2014年9月18日木曜日

#124 ウクライナ紛争とスコットランド独立――欧米のメディアは一面的

 明日(9/19)にスコットランド独立の結果が出ます。八卦見が結果を予測してみます。当たるかどうか?
 連日テレビニュースで報道されているから、若者諸君も知っていると思います。「関心がない」とか「わからない」と言うかもしれませんが、私も諸君と知識にたいした違いがあるわけではありませんが、違いは発想してみるかどうかでしょう。
 ウクライナとスコットランドの違いを述べてみます。

ウクライナ紛争とプーチン大統領  

 ウクライナ紛争について日本のマスコミ報道では一様に欧米側の報道をしている。 つまり、ロシアが介入しているとし、そのためにEUを善玉、ロシアを悪玉にしている。本当にそうだろうか?
 ロシア軍がドメツク共和国に軍事支援をしていることは事実かもしれないが、私は敢えて異論を供してみたいと思う。
 先ず、ウクライナの反政府グループは日本では親ロ武装集団、親ロ自警団(珍訳)などと呼ばれるが、本来は反乱軍だ。現に海外ニュースでは反乱軍 rebel troopsと呼んでいる。ただ、オバマ大統領の演説では親ロ同調者pro Russia sympathy(正確にはsympathizerではないか?)という言葉を使っていた。日本語のシンパの語源だ。
 そもそもウクライナ紛争の始まりは、今のウクライナ政府が性急にEU加盟に傾いたことにある。ポーランドがEUに加盟して経済が発展したことに刺激された。ウクライナがロシアよりヨーロッパ世界に魅力を持ったことはある程度理解できる。
 ところが、ポーランドがかつてソビエト連邦の外で独立国であったのに対し、ウクライナはソ連の内国、それも最大の衛星国であったことに大きな違いがある。従ってプーチン大統領はウクライナがEUに加盟することを認めるわけにいかない。
 プーチンはクリミアの「併合」を支持したが、ドメツク共和国の「独立」を認めず、中立の立場で成り行きを見ている。もし独立を認めるなら、たちまちチェチェンの独立に勢いを与えかねないからだ。
 ロシア軍がドメツクに兵士を送っていると言われるが、正規のロシア軍ではなく、あれは共産党、狂信的ロシア民族主義者、退役軍人の一派だろう。いずれも反プーチン勢力なのだ。プーチンの統治権力が及ばないのだろうが、彼は権力が及ばないことを公にできない苦しい立場だ。
 ロシア軍が最新のミサイルを含めて武器供与しているとしても、末端ロシア軍に対する管理はいい加減だから、穴が空いたざるみたいなものだろう。
 私はプーチンに同情的だ。日本政府にはEU米国連合に対し、経済制裁には一歩後方で独自外交をしてもらいたい。
 その昔、私が渡米して間もなくテヘランで起きたイラン革命政府による米国大使館の占拠事件に対して、欧米が経済封鎖と外交断絶を行った時、日本政府はイランと国交を維持した例がある。数少ない独自の日本外交だった。

スコットランドの独立  

 独立を問う住民投票では、賛否の世論が真っ二つに分かれている。私は独立賛成派の中に投票所に行ってから考えを変える市民がかなり出て反対派が勝つと思う。本来、独立するという重大事にいざとなってびびることは当然だ。
 政治的野心を持つリーダーによって、煽られる大衆はいつでも馬鹿を見させられるものだ。独立さえすれば希望が実現する、あるいは事態が改善されるというのは、多くの場合幻想みたいなものだ。そこには論理の短絡がある。独立しても現状が変わらないか、かえって悪くなることもある。
  人は得るものを見るだけで、失うものを考えないものだ。そもそも独立派のリーダーに統治能力があるか?
 ただし、ウクライナの2州が行った住民投票は非合法であるのに対し、スコットランドでは2年も前から中央政府との協議があり合法だ。武力行使もない。
 この投票結果に他人事と思えない国がいくつもある。
 チベットと新疆ウイグルの独立運動を抱える中国とカタルーニャのスペインだ。イラクのクルド族も完全な独立を求めるかもしれない。

ウクライナ反乱軍はどうなるか?  

