2013年3月24日日曜日

#88 既存の原発を早く再稼働せよ――なんでも危険か、なんでも活断層か

   世論調査で安倍内閣の支持率が72%だとか。安倍首相は確かに政治を前に進めていることは私も感じます。しかしですよ、麻生首相に代わって鳩山首相が就任した時にも支持率が70%以上あったのです。どちらにも共通することは、当時の自民党にも今回の民主党にも厭世(厭政か?)気分が大きく影響しました。それにしても有権者はかくも揺れるものなのか。
 時流に乗せられることは恐いものです。  今回は時流に逆らって一石を投じてみることにします。  
 「よく知らない」でよいのですが、ただし、持てる知識に基づいて批判的な目で読んでください。

原子力規制委員会(委員会と略)の決定が疑問

  福井県の敦賀原発について、委員会は敦賀原発の敷地内断層を調べた結果、「2号機直下に活断層がある可能性が高い」と評価を下した。本当に科学的と言えるのか。私も「よく知らない」の一人であるが、論理で言うと、「活断層ではない可能性がある」という反面も成り立つ。
 疑問もある。地表から20メートルかそこら掘り下げた断面に縦の異相があり、それで活断層と結論付けているが、浸食とその後の堆積により変色したのかもしれない。この考え方は電力会社だけではなく、学者の間にもあるだろう。
  二つ目の疑問は、活断層調査の対象を従来の20万年から40万年前まで広げることだ。 なぜ40万年前なのか?50万年前か、逆に10万年前ではないのか?これも科学的と言えるのか。   
 三つ目は、奥尻地震も、新潟中越地震も、神戸淡路地震も、そして最近の東北地震も、事前には活断層が指摘されていなかったか、ずれていた。地震が起きてから分かったのだ。 過去の地震の記録と推測の地質調査はまだまだ科学的とは言えないのではないか。

既存の原発を早く再稼働せよ  

 稼働中の関西電力の大飯原発3,4号機が9月に定期検査に入る。今のところ再稼働にめどが立っていないから、全原発が停止する。本当にこれでよいのか。
 原発は電力会社だけの資産ではなく、国の資産であり、恩恵を受けてきた国民の資産でもある。国は立地地元の補償費を始めとして、巨額の予算を使ってきた。電力10社が使った福島以後の安全対策費は1兆円を超えるという。  福島原発の事故以後、国民感情に背を受けて、委員会は厳しい規制強化によって再稼働のハードルを高くしてきた。原発の安全より委員会の安全であるように感じるが、これでよいのか。
 本稿#55と#67で書いたことで、既存の原発を再稼働することは福島事故以前に戻すことである。いずれもトラブルが少なく安全に稼働されてきて、その後電力各社は安全措置を取り、保守の意識も高まっている。委員会の規制も大切かもしれないが、福島事故で意識が引き締まり、対策を講じている電力会社の自主努力を私は信頼する。もっとも、大企業でありながら、今だに本社を本店と呼ぶことに古い体質が気になる。
 下記の点から一日も早く再稼働すべきである。

1. 20年後までに全原発を停止することを目標とし、一日でも早く再稼働し、古い原発から一日でも早く廃炉にしていく。
2. その間に使用済み燃料の処理技術を確立する。
3. 保守、廃炉、燃料処理の技術を資産化し、世界の原発に貢献する。

 事故を免れた福島第二の4機も再稼働させたいが、第一の原子炉内部の地震被害が確認されていない弱点がある。たとえ、安全が確認されても、この4機を再稼働することは国民感情が許さないだろう。保守の緩みと事前の安全システムに欠陥があった人災が招いた第一原発の事故によって、全8機がおしゃかになった被害は甚大だった。ああ、もったいない。  

地震と津波の予測は当たらない  

 地震と津波、どちらの予測も過去の歴史的事実と、さまざまな要因に基づく多数の実権式(シミュレーション式)を巨大コンピューターに入れて予測しているのだろう。この不確定な実権式に不確定な数値を入れる上に、安全係数を加えて予測値を出すのだ。安全係数の取り方、つまりさじ加減によって予測値は大きく変わる。
 最近のことで、どこかの研究者グループが南海地震によって、高知県沿岸ではなんと34メートルの津波が押し寄せるという予測を出した。10メートルを想定して堤防をつくる対策を立てていたという自治体は困惑しただろう。どのみち衝立型の堤防は高潮対策には有効でも津波には役立たないのだから、「逃げるが第一」でそこそこの高さで妥協するしかない。
  津波対策ならアメリカでよく知られるガルベストン(テキサス州東端)の巨大な堤防を見てみるとよい。堤防の上が道路に使われている。100年以上前にハリケーンによる津波で町が壊滅されたことから建設された。私はレンタカーを運転して町に入ると、どこにも巨大な堤防が見えなかった。車を止めて人に訊くと、「今立っている道路が堤防だよ」と笑いながら言われた。その巨大さ、スケールが違う。
 先週には、内閣府の作業部会が、南海トラフ地震が起きれば被害額220兆円、死者32万人が出るという試算を発表した。これまでは東海地震、東南海地震、南海地震の三つを分けて考えられていたのに対し、東北地震で別々に想定されていた活断層が連動したことに影響を受けたのだろう。地震が起きる確率も連動する確率も本当は分からない。これから50年以内に起きる確率が1%と言われてもなんのことか分からない。我々が日頃の備えをする警戒心を持てるだけだ。
  大体、天気予報でさえ外れることがよくある。。一日前の周辺のデータが確実にあり、巨大なスーパーコンピューターを使って得られる翌日の予報が外れることは不思議なことだ。

諸君はどう受け止めたか?  

