのか?マスコミも沖縄に対して異論も唱えない。さわらぬ神にたたりなしと逃げているのか。
 知事は沖縄県知事というより辺野古知事になっている。
 沖縄の若者諸君よ、県を出て本土で就職するといい。沖縄県は求人倍率が.8から.9に改善されたとは言え、まだ全国最低レベルだ。1.5で求人に困っている県では安易に外国人の採用さえ進めている。私はどこかの県が企画して沖縄で合同会社説明会を開くことを提唱している。どこが先鞭をつけるか。
 参考までに、大阪市の大正区には沖縄人コミュニティがあるが、私は沖縄県人の少ない県を勧める。そこで順応することは諸君の人生に大いにプラスになると思うからだ。諸君が受けてきた教育と本土の新聞の違いも分かる。沖縄の先人はかつて南米に移住したことに比べればその困難はしれたもの。
 定住するもよし、沖縄の経済振興のために故郷に変えるもよし。

◇ 沖縄県知事選と県議選

 先の知事選では翁長知事が圧勝したと言われるが、4割は反翁長知事だったと言われる。決して民意は一枚岩ではない。県議選では48人中17人が辺野古賛成派だった。どちらが沖縄の将来を考えているか。
 ごねるだけごねて知事は立ち位置を守った。その先はどうするのか?

◇ 「オレのとは違うなあ」――都知事選余談

 前回に都知事戦について予測を書いた。選挙後、偶々目にした赤旗は一面で「鳥越氏、大健闘」と書いていた。「オレのとは違うなあ」と思った。次の週の週刊誌の新聞広告では「惨敗」だった。沖縄の新聞はどう書いたか?
 諸君、こんなにもマスコミの間で見方が違うのだから鵜呑みに気をつけてほしい。                         (完)   

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2016年7月25日月曜日

#164 都知事選挙と首都移転――諸君の時代をどうするのか?

 都知事選挙の投票日まで一週間になりました。 民進党の候補選びに腹を立てていましたが、もっとも門外漢の私の影響力など無きにひとしい。それでも若者諸君には持論を届けたいと思います。
 東京の若者諸君、キミたちは衆愚の一人にならなかったか?

◇ 民進党は鳥越候補を取った

  今回の選挙で民進党が支援すべきは宇都宮健児(元日本弁護士会会長)候補だった。彼 は穏健リベラルと目され、掲げた政策もキャリアも民進党推薦にふさわしい候補だった。
  しかし、自薦で寄り添ってきた鳥越俊太郎候補に乗り換えて、都知事選に3度目の挑戦をしようとした宇都宮候補を撤退に追い込んだ。鳥越候補の知名度に惑わされたのだ。
  さて、一体、鳥越候補(76歳)は知事の資質があるのか? スクープで名を挙げたジャーナリストだと聞くが、76歳にしてリーダーの経験もない、行政にもまったくの素人だ。何を期待できるのか?4回の胃癌手術の闘病生活を本に著し、これはテレビ番組になって話題になったそうだ。最近ではベッドメーカーの全国紙の広告に出ている。世渡りはうまい。  しかし、テレビの対談番組に彼が出演した発言から彼の論理的思考力に疑いを持っている。彼は論理ではなく、感性にしか頼れない人物だ。

 (その一)90年代のことで、英語教育を小学校から導入することについて、賛否両論の識者二人ずつが議論する番組で彼は賛成の理由を訊かれた。彼は「自分が新聞記者として一年間ワシントンに駐在した時、パーティでは話相手もなく惨めな思いをしたから、今の小学生に同じ思いをさせたくないからだ」と答えた。要するに、彼が英会話を本気で勉強する気がなかっただけだ。まったく論理がない。  こんなことで英語に関心がなく、使う必要がないかもしれない多数の小学生には迷惑な話だ。
 (その二)安保法制について議論が盛んだった頃、反対派の彼は尖閣諸島を領有化するかもしれないことについて訊かれると、「そういうことはない」と答えた。さらに理由を訊かれると、答えは「もう戦争はないから」だった。論理的に説明できなかった。知名度によって番組出演に選ばれたのはテレビ局の人選ミス。
 (その三)出馬の記者会見において政策の第一に「都民全員に無料の癌検診」を挙げた。 各区は無料の健康診断を実施しているし、癌検査も安く受けられる。将来の課題として無料が実施されるかもしれないが、論理で整理すれば、さしあたり都政が直面する重要課題ではない。改憲阻止と原発反対も挙げていた。「男なら出なくてはならない」とも言っていた。要するに、思いつきの感性人間なのだ。

◇ 選挙はどうなったか?

 先週の新聞報道では、「小池、鳥越を増田が追う」と書かれている。鳥越候補には高齢と病気歴があるのに触れない。どうもジャーナリストの鳥越にひいきしているように感じる。 支持者の野党、同業のジャーナリスト、芸能人もすべてが鳥越候補に投票することはないだろう。
 人気より岩手県知事と総務大臣のキャリアが重要であり、まだ若い64歳の増田寛也候補が本命と思うが、地味な印象で損をしているようだ。
 小池百合子候補も64歳、カイロ大学卒でアラブ語に堪能だから外交など国政に貴重な存在。今回の知事選には国会議員を辞めてまで出馬してほしくなかった。
 さて、選挙の結果はどうなるか?私は鳥越候補は他の二人に差をつけられて3位に なると思う。  都民の見識を信じている。

◇ 都知事選挙と首都機能移転

 テレビや新聞の報道で各候補者の政策を知るが、地震については防災政策ばかりだ。首都機能移転と東京一極集中の是正は国政の問題であり、東京都の課題ではないからだろう。結局、大きくは変わらないということになる。 しかし、首都移転は忘れられている。進められている文化庁を京都に、消費者庁の一部を高松に移転する話は地方創生の政策によるものだ。
  今の若者は知らないかもしれないが、振り返ると、首都移転の問題は2000年始め頃議論が高まったことがあった。当時も大地震が予測されていた。2003年に衆参両院の特別委員会で栃木・福島地域、岐阜・愛知地域、三重・畿央地域の3候補地が採択された。その後国政の場では議論されなくなり、2011年にはこの問題を担当する国交省の部署が廃止された。これまで一歩も進んでいないまま今日に至っている。地震の脅威が変わっていないのに、これでよいのか?

  参考までに、韓国では、私が日本企業からよく出張した70年代、韓国全人口の2割,富の5割が集中すると言われていたソウルから、行政機能、国会を中部に移転するという議論が盛んだった。 ソウルは38度線からわずか40キロの距離にあり、いくらミサイル迎撃設備を配置しても、北朝鮮からの長距離砲の射程40~60キロの砲撃を防げないことは泣き所だ。北朝鮮が言う「ソウルを火の海にする」というのは現実の脅威になっている。
 韓国政府は一部の官庁を中部都市への移転を進めているのは東京よりはましだ。 日本政府が動かないのであれば、東京都が立ち上がるべきだろう。

◇ 選挙の行方  

 24日の読売新聞が選挙について世論調査に基づいて、「小池・増田を鳥越が追う」と他紙と反対の分析をしている。読売の保守系紙的見方なのか、都民が冷静になってきたのか。
 私は門外漢ながら、今回の都知事選挙に格別の関心を持っている。なぜなら、直接選挙の危うさを感じているからだ。首相を直接選挙で選ぶ声があるが、私は第一党から首相を国会で選ぶ現行の制度が良いと思っている。
 さて、選挙の結果はどう出るか?             (完)  

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2016年7月19日火曜日

#163 最後の「中国たより」‐‐「朱子学」

 長い間「中国たより」を寄稿していただきましたI氏が役員定年で退職し帰国されました。今後は非常勤顧問として中国に出張があるとのことです。  私が知る限り、彼ほど深く継続的に中国と関わってきた人は稀でしょう。私は、例えば、 『Iの日中交流40年』のタイトルで本にまとめるか、大学教授になってほしいと思っています。これまで40年の体験と知識を踏まえて将来の中国がどうなるのか?
 彼はまだ65歳で若いですから、これから第二の人生でひと働きしてほしいものです。  

 ところで、私も「若者塾」の連載をあと2,3回で休止したいと思います。集中力が減退してしんどくなってきたからです。    

     ―――――――――――――――――――――――――   

          「中国たより」――「朱子学」

 1978年から1979年にかけて、鄧小平が掲げた「経済改革、対外開放」政策がさかんに 謳われるにつれて、「改革開放」と略することが多くなりました。更には「Open Policy」 と喧伝されることで、一種の錯覚が生まれて行った気がします。確かに深圳や厦門などの経済特区の開設や「利用外資」のスローガンの下で「対外開放」が進行しました。しかし、それはあくまでも「対外開放」であったことを忘れてはいけません。「対外開放」を「対内開放」さらには「対内解放」にまで過剰に期待したことが、1989年6月の北京での悲劇に繋がる一因になったと思います。
 1980年代の中国社会には政府に対する淡い期待、厳しく言えば「甘え」があり、それが民衆運動の過程で加速することによって、政府が許容する臨界点を超えた時、権力のグリップが握り返されたと考えます。
 漢字を共有する日本と中国。同文同種の甘えは危険だと諸書に記され、戒められてきました。しかし、ついつい日本的な翻訳、日本人好みの解釈が定着して、錯覚や誤解のもとになってきたことも否めません。 その一例が上記の「対外開放」を厳密に峻別していないことです。「対外」という限定的な言葉が付いている以上は、「対内」の開放はないのだという当たり前と言えば、当たり前の警鐘を鳴らすべきであったと思います。 ついでに言えば、中国語の原文には堂々と「利用外資」と書いているのに、その訳文をわざわざ「外資を活用して」とする翻訳文が多くあります。悪い冗句ですが、「中国に投資して、相手側に利用されて損をした」とボヤク人が出てこないように「外資を利用して」と正確を期すべきだと考えます。たしかに中国語の「利用 li yong」には、日本語の利用・使用・活用の語意もあります。そして一方では「うまく使う」「利する」とともに「甘える」「依存する」という使い方もあるようですから。  

        (中略)

 
 最近、上海である会合に出席しました。
 弁護士やコンサルタントの皆さんの発言に続いて、コーチング会社のKさんから「この一年、コーチングの対象が駐在員から中国のナショナルスタッフ(NS)中心に変わってきた。また、従来の上海中心から武漢・重慶という西方の都市部にもコーチング業務が広がりつつある」という新鮮な話題が出されました。

  国内の市場開拓が本格化  → 駐在員の力量では不足 →NSリーダーの需要増
 住宅・教育等の価格費用増 → 駐在員の経費が増加  →NSリーダーの需要増 市場が西方  
 都市部へ展開  → 現地に根差した要員育成→NSリーダーの需要増
 

 ・・・ という構造変化についての分析が集約されていきました。
 続いて、そもそも「コーチング」とは何ぞや?という根本の議論になり、Kさんの丁寧な解説でも理解が難しく、「喩えて言えば、机を挟んで相対して指導を受けるTEACHではなく、机を前に二人が並び、良い方向を目指して話しながら気付いていくのがCOACH?」という年輩者のたとえ話で何となく分かったような、分からないような状態になりました。
 そこへNさんから朱子の言葉の紹介があり、その内容が「コーチング」理解に重なるのではないか、という発言で一同が得心しました。やはり、年輩者の物知り風のたとえ話より新鋭の研究職の説得力には切れ味がありました。 後日、Nさんから送ってもらった出典を以下に記します。

