2014年5月18日日曜日

#115 ウクライナの悲劇――騒乱は終わらない

 植民地国の中の少数派民族が、ある日、支配国が変わると一等市民から二等市民に地位が落ちます。そこで、少数派民族は独立に動きます。世界で起きてきたことが、今ウクライナで起きようとしています。一つの救いは、両者の間で宗教闘争がないことです。  日米のマスコミ報道から見ると、ソ連の中で大国であったウクライナは政府リーダーも軍隊も弱い印象を受けます。
 諸君に頭の体操のネタを提供してみましょう。八卦見の予測が当たるか、外れるか?

◇ カナダ・ケベック州の独立運動

 私が70年代末に渡米して間もなく、カナダの東端モントリオールでフランス系市民がイギリス系市民の住む高級住宅地を襲い、焼き打ちにする事件が起きた。 カナダで唯一のフランス語圏であるケベック州で、少数派でありながら良い生活をするイギリス系住民が狙い打ちされた。経済格差に不満を持つ貧困層の怒りが爆発したのだ。
 ケベック州には従来からフランス語圏として独立運動があるが、大した勢力になっていない。仮に住民投票をしたところで、多数派のフランス系住民が勝ってもなんの解決策にもならない。他の州と米国との経済関係を考えれば、独立が貧富格差の改善にならないことを良識ある州民が理解している。カナダの一大観光地域であるから、外国人と接して国際感覚もある。
 カナダの首都オタワは隣りのオンタリオ州にあり、一割くらいのフランス系市民がいると言われる。少ないとは言え、中央政府の官僚も国会議員も英仏両語に堪能でなければならない。教育でも英語圏の子供たちにはフランス語が、フランス語圏では英語が小学校3年から必修科目として教えられている。
 ある年の夏、家族とモントリオールにバケーションで出かけた時、郊外のホテルに一週間泊まり、ケベック市やオタワなど近隣を列車と車で回った。この間に接したフランス語訛りの英語は優しくて気に入った。他方、ビジネスで付き合いがあった英語圏のカナダ人はほとんどフランス語を話せなかった。「必要が外国語のレベルを決める」という私の持論通りだった。

◇ 親ロシア派のウクライナ人は問題だらけ

 東部2州の親ロシア派市民が住民投票を行い、独立賛成票が90%で圧倒的多数の支持を得た。初めから分かっていた当たり前の話だ。多くの反対者は投票に行かなかっただろう。  親ロ派はEU寄りの中央政府に反対し、かつてソ連傘下で甘受した一等市民の地位を取り戻したい。本来国語であるウクライナ語を話せない彼らには、当然ロシア政府傘下に入りたいのか。
 しかし、黒海の要衝にあるクリミアを併合したことでロシア政府には充分だ。軍事品と資源しか海外に売れないロシア経済は楽じゃないから、お荷物になりかねない2州には大した支援をしないだろう。ケベック州民とは違い、内陸の奥深くで世界情勢にうとい田舎者の親ロ派には分かっていないようだ。
 親ロ派が抱える問題を指摘してみよう。  

 第一に、親ロ派が求める独立とは何か?ロシアに併合されて自治共和国になるのか、ウクラナイナの中で自治共和国になるのか?これは住民投票では問われていないので、同じ州内か2州間でもめることになるだろう。  
 第二に、自国の資産である建物を破壊することには意味がなく、独立してから復興するには巨額の金がかかる。暴徒を抑制できないリーダーたちにはとても統治能力があるとは思えない。  第三に、武器を手にした私兵暴徒集団を武装解除できるのか?彼らから一旦武器を取り上げて紀律がある軍隊に組織化することは新政府の手に余るだろう。
 最後に、親ロシア派が2州を制圧した後、少数派のウクライナ人をどう扱うか?よもやウクライナ人を迫害して民族浄化の暴挙に走ることはないのか懸念される。

◇ 中国の植民地支配と住民投票  

 今回のウクライナ紛争に最も敏感になったのは中国政府だろうと思った。再度考えてみると中国政府の備えは万全だった。  中国は漢族とは民族が違うチベット、新疆ウイグル、内モンゴルの三つの植民地を支配している。濃淡の差はあるが、いずれも独立を求めている。しかし、ウクライナ親ロ派のように住民投票を求めたところで、その意味がない。というのは、いずれの地域でも移民した漢族が5割を超えているからだ。中国政府は内政では改革の成果を出せなくても、植民地に対してはすご腕を発揮している。
 もう一つ植民地がある。それは香港だ。  ここは日本の統治5年を除いてイギリスが100年間植民地として支配した。1997年に中国に返還されたが、今も女王任命の総督に代わって、中国共産党が任命する行政長官の下で統治されている。広東語と英語の時代から今は北京語(標準話)になったが、広東語が民の間では話されている。
 返還の交渉時、私も国際セミナーで講師の一人として話した機会で、香港出身の女性でアメリカの大学教授の講師と会食のテーブルで隣席だった。私が「香港返還では大衆不在で両国政府が空中戦をやっている。なぜデモの一つも起きないのですか?」と問うと、彼女は「香港は英国の植民地支配の芸術品で、大衆を政治から無縁にしていたのです」と言った。  
 今は人民解放軍が駐留させ、北京政府が力で支配している。         (完)  

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2014年5月7日水曜日

#114 「北京たより」の民間交流ーー個と集団を分けて考える

 4月16日、テレビのスポーツニュースで見たアジア・チャンピオン大会で日本・中国戦のサッカー試合はひどかったな。中国の2選手がボールに絡まない日本選手に対して故意に肘鉄をくわせたり、脚を蹴っ飛ばしたりしました。 諸君は腹を立てたでしょう。私もむかつきました。
  そこでです。二人の悪玉選手にも別人の顔があるかもしれないと考えたことがありますか?暴力の違反行為に対して声援を送る中国人観衆にも別の顔があるかもしれないと考えたことがありますか?

