2015年4月12日日曜日

#136 どこかおかしいなあ――地震、東京、地方

 どこか論理がおかしい。こんなことが政治でまかり通っています。政治は時代によって変わります。ある程度は仕方がないことです。それでもおかしい。  いくつか例を挙げて見ましょう。  
 諸君の直観と論理はどうでしょうか?

東京直下地震と首都機能移転  

 政府は東京直下地震に備えて少しでも犠牲者が少なくなるように、専門家グループに研究させている。地震を防ぐことはできないから、対策を講じることは重要なことであり、誰も異論を唱えない。   
 ところが、かつて熱心に議論された首都機能移転は忘れられてしまった。国会が委員会を設立して移転候補地を選んだのは12年前の2003年のこと。栃木・福島、岐阜・愛知、三重・畿央の3候補地を決めたが、最終候補地を決められないまま、国交省の特別チームが解散した。
 与党も野党も、そして都民も忘れた。

関西3空港問題は4空港問題  

 大阪の郊外都市に住んでいた頃、政府の方針に異論を唱えて、伊丹空港を首都機能の一部移転先にすることを提唱していた。
 全国的に関西3空港は知られているかもしれないが、実は八尾市にもう一つ市街地にある八尾空港がある。ここは定期便が飛んでいないが、滑走路2本があり、自衛隊、警察、消防のヘリコプターのほかに飛行学校の軽飛行機に利用されている。
 私の発想は、この飛行場を閉鎖、民間企業の本社地に転用し、飛行場の機能を伊丹空港に集約することである。こうすれば、商業航空は関西空港と神戸空港の2つになり、経営改善になる。さらに伊丹空港の近くには陸上自衛隊の駐屯基地があるが、飛行場がないのでヘリコプターしか飛べない。
 伊丹空港の旅客ビルや施設を利用して首都機能の一部を移転することは、当面現実的だ。そのほかにも、東京あるいは関西に起きるかもしれない大災害に備えて救援物資の備蓄に利用できる。(本稿の「大阪言論」に詳細)  
 なぜ関西の行政も政治家も、そして財界もこんな発想を持てないのか? おかしいな。

地方創生と東京オリンピック  

 政府は果敢に「地方創生」の政策を押し進めている。どの国でも首府は繁栄しているように見えてあまり変わりがないが、途上国では地方都市は貧しく、首府とは大きな格差がある。これが先進国と途上国の違いだ。  
 日本の地方都市も経済不振をかかえているものの、なかなか立派になった。世界の先進国に見劣りしない。 それでも政府が力を入れるのは、地方の経済振興と雇用増加を目的にしているのと同時に、東京一極集中を改善することにもある。
  ところが、その一方でオリンピックを誘致することに都を支援した。5千人規模の選手村を建設した後は誰が住むのか?オリンピック関連のビジネスを求めて地方からの人が増えるだろう。これも矛盾するな。

  諸君よ、ネット検索して「都道府県別有効求人倍率」を見てほしい。1.4を超える、つまり人手不足の県がいくつもある。寮を持つ会社に入るといい。家庭の事情で住む町を離れられない人は気の毒であるが、故郷にこだわることはない。将来、望めば故郷に帰れる。

活断層と津波の見解

 話がばらばらになるが、原子力規制委員会の活断層をめぐる見解もおかしいな。
  一つは、活断層の判定について35万年前から50万年前に変えて、この間の活動を判定基準に入れるという。こんなことが検証できるのか?
  二つ目は、ある原発の再稼働の判定結論を「活断層ではないという確固たる証拠がない」として反対の見解を出した。私に言わせれば、「活断層であるという確固たる証拠もない」のだ。安全につくというだけでは論理が通らない。
 三つ目は、学者が大地震によって高知市で高さ34メートルの津波になると警告した。堤防の高さを検討する地方自治体が振り回されている。防ぎようがないが、どうするのか?
 