 『朱子語類』巻十三・九 原文「某此間講説時少。践履時多。事事都用你自去理会。自去体察。自去涵養。書用你自去読。道理用你自去究索。某只是做得箇引路底人。做得証明底人。有疑難処。同商量而已」
  日本語訳「私のところでは、講義の時間は少なく、実践の時間が多い。何事もすべて君自身が取り組み、君自身が身をもって考え、君自身が修養せねばならん。本も君自身が読み、道理も君自身が研究せんといかん。私はただ道案内人であり、立会人であるにすぎん。疑問点があれば一緒に考えるだけだ。」 出典 三浦國雄『「朱子語類」抄』講談社学術文庫 33頁
  最後に、実践的なコーチと言えば、やはり野球。以前にも触れたことのある佐藤義則投手コーチに行き着きます。ダルビッシュ有、田中將大を育て、現在はソフトバンク・ホークスを支えています。 「教え子に理論をおしつけることはせず、納得するまでとことん付き合う。それが佐藤の流儀だ。松坂大輔らの大きな戦力が加わった今年のソフトバンクだが、一番の「補強」はこの男かも知れない」(二宮清純)                (了)

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2016年6月25日土曜日

#162 プエブロ族に見た信仰――日本人の宗教を見直す

 4回続けて信仰・宗教について書いてきました。今回か゜最後になり、これで書き遺すことはありません。悩める若者諸君に贈ります。

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 人は時に信仰を求めて旅をする。四国や熊野古道を旅するお遍路さんはその一つだ。スペインにもある。信仰を求めなくても、旅の中で信仰に触れることがある。 私の旅はそのように、結果として、信仰とは何か、という長い信仰遍歴に示唆を得ることになった。
  家族と私が長年住んだペンシルベニア州北端の町では、三月はまだ寒い。津軽海峡と同じ北緯43度上に位置するが、札幌より寒く、時に気温が摂氏零下20度にも下がることがある。
 90年の初め、勤めていたアメリカ企業を退職、会社の顧問と役員を務めて数年、一息ついて避寒のバケーションを取り、家内とともにニューメキシコ州に出かけた。 周囲の友達は真冬には毎年フロリダやアリゾナに行くが、私と家内がこの年ニューメキシコを選んだのは、かねてからこの町の大学からニューメキシコ大学に移った友達から招かれていたからだ。
 ナバホ・インディアンの伝承物語の研究者である彼、ポール・ゾルブロッド博士は、20年に及ぶ現地調査に基づき、ナバホの創世記を書き上げた。この著作はアメリカでは最も権威があるニューヨーク・タイムズ日曜版の書評で高い評価を得ていた。
 この創造性と空想に満ちた本を読んだ私は、日本の出版社に紹介し、日本語訳『アメリカ・インディアンの神話』(金関寿夫、迫村裕子訳。大修館書店刊。1989年)の出版が実現した。因みに、彼の兄である戦後第一世代の日本学者レオン・ゾルブロッド博士(故人)は『雨月物語』の翻訳者として知られる。ブリティッシュ・コロンビア大学や東大の教授であった。  
 さて、私たちの旅はアルバカーキ空港でポールに出迎えられて始まった。厳寒の冬装束から夏の半そでシャツに着換えて、この日から六日間アルバカーキとサンタフェに泊ってゆったりとあちこちを訪ねる予定であった。ポールが一日付き合ってもらえるとのことで、予約してあったレンタカーを二日間キャンセルした。
 翌朝、ポールの車で出発した。広大な大学のキャンパスを案内した後で、彼が面白い場所、インディアン部族の保護地に案内すると言う。 後でわかることであるが、これには前段の話をする必要がある。

 彼が大学を変わる前に、私が十七年余り住んでいた町では、彼と私はユニタリアン教会に通っていた。ユニタリアンはヨーロッパを発祥にする超宗派の教会であり、アメリカではボストンに本部がある。各地の教会は地域独自に運営され、緩やかな連帯で結ばれている。わずか2万人の町に大きな建物の教会があるのは、18世紀半ばに近郊において世界で初めて地下の油層から原油を汲み上げる技術が開発され、石油産業が勃興したことからとてつもなく豊かな時代があったからである。こういう時代に金持ちがこの町に無宗派の牧師を養成する学校を建てた時、教会も建てた。          郊外を含めると、8万人の郡全体には70もの教会があると言われる町では、保守派のキリスト教会を除けば、どの教会も財政難を抱えていた。 
 特にユニタリアン教会は慢性的に財政難に苦しめられていた。ポールと私も理事として資金集めに苦労してきた。ある時、理事会で理事の一人がジョークを言った。
 「大体ね、日曜礼拝で献金を求めるのに、柄杓(ひしゃく)(棒の先端に舛がついている)を遠慮がちに出しているから、金が集まらないのだ」。別の理事が後追いした。 「いや、それだけじゃない。ユニタリアンは何をするにしてもだらっとして締りがない」 、 「個人に自由な信仰を求めるリベラル宗派の宿命だよ」  
 実際、私が友達の子女の結婚式に出席したキリスト教会ではどこでも、柄杓を持った当番が兵士の行進のように通路をきりっとして歩き、さっと長い柄の先端についた小箱を出してきた。献金する人たちもさっと現金や小切手を入れるものだ。
 ポールと私は自由信仰の信奉者として共感を持ち合える間柄であった。
 因みに、日本には明治時代に福沢諭吉によってユニタリアンが一時広められたが、その後衰退した。福沢諭吉が慶応義塾大学を設立した時にユニタリアン大学も名称の候補であったことが文献に残されている。
 余談はこれくらいにして私たちの旅に戻ろう。
 車は4〇号線を西に向かっていた。市街地を出ると、四方が赤土色の砂漠になった。西部の空はどこまでも青い。いつでも道端の花や木について旅のメモを取る私も、文に書きようがない景色だった。ポールの著書について私が質問した。
 「ナバホの創世記については、古くから人類学者の論文があることを聞いている。あなたの著書はこれらとどこが違うの?」
  「話せば長くなるが、結論を言えば、これまでの研究者たちはナバホ創世物語の筋にとらわれて、祭礼で語られる詩的な要素に気付かなかった。これに対し、私は祭礼が行われる暗闇の中、物語を聴くうちに、そこでは声の響きや韻こそが生命であることに気が付いた。考えてみれば簡単なことであるが、文字を持たないインディアンにとっては音声がすべてなのであり、つまり、全体が詩であるのだ。このことに気付いてからは、ナバホ語を勉強し、できる限りナバホ語の音を英語の音に近づけようとしたのだよ。すべて成功したわけではないが、彼らが踏んでいる韻を英語の韻に置き換えようとした。文も原型に忠実に区切る形にした。詩的文学として彼らの文化を表現しようとしたんだ」
  「つまり、文化人類学の論文ではなく、文学に仕立てたということだね」
  「そう。これまで我々が文化という時、我々が知っている範囲での西洋文化にしか結びつけられない」
 「言うなれば、我々は自分の価値観でしかナバホの文化を見られない」

 こんな会話をするうちに目的地に着いた。そこは砂漠の平原の中にあるラグナというプエブロ部族の保護地だった。私はてっきりナバホ部族の集落だと思っていた。なぜ彼が私をここに連れてきたのか分からなかった。 事務所のような建物で係員から説明を聞くと、ポールが案内して歩き始めた。係員からカメラによる撮影はよいが、ビデオカメラの撮影は禁止されていると注意を受けた。
 なぜなのかは質問しなかった。 家内と私はポールの後に続き、赤茶けた小山を登り始めた。道は赤土と小石だけだった。日差しが強い。30分も歩くと、わずかな平地がある山上に出た。そこには巨大なキリスト教会と小さな集落があった。 プエプロ部族の集落にキリスト教会?、と驚きの表情を見せる私に、予期していたようにポールが説明を始めた。
  プエブロ部族全体がキリスト教徒であると言われる。他部族にはほとんど例がない。 17世紀末にそれまで地域を支配していたスペインに対してプエブロが反乱を起こし、サンタフェからスペイン軍を駆逐した。その後10年の間、プエブロが自分たちの土地を統治したが、部族内の権力争いの末、包囲したスペイン軍に降伏した。この時、和睦の条件としてプエブロ部族全体がキリスト教に帰依することを強制された。プエブロは降伏した後も、彼ら独自の信仰を守り続けた。彼らは他の宗教より、かなたの山上に存在するという神を崇めた。 ポールが話を終わった時、巨大な教会の高みから眼下に広がる平原を見下ろしながら、私が質問した。
 「メキシコでも南米でも、絶対一神教のキリスト教を過酷なまでに強制した当時のスペインが、なぜプエブロには緩やかな対応をしたのだろうか?」
 「うーん、私は歴史学者ではないからよく分からないが、推測で言うと、スペインは反乱を再び招いて軍隊の犠牲を払いたくなかったのだろう。さらに、ここから北東に100マイルのサンタフェには、東から有名な歴史街道になっているサンタフェトレイルが延びてきたことで、アメリカの圧力が押してきていた。ほら、この教会はアメリカ軍の侵攻を見張るには最高の砦だったのだよ」
 「他方、プエブロもキリスト教を受け入れることで、部族の安全と、彼らの自然信仰を守った?」    
 「多分、そう思う。ほら、この大木の柱を見ると、彼らの信仰の強さと信念が伝わってくるようだ」  と、彼が教会の柱を指して私に言った。
 彼が続けた話では、プエブロの何十人もの男たちが、かなたに見える山から柱材となる巨木を引きずって運んできたのだという。その山には彼らの神が居る。彼らには柱は神木であったかもしれない。
 夕方、帰路に着いた。陽光で周囲が赤く染まり始め、薄闇の神の山から大きな太陽が昇る来光の荘厳さを思い浮かべた。快適な高速道路に入ると、会話を始めた。 
 「ポール、あなたは著書によって、我々が低く見てきた口承による物語にもっと高い評価を与えようとしたのだと思う。私は山上の教会であなたの説明を聴いていた時、突然身体に霊感のような衝撃を受けた。それはね、我々は彼らの尊い信仰に対しても低く見てきたのではないか、と」  「そう、プリミティブ(原始的)などと呼ぶからね。彼らの伝承創世記もプリミティブと見られてきたのさ」  「私は長年信仰について揺すられてきた。特に、ユニタリアン教会のメンバーになってからはそうだった。説教ではよく『あなた自身の教会を心の中につくれ』なんて言われてきたからね。(二人が笑う)しかし、プエブロ流の信仰こそ世界標準ではないかと思う」  
 「世界標準とは?」  「標準を信仰の基本と言ってもいい。つまり、プエブロは単に武力に対する保身からキリスト教を受け入れたのでもなく、混合信仰でもない。ごく自然に受け入れたのかもしれない。私が閃いた発想では、信仰と宗教は違うのだよ。信仰とは自分が神を畏敬してその前にひれ伏すような本源的なもので、それが自然神信仰であり、その下に生き方の規範として宗教がある。自然信仰の対象は、宇宙神、太陽神、山の神、海の神など民族や個人によってさまざまだ。ただ、私はこういう考えを人に勧める気はない。心の中にしまっておく」  
 「自然信仰は有史以来何千年もあるのに比べ、宗教は二千年でしかないね。自然信仰を原始的とか土着的と呼ぶから低く見てしまうのだろう」
 「そう。普遍的とか、本源的と言ってほしいね」  ここで急に思いついて私が話を続けた。
 「例によって私の話が飛ぶが、ほら、ゴッドファザーの映画の中で、カトリックの枢機卿が水に浸かった小石を取り出して言うシーンがあっただろう。『この石は水に濡れているが、こうして割ってみると中は乾いている。ヨーロッパのキリスト教世界でさえ、信仰心は中まで入っていないのだ』と」  「そう言えば、私も憶えている。早い話、愛とか慈悲の心はどの宗教も教えているが、現実には心の中まではなかなか入って行けない。それであなたの信仰は?」  私はひと呼吸置いて言った   
 「プエブロと同じであることが今日わかった。もともとの原体験は中学生の時、理科の授業で先生が天文学について話していた。なぜ太陽は燃え尽きないのか?なぜ太陽系で惑星の整列が狂わないのか?なぜ全惑星が平面に並んでいるのか?銀河系に太陽のような恒星が何億もある?あり余る疑問に頭が狂いそうになった。子供のことだから、これで私の頭では手に負えない、これで科学者になる夢を捨てた(笑い)。同時に、誰が宇宙を統べているのか?宇宙の神だ、と思った。 これが信仰心のもとになった。後は、キリスト教、仏教、そしてユニタリアンと宗教遍歴をしてきた」  二人が笑った。  アルバカーキのホテルに着くと、ポールに礼を込めて夕食に招いた。そして、別れた。  翌日から、芸術の町と呼ばれるサンタフェで4日間過ごし、真冬の町へ家路についた。   
 あれから30年余、大阪から富山に引っ越してから浄土真宗の寺で法話を聴く機会が増えた。一人の住職は若者の宗教離れに対して、集会でさまざまな話題で話をした 寺でもどこでも若者が仏法に接する機会をつくっているという。  
 この時、アメリカで親交があった真宗の住職がアメリカ人に、真宗とは関係がない座禅を教えていたことを思い出した。彼も「アメリカ人が寺に来て少しでも仏法に触れる機会になればよいのだ」と私に言ったことがある。彼は後に北米地域で最高位の僧になった。
 アメリカへ来る日本人が、アメリカ人との会話で「私は宗教を持たない」とか「無信仰です」と言う。どちらも信仰には関心がないと受けとめられる。日本では宗教は家族の宗教であることが多いが、誤解をされないように、例えば仏教宗派てあると答えてほしい。誰にも信仰心はあると思うからだ      
                  (完)  

