2011年3月16日水曜日

#46 東北大震災の報道ーーテレビ局はバカじゃないか

 3月11日に東北の大地震が起きた一週間前、クリント・イーストウッド監督の映画『ヒアアフター』を観ました。冒頭、大画面にすさまじい大津波が押し寄せる迫力に圧倒されました。しかし、イーカトウッドはアクション映画に主演した時代とは様変わりし、監督として人間の死と、死者との霊感による交信をテーマにして描いています。私が最高傑作と思う去年の前作『グラントリノ』も死にざまをテーマにした宗教劇でした。 さて、こんな呑気なことをさておいて、東北関東大震災について腹立ち入りで感じたことを書いてみます。

  ◇ ひどかったテレビ報道
 当日11日の夜、12日の終日にテレビのチャネルをぐるぐる回してみたところ、テレビ全局が延々と震災の中継放送を流していた。地上デジタルとBSの全局が通常番組をキャンセルして災害報道に集中したのだ。これならNHKの5チャネルも民放テレビも今のような数は要らない。全国ネットの地上と衛星を合わせて15チャネルが終日災害番組をやった。バカじゃないか。 世界や日本全国のニュースはすべて排除された。流される映像に残酷さとしつこさを感じた。被災地の人たちは停電でテレビを観られなかった。 ただ、神戸と京都の地元テレビ局は災害ニュースを随時流したが、他は予定通りの番組を放映していた。一体、全国局と地元局のこの違いはなんだろうか?全国局ネットはいつまで同じ映像による残酷ショウを続けるのだろうか? 他方、NHKのラジオでは繰り返し被災者家族の安否確認をする情報を流していた。災害報道ではテレビよりラジオが役に立つ。電池で聴ける携帯ラジオは災害に備える必携品だ。 蛇足を一つ。地震直後のある民放局のニュースでは、アナウンサーと解説者の三人がヘルメットをかぶり、背後で働く社員の十数人は誰もヘルメットをかぶっていなかった。こんな作為は空々しい。管理者は見え透いたやらせを止めさせろ。

原発事故への対応  
 事故当事者である東電の対応はお粗末に尽きる。同じ設計による3機の同型炉が相次いで同じ事故を起こした。地震当日から4日もあったのに対応できなかったのだ。理由は津波対策の非常電源まで使えなくなり、冷却水の供給ができなかったからだという。確か一日目に東京から電源車を送ったとつたえられたが、役に立たなかったのか? さらに、休止中の4号機でさえ放射能漏れの事故を起こした。 この種の事故を含めてすべての事故に対応できるマニュアルを、製造したメーカーと使用者である東電が総力を挙げてつくったはず。これが使えたのかどうか。両社による事故対策の緊急チームもあるはずだ。原発内部には入れないから、各々の事故を想定したシミュレーションによって訓練もできたはずだ。 しかし、これらがあったにしても、保守チームの士気を日頃高めておくことは難しい。なにしろめったに起きない事故に対する訓練に高度な真剣さを求めるには限界がある。
 その上、保守技術者は、新プロジェクトや技術開発に関わる職種に比べて社内で地位が高いとは言えない。 今回、40年の稼働実績を持つ原発先進国である日本の事故緊急チームが、世界に実力を認知される機会を逸したのはなんとも惜しい。中進国にも原発が広がりそうな今、いざ事故があれば日本チームが呼ばれることになっただろうに、国際貢献のチャンスを逃がした。 東電、地域独占事業で関東の殿様会社はいずれ内部組織にメスが入るだろう。さしあたり社長辞任と役員社員の減給は避けられないだろう。

政府批判が相変わらず  
 「政府の危機意識が弱い」、「菅首相が混乱」、「政府は後手」などと相変わらず政府批判の決まり文句をメディアが伝える。ならば、自民党政権ならどんな対応ができたか。 
 もともとこんな非常事態にはどこでも政府の対応は混乱するものだ。大事なことは、混乱から学んで適切に対応の態勢を確立することだ。 今回のような炉心溶融の事故には前例がある。私と家族がペンシルベニア州に移住した翌年の1979年に、州都に近いスリーマイル島にある原発が事故を起こした。自宅の町から300キロ離れていたので安全だった。 世界初の原発事故であったから、州政府の混乱は大変なもので、知事はメディアから批判にさらされた。知事は一時の混乱を収拾し、近隣住民の避難を素早く実行したことで、後に高く評価された。事故原因は地震でも何でもなく、現場において日常の慣れと士気の低さによる初歩的なミスだったと言われた。 
 繰り返すが、混乱は避けられないことであり、菅政権はこれからの対応が評価される。 与野党一体で国難に対処し、神戸大震災の復興で見せた日本人の底力を再現したい。

首都移転はどこへ行った?
 かつて国会で取り上げられ、移転か分都かで議論された。首都移転候補地まで選ばれたにもかかわらず、今では忘れられてしまった。今回の大地震の地域から遠く離れている東京でさえ、電力不足だけで大混乱が起きた。まして東京に大地震が起きたら、政府機能が停止することは明らか。 現実的に、首都移転はいつのことか分からない。そこで、私は関西国際空港問題の解決策として、国管理の八尾空港を売却、その機能を伊丹空港に移転すると同時に東京災害時の臨時政庁にすることを年来提案してきた。近隣の陸上自衛隊には滑走路がないので、伊丹を災害時の支援基地としても使える。 時間がどれだけ残されているか?

若者ボランティア基金  
 今回の震災ではボランティアの応援はこれから出番が来る。ボランティアに対しては食料と宿泊を用意しなければならないからだ。他方、自衛隊、警察、消防隊や外国軍隊のプロ集団は衣食住すべて自給自足できる。 腰痛持ちの私は直接身体で支援できないが、さしあたり、信頼できる団体に支援の寄付をするしかない。現役の就労者と余裕がある年金生活者が5千万人とすると、一人1000円を寄付するだけで500億円を集められる。 さらに、若者ボランティアのために旅費とわずかでも日々の生活費の支援に、用途を特化する「若者ボランティア基金」を若者の手で設立してはどうか。インターネットを通じて送金できるといい。こういう時には火事場の泥棒が横行する恐れがあるから、寄付者の目に信頼される団体にするために知恵を絞ってほしい。 
 若者よ、特に職に就いていない若者よ、災害地の現場で働くことから多くの人生の糧を得られる。世間を知り、人を知ることはこれからの人生において貴重な財産になるだろう。決して人生の、そして職業キャリアの空白にはならない。 私はこの歳で思う。人生とは、大半が無駄、無念、失敗、不運、苦闘などの集積であり、その間にわずかに成就の満足と安らぎがあるものだ、と。

Read more...

Back to TOP  

編集

Back to TOP