2017年12月16日土曜日

#187 富山きときと空港を饅頭論で説く――富山篇④

 先日、ボランティアグループの会合後、雑談していた時、一人の生粋の富山人の女性会員が「富山きときと空港の名前が恥ずかしい」と発言しました。私が札幌から来た友達を富山空港に迎えると彼は開口一番、「きときと空港とは何じゃ」と言いました。私も日頃おかしいと感じていました、    今回はこれから発想して郷土意識について書きます。

 ◇ ほかにもある変な愛称。
 航空地図を見ると、地方空港の名称にひらがなを使っている例がいくつもある。観光推進のためか、知名度を高めるためか愛称のように使われている。 本当に目的に合っているか? 
 先ず、「富山きときと空港」。「きときと」は新鮮という意味で使われる富山の方言だそうだ。例えば「きときと寿司」のように。だとすると、空港の愛称には合わない。
  「のと里山空港」。なぜ「能登」ではなく「のと」なのか?どこの地名なのか全国向けには通じない。しかも能登は歴史的な地名なのだ。しかも里山は全国どこにでもある。 
 「阿蘇くまもと空港」はこれもわざわざ平仮名を使っている。熊本の名前には長い歴史があるというのに平仮名を使う目的は何なのか?
  「おいしい庄内空港」というのもある。これは日本語としておかしい。庄内米を知ってもらおうとしているのか? 

 ◇ なぜ平仮名地名か?              
  日本語の中にカタカナ外来語が濫用されていることは、よく指摘されている。ところが、地方の自治体では広報効果のためか、本来漢字である地名に平仮名表記が流行していることはあまり問題にされていない。
  例えば、鉄道の呼称にも平仮名が流行。今、金沢から新潟まで鉄道で旅行するとしよう。  北陸新幹線が開通後、JRから在来線が第三セクター3社に経営が移管され、石川県は「IRいしかわ鉄道」、富山県は「あいの風富山鉄道」(あいの風は万葉集の中で謳われ、日本海で夏に沖から吹く風)、「えちごトキめき鉄道」と呼ばれるようになった。まるで申し合わせたように、ひらがなの社名が使われている。地域を訪れる県外の人々に通りがよい「石川鉄道」、「富山鉄道」または「新富山鉄道」、「越後鉄道」ではだめなのだろうか。 
 もう一つ、都市の名前にも平仮名を使うことが流行っていることだ。主に漢字の読みが難しいことによるらしいが、誰でも読める漢字をわざわざ平仮名にしている埼玉県「さいたま市」の例もある。  もとはと言えば、1960年に始めた青森県「むつ市」から今では29都市に広がった。漢字の読みが難しい例としては、千葉県の「いすみ市」(夷隅)、愛知県の「あま市」(海部)、沖縄県の「うるま市」(宇流麻)などがある。 
  これまで空港、鉄道、都市のひらがな使用の例を挙げてきたが、一体、なぜなのだろうか? 
 公募が民意に基づくという反面、地方ではどこでも郷土意識が強く、知名度を高めたり、観光推進の一助と考えるのか、意図的に平仮名表記が使われるようだ。私の調査情報によれば、その多くは市民からの公募と県庁職員や退職者の評価委員会によって決められる。しかし、市民と地元役人はどうしても郷土意識に傾き、地域固有の漢字名称に平仮名表記を使うことは、県外との交流や観光推進を進める上で必ずしも有効とは言えない。 現在、多くの自治体が観光や姉妹都市交流で相手側の立場になって企画を考えている。ところが、対象が海外ではなく、国内向けとなると、県内の郷土意識にとらわれ過ぎている。つまり県内を超えて郷土が知られるためには、平仮名表記が本当に良いのかどうか再考してほしい。 もともと漢字地名は歴史的に長く使われ、どれにも由来がある。それを平仮名表記にしたのでは土地の顔が見えない。漢字地名の読みが難しければ、漢字にふり仮名を付せばよい。
 また、実用面から言っても、「市」または「町」を省いて平仮名地名の前後に助詞が置かれると読み辛い。  

 ◇ 郷土意識と饅頭論 
 全国の自治体は海外からの観光客誘致に熱心に取り組んでいる今、郷土を愛する意識も大切、また県外の人々の立場で広げて見る国際意識も大切だ。ここで国際意識とは越中国の外を見ることだ。  
  終わりに私が提唱する饅頭論を述べてみよう。饅頭はあんこと皮でできていることを転じてあんこは論理思考で、皮は情緒思考を意味する。皮が厚すぎると饅頭はうまくない。 どうも富山人は、どこでも、皮が厚過ぎるようで、片手落ちの郷土意識にこだわり過ぎる。 命名には何が目的かを考える論理思考が第一であり、越中国の外に目を向けなければならない。その上で皮の郷土意識で味付けする考え方が望まれる。 
 名前を変えると地図から公文書、観光案内まで大変なコストがかかる。諸君の時代まで待たなければならないかもしれない。 
 私は誰も使わない、知られていない「富山きときと空港」より「富山国際空港」がよいと思う。通称は今使われている「富山空港」のままでよいだろう。  
 さて、諸君はどうするか?日頃の思考で饅頭論を生かしてほしい。              (完)

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2017年12月3日日曜日

#186 平成元禄の贅沢町人社会――武士の抑制精神に戻れ

  企業の長年の不正行為がメディアによって連日報道されていますが、私がここで取り上げるのは日本社会全体についてです。それは日本の社会全体に贅沢志向が蔓延していることです。国民は気づいていないようです。 
  諸君はこれでよいと思いますか?