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2016年6月3日金曜日

#161 神道と神社ーー国粋主義政党の危険はあるか

 全国に約10万もの神社があると言われます。  その中、約9割を神社本庁が統括し、残る1割は独立系です。もともと日本の歴史ではほとんどの神社が独立の存在であり、地域の神社であったのです。「神道」という呼称も明治以前にはありませんでした。
 今回は宗教と国家の関係について書きます。仏教についてもさまざまな話題を提供して、一連の信仰・宗教について述べてみます。
 若者諸君、古今東西のどの国でも大衆は過度の愛国主義に引っ張られるものです。次代の日本は諸君が守るのです。

◇ 神社本庁と政治

 明治政府が国家の統一のために、全国すべての神社を国家機関の「神祇院」の下に統括し、国家神道の原点になった。戦後、GHQの指令により神社組織は解体されたが、民間の宗教法人「神社本庁」が設立された。  神社本庁は神社の宮司に対し、資格の免状を交付するだけでなく、大神社の宮司任命の人事も行い、今日では強大な組織になっている。表向きは政教分離とは言え、裏では政治権力と深く結びついている。
 例えば、「日本は天皇を中心とする神の国」と発言した森喜朗元首相が属する「神道政治連盟国会議員懇談会」には300人余の国会議員が会員だ。民進党保守派の議員も参加している。現閣僚20人のうち16人が会員だ。
 また、「神道政治連盟」にも多くの国会議員が会員だ。
 さらに、「日本会議」という右派系の民間団体には宗教界、経済界、政界、元官僚、学者の人材など1000人以上が会員で、日本最大の保守政権支援組織だ。

◇ 日本にも極右政党?

  移民政策を誤る、今以上に貧困層が拡大する、若者の失業者が増えるなど社会不安が大きくなると、左翼勢力が台頭するだろう。これに対し、今ヨーロッパ各国で起きているように極右政党が日本でも生まれるかもしれない。 今はマスコミがつくる世論、教育界、仏教界が極右に対して抑止力になっているので、 保守派の安部政権は比較的穏健な政策を取っている。しかし、将来にはどうなるかわからない。
 諸君は政府や保守団体が「神国」、「愛国」、「天皇崇拝」、「大和民族」を強調する事態になれば、警戒してほしい。

◇ 私と一般大衆の寺と神社

  過日、知人と会っていた時、雑談が偶々法事の話題になった。彼は「年回忌も戒名も日本で昔の坊主が金儲けのためにつくったんだよ」と言った。彼はこう言いながらも忠実に法事を営んできた人だ。
  私はこのことが気になってネットで調べてみた。 なるほど彼が言うように、百ヶ日、一周忌、三回忌の三つの法事は中国の儒教の影響によって日本に持ち込まれ、七回忌以降は日本で寺が始めたことが分かった。また、戒名(または法名)は、本来仏門に入った証であり、戒律を守ることを誓う儀式であった。これが日本では故人に授ける風習に変わった。
 さて、私はと言えば、親の祥月命日には家内(僧侶の資格)にお経をあげてもらい、親譲りの仏壇に花も供えてお参りする。 年回忌については、三回忌まではやったが、以降は引っ越しと体調不良のためやれなかった。これからもやることはないだろう。年回忌はなかなか会えない親族と旧交をあたためる良い機会と思う。
  私の神社へのお参りは信仰と言えるかどうか。 どこでも地元の神社が行う祭りにはあの雰囲気が好きでお参りする。 伊勢神宮にも出雲大社にもお参りした。伊勢神宮の境内のたたずまいにはいつも心を打たれる。これには抗しがたい。近所の護国神社にもよく行く。四季折々に樹木の花が咲き、心が安らぎを得られる。どこでも五穀豊穣、家内安全、無病息災、国家安泰、世界平和を祈る。 もともと神社の多数は鎮守の杜にある村落の神社信仰だった。寺とともに神社は村人をつなぐ絆だった。
 他国から神社信仰は、宗教ではないとか原始的、もとはつくり話の神話であると言われようが、他の大宗教の経典、聖書やコーランにも史実ではない神話がたくさんある。信仰や宗教のあり方はどの宗教にも特有の文化なのだから、理屈を言うことには意味がない。祈りは世界の万人の宗教に共通している。
 私は日本人の宗教への接し方は、ごく普通の大衆の一人であると思っている。

◇ 地域と若者への貢献

  帰国して間もなく、市役所や婦人会などから講演に招かれた。主にアメリカの地方 生活を話題にして話した。そこで「アメリカの町を支えているのは何か?」という質問に対して、「教会、学校、地元新聞の三つでしょう」と答えた。
 例えば、数多くある教会の中で六つの教会が連携して「スープキッチン」を行っていた。他の教会グループも参加し、毎日昼食をホームレスや貧困層に無料で提携していた。教会が組織すると、町のスーパーが売れ残りの食材を寄付した。家内も属する教会の担当日に奉仕していた。名前も問わないので誰でも昼食を取れる。教会がリーダーとして組織していた。
 さて、日本の寺は地域のリーダーになっいるか?若者の助けになっているか?
 多分、人も若者も寄ってこないと言うかもしれない。しかし、商店では「お客が来ない」などと言っていては商売にならない。当然なんとかするだろう。  寺もなんとかできるだろう。      (完)  

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2016年5月23日月曜日

#160 宗教とは何かーー心の中は分からない

 日本ではさまざまな宗教、宗派が布教活動をやっています。新興宗教も盛んであるのは人が求めているからでしょう。アメリカの事情も参考に書いてみます。
 諸君、新興宗教やオカルト集団に引っかからないためには、彼らに頼るより、自分の悩みを受け入れて持ち続けることです。

◇ 衝撃的なジム・ジョーンズ教団の破滅

 1978年11月、私がアメリカに移住して3ヶ月、People Temple人民寺院という教祖ジム・ジョーンズに率いられた900人以上の信者が集団自殺をしたことに大きな衝撃を受けた。 人民寺院は1955年に設立され、人種差別撤廃を掲げて信者を増やしていったが、途中からオカルト集団になっておかしくなった。当局の追及から行き詰まり拠点を南米ガイアナに移していた。調査に訪れたアメリカの下院議員を殺害したことから、マスコミが一気に取り立て、行き場を失ったあげく、教組が毒薬を配って全員を自殺に追い込んだ。
  私は、なぜ?と考える日々を送ったが、そのうち忘れた。今ではアメリカ人もマスコミ も忘れた。   
 日本のオウム真理教も同じだろうか。同じというのは、人はなぜ信じたのか?、人は何を求めて教祖に追随したのか?ということだ。わからない。
 専門家によれば、新興宗教が興る背景には現状への不満が身近な教祖への個人崇拝が信者をひきつけると言っていた。なるほど、仏陀もイエス・キリストも遠い存在だ。
 私は人は成員として所属感(ID)を満たしてくれる場所を求めているのだと思う。

  ◇ キリスト教系の新興宗派

 日本で不況活動を熱心にしているキリスト教系の主な新興宗派は、「モルモン教」と「ものみの塔(エホバ)」だろう。モルモン教の伝道者は髪を分け、白いシャツを着た身ぎれいなアメリカ人の青年二人が家庭訪問をしている。アメリカで知ったことであるが、彼らは修行として外国での布教を本部から課せられている。他方、ものみの塔は、日本人の女性が子供を連れてドアをノックしてくる。   
 また、日本の若者にキリスト教への憧れがあり、キリスト教会で結婚式を挙げることに人気がある。私が参列した時には、アメリカ人(または外国人)牧師のつたない日本語がかえって受けているのではないかと思った。
 つたない日本語と言えば、有楽町で用足ししていた時、つたない日本語を使って街宣車が回っていた。「日本の皆さん、あなた方は罪深いのです。キリストの教えによって悔い改めてください」と言っていた。私は「日本では放っておいてくれ」と内心思いました。
 こんな布教が世界で問題を起こしている。対して、仏教もイスラム教もこんな押しつけがましい布教活動はしていない。

◇ 宗教とは何か?

  かつてソ連時代には宗教を否定していた。フルシチョフ首相は「宗教は麻薬みたいなもの」と発言したことが伝えられている。ロシアになってからはギリシャ政教が認められた。
  中国では今も宗教は認められていない。ただ民間信仰である儒教は広く信じられている。 各地にどこでもある儒教の寺院は参拝者で賑わっており、文化財として維持されている。孔子の教えである儒教が宗教であるかどうかは意見が分かれる。
 台湾も儒教の国であるが、最近では仏教が興隆しているようだ。台湾のテレビは早くから100局もあるが、その中に仏教新宗派の専用局が三つもある。
 アメリカではなんと4割(世界で最も多い)もの保守派キリスト教信者が「天地創造」(地球も人も神がつくった)を信じており、「進化論」を拒否している。これは1929年まで州法によって学校で「進化論」を教えることを禁止していたからだ。
 アメリカの州は権限が強く、教育は各州単位で決められ、連邦政府に文部省がつくられたのはカーター政権の時だから、今も「進化論」を学校で教えることを禁止している州がある。
 日本でも公立学校では宗教は教育に含めていない。私も学校で習ったことがない。

◇ 仏教を改革すれば人は変わる

 偶々、インターネットのブログに改革に熱心な僧侶が日本の仏教について書いていた。

 
     1. 書店の仏教書は難解で分からない
    2. 住職さんに聞いてもちゃんと答えてくれない
    3. 寺でたまに集会があるが世間話ばかりで教えが分からない
         4. 仏教の教えを生きていく上でどう活かしていいのか分からない
         5. 専門用語が多すぎてわからない
 
