2012年12月26日水曜日

Long and Winding Road to China Democracy

   #83 中国海軍とオリンピック――どちらも金がかかる

  
 総選挙ではテレビと新聞がつくった流れによって自民党が大勝しました。
 民放テレビのワイド番組を二つ観ましたが、評論家、学者の出演者は民主党叩きの発言ばかり。例によって叩いておれば大衆の支持を得られて、また出演者に選ばれてギャラがもらえるからだろう。まあ、目くじらを立ててもしようがないか。しょせん娯楽番組なのだから。
 彼らは(識者と呼ばれる連中)、北朝鮮のミサイル発射の延期について、韓国発のニュースに振り回されてテレビで誰もが1,2週間の延期を予想するコメントをしていた。大した情報を持っていないのだ。まあ、特に北朝鮮の情報は得にくいからしようがないか。
  さて、10回続けた中国特集は今回で一旦締めにします。次の10年は諸君たちの時代になります。安倍首相が日本の立ち位置を確立するように願いましょう。

共産党大会とアメリカの保守派教会

  先日の中国共産党大会を伝えるテレビのニュースを舞台の演劇公演と重ねて観ていた。  人民大公堂で行われた共産党大会では、次の国家指導者が決められた。1万人も収容する会場には全国から選ばれた代表が観客として出席した。時に中国の国会に喩えられるが、それは国会と違って、指導者の選出も政策も開会以前に舞台裏で決められ、会場では質疑はなし、出席者が発言の機会も与えられない。出席者は舞台の京劇をみるだけの観客に過ぎない。
 大会を伝える映像の中に、少数民族の代表者たちが、華やかな民族衣装を着て出席している姿が目についた。共産党が少数民族も尊重しているという世界のメディア向けの示威だろうか。
  私は、ふと、住んでいたアメリカの保守派教会で知人の娘の結婚式に出席していた時のことを思い出した。それは数十人の白人出席者の中にわずか二人だけ黒人がいたことだった。当時は地方の小都市でも人種差別をなくす気運が高まっていた。教会が、言わば、世間への証のために身なりの良い黒人を出席させたのだろう。同じようにどの会社でも一人か二人の黒人を採用した時代だった。
 余談になるが、北京オリンピックの前年に北京に旅した時、雑技団(サーカス)の舞台を観た。舞台での演技だから、大がかりな設備を使わない個人か数人までの演技だった。それはもう最高に高度な演技なのであるが、演技者は観客を意識しないで、個々の演技を披露するだけであり、ニコリとも笑みを浮かべない。また、観客もじっと観ているだけで拍手もしない。まったく両者の一体感もない。中国式思考では相手のことを考えなくてもよいのか
 私の前列に約10人、何一つ反応を見せないロシア人がいた。彼らは中国に輸出した機械の試運転と技術指導に来ていた。あれから中露関係も大きく変わった。

中国海軍とオリンピック代表団

 
 中国海軍が、尖閣島が位置する東シナ海からフィリピンとベトナムにまで広がる南シナ海まで支配を広げるために活動している。まるで各国と紛争を起こすことが目的のように見える。資源の問題ではなく、活動そのものが示威行為なのだ。  喩えれば、中国海軍はオリンピック代表団と同じなのだ。共通点と相違点は何か?  
 先ず、どちらも国民大衆を喜ばせること。貧困層を置き去りにしたままで、過半の愛国的な多数から一時の支持を得られる。オリンピックは仕掛けなくとも4年毎に必ず開かれるが、示威のためには政府は海軍に対して紛争ネタを与えなければならない。日本も他のアジアの国も仕掛けネタの提供者にされているのかもしれない。
 次に、どちらも金がかかる。オリンピックに大代表団を送る経費は大きい。しかし、海軍を増強し、艦艇を尖閣海域の東シナ海からはるか南シナ海まで常時派遣する経費は、オリンピックの比ではない。さらに、そのうち財政が許さなくなるだろう。どちらも内政改革につながらない死に金だ。
 中国はGDPで世界第二の経済大国になった。つまり国家の歳入が大きく増えた。しかし、一人当たりGDPはまだ日本の1/10に過ぎない。国は富めども人は貧しい、という状態はいつまでも続かない。

