2010年10月12日火曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#6,10月,2010

 大阪市は大き過ぎない、大阪府が小さいのだ――橋下知事と平松市長に論点整理を望む――

                     経営評論家・岡本博志


 大阪都構想は橋下知事が新たに提唱したのではない。私が知る限りでは、すでに府や財界が以前に大阪都構想を提唱していた。これに対し、大阪市と学識経験者からなる大都市制度研究会が大阪特別市構想を掲げて議論し、03年に報告書をまとめている。
 それ以後には表立った動きはなかったが、橋下知事が就任後間もなく大阪都構想を強く提唱してにわかに府と市の間で熱い議論を展開することになったのである。橋下知事が指摘する府と大阪市の二重行政の無駄は目につくが、だから大阪市や堺市を解体して区割りし、大阪都が一元的に全行政を担うという結論には論理の飛躍がある。
 ここでは多面的に全体を見ることによって、両者の主張の問題点を明らかにしてみたい。

なぜ大阪府だけが大阪都にするのか?
 大阪府の特異性について指摘されることは、狭い府内に大阪市と堺市の二つの政令指定都市があることだ。堺市が政令都市になる前には府政が及ばない大阪市が府のドーナッツになっているから、これが二重行政の根源だと言われた。今はドーナッツが二つになった。
 狭い面積の府に二つの政令都市があり、しかも隣接していることは決して府行政のあるべき姿ではない。次世代のためにも何か改革しなければならない。ここまでは知事の改革を支持できる。他方、隣接する横浜市と川崎市の二つの政令都市を抱え、県域も小さい神奈川県では、なぜ神奈川都構想が議論されないのだろうか?
 知事は東京都を意識している。しかし、東京特別23区はかつて首都東京市であり、同時に東京府という県制があった歴史がある。それが戦時中の1943年、東京府と東京市が統合されて、今日まで至っている。区長が公選制になったのは1974年のこと。
 
二重行政は府が過半の責任を負う
 知事が唱える府と市の二重行政の過半は府の責任だ。例えば、大阪市内に府立の施設を建設してきたのは、多分に大阪市選出の府会議員が推進してきたのだ。
 府庁移転については、私は府の施設として経営困難にあるりんくうタワーへ移転することによって、府の行政を大阪市と分離するきっかけにすることを提唱していたが、結局、大阪市の破綻ビル、WTCに移転する方向にある。さらに、府議会もりんくうタワーの一部を多目的に使える議会場に改築し、同時に現状の府議会議員を廃止して府下の市議会に常任府政委員会を設置することで、各市会議員が新府議会で府政のチェック機能を果たすことを提唱した。二重行政を改めることができる。

不祥事は大阪市が大きいせいではない
 先週、知事は大阪市を分割して大阪都特別区に再編することを取り下げた。大阪市の名前を残すことにしたのである。私は大阪市が統治するに決して大き過ぎるとは思わない。むしろ、本稿『言論大阪』#3,7月号で、大阪市が周辺の都市と合併すねことによって大大阪市に拡大することを提唱した。
 これに対し、「なぜ堺市と合併しないのか?」という意見が寄せられた。私はこの意見を予期していたが、それは中世以来の自由都市としての歴史による堺市民意識から、簡単には合併が実現しないと思うからだ。私の提唱や意見に対し異論を聴けることは本当に嬉しい。
 そもそも関前市長が手を付け始めた職員による不祥事の大掃除は、まだ道半ば。今も不祥事は後を絶たない。麻痺した綱紀の引き締めもちょっとやそっとでは進まない。きつい言い方をすれば、常習の窃盗犯がつかまるまで悪事を止めないようなものだ。市民は腹を立てているし、知事もそうだろう。しかし、大阪市が大き過ぎることと結びつけるのは論理の飛躍だ。

大阪府は奈良県と和歌山県と合併して関西県に
 「関西は一つ」とか「京阪神の連携」という言葉は何十年間も使われてきた。掛け声倒れとはこのことだろう。私は、現実には「関西はばらばら」だと思う。「関西州」にしても、兵庫県も京都府も各々が独立独歩だからいつ実現するか分からない。
 「関西州」に私は反対しないが、その第一歩として大阪府と奈良県、和歌山県が合併して「関西県」をつくることを提唱したい。「関西州」はその先でよい。
 私は47都道府県などとややこしい表現は止めて、東京都も含めて全県と言えるように改革を求めた。地方自治の月刊誌『晨、あした』(ぎょうせい刊)「出戻り市民の地方自治異見」の連載を書いた中で、95年10月号で大阪府は大阪県に、京都府は京都県に、そして北海道は北海道県に呼称変更することを初めて提唱した。北海道県は、例えば、鹿児島県が県を取って鹿児島の呼称で地域の名前としても広く使われるのに対し、現行の北海道から道を取った北海は地域名として使うことができない。「道州制」の呼称も北海道州にすることで、「分権州制」または「自治州制」に変えるべきだ。
 改革のささやかな試みとして、よそ様の県名を勝手に変えることは失礼と思い控えてきたが、ここ10年来、私の年賀状には自宅住所を大阪県と印刷している。
 因みに、明治政府による廃藩置県が行われた時、当時主要な大都市圏であった東京、大阪、京都の三つだけは県ではなく、府という呼称にされた。なんと古い歴史を引きずっていることか。
さて、関西県には障害がある。それは大阪県と接する県の知事はすべて中央省庁の出身であることだ。兵庫県知事と京都県知事は自治省、奈良県知事は運輸省、和歌山県知事は通産省という完璧な官僚知事包囲網だ。
 今こそ、民間人出身の知事に置きかえるには民力が必要だ。

平松市長と橋下知事の任期中が改革好機
 平松市長は橋下知事より21歳年長である。
 年齢差ばかりではなく、二人の違いにはどこか味わいがある。大田知事と磯村・関市長時代には会うこともなく、口もきかなかったことに比べれば、今の二人は反発し合っていても相手を受け入れている。実際、よく会っている。
 知事が論理を基礎に置き、果敢に花火を打ち上げて改革の突破口にする攻めの突撃隊長とするなら、市長は鷹揚に対応する受け身のタイプ。市長にすれば、「またあのヤンチャ坊主が余計な口出しをしよる」と腹を立てているだろうが、それでも知事を許している。
 知事の個性は天性かもしれない。人に腹を立てさせても憎まれないところがある。あれくらいの府政改革なら私にもできると自惚れているが、あの流儀でやれば嫌われてつぶされるだろう。
 どちらも民間出身であることは、大阪史では奇跡みたいなものだ。この好機に二人がじっくりと論点を整理して次代の大阪行政のあるべき姿を見せてほしい。
                                 (完)

≪追記≫神奈川県の知人から指摘がありました。神奈川県には相模原市も政令指定都市であります。


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