2017年3月24日金曜日

#169 私の英語勉強を振り返る――継続と集中は力なり

 私のキャリアが知られると、どこでも個人から英会話を教えてほしいと頼まれました。しかし、私はこれまで引き受けたことがありません。私が目指してきたと同じように、仕事の実務に使うレベルの高い目標を持つ人たちに教えたかったからです。
 実際、大学や外語学校では教えてきました。  私は個人に対し、先ずNHKのラジオ英会話を一年間続けることを勧めてきました。4月から一年間継続すれば日常会話以上に巧くなれるし、熱意の物差しになります。
 断られた人たちには傲慢に見えたかもしれません。それでも継続の気力があるかどうかは英会話上達の決め手です。
 今回、高きを目指す人たちのために2回にわたって書いていきます。自慢話になりそうでこれまでためらってきましたが、要望に応えます。

◇ 英語専門外の人たちに

  私は高校時代には理科系進学のクラスで、数学も理科の科目も苦手ではなかったが、秀才のように得意科目ではなく、好きな科目は国語と英語だった。
 大学の工学部に入ると、英語とは縁が切れた。しかし、多読読書をするかたわら、限られた小遣いの中から無理してアメリカの週刊誌を購読していた。
 大学時代、野球部の選手でリーグ戦のほかに社会人野球部(通称、ノンプロ)からの招待試合が年に数回あり、キャンパスの外にほとんど出ることがない生活をしていた私には、鉄道で旅することが楽しみだった。遠征先までの車内では読書したり、囲碁の本を読んだりしている部員の中で私は英文週刊誌を読んでいた。これ以来40年、英文週刊誌を購読し続けた。
 この頃、まだ日本のメーカーが海外に工場を持つことはなかったが、私の論理思考ではいつか海外進出すると予測していた。私の英語の遠い目標はどこでもいい、海外生活をすることだった。

◇ 何を捨てるか

 野球部を引退すると、時間ができた。クラスの勉強のほかに卒論を書くことで忙しかったが、この頃囲碁と楽器に興味を持った。個人レッスンのような形で教えられるうちに、両方とも上達するためには大変な時間と練習を要することが分かった。素質もなさそうで、しばらくの間考えた末に止めることを決心した。英語とは両立しないことを悟った。
 私の父は囲碁が趣味だった。日本棋院の2段で、会社の部長を定年退職、その後も関連会社で70歳まで働いた後、完全引退した。対局を楽しみにしていたが、至近に住みながら私は相手をできなかった。代わりに義弟が相手をしてくれていた。
 私は今も心残りだ。後悔もある。  しかし、アメリカ企業に転職し、後に日系中小企業の社長になったのも、英語と技術経験のお陰だった
 何かを得るためには、何かを捨てなければならない。

◇ ボクサーのロードワークとキャンプ

 東京で社宅に住む間、3千円くらいの安い携帯ラジオをデスク、食堂、フロに置き、スイッチを入れればFEN(米軍基地放送)が出るようにしていた。ニュースは聴けるようになったが、なかなか分からなかったのは大リーグの実況放送だった。我慢した。
 幸い、海外部門に配属され、月に一度アジアとアメリカに出張する機会を得た。出張が決まると、この時だけは事前に予想される話題を想定して、英文を書き、声を出して集中勉強した。出張時だけが英語を話す機会なので、うまくは話せなかったが、まあまあ用は足りた。
 喩えれば、私の英語取り組みはボクサーのトレーニングみたいなもので、毎朝のロードワークと平常の練習を続け、試合が決まるとキャンプして強化練習をする。この方式だ。

◇ 英語と柔道の授業

 高校時代、一学期に週二度体育正課で柔道があり、必修だった。もちろんこれで有段者になれない。有段者を目指すなら柔道部に入るか、町の道場に通わなければならない。
 また、英語の授業だけでは英会話にうまくなれない。今は話す英語が重視されるようになったが、それで英会話が実用レベルまで巧くなれることはない。巧くなるには英会話部に入るか、塾に通わなければならないだろう。  
 にも関わらず、柔道の先生は非難されることがないのに、英語の先生は「英語をしゃべれない。生徒もしゃべれない」と非難される。おかしなことだ。  私は文法と読み・書きは英会話の基本であるという趣旨の著書が50年以上前に刊行され、これがきっかけで英語教育専門誌に寄稿した。柔道との比較もここで書いた。
 帰国語、NHKテレビなどで英語教育改革に関する対談番組を観たが、文科省の改革を支持する論者は国際化の時代を論拠にしていた。英語を話せないのは読み書き中心の学校教育のせいと言うのだ。
 私はおかしいと思った。「英会話を必要と感じない生徒が多いことは変わらない」、「なぜ言語大国の日本で万人が英語を話す必要があるのか」と疑問を持った。今も考えに変わらない。
 その中の一人、ジャーナリストは「一年間の対米中にパーティでは出席者とろくに会話できなかった。今の子供にこんな惨めな目に遭わせたくない」と言った。要するに、英語・会話ができなかったのは本人が「継続と集中」の努力をしなかったことで、教育制度のせいではない。恰好悪い。
 諸君、高きを目指すなら、授業で真剣に学び、その上に個人努力をすることが英会話の上達になることを分かってもらえただろうか。                                  (完)  


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