 ここに僧侶が若者世代に対応していく問題が集約されている。寺は次世代の若者を引きつけられるか?  
 私の友たちは、多くの一般の人や若者が寺詣でしている様を見て、「観賞(仏像の)、観光、信仰」と言っている。アメリカでもヨーロッパでも有名な大教会を訪ねる観光客は多いが、信仰とどれだけ関わりがあるか分からない。私もいくつか訪ねたことがある。観光目的だった。そして今より王族が豊かな時代の産物だと思った。  
 それにしても、仏教の偶像崇拝はすごい。タリバンによって破壊されたバーミャンの巨大な岩窟仏像はその極みだろう。当時の人々は何を求めたのだろうか?
 他方、キリスト教にはマリア像やイエス・キリストが十字架に張り付けされた像や絵画を見るくらい。唯一私が知る偶像は、ブラジルのリオの山上にある巨大なキリスト像だ。 
  イスラム教では偶像崇拝を禁止しているから、私たちは教祖ムハメッドの顔も知らない。                                                          (完)   

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2016年5月7日土曜日

#159 日本の宗教界――ものは見方で違う

 明治以前には京都にある神社の宮司を務め、地主であった家系の末裔です。と言っても、父は三男坊で早くに家を出て大阪で会社員をしていました。また、一族は代々天台宗の信徒であったから、日本では多くがそうであるように、神仏習合だったのです。私もこのような環境で育ちました。     高校生の時、一級上の先輩二人とともに町にある小さなキリスト教会の聖書会に週一度通っていました。イギリス出身で年配の女性宣教師から英語に日本語を交えて話す聖書を学びました。  神道からも仏教からも教典から学ぶ機会はないので、結果としてキリスト教の影響を受けました。  
 しかし、遠方の大学に入ると、宗教について考えることはなく、教養課程の哲学に熱中しました。その後37歳の時アメリカ企業に転職してアメリカの町でキリスト教社会に住むことになりました。  この間、ずっと宗教について迷っていました。友達の「信仰は揺れ動く波頭の上の安定」と言われて、迷うことが当たり前と思うようになり、今日に至っています。  
 若者諸君、宗教や信仰について悩むことこそ当たり前なのです。

◇ 家族の墓をどうするか?

 ある日、札幌で記念行事に出席した後で級友二人SとKに会った時、車で空港に送ってもらう途中、東京に住むKの家族の墓にお参りした。そこは広大な公園のような無宗派の霊園だった。 Kがお盆の墓参に来た時、せめてお盆だけには坊さんにお経をあげてもらおうと思い、近隣の寺に電話で以来すると、檀家ではないからと断られたという。彼の子供さんは3人とも東京住まいだからなかなかお参りになかなか来られない。墓をどうするか?、思案していた。
  私も問題を抱えている。子供二人はアメリカに住み、息子はシアトルでアメリカ企業に勤め、娘はニューヨークで弁護士をして二人ともそれなりに成功しているから、日本に帰ることはなさそうだ。今は年間会費を寺と墓守さんに払っているが、当然、私も妻も死ねば家族の墓を守ってもらえない。私のように墓はあってもめったにお参りしない会員を「墓檀」と言うそうだ。
  関西の友達は大阪に墓があり、奥さんの家族の墓は東京にある。娘さんは東京住まいだ。 二人は各々の家族の墓に別々に埋葬すると言っている。  
 また大阪の友達は次男で子供がなく、死んだら骨は海にまいてもらい、墓もつくらないという。最近、こういう話をよく聞く。
 私の埋葬についてはまだ決めていない。

◇ 仏教ではなく、寺が問題  

 八百万(やおろず)の神々がおわす神道、多くの伝統仏教、キリスト教、神道系と仏教系の新興宗教が共存する日本。混沌としているように見えるが、ものの見方を変えれば、世界の宗教対立とはひと味違って良い面がある。
 日本で主な宗教である仏教の寺は、今、大きな問題に直面している。
 全国に8万以上あると言われる寺はこれから減っていくだろう。人口減少のせいもあるが、それより人々の信仰が変わってきていることで支えきれなくなることだ。実際、考えてみればこれまで政府の助成金なしによく人々が支えてきたものだと思う。  仏教のどの宗派も世襲、墓、家族に頼る現実が変わることはないだろう。  

 先ず、住職の世襲制が寺の存続を危うくしていると言われる。しかし、跡取りがいない、養子を取ることが難しいという住職の家族の問題以上に住職の在り方だ。
 世襲制がすべて悪いということはない。これが直接信者の寺離れになる、あるいは若者が寄り付かないことにつながることは認識違いだ。ある宗派の本山を訪れた時、若い修行僧の群れが庭の掃除をしていた。発想が閃いて、彼らが身分を伏せて3年くらい労働者として社会修業をしてはどうかと思った。
 住職は、アメリカの牧師のように法話が核心と考えて、信者が易しく仏法に触れられる ように入念に原稿を用意すべきだ。簡単なメモで社会問題などを話すのでは信者の心をつかめない。

  二つ目は、墓の問題。今、諸君が長男でなければ、墓を買おうとすると、寺から永代借地する費用のほかに、墓石代に300万円以上もかかるそうだ。これでは簡単に墓をつくれない。 このために遺骨を納めるロッカー式の集合墓や無宗派の霊園が増えている。大阪にある無宗派の一心寺は遺骨を集めて10年毎に溶かして大仏をつくる方式をとっている。個々に墓を持てないが、お参りはできる。ここは参拝者でよく賑わっている。

 三つ目は、家族の細分化と地域住民。昔、寺は地域の中心だった。今は家族の構成員が遠くに住む時代で、一族が寺の地域に住めるのは、農業、漁業、個人商店などの職に限られる。他方、地域には新参者が入ってくる。
 私も地域に新参者で、必ずしも地域の寺に属していない例だ。大阪郊外の町では、都市圏が広がり、昔の村落と接しているマンションに住んでいた。京都の寺までは法事以外になかなか行けない。その代わり至近距離にある真宗東本願寺派の住職と親交があった。周囲はすべて真宗の檀家だった。
  富山に住んでからは真宗西本願寺の地域で。家内の親戚や友達の葬儀はすべて真宗だ。 何人かの住職と親しくなり、法話を聴きに行く。他方、家族の天台宗の寺はない。
 ある時、天台宗の住職に「もう少し他宗派との相互交流を柔軟にしたらどうか」と問いかけたことがある。あっさり「宗派はなくならない」と言われた。私は宗派をなくすとは 言っていないのに、話がかみ合わない。

◇ 葬式仏教の批判は当たらない 

  若者諸君が「日本の仏教は葬式仏教だ」と言う。年寄り世代も言っている。この批判は必ずしも当たらない。なぜかと言うと、古今東西世界のどの宗教においては、また人々にとって葬儀は神聖な儀式であるからだ。第一、儀式の形がなければ人々が困る。
  日本の社会に深く根をおろしている仏教がすたることはないだろう。私が心配しているのは、仏教ではなく寺のあり方だ。 諸君の中には無宗教、無信仰の人たちがいるだろう。いつか変わるかもしれない。神は何か畏敬するもの、宗教は生活の規範と考えてはどうだろうか。                                               (完)

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2016年5月6日金曜日

#159 日本の宗教界――ものは見方で違う

 明治以前には京都にある神社の宮司を務め、地主であった家系の末裔です。と言っても、父は三男坊で早くに家を出て大阪で会社員をしていました。また、一族は代々天台宗の信徒であったから、日本では多くがそうであるように、神仏習合だったのです。私もこのような環境で育ちました。   
 高校生の時、一級上の先輩二人とともに町にある小さなキリスト教会の聖書会に週一度通っていました。イギリス出身で年配の女性宣教師から英語に日本語を交えて話す聖書を学びました。  神道からも仏教からも教典から学ぶ機会はないので、結果としてキリスト教の影響を受けました。しかし、遠方の大学に入ると、宗教について考えることはなく、教養課程の哲学に熱中しました。
 その後37歳の時アメリカ企業に転職してアメリカの町でキリスト教社会に住むことになりました。  この間、ずっと宗教について迷っていました。友達の「信仰は揺れ動く波頭の上の安定」と言われて、迷うことが当たり前と思うようになり、今日に至っています。
 若者諸君、宗教や信仰について悩むことこそ当たり前なのです。

◇ 家族の墓をどうするか?

 ある日、札幌で記念行事に出席した後で級友二人SとKに会った時、車で空港に送ってもらう途中、東京に住むKの家族の墓にお参りした。そこは広大な公園のような無宗派の霊園だった。 Kがお盆の墓参に来た時、せめてお盆だけには坊さんにお経をあげてもらおうと思い、近隣の寺に電話で以来すると、檀家ではないからと断られたという。彼の子供さんは3人とも東京住まいだからなかなかお参りになかなか来られない。墓をどうするか?、思案していた。
  私も問題を抱えている。子供二人はアメリカに住み、息子はシアトルでアメリカ企業に勤め、娘はニューヨークで弁護士をして二人ともそれなりに成功しているから、日本に帰ることはなさそうだ。今は年間会費を寺と墓守さんに払っているが、当然、私も妻も死ねば家族の墓を守ってもらえない。私のように墓はあってもめったにお参りしない会員を「墓檀」と言うそうだ。
  関西の友達は大阪に墓があり、奥さんの家族の墓は東京にある。娘さんは東京住まいだ。 二人は各々の家族の墓に別々に埋葬すると言っている。  
 また大阪の友達は次男で子供がなく、死んだら骨は海にまいてもらい、墓もつくらないという。最近、こういう話をよく聞く。
 私の埋葬についてはまだ決めていない。

◇ 仏教ではなく、寺が問題

 八百万(やおろず)の神々がおわす神道、多くの伝統仏教、キリスト教、神道系と仏教系の新興宗教が共存する日本。混沌としているように見えるが、ものの見方を変えれば、世界の宗教対立とはひと味違って良い面がある。
 日本で主な宗教である仏教の寺は、今、大きな問題に直面している。
 全国に8万以上あると言われる寺はこれから減っていくだろう。人口減少のせいもあるが、それより人々の信仰が変わってきていることで支えきれなくなることだ。実際、考えてみればこれまで政府の助成金なしによく人々が支えてきたものだと思う。
 仏教のどの宗派も世襲、墓、家族に頼る現実が変わることはないだろう。

 先ず、住職の世襲制が寺の存続を危うくしていると言われる。しかし、跡取りがいない、養子を取ることが難しいという住職の家族の問題以上に住職の在り方だ。  世襲制がすべて悪いということはない。これが直接信者の寺離れになる、あるいは若者が寄り付かないことにつながることは認識違いだ。
 住職は、アメリカの牧師のように法話が核心と考えて、信者が易しく仏法に触れられる ように入念に原稿を用意すべきだ。簡単なメモで社会問題などを話すのでは信者の心をつかめない。

 二つ目は、墓の問題。今、諸君が長男でなければ、墓を買おうとすると、寺から永代借地する費用のほかに、墓石代に300万円以上もかかるそうだ。これでは簡単に墓をつくれない。 このために遺骨を納めるロッカー式の集合墓や無宗派の霊園が増えている。大阪にある無宗派の一心寺は遺骨を集めて10年毎に溶かして大仏をつくる方式をとっている。個々に墓を持てないが、お参りはできる。ここは参拝者でよく賑わっている。

 三つ目は、家族の細分化と地域住民
 昔、寺は地域の中心だった。今は家族の構成員が遠くに住む時代で、一族が寺の地域に住めるのは、農業、漁業、個人商店などの職に限られる。他方、地域には新参者が入ってくる。
 私も地域に新参者で、必ずしも地域の寺に属していない例だ。大阪郊外の町では、都市圏が広がり、昔の村落と接している。京都の寺までは法事以外になかなか行けない。その代わり至近距離にある真宗東本願寺派の住職と親交があった。周囲はすべて真宗の檀家だった。
  富山に住んでからは真宗西本願寺の地域で。家内の親戚や友達の葬儀はすべて真宗だ。 何人かの住職と親しくなり、法話を聴きに行く。他方、家族の天台宗の寺はない。
 ある時、天台宗の住職に「もう少し他宗派との相互交流を柔軟にしたらどうか」と問いかけたことがある。あっさり「宗派はなくならない」と言われた。私は宗派をなくすとは 言っていないのに、話がかみ合わない。