 ◇ 高級なカジノリゾートの建設 
 一部の学者も加担して自民党政府がカジノを推進しようとしている。多数派の労働者市民にこんなものは要らない。景気を刺激し、税収増になり、外国人観光客も増えるなんて目的はあまりに方便に過ぎる。本当に誰のためか?
  野党が反対して世論を盛り上げてほしい。
 関空の近くに超高級病院を建設してアラブの金持ちを呼び込むという計画が提案されたことがある。医者と看護師が不足しているというのに、儲かるというだけで、これは反国民の計画だ。感性がおかしい。
  さらに、北海道かどこか人里離れた広大な土地に、外国要人が密かに滞在できるリゾートを提唱する学者もいた。政府が関わる計画ではないにしても、民間企業や外資も採算に乗らない事業には投資しないだろう。私はこんな発想自体を受け入れられない。どこかおかしい。

 ◇ 韓国のカジノ
  韓国には五つのカジノがある。その中で最も有名なウオーカーヒルのカジノはもともと1968年に軍用機のサービスで、週末を日本で過ごす米兵を韓国に留めるためにつくられたという。確か今も外国人専用で、日本からの観光客も多い。度々韓国に出張した私は週末にここには行ったことがない。
  ほかのカジノもアメリカ系ホテルの中にあり、アメリカのカジノ会社が経営している。 日本で一つできれば続いて数が増えるだろう。多分カジノ経営はアメリカのカジノプロが経営するだろう。沖縄の立地も候補に挙がっているが、カジノで経済振興を図ることは邪道だ。
  日本にはこんなものは要らない。野党に反対してほしい。 

贅沢な観光列車の流行  
 今、全国各地で贅沢列車が流行している。極めつけはJRが運行する2泊3日、食事付き、停車駅で観光の豪華列車だ。一室あるスイートルームは125万円もするという。観光のクルーズ船の列車版だ。7,8両の客車に全定員が36人、誰のためか? 
 能登半島には、贅沢とは言えないかもしれないが、「ベル・モンターニュ・エ・メール」という新造の観光列車がJRによって運行さけている。おそらく日本でいちばん長い名前だろう。

 ◇ 日本で豪邸が流行
  いくつか出張で訪問した途上国の独裁者も金持ちも豪邸に住み、高級車も持っている。アメリカの金持ちの生活をそっくり追随している。
  滞米中に、夜に大学院に週3日通っていた時、アフリカの国からの留学生と知り合った。 ある日、「なぜアメリカなの?貴国にはアメリカから何も学ぶことは無いでしょう。ニュージーランド、台湾、北欧の国の方が体制の参考になると思うよ」と私が言った。
 彼は、「官費留学の役人で修士を取れば地位も年収も上がる。アメリカは自分の選択ではない」と応えた。
  実際、アメリカの政治はさておいてアメリカ社会の豊かさは参考にならないと思う。 日本人の堅実で普通の生活と地方政治の方が参考になると言いたかったが、自信がなかった。 その日本が今大きく変わっている。贅沢志向の蔓延だ。
 渡米前には芸能人やスポーツ選手が1億円の豪邸を建てたことが話題になっていたが、今や5億円。一代成金の事業家にも広がっている。私が知る若者もテレビの映像を観て憧れるという。  私は滞米中に金持ちから豪邸やヨットに招かれたことがある。要するに、金持ちは豪邸やヨットに人を招いて見せたいのだ。それで満足感を得る。
  いずれ豪邸を持っても固定資産税の支払いに困ることになるだろう。

 ◇ ヨーロッパの宮殿と聖堂 

  滞米中にヨーロッパに出張や旅行で出かけ、訪れた宮殿や聖堂がいくつかある。どれもが巨大な建物で屋内はぎんぎらぎんの極彩色の豪華なものだった。
 この時発想したことは、これらすべて庶民からすさまじい搾取をしたものだとうこと。
 日本に目を移すと、京都御所も皇居も敷地こそ広いものの建物は地味なものだ。 日本の寺院にしても寺院は奈良時代から今日まで内外とも木の色のままで、極彩色はほとんどない。これがいい。
  同じ寺院でも中国や台湾の寺院は極彩色で大きな違いがある。また、北京の広大な天安門広場と明・清時代の王宮だった豪華な紫禁城はすごい。建物は赤で統一され、内部は金銀の極彩色だ。

 ◇ 武士社会の原点
   平和が続くと社会が退廃してゆくものだ。贅沢がはびこる。今の日本がそうだ。 武士が支配した社会は抑制の社会で、欲望を自制することが正統な武士の生きざまだった。例外は少なくない。   私がアメリカの町の高校野球部で監督の右腕としてバッテリーコーチをしていた時、社会科の先生であった監督はdedication(献身)、discipline(規律), determination(決意)、duty(義務)を4Dと言って部員にいつも説いていた。私は意見を訊かれた時、武士道の精神だと応えた。後に私がdignity(尊厳)を加えて5Dになった。
  因みに、私が卒業した高校の校是は「質実剛健」だった。
  念のためひと言。私は士農工商の武士が支配する階層社会を意味しているのではない。 武士の精神を意味しているのであって、農家でも商工者でも誰もが武士になれる。
  諸君、5Dを仕事に密かに守り、良いリーダーの武士になってほしい。         (完)

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