2010年10月24日日曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#7,11月、2010

  大阪市開発と二重ブランド

 
             経営評論家・岡本博志

22日に全国紙が、「なにわ3大拠点集客合戦」という見出しで、あべのキューズタウン4月開業、と報道した。大阪市が1976年から進めてきた阿倍野再開発事業で、目玉となる最大の商業施設だという。
 私はせっかく天王寺地区を視察しながら、うかつにもこの目玉を知らなかった。自分のことを棚に上げて言うと、府民や大阪市民がどれくらい知っていただろうか。
 あべの、阿倍野、天王寺とばらばらになっているような呼称は、企業なら放置しておかない。
 今回は、まだ読まれていない読者のために、ちょうど1年前『若者塾』の#19で書いた「大阪市開発と二重ブランド」を転載することにした。

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 先日、家内と長谷寺にお参りも兼ねて紅葉見物に行ってきました。
 私は大阪南部の鉄道をよく知らないので、往きは近鉄大阪線、帰りは橿原神宮駅から南大阪線で阿倍野橋駅に出て一周してきました。南大阪線は初めて乗ります。JR天王寺駅は天王寺区、道路一つを隔てて阿倍野橋駅は阿倍野区に属しています。
 今回はここから発想を得て、二重ブランドについて書きます。大阪の地方問題でありますが、全国の読者にも大阪について知ってもらう機会になるとよろしいですね。

◇大阪市には現在梅田北ヤード、南港・咲島・夢島など巨大開発プロジェクトが計画されている。阿倍野地区開発も建設中の近鉄百貨店の高層ビルを中心に再開発が進められる。
 さて、天王寺と阿倍野とはどこなのか?東京でもどこでも府外の人たちにはどっちがどっちなのかまったく知られていない。それどころか、私も含めて大阪の住人にも区別がつかない人は少なくないだろう。
 歴史を紐解いてみると、1889(明治22)年に天王寺村と阿倍野村が合併されている。現在は天王寺区の南隣が阿倍野区で、このためJRと近鉄の駅名が別になっている。天王寺と阿倍野、これは天王寺地区とも阿倍野地区とも総称して呼ばれないことが現実にある。ビジネスで言えば、二重ブランドになっているのだ。
 地元経済界は知名度を上げるキャンペーンを進めると言っているが、現状の二重ブランドではどうにもならない。市外では天王寺の方が知名度が高い。もう一度天王寺区と阿倍野区が合併して天王寺区に統一すると良いが、改革を論理で考えない阿倍野区住民が感情的に反発するだろう。もう一つの問題は、天王寺区も阿倍野区も南北に長い行政区になっており、このまま合併するより、隣接する浪速区も含めて行政区域の線引き変更が良いと思う。従来のしがらみを超えて、次世代のため、大阪市100年の計のために統一ブランドをつくってほしい。

 松下電器が歴史ある社名を捨てて、ブランドのパナソニックに社名変更したことに驚いた。社名をブランドに統一することは時代の流れであるにせよ、本当に大胆な決断だった。天王寺を「東京の新宿」に匹敵する地位を確立するために、大阪市も決断できないはずがない。

◇そもそも天王寺の地名は四天王寺から由来している。四天王寺は聖徳太子により593年に創建され、日本最古の寺の一つで立派な伽藍配置は他のモデルになってきた。後に天台宗派になったが、現在は和宗と称して独立している。
 寺町になっている周辺を緑化などで一体化すれば魅力が増すだろう。寺と言えば京都とされるが、大阪駅から地下鉄谷町線か環状線で便利に行けるから、四天王寺にも全国の皆さんが訪ねてほしい。
 因みに、比叡山延暦寺は789年、高野山金剛峯寺は816年に創建された。


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