◇ 葬式仏教の批判は当たらない 

  若者諸君が「日本の仏教は葬式仏教だ」と言う。年寄り世代も言っている。この批判は必ずしも当たらない。なぜかと言うと、古今東西世界のどの宗教においては、また人々にとって葬儀は神聖な儀式であるからだ。第一、儀式の形がなければ人々が困る。
  日本の社会に深く根をおろしている仏教がすたることはないだろう。私が心配しているのは、仏教ではなく寺のあり方だ。 諸君の中には無宗教、無信仰の人たちがいるだろう。いつか変わるかもしれない。神は何か畏敬するもの、宗教は生活の規範と考えてはどうだろうか。    (完)

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2016年4月20日水曜日

#158  中国たよりーー『渡海人』

 今回はI氏が韓国と台湾の詩人について、また中国の漁業の一端について書いています。 日本のメディアからは知ることができない貴重な情報です。
 諸君には政治とは関係がない3国の民間交流を知ってほしいと思います。      
   ――――――――――――――――――――――――――      
      中国たより、4月ーー『渡海人』


 
 この一ヶ月もいろいろな方とお会いし、お話を聴かせてもらいました。
 3月初めの日曜日、上海市静安区にある朱實老師のお宅をまたまた押しかけ訪問しました。
そして漢俳(漢字だけで五七五、十七字、季語に当たる言葉を使い俳句的な世界を醸し出す)の作品をお預かりしました。


    一雷驚百蟲 万象更新春意濃 耕種微雨中 翟麦 (朱實)
       (拙訳:啓蟹や万象めざめる微雨の中)

 冬を乗り越え啓蟹を迎えたことを喜び、春気が濃くなる微雨のなかで土を耕し、新たな種を植えていこう、という明るい内容の作品でした。卒寿の春を迎えて、なお一層創作に意欲的な句意を喜ばしく思いました。
 
 この漢俳に朱實老師からの献字を添えた色紙は、3月末に山田洋次監督にお渡しできました。翌日の2015年度大連日本商工会文化事業イベントで「ぼくと寅さん」と題する講演をされる予定の山田監督と同じフライト、しかも機内では近くの席に座る巡り合わせの良さがありました。
 「朱さん、お幾つになった? 90歳!」と気さくに対応いただいたので、漢俳の大意は『母と暮らせば』、『家族はつらいよ』を仕上げたばかりの山田監督への、朱老師からの激励のようですとお伝えできました

 大佛次郎賞受賞記念講演会が満員札止めの横浜市開港記念会館で行われました。第42回目の本年度は、詩人金時鐘氏の回想記『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』(岩波新書)が受賞対象でした。昨年9月の「中国たより」に、金時鐘氏の済州島脱出について拙文『済州島』に少しだけ触れました。受賞作の回想記を通じて、1948年4月3日から1954年まで続いた(完全終息は1957年?)「四・三事件」について、よりリアルに知ることができました。
 その流れに沿って、実体験をご本人の肉声で聴きたいと思い講演会への申し込みをしました。 淡々とした関西なまりの金氏は、文章では表現し尽くせない臭いや粘り気を我々に伝えようとされていると思いました。知的好奇心とか歴史への興味からの姿勢だけでは吸収しにくい精神のオリ(澱・滓)の塊(=魂?)を伝えようとしているのかとも思いました。
  金氏は21世紀になって、ようやく済州島に戻ることができました。故郷で金氏は両親や事件で亡くなった人たちの「魂(霊)寄せ」の祭祀を主宰したとのことです。元来の自分は唯物論的な発想をする人間ですと断りながら、金氏は祈ることで救いを得たと語り、講演を締めくくりました。
 台湾と朝鮮の若い詩人が、同じ1949年に密かに海を渡っていることに気付きます。
 一人は日中戦争終息後の国民党による台湾支配のなかで、2.28事件のあとも民主文化運動の挺身。ついには身分証明書を偽造して基隆港から脱出し、英国船籍の貨物船で大陸に渡った朱實老師。
 一人は朝鮮半島で南北政権が対峙するなか、済州島での民主化運動に参画。4・3事件の緊張下で身を潜め、父親が極秘裏に手配した漁船で済州島を夜陰にまぎれて脱出し、神戸市の須磨海岸あたりにたどり着き、大阪市の猪飼野に棲みついた金時鐘氏。
  お二人が同じ年に両親や故郷と別れて、海を渡った背景には国民党・中華民国と共産党・中華人民共和国の対立や大韓民国と朝鮮民主人民共和国の対峙があり、更には米国とソ連を盟主とする冷戦構造の亀裂が鋭角化する朝鮮戦争のまさに前夜のことでした。
 朱老師、金氏と同じく海を渡った人の肉声を聴く機会が3月にもう一度ありました。 台湾原住民作家シャマン・ラポガン氏を挟んで作家の高樹のぶ子さん、台湾文学者の魚住悦子さんによる公開鼎談が東京虎の門の日本財団ビルでありました。
 シャマン・ラポガン氏は1957年台東県蘭嶼という離島の生まれ。台湾原住民16族のなかで唯一の海洋民族であるタオ(ヤミ)族の漁民。国立清華大学修了。人類学修士。台北でタクシー運転手などの就業をしたあと蘭嶼島に戻り、伝統的な漁をしつつ作家活動を続けている由。  新作の下村作次郎訳『空の目』(草風館)を訳者自身から届けてもらい、その夜の公開鼎談のあとも下村さんからシャマン・ラポガン氏について色々と教わりました。核廃棄物の貯蔵施設設置に対する反対運動家でもあること、翌日は同氏夫妻の希望に沿って三浦半島の漁港を案内すること・・・「読む前に知る」のは場合によっては、先入観が強くなることもありますが、この夜のシャマン・ラポガン氏の中国語による発言はウィットに富み、知的で論理的でありながら原初的で荒削りな魅力に溢れていました。無駄のない直裁な表現内容をシャマン・ラポカン氏は短いセンテンスで区切り、卓抜な女性通訳者との相乗効果を生み出していました。
  英語圏でも翻訳本が出版されているというシャマン・ラポカン氏は流暢な英語も口にしていたようでしたが、日本語はできないようです。氏の父親世代たちは逆に中国語を学びきれなかったものの、日本語は話せるとのこと。朱老師や金時鐘氏世代に当るのでしょう。 新作『海洋文学――父の物語』の一節に、漁場での印象的な箇所がありました。
  ・・・わしらはマグロやロウニンアジを何匹か釣り上げた。叔父がわれらの漁獲はこれで充分だ。十匹以上とってはいけないと言った。海に魚が「いつまでも」いるというわしらの信仰は貪欲さを受け入れないというのだ。わしらはその信念を受け入れ、帰るために舟を漕ぎはじめた・・・  同じ時期に、BS画像で台湾の対岸である浙江省の漁業関係者の生活を見ました。つい数年前までの鮮魚需要拡大に上滑りした感じの好景気、御殿のような家並みが続く町。 若いやり手の船長のニヒルな言葉を曖昧に記憶しています。 「乱獲競争のため漁獲は減り、収入は減るばかり。そして網の目は益々小さくなり、水揚げされるのは小ぶりの魚ばかり。小魚の段階で獲ってしまい、成魚になるまで待つ自己規制が機能していない。他の漁船に根こそぎ獲られてしまうから」 

  浙江省の船長が、台湾蘭嶼島の漁民作家の小説を手にすることは当面ないでしょう。                (了)

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2016年4月2日土曜日

#157 アメリカ社会のキリスト教――宗教は家族の世襲か

 アメリカ大統領選挙の予備選や党員集会で、共和党ではトランプ候補のリードが続いていますが、私はよもや彼に国の舵取りを任せることはないとアメリカ人の良識を信じています。ただ一つ、彼に共感することは、ローマ法王が「壁を除くのではなく、壁をつくるトランプはキリスト教徒ではない」と発言したことに対し、「個人の宗教は心の問題であり、 彼からとやかく言われることではない」と反論したことです。
 今、イスラム教がテロと関連して問題にされていますが、私はアメリカのキリスト教の中には愛国主義と結びついた宗派が気になります。アメリカ社会で約18年生活した間に経験したことを書いてみます。

◇ 宗教の家族世襲と豚肉

 中東の小国出身でアメリカに移住してきた若い技術者と仕事で付き合う機会があった。初めて昼の会食をした時、彼は慎重にメニューから豚肉が入っていない料理を選んだ。私が持ち前の好奇心から質問をした。
 「豚肉を食べないのはイスラム教が禁止するからかい?」
 「それもあるが、家族で豚肉を食べないから、好きも嫌いも分からない。正直に言えば、ただ生活習慣です。あなたは豚肉を食べますか?」
 「食べます。牛肉も鶏肉もなんでも食べます(笑い)」 しかし、日本人が肉を食べ始めたのは、19世紀後半からで、それまでは四つ足と言って動物の肉を卑しいと見ていたのです」
 「へえー、それはまたなぜなのですか?」
 「仏教の影響もあるかもしれませんが、要するに食べる習慣がなかったのです。それが1868年の明治維新、Restorationと英訳されていますが、まあ封建主義が打破された革命みたいなもので、西洋化されるとみんな牛肉も豚肉も食べ始めたのです」
 「今も日本は仏教国なのに教えに反しないのですか?」
 「正確には分からないが、仏教の規制は日本では緩やかだから家族の習慣が変わったのでしょう。今も仏教の影響は広いのですが、人の日常生活を縛る点では緩やかです」
 今度は私が尋ねた。
 「あなたもイスラム教徒ですね。いや、これは愚問だったか」
 「いえ、アメリカに来てからはモスクに行かないし、毎日5回のお祈りもしないから、敬虔な信者ではありません。地域や社会で目立たないようにするためです。生活のためです。イスラム教徒の家族で生まれ、アメリカに来るまでイスラム社会で育ったのですから、当然コーランも読みました。ほかに選択がなかったのです。友達に誘われて結婚式や葬儀にキリスト教会に行くことはありますが特に抵抗はありません」
 「やはり私も代々仏教の家に生まれましたから、仏教の信者です。仏教からいろいろ教えを受けてきました。それでも世襲みたいなもので、本当に自分の信仰であるかどうか、いつも迷いを持っています」
  「アメリカではどうしているのですか?」 「私が住む人口2万人の町は保守的な社会ですが、友達に誘われて通い始めたユニタリアンという無宗派の教会に属しています。ポーランドに始まったこの宗派は一時アメリカで広がりましたが、衰退しました。教義がなく、人道や個人の信仰の自由を掲げています。こんな小さな町に立派な教会があるのは、19世紀半ばに近隣で世界で初めて油井技術が開発され、石油産業が興ってとてつもなく豊かな時に、金持ちがつくった無宗派の牧師養成学校があったからです。
 町では保守派のキリスト教会各派が30以上もあります。その中で異端と見られるユニタリアン教会には強い支持がなく、私に『なぜあなたはまともな教会に行かないのか?』と言われたことがあります。それでも町を去るまで会員でありました。私が尊敬していた会員の友達は『信仰は揺れ動く波頭のようなもの』と言っていました」  彼は「アメリカにヨーロッパからの移住者は信仰の自由を求めてきたのに、今は変わりましたね。宗教差別が強くなっています」と言った。
 これは実感だっただろう。
 彼との宗教談はこれで終わった。  