 プーチンの支持が得られなけれは、遅かれ早かれ反乱軍の内部抗争が始まるだろう。幹部はウクライナの法律によって騒乱罪か反逆罪によって厳罰に処されるから、彼らはロシア領内に逃げ込むだろう。
 他方、一般市民のためには、スコットランドでもドメツクでも政府をこれだけ脅かしたのだから、その後に政策の改革がなされるだろう。             (完)

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2014年9月13日土曜日

#123 「北京たより」――『七七の因縁』

 最近、「上海たより」の著者I氏は仕事の拠点を大半北京に移しています。 今回彼の寄稿には民間の中国人との交友からメディアには出ない中国情報が書かれています。貴重な情報であると思います。 また、若者諸君には日中史が参考になるでしょう。

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 「北京たより」
 ソフトブレーンチャイナ( http://www.softbrain.com.cn/e-zine/jp.html)グループ創業者 宋文洲さんのメルマガを毎月配信してもらっています。 2014.7.14付けの第253号の人気コラムには「七夕の星空が伝える愛」と題する文章が載っていました。
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 夕暮れが空を染める頃、私はハワイに向かうためにJALカウンターにいました。 そこに浴衣姿の女性職員が居ました。「毎日こんな綺麗な服を着るのですか」と聞くと「今日は七夕なので着ている・・・という書き出しで、宋文洲さんは日本に七夕習慣があることに驚きつつ、夏の夜に母の膝で聴いた牽牛織女の話を懐かしみながら綴っています。そして締めくくりには、「私は思わず日本人の妻の手を握りしめ、中国人の私との間に銀河が作られないことを祈りました」と浪漫と切実な願いを記されています。
 更にP.S.として「JALさんの心遣いに感謝します。日中の文化的つながりに感謝します」という一節も添えられていました。  陽暦の7月7日、上海のとある洋館の一室。報道・製造・教育・飲食業などバラバラの分野の6人が集まり、共通項である「ヤンチャな大人の真面目なお喋り」をしました。
 帰任辞令が出ても、当局から後任者の就労許可証が下りる時期が読めない支局長への何回目かの送別が主目的でした。  国木田独歩研究を専攻した東北人と上海文化継承者とも言うべき生粋の上海っ子、ともに留学やその後の仕事で日本との御縁が深い二人の女性の参加で、真面目なお喋りの幅が拡がって行くのを感じました。
 浙江省のキリスト教取材でスクープを連発するなど「発信力」旺盛な支局長の、「七夕開催にしましょう」という意向で決めましたが、言わず語らずその日が盧溝橋事件から77年目の当日に当ることは意識していたと思います。 「蛻変の会」という大仰な会の名前には、単なる現状脱却を意味する「脱皮」ではなく、内実変容を目指したいという想いが込められています。「蛻(ゼイ)=蝉」でもありますが、ひと夏の経験に終わらせないように地道に想いを繋げていきたいと思っています。
 その支局長から4月20日に、商船三井の船舶「BAOSTEEL EMOTION」号の差押の一件について問われました。船名から類推すると、宝山(BAO SHAN)製鉄の鉄鉱石運搬の為の船でしょう。『大地の子』を持ち出すまでもなく、宝山合作事業は日中国交正常化のあとの巨大プロジェクトでした。4月22日に、以下愚考します、と返信しました。

  ① 日本で法律を学び、海事も専門の弁護士に法的な見解を確認することから始めるべき
 ② 法的に決定されていても、その執行と手続き過程とタイミングには諸説反発も出てくる
 ③ 甲午戦役(日清戦争・今年は干支10巡=120年)以降の物申すカードは中国側に多くあり、直近四半期にそのカードを恣意的に切り始めた。
 ④ 民間の動きを容認・黙認する手法は、民心掌握を安上がりでできるし、いつでもグリップを握って恣意的に収束させることも可能
 ⑤ 戦前に大陸と「縁の深かった」日本企業は、その後の資本変遷に関係なく旧事を追求されるリスクがある。今回の事は該当する企業に躊躇させる理由を与えたでしょう
 ⑥ 以上は一般論ですが、「カードの多さ」、「恣意的」、「民間利用」というのが切り口です。