  今回、北京に活動拠点を半分移しているI氏からの「北京たより」を紹介します。

◇ 「個」と「集団」に分けて考えられるか?  

 中国の選手は、同格と思っている日本からどうしても点が取れない苛立ち、日頃持たされている反日感情があって思わず退場覚悟で暴力をふるったのだろう。自制心がある日本人選手から殴り返されないことを知っていた。これがヨーロツパチームの選手ならパンチをくらっていたに違いない。
 上海での政府後援の反日デモでは、中国人の若者たちが日本のデパートを襲って商品を略奪し、日本食レストランを破壊した。襲われた側は無抵抗で、警官も取り締まらなかった。 この時、一人の中国人が、彼ら暴徒の中にはデモが終わってから日本車のショウルームに車を見に行くような連中がいると言っていた。要するに、サッカー選手と同じでうさ晴らしをやったのだ。
 私が若い頃なら、「あのバカモンが」と腹を立てただろう。しかし、今は感性が鈍くなり、自制心も強くなったから、「待てよ。あの集団の中には善玉もいるはずだ。集団ひとからげで考えてはいけない」と思う。そう、実際には暴力を許さない善玉の中国人もいるのだ。

  ◇ 「北京たより」と個々の民間交流  

  商社の中国事業を統括するI氏からこれまで「上海たより」を度々寄稿していただきました。彼は最近月の半分くらいは北京で仕事をするようになり、民間交流の顔として活躍されています。今回は「北京たより」を寄せてもらいました。私の裁量で一部削除して諸君に紹介します。
  末尾には、中国に関心がある諸君のために、I氏からの参考文献を記します。
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 「北京たより」   

  清華大学での日本語スピーチコンテストに続いて、今回も女子学生の目立たずとも大切な実務的貢献によって会の感動が深まりました。 木寺大使のスピーチもとてもユーモアに溢れ、垣根を低くする語り口で満場の共感を呼びました。記念撮影のあとは、握手よりもフリーハグでお開きでした。大使より別れ際に「若い人たちをしっかり支援してくださいね」と強く握手をされました。そこでシナヤカにハグをする機転が利かなかったので、次回の別の会合での愉しみに残しておきます。

   「隗より始めよ(先従隗始)」。 本来の『戦国策』での郭隗さんの昭王への建策(就職活動?)の意味とは、異なった用法が一般化しています。曰く、大事業を起こすには、身近なところから着手するべし。言い出しっぺから動きなさい。

  二日後の深夜にメールが届きました。 「突然の会場変更などありましたが、多くの方のご支援、ご指導により無事開催することができました。 当日は、中国人学生30名、日本人学生30名の計60名の参加でした。
 当初、当活動には中国人学生109名、日本人学生41名の計150名が登録していました。ですので、報告会には100名ほどの参加を予想していたのですが、急な会場変更などで参加人数が減ってしまったのではないかと考えています。 ただ、当初予定していた100名の合唱を披露することができませんでしたが、私たちの想いは伝えられたのかなと思います」

 太閤園、大横川、富岡八幡宮、柳橋「大黒家」店先、代々木上原からの小田急線沿線、茨木弁天と、今年は櫻に恵まれました。櫻狩の仕上げは北京西方の玉淵潭。金朝時代から 続く景勝の地。石碑によれば、東湖と西湖に分かれた敷地北西の一角に、1973年日本から多くの大山櫻が植樹された、それ以降に山東櫻などを植え足して「櫻なら玉淵潭」と呼ばれるまでになったようです。湖岸の八重櫻の下で、焼き栗を剥きながら、対岸から流れてくる毛沢東賛歌の懐メロ斉唱を聴くとも無く聞いていました。    (了)  

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■「僕らの日中友好@北京・我们的中日友好@北京」 ・Flickr(写真):https://www.flickr.com/photos/109475294@N02/sets/ ※これまでの活動全てを振り返ることが出来ます。 チェックしてみて下さい!
■「僕らの日中友好@上海・我们的中日友好@上海」※2013年3月に行った上海での活動 ・优酷(映像):http://v.youku.com/v_show/id_XNjI4NDE2ODEy.html ・YouTube(映像):http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=jWOfNwIAzJc ■Next Vision Asia ・facebook: https://www.facebook.com/NextVisionAsia ・Twitter: https://twitter.com/NextVisionAsia
(参考書物)   
 リービ英雄    『星条旗が聞こえない部屋』『我的日本語』
 カズオ・イシグロ 『わたしたちが孤児だった頃』   
 楊 逸      『時が滲む朝』 (以上三名は米英中のバイリンガル作家、中国現代史を背景にした作品)  
 道上尚史  『外交官が見た「中国人の対日観」』→前駐中国公使・現駐韓国公使  
 村上春樹  『中国行きのスロウボート』『ねじまき鳥クロニクル』 →春樹ワールドの背後にある中国近代史。神戸とノモンハン事件。
 中島 一  『中国人とはいかに思考し、どう動く人たちか』 →過激な装丁に惑わされずに読めば帯文とは異なる冷静さと緻密さ。  
   榎本泰子   『上海』→専門は音楽史研究。上海オタクの臭みもない。   
 堀田善衛   『上海にて』→ 1945年から1946年の青春の上海

5/11追記. 読者からの意見。「理性で抑制している個人の中にも善玉と悪玉が共存している」        

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