◇ 保守派教会の契約違反 

 渡米して2年目のこと、両親が訪ねてくることになり、仮住まいの家から快適な住宅地の広い家に引越しすることにした。友達にあちこち借家の情報を求めていた。ある日、町で最も親しくなった家族から、彼らが行く教会が持つ家の借主を求めていることを知った。
 高級住宅地にある家は両親に過ごしてもらうにふさわしい家だった。教会は喜んだ。自宅に訪ねてきた理事と打合せしたところ、おおむね双方が合意したが、後で家族の話によると、私たちがユニタリアン教会の会員であることに反対した理事の一人がいたという。
 保守派教会にしてみれば、私たちが会員である自由派教会は異端なのだ。それでも、この町ではアパートを除いて借家の需要が少ない、まして家賃が高い借家の借り手がなく、結局、教会は私たちを受け入れた。
 一年近くが経つと、理事が訪ねてきて、家を明け渡してほしいと言った。副牧師が決まったので彼に貸さなければならないと理由を説明した。
 「待ってください。2年の期間を要求したのはあなた方ですよ。契約もそうなっています」
 「理事会の決定であり、副牧師を迎えなければならないのです」  
 「聞けば、副牧師はこれから結婚しても二人家族だからアパートでもよいのですから契約を守るべきではないですか」
 これは訴訟をすれば勝てる戦(いくさ)だった。しかし、大切な友達の立場のこと、小さな町で話題になりたくないことを熟慮して家を出た。幸い、期限前に教会の友達が海外に行くことになり、家を貸す申し出があった。それから2年後、同じ町内で売りに出された家を買った。
  一件の牧師にスーパーで会うと、私たちを避けて逃げた。良くないことをしたという意識はあったらしい。
 この一件からいろいろ学ぶことがあった。
 教会の都合は時に契約が通じないこと。友達の話ではよくあることだという。  保守派教会が自分たちこそ正統キリスト教会であると盲目的に信じていること。これがアメリカ社会の風土の一部になっている。           (完)

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2016年3月24日木曜日

#156 中国たより――「焔の中」

 

今月、テレビ番組に出演した在日中国人のビジネスマンが、「日本のメディアでは30~40年もの間、中国が崩壊すると言っている。しかし、中国は崩壊しない」と発言していました。やはり不快感と母国愛が論理思考に影響していると思います。私も中国崩壊論に加担している一人です。
 私が中国政府を批判する原点は、中国の憲法でも、国旗に星が書かれているように労働者と農民を重視する政策が置き去りにされ、建国の精神が忘れられていることです。先日の全人代では習首席がマルクス主義に触れました。どこにマルクス主義があるのか?
 穏健なI氏が普通の中国の現地情報を知らせてくれます。
 私はメディアに悪乗りしているようで、中国論から身を退くことにしました。       
     
  ―――――――――――――――――――――――――        

      「中国たより」――「焔の中」   

         (前段略)

 大阪で長年続いている研究会で、毎年この時期に「中国この一年」という定点観測のようなお話しをさせてもらっています。とても熱心な常連の皆さんから、継続したテーマでの質問を受けたりしますので、報告内容や資料の準備を真面目にしています。
 「言うほど悪くない実態経済」、「景気よりも腐敗撲滅」、「解放軍史上で最大の組織改革」、「集団指導制から個人『核心』化傾向」などについて、歴史的な考察と直近の動きに基づいた卑見をお伝えしました。
 もう一つの会合は、越境電子取引についての報告会でした。喧伝されるわりに実態が分かりにくい「個人購買者による輸入」について実地調査に基づく報告書は労作でありました。最後に質問をして「日本人はルールがあいまいなので躊躇するが、中国人はルールが整備されれば商売の旨みがなくなると考える」、「投資促進には繋がらないと思うが、先ず実態を調査した」という本音を聴かせて貰ったことが収穫でした。
 北京と天津では監査役監査の前後に複数の金融関係や製造業の皆さん方の貴重な時間を頂いて「辺喫辺談」(食べながらお話しする)が出来ました。上海と同じ話題でも北方では異なる見方があるのを知ることができます。新聞記事に登場する要路の人の友達とか知人である皆さんのコメントはいつも斬新です。「言うほど悪くない実態経済」については裏付けを再確認できました。ただ「言うほど」の「言う」は誰が「言って」いるのか?の検証は大切であります。北京のある公開の場で「悲観的な報道に偏り過ぎではないか」という苦言に対して、「北京の空気がきれいでは新聞記事にならない。空気が汚い時にこそ読者の関心が高まる」という喩えで答えたと教えてもらいました。(未確認情報ではありますが、実際の喩えはもっと格調の高くないものだったようです) ・・・業種や地域により全く違う姿を見せるのが中国経済の現状だ。
 その点を踏まえると最も危険なのは、悲観論一色、あるいは楽観論一色で中国ビジネスに  望むことだろう。・・・日本企業にとっては、自社で取れるリスクの大きさを見極めながら  果実をもぎ取るための戦略と戦術の精度を磨くしかない。(日本経済新聞・上海/小高記者)
 今年になって印象に残った記事からの抜粋です。昨年上海に着任されたばかり、清新な印象を与える若手記者の文章です。
 春節以降、PM2.5が20~30という清新な空気でしたが、人も車も工場も動き始めて,風向きも変わってきた3月2日の早暁に北京空港に向かいました。空港高速に入ったところで事故渋滞6㎞の表示、タクシー運転手と相談して第二空港高速道路への迂回を選択。距離が伸びて料金加算、時間は短縮、渋滞による空気汚染回避という「三方よし」で間に合いました。席が混んでいないとのことで、隣の空いた最後列窓側に変更して貰いました。
 壁を背中にして全体を見渡せる席を選ぶスナイパー『ゴルゴ13』に因んで、勝手に「ゴルゴ13席」と称している席です。さいとうたかを(斎藤隆夫)が1968年から80歳の今も『ゴルゴ13』の連載を継続している小学館の「ビッグコミック」誌には、『沈黙の艦隊』の作者かわぐちかいじの新作『空母いぶき』が連載されています。単行本化された第1巻第2巻はともに第4刷と書かれています。現在進行形の中国解放軍の再編、陸軍主体からの転換などの動きを背景にした想定を実にリアルに追っています。
 後ろに誰も居ない席で,吉行淳之介『焔の中』をほぼ40数年ぶりに読みました。小学館からP+D BOOKSシリーズとして刊行されたもので、絶版名作が安価で手に入ります。ペーパーバックとデジタル電子書籍が同価格。『焔の中』は450円でした。
 「どうもみんな狂ってきたようだ」、と呟きながら僕は部屋に戻り、久しく会わぬ友人たちの顔を思い浮かべた。その友人たちは、学徒の徴兵延期が廃止になったため入営してしまったり、あるいは入営延期が認められる理科系大学へ進んで地方の都市に移住したりして、僕の身辺には一人もいなくなってしまった。僕自身も、入営を指示する赤色の令状が明日舞いこむかもしれぬ状況に置かれていた。(77頁)」
 1945年春、吉行は文系の東大英文科在籍中であり、理科系に転籍していった中に長崎医科大学へ進んだ親友がいたことを別の文章で読んだことがあります。東京に居残り空襲の焔の中でも生き残った人間と長崎へ転籍して一瞬にして被爆死した人間の運命の分岐点を感じました。山田洋次監督作品の『母と暮らせば』の主人公も長崎医科大学での授業中にこの世から居なくなっています。広島の原爆をテーマにした『父と暮らせば』と同じく何度か観ることになりそうです。吉永小百合演じる独りぼっちになった未亡人を支え、密かに慕う「上海(帰り)のおじさん」を演じる加藤健一の存在感が印象に残りました。そして、戦前の長崎と上海が実に近い距離にあったことを思い起こしました。       (了)

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2016年3月11日金曜日

#155 世界各国の国難と日本外交

  日本政府は確かに多くの外交と内政の課題を抱えています。それでもまだ国難というほどではありません。安倍首相はしばしば「次世代のために」という言葉を使い、実際、次代の日本のために手を打とうとする政策を掲げ、実行に移そうとしています。
   他方、世界各国は将来について考える余裕がないほど目前の問題に振り回されています。日本は今のうちに腰を据えて国の将来について手を打つ時です。今は我慢比べの時代です。
  諸君、何かを得るためには我慢が要る。諸君の次代のために。

◇ 韓国は知っていた。

  3年前に朴大統領が就任した時、「加害者と被害者の歴史的立場は千年の歴史が流 れても変わらない」と発言した彼女が急に日本との関係を改善する姿勢に豹変した。接近を試みた中国政府から軽くあしらわれて成果がなかったとか、アメリカ政府にフレーキをかけられたとか識者の分析をメディアは報道したが、それだけではないだろう。
 私は韓国政府が北朝鮮の核実験を事前に知っていたと推測している。あの強力な韓国情報機関なら、正確な時期は特定できなくとも、迫っていることは情報入手していただろう。国家の安全を脅かす事態に直面して日本との関係を修復する必要に迫られたのだ。これでやっと彼女の豹変を理解できる。
 そこで、慰安婦問題。醒めて考えれば、韓国政府が慰安婦問題を日韓関係の最大の課題としてきたことは信じられない。韓国の経済界もそう思うだろう。韓国政府は先の外相会談で慰安婦問題にけりをつけ、慰安婦像の撤去を約束した。しかし、彼女が自ら煽ってきた反日世論が障害になって像の撤去は進まない。日本大使館前の像は公道に設置されて違法であるのに、韓国政府は撤去できないと言っているのは信用できない。
 日本政府は国際世論に事実を伝えていくしかない。日本外交には問題というほどではない。国連も国際世論の反日には我慢すればよい。それにしても、常のことではあるが、なぜ国連も東京の欧米特派員は事実を曲げて日本に不利な情報しか流さないのか?

◇ 英国政府の苦難

  ヨーロッパ各国が直面している苦難について、英国を一つの例として挙げてみる。  スコットランドの独立をめぐる住民投票に対し、辛うじて切り抜けた後、今度はEU離脱に関して揺すられている。EU域内では、例えば、ポーランドから出稼ぎ労働者が資格に関わらず入れるし、移住も自由だ。英国民の雇用機会が奪われて失業率を高める。 加えて難民が移住し、その中にテロリストが含まれる。EUからの離脱の民意が高まる背景の一つになっている。また、テロに悩まされるから外国人排斥運動が起きる。 
  最近、世界の金融センターであったロンドン證券取引所がニューヨーク證券取引所に買収されることが報道された。かつての大英帝国Great Britainの国民には反感を持たれるだろう。因みに、英国はアメリカではU.K(United Kingdom)と呼ばれる。

◇ 中国政府の苦難

  全人代で政府が施政方針を発表したが、例によってスローガンみたいなものでどれだけ実行されるか。 石炭、不動産、鉄道など万年赤字の巨大国有企業を整理する構造改革も大量の失業者を生むことになる。これらの決算は怪しい。無謀な不動産投資を続けてきた地方政府に対してどこまでメスを入れられるのか。これらの幹部は共産党員であるから、失業すれば、大衆以上の反撃を招くだろう。
  貿易の減少も経済に打撃だ。特に、中国政府は輸出と輸入の両方に関税を課すから 両方で国庫収入が減る。今は中国への海外からの新規投資も大きく減るだろう。政府が目指す6%の経済成長率は無理であり、それどころかマイナス成長を唱える日本の識者がいる。
 経済が低迷する中で、農業・ 改革や環境汚染の問題はどこまで進むのか。この10年を取ってみても、スローガンだけになっている。
 国家経済のほかに、チベット、新疆ウイグル、台湾の独立問題がある。苦難の火種だ。
 習首席は、北京では共産党と政府の権力者であるかもしれないが、国政面ではとても最高権力者とは思えない。目前の敵もいないのに、増強に無節操に金を使う海軍への権力は及んでいないように感じる。中国政府は財政に関する人材を育ててきたものの、低成長に対する経験がない。

