2016年4月2日土曜日

#157 アメリカ社会のキリスト教――宗教は家族の世襲か

 アメリカ大統領選挙の予備選や党員集会で、共和党ではトランプ候補のリードが続いていますが、私はよもや彼に国の舵取りを任せることはないとアメリカ人の良識を信じています。ただ一つ、彼に共感することは、ローマ法王が「壁を除くのではなく、壁をつくるトランプはキリスト教徒ではない」と発言したことに対し、「個人の宗教は心の問題であり、 彼からとやかく言われることではない」と反論したことです。
 今、イスラム教がテロと関連して問題にされていますが、私はアメリカのキリスト教の中には愛国主義と結びついた宗派が気になります。アメリカ社会で約18年生活した間に経験したことを書いてみます。

◇ 宗教の家族世襲と豚肉

 中東の小国出身でアメリカに移住してきた若い技術者と仕事で付き合う機会があった。初めて昼の会食をした時、彼は慎重にメニューから豚肉が入っていない料理を選んだ。私が持ち前の好奇心から質問をした。
 「豚肉を食べないのはイスラム教が禁止するからかい?」
 「それもあるが、家族で豚肉を食べないから、好きも嫌いも分からない。正直に言えば、ただ生活習慣です。あなたは豚肉を食べますか?」
 「食べます。牛肉も鶏肉もなんでも食べます(笑い)」 しかし、日本人が肉を食べ始めたのは、19世紀後半からで、それまでは四つ足と言って動物の肉を卑しいと見ていたのです」
 「へえー、それはまたなぜなのですか?」
 「仏教の影響もあるかもしれませんが、要するに食べる習慣がなかったのです。それが1868年の明治維新、Restorationと英訳されていますが、まあ封建主義が打破された革命みたいなもので、西洋化されるとみんな牛肉も豚肉も食べ始めたのです」
 「今も日本は仏教国なのに教えに反しないのですか?」
 「正確には分からないが、仏教の規制は日本では緩やかだから家族の習慣が変わったのでしょう。今も仏教の影響は広いのですが、人の日常生活を縛る点では緩やかです」
 今度は私が尋ねた。
 「あなたもイスラム教徒ですね。いや、これは愚問だったか」
 「いえ、アメリカに来てからはモスクに行かないし、毎日5回のお祈りもしないから、敬虔な信者ではありません。地域や社会で目立たないようにするためです。生活のためです。イスラム教徒の家族で生まれ、アメリカに来るまでイスラム社会で育ったのですから、当然コーランも読みました。ほかに選択がなかったのです。友達に誘われて結婚式や葬儀にキリスト教会に行くことはありますが特に抵抗はありません」
 「やはり私も代々仏教の家に生まれましたから、仏教の信者です。仏教からいろいろ教えを受けてきました。それでも世襲みたいなもので、本当に自分の信仰であるかどうか、いつも迷いを持っています」
  「アメリカではどうしているのですか?」 「私が住む人口2万人の町は保守的な社会ですが、友達に誘われて通い始めたユニタリアンという無宗派の教会に属しています。ポーランドに始まったこの宗派は一時アメリカで広がりましたが、衰退しました。教義がなく、人道や個人の信仰の自由を掲げています。こんな小さな町に立派な教会があるのは、19世紀半ばに近隣で世界で初めて油井技術が開発され、石油産業が興ってとてつもなく豊かな時に、金持ちがつくった無宗派の牧師養成学校があったからです。
 町では保守派のキリスト教会各派が30以上もあります。その中で異端と見られるユニタリアン教会には強い支持がなく、私に『なぜあなたはまともな教会に行かないのか?』と言われたことがあります。それでも町を去るまで会員でありました。私が尊敬していた会員の友達は『信仰は揺れ動く波頭のようなもの』と言っていました」  彼は「アメリカにヨーロッパからの移住者は信仰の自由を求めてきたのに、今は変わりましたね。宗教差別が強くなっています」と言った。
 これは実感だっただろう。
 彼との宗教談はこれで終わった。  

◇ 保守派教会の契約違反 

 渡米して2年目のこと、両親が訪ねてくることになり、仮住まいの家から快適な住宅地の広い家に引越しすることにした。友達にあちこち借家の情報を求めていた。ある日、町で最も親しくなった家族から、彼らが行く教会が持つ家の借主を求めていることを知った。
 高級住宅地にある家は両親に過ごしてもらうにふさわしい家だった。教会は喜んだ。自宅に訪ねてきた理事と打合せしたところ、おおむね双方が合意したが、後で家族の話によると、私たちがユニタリアン教会の会員であることに反対した理事の一人がいたという。
 保守派教会にしてみれば、私たちが会員である自由派教会は異端なのだ。それでも、この町ではアパートを除いて借家の需要が少ない、まして家賃が高い借家の借り手がなく、結局、教会は私たちを受け入れた。
 一年近くが経つと、理事が訪ねてきて、家を明け渡してほしいと言った。副牧師が決まったので彼に貸さなければならないと理由を説明した。
 「待ってください。2年の期間を要求したのはあなた方ですよ。契約もそうなっています」
 「理事会の決定であり、副牧師を迎えなければならないのです」  
 「聞けば、副牧師はこれから結婚しても二人家族だからアパートでもよいのですから契約を守るべきではないですか」
 これは訴訟をすれば勝てる戦(いくさ)だった。しかし、大切な友達の立場のこと、小さな町で話題になりたくないことを熟慮して家を出た。幸い、期限前に教会の友達が海外に行くことになり、家を貸す申し出があった。それから2年後、同じ町内で売りに出された家を買った。
  一件の牧師にスーパーで会うと、私たちを避けて逃げた。良くないことをしたという意識はあったらしい。
 この一件からいろいろ学ぶことがあった。
 教会の都合は時に契約が通じないこと。友達の話ではよくあることだという。  保守派教会が自分たちこそ正統キリスト教会であると盲目的に信じていること。これがアメリカ社会の風土の一部になっている。           (完)


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