自民党の対中政策はどうなる

  今日12月26日、安倍内閣が発足した。自衛隊の名称を国防軍に変えるというが、自衛隊隊員が望むか?自衛隊は国民の中で充分認知されている今、安倍首相の狙いは中国に心理的圧力をかけることなのだろう。 むしろ将校の呼称を国際標準に沿って変えたらどうだろうか。
 国民には、例えば、一佐(大佐),三佐(少佐)は分かりにくい。大使館に駐在する自衛隊将校の名刺には、それぞれCOLONEL、MAJORが使われているのだから。もっとも米国では陸・海・空軍では地位が同じでも呼称が違うらしいが、自衛隊は一本の呼称でよいだろう。
  また、自衛隊の正式な英文呼称はSELF DEFENCE FORCEであるが、私が知る限り、海外のメディアは単にDEFENCE FORCEと表記しており、すでに国防軍扱いなのだ。
  さて、国民は呼称変更に抵抗感を持つだろうか? 諸君は?                        
             (完)

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2012年12月12日水曜日

Long and Winding Road to China Democracy

  #82 上海たより『プラタナスの枯葉』  


 そんなに自民党が良いのか? そんなに民主党が悪いのか?  16日の投票日を前に、私はこう感じています。諸君はどうでしょうか。  メディアの選挙予測は、自民党が単独で過半数を取ると伝えています。
 民主党政権の鳩山、管首相時代の失政に加えて、中国と北朝鮮による日本の安全保障が脅かせていることで自民党に追い風になっているようです。
 他方、野田首相はねじれに苦労しながら、自公を説得して重要法案を成立させてきました。誰しも思うように、野田首相が初めから首相をやっていれば状況は変わっていたでしょうが、そこはそれ、民主党創業者二人の鳩管をさしおいて野田首相の出番はなかった。
 さて、どの政党に投票するか、私はまだ迷っています。  今回は、どの月刊誌にも出ない内容でI氏から届いた「上海たより」を届けます。諸君には信頼できる中国事情学です。
 中国語の美質を意味する「低調」が傲慢な印象を持たされる中国政府要人と結びつかないことが面白いですね。