◇ 若者諸君、メディアに振り回されるな

  日本が抱える問題は国難というほどではない。東日本震災は国難であったが、今は克服しつつある。 国の根幹体力は経済だ。G7の中でまだ経済がまともなのは日本、アメリカ、カナダくらいなものだ。巨大に膨れ上がった国債の増発もやっとブレーキがかかった。日変わりする為替レートや株価の乱高下に不安を感じるが、一ヶ月にならせば、平均値はほぼ安定している。 心配なことは、政府が「ええかっこし外交」で抑制が利かないように見えることだ。
 ヨーロッパの難民問題は、いつか中国、北朝鮮、それに韓国からの大量移民が日本に押し寄せて国難になる恐れがある。ヨーロッパのようになれば、難民と移民の区別を審査することはできそうもない。今から対策を立てておく必要がある。
 諸君、今は身を固める時だ。どんなに仕事がつまらない、処遇が悪いと思ってもベストを尽くし、少しでもいい、我慢して金を貯めることだ。経済も今に良くなるだろう。          (完)

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2016年2月22日月曜日

#154 中国たよりーー『陸鞨南』を知っていますか

 
 日中間を行き来するI氏が、今回は古い新聞人について紹介します。
 陸鞨南(くが かつなん)は、名前から中国人と思われるかもしれませんが、日本人で明治時代の新聞記者です。私はどこかで名前を見た記憶がありますが、これまで忘れていました。このよう
な人物を今も研究して会合を持つ日本の人々がいることは、日本文化の深さを感じます。
 
 諸君も、今の時代を感じる参考にしてほしいと思います。
   
           ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 昨年の夏の初めに旧友のTさんから実に控えめに企画展の紹介がありました。その後新聞に比較的大きな企画展の広告が載り、8月に特別講演があることが分かりました。そしてその講師としてTさんの名前が書かれていました。大企業の中国代表としてではなく、陸鞨南研究会主筆・筑波大学客員講師としてのTさんに気付かされました。7月の帰国の際に、横浜関内の重厚な洋館にある日本新聞博物館へ赴きました。充実した企画展示を見て、気合を感じる解説書を求め、更には「司馬遼太郎・青木彰の陸鞨南研究」と題するTさんの文章を拝読して、孤高の新聞「日本」とその主筆であった陸鞨南を発掘し、研究して紹介しようとする人々の熱と力に圧倒されました。   

 新聞「日本」――。陸鞨南(くが かつなん)が明治22年2月11日、大日本帝国憲法発令の日に誕生させたこの新聞は、度重なる発行停止処分にも屈せず、皮相な欧化主義を批判するなど、この国の進むべき方向を示し続けました。また、羯南の厚情を支えに、正岡子規は阿鼻叫喚の病苦の中で俳句や短歌などの文学革新を成し遂げました。 ――日本経済新聞(夕刊)2015年6月20日) 
  政府や政党など特定の勢力の宣伝機関や、営利目的の新聞ではなく、自らの理念にのみ立脚した言論報道機関たる「独立新聞」を目指しました。(中略)羯南、子規亡き後、俊英たちは内外の主要新聞に散り、こんにちの新聞の基礎づくりに貢献しました。

 展示会解説書 巻頭言「開催にあたって」ーー独立記者 陸 羯南。陸羯南は現在の青森県弘前市出身。格調高い政論で明治期の言論界をリードしたが、評論家でも、政治学者でもなく、どこまでも「新聞記者」であった。 「国民主義」を掲げ、日本独自の国民精神の発揚と国民団結を訴えるなど、「日本の近代化の方向に対する本質的に正しい見透し」(丸山眞男「陸羯南‐人と思想」)を示し続けた。いま一つは、羯南自身が「新聞記者の『職分』を作りだそうとした」(有山輝雄「陸羯南」)。

 松田修一『道理と真情の新聞人 陸羯南』(東奥日報社)ーー青木先生が亡くなったあとの形見分けの席で不肖の弟子の私たちは、司馬さん、青木先生からの宿題〈陸羯南と新聞「日本」の研究〉を前にして、正直、途方にくれた。――高木宏治〈宿題「陸羯南研究」に答えていく〉

 『遼』 司馬遼太郎記念館会誌 2015年秋季号 ーー産経新聞の京都・大阪にいた司馬遼太郎と、同じ産経新聞東京の青木彰部長は、『竜馬がゆく』の執筆準備の過程で意気投合し、その後『坂の上の雲』『菜の花の沖』をコンビで完成させています。青木彰氏が筑波大学に転じて情報学の指導を行ったことは、『街道をゆく42三浦半島記』に記されています。陸羯南については、同じく『街道をゆく 41 北のまほろば』でも触れています。(「週刊朝日」は子供の頃からずっと家にありました。中国への出張の折には常に朝日文庫版の『街道をゆく』を携帯していました。しかし、陸羯南については昨年までは白髪ぼかしのような記憶しか残っていませんでした)
また正岡子規の死後に、妹の律の養子となった忠三郎さんを軸に正岡一族や関係者を訪ねて綴った『ひとびとの跫音』(司馬遼太郎・中公文庫)で陸羯南ゆかりのエピソードを知ることができます。忠三郎さんは、正岡子規の叔父の加藤拓川の三男。加藤拓川は陸羯南とフランス語を学んだ親友であり、欧州行を前にして伊予松山から上京したばかりの正岡子規の後見を陸羯南に託しました。 司馬遼太郎は週刊朝日に『街道をゆく43 濃尾参州記』の連載途中に亡くなっています。陸羯南について関心を深め、津軽などの関係先に赴いて準備をしていたのでしょうが、小説化する前に時間切れとなりました。青木教授も研究論文の目次まで準備しながら継続できず、Tさんたち弟子に宿題を残すことになりました。
 2月7日の弘前は朝から乾いた雪が降りました。お城近くのコーヒー店で雪見珈琲をしながら時を待ちました。旧軍の師団長官舎で敗戦後は進駐軍に徴用された歴史的建造物も、その日は受験生支援の場所になっていました。 11時に弘前市立博物館での企画展〈陸羯南とその時代〉の会場で高木さんと合流し、地元の陸羯南会の館田会長や三上学芸員の懇切なご案内や説明のお蔭で2時間があっという間でした。Tさんたちが「発掘」した資料もありましたが、横浜での展示会とは異なり陸羯南の出身地ならではの独自性を感じました。三上学芸員には様々な質問に応えてもらい、素人意見も聴いてもらった御礼の準備がなく、読みかけの伊集院静『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』(講談社文庫)を受け取ってもらいました。この本は親しみの湧く文体で子規とその仲間の青春を描いているような気がします。陸羯南も子規の指導者そして庇護者として描かれています。
  館田会長のご厚意で、年に一度の陸羯南会の総会に飛び入り参加させていただきました。2時からの総会の前に、青森市の東奥日報本社からマイカーを飛ばして駆け付けた松田修一さんと会えました。横浜での気合いの籠った展示会解説書を編集された方で、展示会終了後に、解説書を10冊だけ特別手配して貰った経緯もありました。解説書は上海のメディア関係者を囲んでの会合(蛻変の会)で記者の皆さんへの参考資料として差し上げています。 松田さんとは当日朝刊の一面コラムのことや俳句季語のことなど、Tさんを挟んでざっくばらんな話が弾みました。新聞社ではインフルエンザ罹患者が多く、てんてこ舞いしているとのことから、若い頃に読んだ石橋湛山の戦前の評論に「黴菌のせいではなく、黴菌に冒される身体が問題だ」と云う意味の文章についてうろ覚えのことを喋りました。
 後日、松田さんから『石橋湛山評論集』から「黴菌が病気ではない。繁殖を許す体が病気だと知るべきだ」というくだりがすぐに見つかりました、という連絡を貰いました。 松田さんは2月13日に〈陸鞨南とその時代〉展の記念講座でお話しをされます。多くの聴衆が上述の『道理と真情の新聞人 陸羯南』(東奥日報社)や解説書を購入されることを期待しています。 総会後の懇親会、そしてその後の反省会にも同席させてもらい、多くの方から色んな貴重なお話を聴かせてもらいました。まさにオーラルヒストリーの宝庫のようでした。 学生時代の夏の宿題、新任講師の中井英基先生の指導の下、幕末からの国権と民権の流れについて素朴なレポートに試みました。中江兆民と頭山満、幸徳秋水と内田良平などの対比を試みました。その折に福沢諭吉と陸羯南も採り上げようとしましたが果たせなかったことも思い出しました。奇しくも中井先生は北大から筑波大学に転じて、先日お会いした時には筑波大学名誉教授の名刺を頂戴しました。
 翌日横浜に戻ると、街は鉦や太鼓で獅子が舞い、爆竹を鳴らして春節を祝っていいました。馴染になった景珍楼のマダムもご祝儀の紅包を門口に貼り付けて獅子舞を待ち受けながら、忙しいのに従業員は帰国帰郷した、なかなか風邪が治らないと大きなマスク越しにぼやいていました。「黴菌は病気ではない」とは言わず「新年快楽!保重健康!!」とだけ声をかけました。    (了)

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2016年2月7日日曜日

#153 大統領選挙と「刑事コロンボ」----アメリカはますます金持ち天国

 
 いよいよアメリカ大統領選挙の党員集会と予備選挙が始まりました。
 私は滞米中に4回の大統領選挙を身近に見たり、アメリカ人の声を聞いてきましたが、今回の候補選びには明らかにアメリカ社会の変質を感じています。
 どこが変わったのか?  
  そして、次世代の諸君は日本の社会をどう変えたいですか?

◇ 共和党トランプ候補の人気  

  大統領候補の選挙運動は11月の投票日の1年前から始まる。翌年2月、今頃からアイオワ州の党員集会を皮きりに、7月の全国大会で党の大統領候補が選ばれるまで、各州の党員集会または予備選挙が延々と行われる。
   党員集会ではトランプ候補の支持率が落ちて他候補に僅差で2位になるという意外な結果になった。
 アメリカの長い選挙運動中に、メディアが徹底的に経歴を調べあげて暴露することから、例えば、不祥事、不倫、嘘がばれて撤退させられる破目になることは珍しくない。トランプ候補も経歴を洗われている中で、一つメディアが報道しないことがある。
 あれは私が滞米中の1980年代、トランプは祖父の代から受け継いだ不動産事業に加えてカジノ、航空会社など過大な投資をして会社を破産させた。本人も自己破産した。これは事業だから仕方ないが、問題は破産しても、年額50万ドルの生活費を生活権として裁判所から認可されたことだ。当時、平均の年所得は4万ドルくらいの時代だ。メディアも市民の間でも批判が高まった。私も理不尽だと思った。会社破産でも自己破産でも、出資者に対して、言わば、借金を踏み倒したのだ。
 メディアは忘れたのか、違法ではないので批判しないのか?アメリカ市民も忘れた。 それからカムバックした彼が「不動産王」と呼ばれている。彼にはアメリカは天国なのだろう。

  ◇ 民主党サンダース候補が善戦  

 他方、民主党のサンダース候補はこれも本命のクリントン候補にわずか1%の差に詰めよった。  
 私には社会主義者と称するサンダース候補の肉薄に驚いた。以前には考えられない結果だった。
 アメリカでは社会主義者は嫌われる。私が見てきた民主党候補のエドワード・ケネディ上院議員が最良の候補だった。彼は裕福なケネディ家の出身でありながら生涯弱者に肩入れし、社会政策に力を尽くした。情熱的な演説と千両役者のような風貌で人を引付けた。 しかし、社会主義者とか左派のレッテルを貼られて全国大会で敗れた。
 一方、カリフォルニア知事を経験した元映画スターの共和党リーガン候補は3度目の挑戦で共和党候補に選ばれ、そして大統領になった。保守または右派の時代だった。 今、社会主義が表面に出てきた。アメリカは変わった。