 裁判経緯も背景も知らない人間が、「どう思います?」と聴かれて、何も調べもせず、一般論を喋っただけの内容です。ところが、数日後に急転直下の動きがありました。 日中戦争が始まる前後の船舶賃貸契約をめぐる賠償請求訴訟に絡み中国の裁判所に輸送船を差し押さえられた商船三井が、裁判所の決定に基づいて40億円強の供託金を中国側に支払ったことが4月24日分かった。商船三井は、差し押さえが続けば業務上の悪影響が大きくなると判断、裁判所が決めた賠償金に金利分を加えた額の支払いに応じたとみられる。輸送船の差し押さえは24日中にも解除され中国浙江省舟山市の港を出ることができる見通し。上海地裁は今月19日に同社が所有する鉄鉱石輸送船「BAOSTEEL EMOTION」を浙江省舟山市の港で差し押さえた。(4月25日、共同)
  後日、日本留学・就職後に天津で要職に就いている友人が、以下のコメントを届けてくれました。
   ・中国外交部は「戦争賠償と関係ない民間訴訟」と言ったものの、すべてはそうではないと思います。 
   ・77年前当時の経緯を詳しく察知していないが、本件訴訟は6年前(2008年)、確定判決は 4年前(2010年)。船は以前から中国とオーストラリア間の鉄鉱石等運送で往復しているにもかかわらず、一貫して差し押さえされていません。つまり、中国政府は過去遠慮(?)していたが、今は強気に出ても構わないと判断したのではないでしょうか? ・その背景は、①安倍政権の政治姿勢、②日中領土問題等を巡る中国内世論への配慮、同時に今後民間訴訟容認(又は支持)の姿勢を日本側に表明したい意図があると思います。
 77年間の経緯や背景を知らなければ始まらないと啓発されたところに、5月22日付けの『南方周末』に、本件に関する郭絲露記者、劉俊記者らの共同取材記事が掲載されました。 記事から陳家4代の軌跡を時系列的に抜粋整理してみました。多くは記事の引き写しで、裏付け確認は僅かしかできていないことをご諒解願います。        (了) 

  「船王」討船77年 対日民間索賠勝訴第一案始末(抜粋)
 1926年 北伐戦争の渦中、上海寧波航路船員の陳順通は、偶然の機会に国民党の四大元老の 張静江を助け、その知遇を得る。国民航運公司の幹部に任じられ北伐軍の火器搬送。
  1930年 陳順通、中威輪船公司を設立(登録資金30万民国元) 1928年~1937年は近代中国経済の「黄金時代」。年10%超の高度成長時期  中威公司の資産は100万民国元を超え、「新太平」「順豊」「源長」「太平」の4船を 保有。中国最大の船舶会社の総師として、陳順通は一躍「民国船王」と称される。蒋介石からも重用され、上海市航業同業公会執行委員に。陸伯鴻・杜月笙らも会員。     
 1936年 「新太平」「順豊」を日本の大同海運株式会社へリース(期間1年。代金未収)
 1937年 日中戦争拡大。 国民政府に徴用接収された「源長」は江陰要塞防御の為に自沈
 1938年 大同海運から2隻の船舶は日本軍に「合法捕獲」されたとの通知。  中威機器廠(上海)も日本軍により占拠された。
  1939年 国民政府の命令で残る「太平」も鎮海関に自沈させられ、中威公司は正式破産。
  1947年 旧知の駐日本占領軍高官に調査依頼するも、日本軍に接収された2隻は1938年 戦火により沈没していた事が判明。「現物償還以外の路」を尋ねるよう示唆される。
 1949年 「一代船王」陳順豊が逝去し、長子の陳洽群が継承
 1958年 蒋介石と近い陳洽群は反右派闘争を回避するため、香港へ移住。訪日活動再開。
 1960~1970年前半、文化大革命により陳家の財産は更に減少。大同海運が資本変遷後に吸収された三井集団は「戦時中の事には対処できない」との姿勢、日本の弁護士からは「陳氏が台湾人なら中華民国政府は賠償放棄した。香港人なら英国に訴えるべき。中国とは国交なし」と言われた。 伝手をたどり頼った周恩来首相からは「中威訴訟は人民外交で対処せよ」との指示。 1974年 東京地方裁判所の判決で中威敗訴。陳洽群は東京中等裁判所へ上訴。
 1978年 鄧小平来日。日中和平友好条約締結。駐日大使館筋より陳洽群に「訴訟争議は宜しくない」との通知。ほぼ無一文状態で、18年ぶりに上海へ戻る。  その後4回の訪日、6回の北京での上訴も空しく陳洽群は逝去。陳春が後を継いだ。
 1987年 陳春は上海海事法院へ訴状提出。強力な弁護団が組織された(司玉啄、高宗澤ら)
 1991年 第1次開廷。当時の報道では、陳順通は日本に船を提供した「漢奸」と看做す傾向。
 1996年 第4次開廷。三井側は「契約違反、損害賠償」→「道義的責任、損失補填」に転換。
 2007年 上海海事法院 一審判決 陳家勝訴。双方上訴。   
 2010年 上海市高級人民法院は原判決を支持し終審。最高法院も被告の再審要求を却下。       
 2012年 遅々として執行しない法院に抗議の声。陳春は強制執行申請書に署名して、逝去。   
 2014年 4月19日 強制執行。20日 陳春の納骨葬儀。安倍首相は商船三井社長に事前報告   
      欠如を咎め、早急に事態解決を指示。24日、上海海事法院は三井の義務履行を宣言。                 
                                                 (以上)

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