2015年1月31日土曜日

#131 アメリカと日本の人種差別――どっちが根深いか?

 前回の内容についてご意見をもらいました。
 「アメリカにも人種差別があるのに、なぜ石原慎太郎の意見にアメリカ人は反発したのでしょうか?」
 そこで話題を広げてもう一回人種差別を取り上げます。 諸君、私に寄せられる意見はメールを通じてです。つまり、知友人からのもの。本当は私を知らない諸君の中からご意見を切望しています。本稿の下の方に「コメント」項目があり、ここをクリックすると自由に書ける欄が出ます。
 
 アメリカの人種差別の現状

 私は1978年に渡米し、生活とビジネスからアメリカの世論を知ろうとしてきた。そこでピンとこなかったのは、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)に対について憎しみと感じるほどのアメリカ人の反感だった。
 アメリカにも人種差別があるのに、と思った。それが理解できたのは、アメリカは法治国家であり、人種差別を禁止する公民権法は1964年に成立していたからだ。つまり、法律上人種差別はないのだから南アフリカとは違うという意識である。そして、心の中の問題は法律が及ばない。日本の社会も同じはずなのだが、法律とモラルの境界があいまいなことがある。
  他方、南アフリカでは、アパルトヘイトは法律によって、黒人のみならずアジア人など有色人を差別し、居住地、乗り物、食堂などで分離規制をしていた。やっとこの法律が廃止されたのは1994年のことだった。
  あれは1980年だったか、当時私が勤めていたアメリカ企業が技術供与していた世界10ヶ国の企業の代表を招いて会議を持った。保養地で行う会議は半分遊びで、南アフリカ人と親しくなった。彼はニューヨークのホテルでクリーニングに出したワイシャツを後日着ようとしたところ片袖が切られていたという。
 ありそうな話であるが、クリーニング屋はどうして彼が南アフリカ人であることを知ったのだろうか、と半信半疑だった。 アパルトヘイトはやっと1994年に廃止された。
 
◇ 大リーグ野球に見る人種差別
 
 今、大リーグ野球の試合に出ている選手のうち、どの球団でも黒人とヒスパニック系黒人が3割を超えているだろう。 ところが、目を観客席に転じてみると、黒人人口の割合が高いニューヨークの球場でさえ黒人の観客は1割にもならない。むしろ日本人の方が多い。
 これは人種差別以前に貧富格差の問題だ。今、球場で試合を観るのに、平均して一人50ドルの入場料を払わなければならない。二人でこれに飲み食い代を入れれば150ドル。とてもとても貧困層が出費できる額ではない。
  結局、表面では人種差別に見えても、実際は貧富格差が背景にある。これはちょっとやそっとでは解決できないから、我々は心の差別を理性で覆い隠すしかしようがない。

 差別される側の弱み

 アメリカの町には生活保護家族を住まわせるアパート群がある。 私が住んでいた町ではビレジ(村)と呼ばれていた。公園のようなきれいな土地に20棟以上もあった。新築時には建物も家具も新しかったのであるが、おしなべて入居者は保守の努力(能力か?)が弱く、すぐ汚くなってしまう。隔離されているようで、一般の市民の間で訪れる人は少ない。
  生活保護家族の子供は、高校の食堂で朝食を無料で食べられる。ある日、友達である高校の先生から電話があった。日本から留学に来ている女子生徒が、生活保護の子供たちと一緒にいつも朝食を取っているのは良くないから注意してほしい、と言うのだ。
 高校で私たちのことは聞いているはずだから、訪ねてくれば相談に乗ろうと思っていたが、気が進まなかった。結局、訪ねて来なかったのでそのままになった。
 おしなべて生活保護の子供たちは成績が悪い、身だしなみも良くないから差別を受けている。それでも富裕層、中流、貧困層の階層の壁を乗り越えることはできる。実際、稀ではあっても実例はある。
 さあて、諸君の周囲を見回してみよう。程度の差こそあれ、日本でも貧困層(例えば、ホームレス)に対する差別、韓国人に対する差別、同和に対する差別がある。改善する政策が取られているが、法律も政策も心の中までは変えられない。

生活保護家族と生活保護国

 世界に約200ある国の中で、1/3は生活保護国だろう。つまり、先進国の援助なしには国が生きていけない。資源なし、資本なし、技術なしでは経済的に独立していけない。 世界の富を不公平に取る先進国が生活保護国の面倒をみることは当然だ。世界はこうして生活保護国を引きずって成り立っている現実がある。
 一国の経済も同じこと。社会は生活保護家族を包含しながら成り立っている。                      (完)  


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