2年前か、大学教授が為替レートが1ドル50円になるとテレビで発言していたが、市民を幻惑するような説は先ず学会で発表してからにすべきだ。 災害対策についても、1ドル50円説の根拠が乏しいのと同様ではないかと言えば、言い過ぎかな。             (完)

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2015年4月4日土曜日

#135 北京たより――「歳歳年年」

 I氏がアジアインフラ銀行について述べています。若者諸君には今は直接関係がないかもしれませんが、私の予測では諸君の世代には中国が一時混乱し、日本にも影響が及びます。
 全文を紹介します。                  ――――――――――――――――――――――――――― 

       北京たより(2015年4月――「歳歳年年」

 亮馬橋路の日本大使館の向かい側、中日青年交流会館や21世紀ホテルの敷地の一角に21世紀病院があります。海外旅行保険保有者を対象とする総合病院です。流暢な日本語で対応する係員や穏やかな物腰の看護士のお蔭でこちらの気分も安らぎます。昨年後半、この病院に通い中医系医師により、腰痛や神経痛をゆっくりとしたペースで治してもらいました。ところが春節のあと、2月末の台北から始まった各地での監査や決算配当董事会への対応が3月末まで続きました。その間に、東京での会議や「お別れの会」への出席があり、とうとう足腰の痛みが限界に達しました。東京・天津そして最後の北京での業務をダマシダマシ(身体に対してで、監査には真摯に対応)終えてから、すぐに21世紀病院に向かいました。
 慌しい三月、「春場所の浪花に匂う大銀杏」に接することもなく、いつの間にか千秋楽でした。関脇照の富士の躍進の陰で、同じく関脇に昇進しながら早々に休場した隠岐の海の居ない土俵は寂しかったなどと感じるヒマも無かったです。 「センバツの球は転々宇宙間」をしっかり追いかけることができず残念でした。秋の神宮大会に優勝した仙台育英など有力視されたチームが早々に敗退して「秋から春」の難しさを改めて感じました。ただ松山東が二松学舎に勝利したので、相手校の時代錯誤的な校歌が北京やソウルまで国際放送で流れてこなくて良かったです。
 毎年の三月は中国圏定点観測の渡り鳥生活を繰り返してきました。大連から香港まで各拠点の運営状況を、第三者の視点で点検してもらうことが第一義であることは言うまでもありません。次に現地スタッフとの交流でその土地ならではのトピックスを知ることも大切です。また、現地の銀行やJETROを訪ねて、新鮮な観点を教示してもらうことで、視野を広げる努力を続けてきました。
 更には、誰に対しても強制できることではないのですが、早起きの朝の市場散歩や夕食後の足裏マッサージでの世間話はその街の風に当る機会でもあります。期末の三月以外にも各地を巡ってきましたが、三月であれば「ああ監査だから来るのか」ということでスタッフ達に容易に納得してもらえる利点もあります。また定点観測をしておけば、その後に提案や課題が生まれたときに検討や解決に当っての想像力が湧いてくることもあります。
 三月の折り返し地点、3月15日の日曜の昼下がりに「中国と周辺地域の関係史~遊牧民からみた中国交渉史~」と題するセミナーを聴取しました。日本からのフライトを早めて、空港から直行した大学の教室には駐在仲間の皆さんが席を占めていました。セミナーの先発・中継ぎ・抑えのいずれの講師からも啓発を受けました。『「一帯一路」計画と中国の対外発展戦略』と題する講演の冒頭に、李小鋼主任(上海社会科学院外国投資研究中心)は、・・・北京での両大会が終了しました。今朝ほど恒例の李克強首相による記者会見がありました。内外の記者からの十数項目の質問には「一帯一路」に関するものはなく、首相からも言及がなかったのが意外でした・・・とホットな話題を披露しました。
 念のため、翌日の朝刊記事を浚ってみましたが、確かに「一帯一路」についての記事が見つかりませんでした。  西北部から中央アジア、欧州への経済回廊の「帯」、東南アジアへの海上シルクロードの「路」の水陸同時に推進する経済発展プラン。これを「国際経済合作交流」と見るか「中国の拡大」と見るか? プランを「戦略」と見るか「計画」と見るか?   2015年から公にされる具体的な内容を見るまでは判断がつかない人間にとって、李主任の分析は刺激的でした。李主任は言います・・・「一帯一路」計画にかかわる特定のプロジェクトはいったい援助的な交易プロジェクトなのか、それとも利益を追求する商業プロジェクトなのか、その性質を明確にする必要がある。そうでないと、プロジェクトの評価基準が混同し、最終的にプロジェクトを失敗の道に導く。
 ところが、昨今はアジアインフラ投資銀行(AIIB)へ参加する、しないが大きく取り上げられ、あたかも「一帯一路」プランが銀行設立と表裏一体のような印象までも与えているのではないかと訝っています。まさか新銀行に米国や日本が参加したら「一帯一路」が成功だ、などといった短絡的な見方はしていないと思います。数ヶ月前から北京の早耳の方々から「日本は参加しないとは言っていない」とも聴いています。日本・米国主導(現在の第3出資国は中国)のアジア開発銀行は第二次大戦後の「飢餓と貧困」からの脱却の為に大きな貢献をしたと思っています。多分、うまくアジア開発銀行を活用したのは中国ではなかったでしょうか?
 しかし、アジア経済の成長と拡大により新たな「需要と提案」に応える受け皿が必要になったのは自明であるので、本来は日米が率先して刷新創新をすべきだったと愚考します。