 さて、次世代の諸君は私の考えに対し、反発を覚えたか、少しは共感したか? 時には世論に惑わされず、疑問を持ってほしい。                  (完)

追記。本稿を出してから4日後の28日、東大地震研の教授が立川断層を活断層と判断したことは誤りであったと発表した。こういう誤りは起こりうることであるが、別の教授が「途中で止めずにもっと掘り下げて継続性を確認すべきだ」とコメントした。私はこのコメントの方が気になる。どこまで掘り下げればいいのか?

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2013年3月4日月曜日

#87 日本語はこれでいいのかーー政治家は模範たれ

 ちょっと小うるさいことを書きます。  
 最近の口語日本語の乱れがひどくなっています。元凶はテレビ番組にあると思います。そのためみんなが真似をするようです。  
 日本語を軽く考えてはいけません。日本語は教養の原点であり、日本の文化の基礎と言ってもよいのです。幸いなことに、新聞や雑誌の活字日本語では正統日本語がよく守られています。
 日本語の会話は自由なものでなんでもええ、という意見もありますが、基本的には私もそう思います。ただし、話し言葉にも私的なものと公的なものがあり、区別しなければなりません。なぜなら、公的日本語は私的な輪を超えて多数の他人に聴いてもらわなければならないからです。  
 昔、日本語を勉強したアメリカ人がぼやいていました。「日本に来て日本人が話す日本語は習ってきた日本語とはまるで違う」と。アメリカでも若者やスポーツ選手などが話す英語が基本の英語から離れていることはあります。と言っても、日本語ほど話し言葉と書き言葉が違うことはありません。  
 模範にできない日本語を話し、広まることに影響力がある人たちには責任を持ってもらいたいものです。

  ◇ 政治家の日本語

 鳩山元首相。「~をさせていただきます」の謙譲語、つまりへりくだって相手を尊敬する表現と言われるが、彼の場合は基本から外れている。「歌わさせていただきます」とか「~の役をやらさせていただいています」とか、女性芸能人が常用している。政治家なら「~をします」で決意をはっきりした方が適切。
 管元首相。「ある意味では」とか「いい意味では」とか、文脈に照らして意味がない飾り言葉が多かった。  
 麻生副総理。首相時代に「なりますんで」とか「思いますんで」とか、国会答弁でも記者会見でも本来「の」というべきところを「ん」の一点張り。
 前原元民主党代表、元国交大臣。「ダムというものは」とか「政策というものは」とか、なんでも「というもの」を付ける。本来「そもそも~というものは」のように偶に使って強調のニュアンスを出す表現。  
 安倍首相。「~だろう」とか「~であろう」とか、「~だと思います」と意志を表現すべきところを推測の表現に聞える。また、彼は「えー」というつなぎの雑音が多過ぎる。アメリカの政治家は訓練して雑音を入れない。  小沢生活の党代表。雑音に関しては彼の右に出る政治家はいない。「あー」、「いー」、「うー」、「えー」、「おー」と雑音すべてを使う。偉過ぎて誰も注意しないのだろう。  
 渡辺みんなの党代表。「アジェンダ」とか「レジームチェンジ」とかカタカナ英語を多用する。agendaは会社の会議で「今日の議題は」と使うように議題のことで、彼はpolicyのつもりで使っているのか。有権者に意味が伝わらないカタカナ英語は意味がない。
 その他政治家。引退した政治家は「そんなアバウトな話は~」のようにアバウトをよく使った。aboutは前置詞だから形容詞のように使うのはおかしい。「そんな概略の話は~」と使うべき。多用される「~イコール~」というのもおかしい。equalは「等しい」、「対等な」という意味であり、equalではなく「同様に」とか「同じく」とかの日本語が正しい。  
 そうでなくともいい加減なカタカナ英語が乱用されている中、政治家は襟を正すべきだ。 「政治家の日本語を見習うな」と言われるようになったらお笑いにもならない。

芸人の日本語

 NHKのFMラジオで朝のクラシック音楽を聴いている。昨年まで歌手と落語家のしゃべりが音楽の間に入っていた。この落語家、なんでも「とか」と「みたい」を言葉の後ろに乱発する。その耳障りなこと。辟易していた。
 ある日、友達に議論をふっかけてみた。
 「ほら、真面目な番組に芸人を出して面白くしようとしているが、日本語に影響を、むしろ害を与えている。どう思うか?」
 「あれで視聴率を稼ごうとしているのだろう」
 「本当にそうか?」  
 「思い込みだろう。それで変えられない」
 「芸人が流行り言葉を乱用しているのは?」  
 「仕方ないよ。彼らには芸のうちなのやから。芸人が普通の日本語をしゃべったのでは面白くもないやろ」
 私はもう反論できなかった。

女の日本語
 
 どういうわけか、女の多くが一区切りずつ語尾を強く上げて話する。例えば、「~だからア―」、「~なってエー」、「~するとオ―」という風に。これも耳障り。  他方、男はこういうしゃべり方をしない。

接客の日本語

 新幹線の中でコーヒーを買う。席の前のテーブルに300円を置くと、売り子が「こちらの方からいただいてよろしいですか?」と言う。私は腹の中で、「当たり前だ。ほかにどこにある?ありがとうございます」と言えばよいのだと思う。
 レストランのレジで支払いをする。「の方から」、「いただいてよろしいですか」と言われる。  市役所でも「印鑑をいただいてよろしいですか」と言われる。
 こんなマニュアルをつくって教育している管理者が悪いのだ。もう毎度のことで彼女たちを責めても仕方がない。                              (完)  

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