    ――――――――――――――――――――――――

  中国では実った稲穂が頭を垂れる様な姿勢を表現するときに、「低調」という言葉を使うようです。「丁重」のミスタイプではありません。Di diaoと発音し、中華現代漢語詞典(2011年版)には「比喩消沈的言論。形容不張揚」とあり、中日辞典には「控えめな論調;地味である」とあります。
 とりわけ、国家の指導者への階段を上り詰めようとする超エリートを評する時に、この「低調」が美質として挙げられます。貧困地域に根を下ろして、コツコツと努力した経験があるかどうかが重要視される事とほぼ同等の重みを持つ姿勢のようです。  
 安徽省の寒村の貧しい母子家庭に育ち、高校を中退して食品会社に就職。独学しながら徐々に地方党内で昇格し、安徽省の幹部クラスになった時、故郷から訪ねてきた友人を駅まで自転車で迎えに行った、というエピソードが残る汪洋(広東省書記)。
 湖北省の極貧地域に生まれ、草鞋で4キロの通学をしながら優秀な成績で北京大学へ。、卒業後また自ら最貧地域での仕事を希望して西蔵で20年というキャリアを重ねた胡春華(内モンゴル自治区書記)。
 山東省の農村から大学受験に失敗、トウモロコシ栽培の研究を続けている中から、農業部長まで道を開いていった孫政才(吉林省書記)などの例については、富坂聡『チャイニーズパズル 地方から読み解く中国・習近平体制』(2012年11月。ウェッジ)に、次世代の指導者層を形成する者として嘱望されていると記されています。
  畏友と勝手に呼ばせて貰っているジェトロ香港の花木出氏も、『中国情報ハンドブック[2012年版] (2012年7月。蒼蒼社)の中で、ともに47歳の胡春華や孫政才の将来性について肯定的に書かれています。 その花木氏の実証的で興味深いデータ分析の一つに「中国各省と世界各国のGDP(2011年)」があり、それによると、広東省はオランダとトルコの間の8,000億ドル、内モンゴル自治区はフィリピンとほぼ同じの2,000億ドル、吉林省は1,500億ドルで天津・重慶の特別市並み、ベトナムより上です。  「低調」な姿勢と貧困地域での経験だけで、一つの省のトップになれる程、元老や太子が棲息する中南海の水は甘くはないでしょうし、中堅国家と同じくらいの経済規模の省を運営することは容易ではないでしょう。 
 しかし、5年後や10年後を見越した人材発掘を行い、彼らを鍛錬し、リレーゾーンに配して更に切磋琢磨させていることは間違いないでしょう。共青団系とか、上海派とか、太子党と言ったラベル貼りとは違った次元での、人材育成が進められている気がします。候補者たちに対しては玉石混淆の見立てもあるでしょうが、少なくとも日本の第二極か第三極とかと言ったドングリの背比べ候補とは異なる人たちでしょう。ドングリは切磋琢磨で粉となり、ではないでしょうか?
 師走に入った初日の上海の街は時雨のせいか、人出も少なく、日本語もあまり聞こえて来ませんでした。広州から出張で来られた方と豫園老街から城隍廟に入ると、各処で改修工事やお色直しが行われていました。ふと、正門に掲げられた新しい額に「保障海隅」と書いていることに気づきました。そして色々とその意味を考えざるを得ませんでした。
 元々、その土地の守り神である城隍廟は鎮守様(地鎮神)の役割を果たしていると思ってきました。一昨年の高層ビル火災の直後に、城隍廟で道士が鎮魂地鎮の儀式を続けているのを見た時にもその印象を強くしました。 そこの入り口に「海隅」とは何故?どうしても南の島への連想が浮かび、「失之東隅、収之桑楡」(東方の日が出る処、すなわち朝に失ったとしても、太陽が桑や楡に当たる時間、すなわち夕方には取り返す)という対句への連想に繋がりました。
 「失之・収之」の「之」を「島」と読み取るのは、たぶん勘繰りが過ぎるのだと思うのですが・・・  城隍廟から徒歩15分の関帝廟には、上海県城の城壁を模したものがあり、その説明板にJapanese pirate と書かれているのを見つけたのは、日本でも中国でもメディアが緊張感を煽っていた10月に、適度な緊張感を持ち過剰な先入観を持たずに来てくれた小中学同窓の一人でした。中国文には、日本の海賊→倭寇からも県城を守ったと書かれていたのでした。
   またERENA(環日本海経済研究所=http://www.erina.or.jp/)の定期刊行物「ERINA BUSINESS NEWS」(11月26日発行)に中露国境線でのやり取りについて寄稿された山本博志氏(ハバロフスク日本センター)の文章を拝読した印象が新しかったことも影響しています。山本さんはロシア貿易業務で活躍されてから、外務省所轄の在ロシア日本センター各処で働かれている先輩です。今年3月の「上海たより」でお伝えした、戦後に商社マンとして活動された杉原千畝氏の鎌倉の自宅を訪問して、謦咳にも接した方でもあります。 30歳代の後半に木材の仕事で吉林省や黒龍江省の奥地を訪ねた頃に、中露の交戦状態の緊張が解けていない珍宝島(ダマンスキー島)近くまで、二重の通行証を取って入り込んだことがあります。
 その後、国境交渉がまとまって国境通商や観光開発の話を断片的に聴いたことがありましたが、今回の文章で現況を教わりました。要点抜粋も考えましたが、事実誤認や誇張が入るとご迷惑をかけますので控えます。  
 一方、昨年の夏に訪ねた遼寧省の丹東では、9月15日に中朝共同開発の黄金坪経済区の管理ビルの鍬入れ式が行われたという報道が小さく為されました。南の島のことが紙面の多くを占める中で、僅か30平方センチの「低調」な記事でした。一年以上過ぎて実質的事始めがようやく為されたようです。 それやこれや中国の色んな国境について意識していたので「保障海隅」という言葉に過剰反応したのかも知れません。  
  領事館の周囲に張り巡らされた、フェンスの類いは徐々に撤去されて、道路の封鎖も解消。センターライン上のハードルも無くなったので、当方も含めて近道のために車の途切れ目に横行する横着者も復活しました。日本料理店やコンビニを覆っていたブルーシートや五星紅旗も無くなりました。ただ、領事館の周囲のプラタナスだけには緑色のネットが掛けられたままですが、これも時間の問題でその内に無くなるでしょう。
 季節の変化とともに、芽生えて散っていくプラタナスのように、表面的には何も無かったかのように師走の風が吹き抜けて行きます。ただ、双方の国で心の内なるフェンスやバリケードはどんな形で残っているのか・・・「お互いに何を言っても通じないから、せめて冷静に、そして無関心に」という冷淡な表現に陥らないことが、こんな時には大切だと思っています。
  そんな時に嬉しい連絡が温州から届きました。昔からの大切な顧客で、毎年日本で生地の発注買付と関係先訪問をしてくれる女性社長が、今年の訪日は取止めることを余儀なくされ、我々のビジネスチャンスを減らすことになっていました。日本離れを危惧していたところに、彼女の初孫の100日祝いに参加しないか?というお誘い。内輪の会への招待によって、日本離れではないよ、という暗黙知の伝達だと感じました。そこで日本出張の折に、浅草橋を歩き回り、男の子向けのお祝いの人形を探しました。この時期は、木目込みの童人形に限られていたので、凧揚げやトンボ取りより、魚釣りの童子が「年年有余」(魚と余が同音、春節などに豊かさを愛でるお祝い言葉)に通じるから良いだろうと決め、丁寧な梱包をして貰いました。「島」の名前のことは、すっかり忘れていました。   (了)

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