2016年6月3日金曜日

#161 神道と神社ーー国粋主義政党の危険はあるか

 全国に約10万もの神社があると言われます。  その中、約9割を神社本庁が統括し、残る1割は独立系です。もともと日本の歴史ではほとんどの神社が独立の存在であり、地域の神社であったのです。「神道」という呼称も明治以前にはありませんでした。
 今回は宗教と国家の関係について書きます。仏教についてもさまざまな話題を提供して、一連の信仰・宗教について述べてみます。
 若者諸君、古今東西のどの国でも大衆は過度の愛国主義に引っ張られるものです。次代の日本は諸君が守るのです。

◇ 神社本庁と政治

 明治政府が国家の統一のために、全国すべての神社を国家機関の「神祇院」の下に統括し、国家神道の原点になった。戦後、GHQの指令により神社組織は解体されたが、民間の宗教法人「神社本庁」が設立された。  神社本庁は神社の宮司に対し、資格の免状を交付するだけでなく、大神社の宮司任命の人事も行い、今日では強大な組織になっている。表向きは政教分離とは言え、裏では政治権力と深く結びついている。
 例えば、「日本は天皇を中心とする神の国」と発言した森喜朗元首相が属する「神道政治連盟国会議員懇談会」には300人余の国会議員が会員だ。民進党保守派の議員も参加している。現閣僚20人のうち16人が会員だ。
 また、「神道政治連盟」にも多くの国会議員が会員だ。
 さらに、「日本会議」という右派系の民間団体には宗教界、経済界、政界、元官僚、学者の人材など1000人以上が会員で、日本最大の保守政権支援組織だ。

◇ 日本にも極右政党?

  移民政策を誤る、今以上に貧困層が拡大する、若者の失業者が増えるなど社会不安が大きくなると、左翼勢力が台頭するだろう。これに対し、今ヨーロッパ各国で起きているように極右政党が日本でも生まれるかもしれない。 今はマスコミがつくる世論、教育界、仏教界が極右に対して抑止力になっているので、 保守派の安部政権は比較的穏健な政策を取っている。しかし、将来にはどうなるかわからない。
 諸君は政府や保守団体が「神国」、「愛国」、「天皇崇拝」、「大和民族」を強調する事態になれば、警戒してほしい。

◇ 私と一般大衆の寺と神社

  過日、知人と会っていた時、雑談が偶々法事の話題になった。彼は「年回忌も戒名も日本で昔の坊主が金儲けのためにつくったんだよ」と言った。彼はこう言いながらも忠実に法事を営んできた人だ。
  私はこのことが気になってネットで調べてみた。 なるほど彼が言うように、百ヶ日、一周忌、三回忌の三つの法事は中国の儒教の影響によって日本に持ち込まれ、七回忌以降は日本で寺が始めたことが分かった。また、戒名(または法名)は、本来仏門に入った証であり、戒律を守ることを誓う儀式であった。これが日本では故人に授ける風習に変わった。
 さて、私はと言えば、親の祥月命日には家内(僧侶の資格)にお経をあげてもらい、親譲りの仏壇に花も供えてお参りする。 年回忌については、三回忌まではやったが、以降は引っ越しと体調不良のためやれなかった。これからもやることはないだろう。年回忌はなかなか会えない親族と旧交をあたためる良い機会と思う。
  私の神社へのお参りは信仰と言えるかどうか。 どこでも地元の神社が行う祭りにはあの雰囲気が好きでお参りする。 伊勢神宮にも出雲大社にもお参りした。伊勢神宮の境内のたたずまいにはいつも心を打たれる。これには抗しがたい。近所の護国神社にもよく行く。四季折々に樹木の花が咲き、心が安らぎを得られる。どこでも五穀豊穣、家内安全、無病息災、国家安泰、世界平和を祈る。 もともと神社の多数は鎮守の杜にある村落の神社信仰だった。寺とともに神社は村人をつなぐ絆だった。
 他国から神社信仰は、宗教ではないとか原始的、もとはつくり話の神話であると言われようが、他の大宗教の経典、聖書やコーランにも史実ではない神話がたくさんある。信仰や宗教のあり方はどの宗教にも特有の文化なのだから、理屈を言うことには意味がない。祈りは世界の万人の宗教に共通している。
 私は日本人の宗教への接し方は、ごく普通の大衆の一人であると思っている。

◇ 地域と若者への貢献

  帰国して間もなく、市役所や婦人会などから講演に招かれた。主にアメリカの地方 生活を話題にして話した。そこで「アメリカの町を支えているのは何か?」という質問に対して、「教会、学校、地元新聞の三つでしょう」と答えた。
 例えば、数多くある教会の中で六つの教会が連携して「スープキッチン」を行っていた。他の教会グループも参加し、毎日昼食をホームレスや貧困層に無料で提携していた。教会が組織すると、町のスーパーが売れ残りの食材を寄付した。家内も属する教会の担当日に奉仕していた。名前も問わないので誰でも昼食を取れる。教会がリーダーとして組織していた。
 さて、日本の寺は地域のリーダーになっいるか?若者の助けになっているか?
 多分、人も若者も寄ってこないと言うかもしれない。しかし、商店では「お客が来ない」などと言っていては商売にならない。当然なんとかするだろう。  寺もなんとかできるだろう。      (完)  


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