2009年5月25日月曜日

#5 受験「知識力と思考力とは何か」

 なんと硬いタイトルにしたものか、と自身で思います。しかし、いくら分かりやすい言葉による表現を心がけるにしても、その分かりやすい言葉が文意を充分伝えられないことがあります。そこで、中には書き手は硬い言葉の使用を逃げない代わりに文章を分かりやすく書こうと努力します。私もそういう書き手の一人です。
 先日、リトルリーグ野球チームの練習を見ていた時に発想したことから、キミらが親であるか、または将来の親になる人たちであるとして、受験勉強の成り立ちを説明してみましょう。

 高校受験でも大学受験でも例えば、実力と呼ばれる中味は記憶力と思考の応用力を合わせたもので、これによって試験点数が決まる。記憶力とは知識をどれだけ暗記で憶えているかということ、応用力とは論理的思考力の一部で(あくまで一部に過ぎない)定理や公式を知識と組み合わせていかに応用できるかということである。この二つがあると「頭が良い」と評価される。言いにくいことであるが、この二つは先天的なもので、努力で高めることはできるが、限界がある。これにある科目について好き嫌いの要素が入ってくる。
 私は頭が悪いとは思わないが、それでも頭の良さでは上には上がいて、中学の時には科学者を志望したこともあるが、能力に限界を感じてあきらめた。同じ頃プロ野球選手になる夢も持ったが、これも実力の限界であきらめた。
 さて、リトルリーグ野球チームの夜間練習が終わると、その中に塾に行く少年が何人かいた。学校の正課に加えて、平日にも何回か塾通い、平日の夜には野球練習、週末には試合という生活のすべてが組織化されている。別の見方をすればすべて与えられた生活になっている。彼らにどれだけ独自に計画し、暇を楽しめる時間があるのだろうか?
 こうして与えられた生活は中学、高校まで続く。子供たちは本当に大きな重荷を課せられている。よく耐えられるものだ。
 私が親なら、もっとも今の厳しい競争をよく知らないが、子供を塾には行かせない。学校の授業に集中させる。正課で理解できないことがあっても、「塾で教えてもらえばええ」となって、授業中の集中力も記憶力も低下させるだろう。集中力は人生を大きく左右する要素なのに。
 また危ないことを言うと、塾に子供を通わせて大学に進学するにしても、せいぜい入学できる大学のランクを一つ上げられるくらいだろう。これでは親の教育投資の効果がない。私なら高校卒業後に本人が望むことなら、一年間予備校に通わせた方が投資の値打ちがあると思う。せめて子供には幼少から高校までは自由な時間を増やせてやりたい。
 運動部なら野球やサッカーもよいが、マイナーの運動部を勧めるだろう。スポーツの世界ははるかに天性の素質がものを言う。運動部の部活で大事なことは、へたに花形選手になることより、密接な仲間意識の経験と身体を鍛えることだ。

 アメリカでも大学進学の競争は厳しい。しかし、一流大学を卒業して有利な仕事は、政府か大企業で出世を狙うか、一流学者になる場合に有利であり、社会ではセールスと技術の分野は大学の名より実力の世界だと言われる。日本の社会もそうなりつつある。社会では記憶力や一部の論理的思考力のほかに、発想力、観察力、実行力、持続力、感性、説得力、体力など紙の試験とは無縁の広範な素養がものを言う。
 日頃の生活をうまく管理すれば、実社会には可能性を見出すことができるはずだ。
 
 


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