◇ 「刑事コロンボ」とアメリカ社会

 今、民放BSテレビ曲でアメリカでも人気があった「刑事コロンボ」が毎日夕方に放映されている。滞米中に観たものもある。  アメリカの会社の同僚から勧められたのがきっかけで英語の勉強に役立ち、会食の席でもよく話題になったのでよく観た。このドラマが人気を博したのは、野心いっぱいの俳優、弁護士、芸術家、医者など成功者が完全犯罪狙いの殺人を犯し、コロンボに仕掛けを見破られて破滅する物語だ。広大な庭園に囲まれ、大邸宅に住み、ベンツのコンバーチブル(オープンカー)やロールスロイスを乗り回し、別荘を持つ彼らの生活が一見華やかに見えながら、実はぎりぎりの生活であり、金のために殺人をしなければならない。それがコロンボによって崩されていく。 一般の市民に快感を与えてくれ、共感を覚えるのだ。
 他方、コロンボと言えば、よれよれのレインコートに着古した背広で、ワイシャツに古いネクタイのいでたち、車も年代物の小型プジョー(フランス製)という設定。そして小男ときている。虚栄の金持ちからは低く見られ、職務上行く高級レストランでは差別扱いを受ける。庶民にとって正義の味方なのだ。
 「刑事コロンボ」は週に一回、一度中断されたが、復活して計79回が放映され、テレビドラマの秀作になった。  私はロスに住んだことがないからよく分からないが、住んでいた町でもペンシルベニア州でもこんな大邸宅に住み、派手な生活をする金持ちを見たことがない。

アメリカは変わるのか

 ここ10年かそこら、アメリカ社会では統計からも明らかに貧富の格差が広がった。富の集中はすさまじいらしい。 アメリカに住み始めた頃、アメリカ人は金持ちに対する妬みがすくなく、むしろ尊敬の念を持っていると感じた。それが社会主義者の台頭により、どう変わるのだろうか。
  日本でも貧富の格差が広がっていると言われる。しかし、日本の金持ちはそれほど贅沢な生活をしていないように思う。                (完)  

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2016年1月20日水曜日

#152 日本とアメリカの健康保険――自分で守れの違い

 新年おめでとうございます。  諸君の中にはおめでとうどころではない正月を迎えた人たちもおられるでしょう。  私にも何ひとつ良いことはありませんでした。というのは、12月から病気と治療通院で悩まされたからです。昨年には脊柱管狭窄症、緑内障・白内障、心筋梗塞の3種目の手術で入院し、リハビリを続けていました。好きな水泳も止められています。
 頑健と思っていた私も集中砲火を浴びたのです。高校の一級上で頑健だったH氏も胃癌から始まっていくつもの病気にかかりました。彼は小児科と産婦人科以外は診察券を全部持っていると言っています。私も診察券があっという間に増えました。
 そう、頑健であっても歳を取るうちに病気から逃げられないようです。
 今回は日本とアメリカの医療制度について書いてみます。

◇ 健康保険と高齢者医療制度  

 日本の制度は国民皆保険と言われ、個人が保険料を一部負担して誰もが保険治療を受けられる。会社員なら会社が半額負担してくれる。若い世代で自営業や非正規雇用の場合は、国民保険料が重荷かもしれないが、いつかの時に助けてもらえるから、生活保障経費と考えてほしい。
 さて、私の3種目手術には医療費が400万円以上もかかったが、聞けば1千万円以上もざらだという。私の個人負担は高齢者のため1割負担、さらに市の高額助成制度があり、わずかな治療費のほか入院の部屋代と食事代を払うだけ。
 日本の年間医療費の総額は40兆円にもなり、なんと国家予算の40%に匹敵する。国庫負担の1兆円余は毎年増え続けている。このうち国の高齢者医療費の重荷になっていて。高齢者が増え続けるこれから20年は大変。それまでは諸君たちに助けられなければならない。

  ◇ アメリカの健康保険制度

 アメリカには国民皆保険制度がない。国の健康保険制度であるのは低所得者のMEDICARDと高齢者のMEDICAREだけで、それも日本のように最新の医療を受けるには制限がある。残る多数の市民は民間の保険会社から保険を買わなければならない。一切の健康保険を持たない無防備の市民は約3000万人になるという。
 私は高い民間保険を買っていた。それでも毎年200ドルの免責があるから、子供が怪我をすると、200ドルまでは健康保険が利かないので自費で払った。その上歯科は保険の対象にならない。
 結局、17年以上の滞米中、保険を使ったことがない。いくら保険は相互扶助とは言え、保険会社を儲けさせたのだと思っている。

◇ オバマ大統領の苦闘  

 残る1年の任期になったオバマ大統領は二つの宿願実現に苦闘している。  一つは国民皆保険制度であり、他は銃規制だ。どちらも無いのは先進国としては極めて珍しい。
 これには「自分の身は自分の責任で守る」という建国以来のアメリカ流の論理が背景にある。健康保険では自分の健康保険は国の保護に頼らず、自分の責任で入れというわけだ。
 今、オバマケアと呼ばれる国の健康保険を立ち上げ、任意で加入する制度が始まり、少しずつ加入者が増えている。クリントン大統領候補がファーストレディの時に取り組んだが、共和党に反対されて挫折した。彼女が大統領になればこの難題をどうやって進めるか。
 何しろ皆保険が実現すれば保険会社はビジネス機会を失うことになるから、業界こぞって共和党に圧力をかけてつぶそうとするだろう。
 アメリカの論理が国内にとどまるならまだしも、TPP交渉の過程で、アメリカは共和党の圧力に押されて日本の皆保険制度を槍玉に挙げていた。アメリカ流の論理を日本に持ち込もうとした。ええ加減にせい、と私は思った。
 私が帰国する前、万年赤字に悩む町の公立病院が保険会社に買収されて経営支配するようになった。全国でも保険会社による病院の買収が起きていた。何しろアメリカの保険会社は寡占状態にあり強大だから、こと健康保険に関しては警戒が必要だ。

  ◇ 健康診断の勧め  

 諸君たちは行政(市役所)が年に一度無料の総合健康診断をしていることを知っているか?
 会社の健康診断を受けられない諸君には行政の制度を是非受けてほしい。「健康診断を受けて自分の身は自分で守れ」が日本流だ。
 これは国や自治体が進める病気予防政策の一つだ。国の医療費負担を減らすには、病気になる前に予防に力を入れる方が有効であるという考え方があるからだ。
 私もこの制度に救われた。手術を受けることになったのも、健康診断で病気が見つかり、精密検査から早期発見で手術の必要がなかった病種があった。頑健で病気とは縁なしと信じていた私は、昨年に3種目の手術と、疑いがあるため検査、検査の集中砲火を浴びた。生涯で最悪の年だった。
 今年、健康診断の一つ、検便で血が出た。すわっ、大腸ポリープかと内視鏡検査を受けたところ、ポリープは小さく、切れ痔と分かった。 笑えないオチで本稿の終わり。               (完)

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2016年1月19日火曜日

#145 中国たより――済州島4・3事件とは?


   北京在住のI氏が北朝鮮国境地域のほかに韓国の済州島事件について書いています。  少し前置きが長くなりますが、私も済州島について書くことにしましょう。
 4・3事件というのは、朝鮮半島が南北に分かれた1948年、済州島民が独立を求めて蜂起した時、韓国の軍隊と警察が島民の5人に1人、6万人を虐殺した事件です。
 私が韓国に出張中、親しくなった技術者から、今も本土人の間には済州島民を蔑視していると聞いたことがあります。なぜか、また事実なのかどうか分かりません。 朝鮮戦争が起きたのは2年後のことです。
 大阪に住んでいた時、済州島を舞台に老夫婦の農民と牛の生活を淡々と描く映画をミニシアターで観たことがあります。ひと昔前のフランス映画のようでした。済州島にはいつか行ってみたいと思っていました。   
   
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     「中国たより」

 この春、平凡社ライブラリーの一冊として増補出版された『なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島4・3事件の記憶と文学』(金石範・金時鐘著 文京洙編)を読んで、改めて1948年4月3日の済州島での武装蜂起、それに対する徹底した弾圧粛清や予備検束について系統だって知ることができました。とりわけ、済州島脱出と日本への密入国を経て、きわどく生き延びた金時鐘氏の長い沈黙の重さが印象的でした。 済州島での事件についての詳細は省きますが、巻末資料に掲載されている盧武鉉大統領の済州4・3事件58周年記念慰霊祭でのスピーチ(2006年4月3日 済州4・3平和公園)を一部引用して、当時の韓国政府の姿勢をお伝えします。
  「国民の皆様。誇らしい歴史であれ、恥ずかしい歴史であれ、歴史はあるがままに残し、整理しなければなりません。とりわけ、国家権力によって恣に行われた過ちは必ず整理して、乗り越えていかなければなりません。国家権力はいかなる場合においても、合法的に行使されなければならず、法から逸脱した責任は特別に重く問われなければなりません。同時に、赦しと和解を口にする前に、やりきれない苦痛を被った方々の傷を治癒し、名誉回復をなさねばなりません。これは国家がしなければならない最小限の道理です。そうしてからこそ、国家権力に対する国民の信頼も確保でき、相生と統合を言うことができると思います。」(同上書307頁)自らの言葉で、自らも内容を信じて、簡潔に述べられた談話だと思います。
 対北朝鮮国境に貿易地区=大橋開通目指す?
 【北京時事】新華社電によると、中国遼寧省政府は7月13日、対北朝鮮国境都市の丹東市に両国の国境地域住民が商品を取引できる貿易地区を設置する方針を明らかにした。既に承認されており、10月から運営するという。
 鴨緑江を臨む丹東市の国門湾に設置され、約4万平方キロの土地に交易や物流、検査などのための施設を建設する。丹東は中朝貿易の最大の経由地。国境から20キロ以内に居住する住民だけに貿易地区での交易が許され、北朝鮮の国境住民と商品の取引が可能となる。1日8000元(約16万円)以内なら関税などが免除される。
 貿易地区が設置されるのは中国が新たに鴨緑江に建設した「新鴨緑江大橋」の中国側起点。大橋はほぼ完成しており、昨年に開通する予定だったが、北朝鮮側の事情で開通していない。中国側には貿易地区の運営開始とともに、大橋の開通を目指し、中朝の国境貿易を活発化させる狙いがあるとみられる。
 数年前から定期的に遼寧省丹東市を訪問して、丹東の提携工場との打ち合わせとともに、北朝鮮の動きを色々と教わってきました。特別区の設置や労働者派遣の話が観測気球のように上げられては、その都度「北朝鮮側の事情で」頓挫してきました。その間に丹東の工場の競争力が下がり、一部をカンボジアの工場へ移管することにもなりました。上記記事の動きが具体化するかどうか、中国から30年遅れた対外経済開放政策に北朝鮮がハンドルを切るか?そして丹東が「東北部の深圳」として変貌できるか? 過去の経緯からみると、楽観的にはなれません。しかし、板門店で神経戦をするよりは、丹東と新義州の間を流れる鴨緑江を脱北ルートの川ではなく、溝通(コミュニケーション)のカテーテル(パイプというには、8000元/日という免税対象の規模からして憚られます)にしてもらいたいと考えています。             (了)

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