2020年1月23日木曜日

#213 オリンピックのマラソンを東京に戻そう――IOCの横暴を許すな

 突然IOCがマラソンの開催地を東京から札幌に変えることを決めた。理由は猛暑から選手の命を守るためだという。これには納得できない。 
 勝者が国立競技場のゲートに入ってくると、6万人の観衆が立ち上がって大歓声で迎える。 オリンピックの最終種目であるマラソンは最も劇的なシーンだ。それが札幌の街路を2周か3周して街路のゴールになるという。
 我々ファンも選手も望んでいないことだ。 
  なぜかくも重大なことをあっさり受け入れたのか?

 ◇ IOCの横槍 
  そもそも東京開催はIOCの総会で決めたことだ。IOCが猛暑を心配するならこの時に東京でのマラソンに異議を唱えるべきだった。それを急に札幌に変えることはごり押しだ。
  東京都はこの間に猛暑対策をしてきた。7時スタートに決めた上にできる限りの対策を押し進めてきた。選手の命を心配するなら、さらなる対策を要求し、対策が不充分ならアイデアを出すことができた。例えば、各給水場所に看護師を配置し、コースの二箇所くらいに救急車を待機させるとか。また、走者の意見を訊くこともできた。
 このような手順も踏まずに札幌への変更を決めた。 これが日本ではなく、アメリカだったらIOCはこんな横暴をしなかっただろう。私の18年間のアメリカ生活の経験から言えば、アメリカ人は猛烈に反対したに違いない。 アメリカ人の多くは、長年つき合った私の友達も,ヨーロッパに本部を置く機関が世界を支配することを嫌っている。
  要するに、IOCは日本を甘く見ていたのだ。森組織委員会会長があっさりと了解し、都知事は不満を表明しなからも受け入れた。どちらもIOC憲章には逆らえないというものだった。 しかし、憲章であっても変更はできるし、例外を認めることはできるのだ。そもそも今回のオリンピック開催地を東京に決めたのはIOC総会ではなかったか。

 ◇ ガバナビリティ
  思い出すのは、出張時にアメリカ人数人と昼の会食していた時に政治の話の中で、彼らがガバナビリティを話題に出した。風説ではガバナビリティがないのはフランスで、あるのは日本だろうと言った。アメリカはその中間だと。最初はよく分からなかったが、聴いているうちに国民の政府に対する従順さを言っているらしい。ガバナビリティの意味が逆に政府と国民のことであるらしい。単語の中にability があるために私は統治力と受け止めていた。
  帰国後貿易部で仕事中、席から離れたところで役職者たちが雑談していて、「彼はガバナビリティがない」という会話の一部が聞こえてきた。私は統治力ガバナンスの意味で使っていることに気がついたが、工学部出身者が外大卒業者に口出しし、彼らの自尊心を傷つけるかもしないので、黙っていた。 少なからず、世間ではガバナビリティを誤用している。
  諸君、人を惑わすようなカタカナ英語を使わないようにしてほしい。

 ◇ 東京の友達の意見 
 先月、東京から夫婦共通の友達が訪ねてきた。彼女が意外なことを言った。 「東京では職場でも飲み会でもオリンピックの話は出ることがなく、関心が薄い」と。 一人の意見ではあるが、都民の関心はどうなのか。 さらに「今では山手線のどの駅でも混雑がきつく、以前のように混雑していない駅がない。日に日に東京の人口が増えている。どうなるんだろうか」とも言った。
  毎日私が住む地方ではどこでもオリンピックが話題の中心になっている。メディアに煽られているせいだろうか? 因みに、首都圏への人口集中をだれもが口にするが、人は東京を離れない。この問題は平成12年(2000年)に首都移転を国会で決議しているが、現実には政府が申し訳のように文化庁の一部を京都に移転しただけ。若者は忘れている。

 ◇ 今からでも遅くない
  IOCの不条理に対し、マラソンの開催地を札幌に反対して東京に戻そう。せめてデモを組織し、署名活動を起こそう。JOCに対しSNSでも訴えよう。
  何もしない国民を知人は「腑抜け日本人」と呼んでいる。私は「不感症日本人」だと思う。 このままでは、日本人はガバナビリティの塊という風説が固定されてしまう。
  さて、若者諸君はどうするのか?            (完)

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