 問題の一つは、中国が本プランを中央銀行主導ではなく、財政部主導で政治的援助に使いすぎると「一帯一路」の国々(或いはその国の政治家)の中から、中国以上に政治的に資金を利用する動きが出てこないかです。
 二つ目は、国内経済の曲がり角にある中国が、1978年以来の「利用外資発展産業。請進来(下世話な訳ですが、外資を利用して国内産業を発展させる。どうぞイラッシャイ)」から「走出去(海外進出、さあ出て行こう)」政策促進へ転換した現在、外資の流出と国内産業の空洞化により国内経済がますます脆弱にならないかです。
 三つ目に、上手く進めば大きなビジネスチャンスとなるとして、ここでも「国進民退」が優勢になり、独占的な国有企業が更に国家経済を壟断しないかです。最後の一点は言うまでもないことですが、民族間摩擦の地域にお金で心を得る手法が通用するか?という過去も現在も存在する課題です。功徳(開発の功と人心を掴む徳)が合体せず、折角の「功」が仇花や恨みの象徴になったことはアジア現代史の一つの残念な流れです。
 李主任の結論;「一帯一路」計画で中国はチャンスがあるが、自分を変えなければならない。「やりたい」を「やってもらいたい」に変えなければならない。  私の楽観論;国際社会に認知されるステージを切磋琢磨の機会と捉え、自国システムの改革に還流させる。 ウルムチ事務所の看板が上がりました。
 先ずは9月の中国・中央アジア・欧州博覧会への出展参加が標的です。ただ事務所の存在機能の本当の発揮は2020年前後になると思っています。
 ウルムチに限らず各地での業務の上で留意すべきことがあります。五年以上も渡り鳥生活を繰り返してくると、先ずマンネリと独断が増えてくることです。そして、もう一点は体力気力への過信です。この二つの要点を解決する方法は一つ『若返り策』です。それは「春隣白髪ぼかしでアラカンに」といった小手先技で、自分自身が若返ることではありません。十分に自覚しているつもりです。 21世紀病院の裏口から春の亮馬河の土手に出て、柳の薄緑色と迎春花(レンギョウ・連翹?)の浅黄色のなかを歩きながら、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」の古い詩を口にしました。                  (了)      

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