#170 私の英語勉強法を振り返る(2)――今からでも遅くない
まだ書きたいことがあるので、気力を出してもう一回書きました。
英語の勉強は、数学のように基礎の上に次の理論を学ぶ必要がなく、どこからでも、いつからでも始めることができます。例えば、仮定法がうろ憶えで、よく分からなければ学校時代の文法教科書を取りだして確認すればよいのです。それが今ではネットで「英語仮定法」を検索すると易しい解説を見ることができます。本当に便利です。
文法をまとめて勉強する必要はありません。必要に応じて確かめればよいのです。
悲しいかな、3ヶ月で挫折した。蓄積がある英語のようにはいかなかった。分かったことは、授業も試験も無しでは集中力も出ず、文法の助け無しではすべて暗記に頼らなければならないことだった。文の応用も利かない。
ある学者によると、日本語や中国語などアジアの言語には英語やドイツ語のような文法がないという。非論理の日本語を学ぶ欧米人は苦労しているだろう。
女性の係員が来てフルコースのディナーを注文した。一人約70米ドルは高かったが、食事はその価値があった。やがて席に大きなプレートに食事が運ばれてくると、家内がクレームをつけ、「注文したのはこのように冷たいのではなく、熱い料理です」と言った。通路をはさんだ席から私が言った、「それはオードブルだよ」と。アメリカのレストランでは、こんな立派なオードブルを知らなかった家内はメイン料理だと思ったのだ。係員に英語がつうじなかったのは幸いだった。
この時、私は「国際地方化」という新語を作って予見していた。当時はよく理解されず、ある学者から内向きの地方化と外向きの国際化を一つにくくることはおかしいと批判された。しかし、地方のメーカーが直接輸出している多くの例があり、90年代にはアメリカでglobalとlocalを一語にしたglocalizationという新語が出てきた。
先生は質問には答えるが、指導はしない。受講者の読書量を管理し、100万語に達すると表彰がある。受講者は3000円の月謝でここに所蔵される本をいくらでも読める。
ここの受講者たちは英会話に興味がない。目標も持たない。ただ英語を読むことが好きなのだ。私が英語力の向上を目指してきたのとは大きく違う。このように本当に英語を楽しむグループには新鮮な驚きを持った。
もし彼らがいつか会話に興味を持つなら読解力は大きな助けになるだろう。
この教室を知って私も手元にある読みさしの英語本を、勉強ではなく、楽しみで読むようになった。
「岡本博志の若者塾」でネット検索し、左にリストされている小項目から「日本語英語」をクリックすると三つ目か四つ目に出てくる。
(完)
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