2012年11月17日土曜日

Long and Winding Road to China Democracy

   #80 上海たより――中国人も色々


  野田首相が突然に「自民党が3法案を成立させる約束をするなら、あさっての16日に解散する」と、衆議員の電撃解散を決断しました。
  諸君は、本稿#78で自公の指定日より早く電撃解散の手があることを書いたことを憶えていますか? 「私が首相ならそうする」と思ったのです。そう、上司でも誰に対しても、「自分ならそうする」と立場を代えてみることは、諸君の思考力を豊かにしてくれます。これが大切です。

  さて、私が付き合っている老若男女のほとんどが中国政府に対して怒っています。中国大使館にデモをかけることもないし、中国製品の不買運動も起きないので、日本人の怒りが表面に出ないのです。日本人はおとなしいのか、大人(たいじん)なのか? ある人曰く、「日本の若者はタマを抜かれているのさ」と。彼らには、本当は、生活に精いっぱいで中国どころではないかもしれません。   
 今回は、上海の友達I氏からの寄稿「上海たより」です。私たちが抱いている大人(たいじん)の中国人が出てきて嬉しいですね。やはり中国政府とネット紅衛兵の言動は民意ではないのです。
 そこで諸君に一つ提案があります。諸君の交友範囲に中国人の留学生がいれば、本国で受けた愛国教育をまだまともに信じているのか、日本の生活で少しは疑問を持っているのか、尋ねてほしいのです。

   
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 中国山東省農村部で地元の二人(中越戦争の勇士が董事長、その戦友の弟が総経理)によって創業された食品会社で10年余り働いた年下の友人が居ます。お父さんも自前で北欧に乗り込み水産品貿易の道を開いた方、本人も農学を修めて入社した会社の食品部門で冷凍野菜や惣菜分野で先駆的な続けました。発展途上企業のトップから破格の待遇(当時の中国ではビックリするくらいの高額で、当時の日本では驚くほどの少額の給与)で招聘され、家族ともども移住しました。
 3年前に今度は、日本の新興上場企業のトップから招聘されて、その企業の中国進出の責任者になりました。そして、家族も本社の所在する福岡の百道辺りに転居して、浜遊びを愉しんでいる、という連絡を貰ったのは今年の夏でした。バスから海辺を見ながら、その年下の友人が綴った北京報告を思い出し、今月の「上海たより」にその抜粋版を転載させてもらうことに決め、昨日の電話で快諾を貰いました。
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 北京報告です
 (9月)15日~16日、15日午前まで北京で仕事をしてから青島へ。せっかくなので古巣の一楽集団にも顔を出しました。 空港からまず莱西、一楽首脳陣と昼食。 「北京は大変だろ?莱西は平和なもんだ」と。 土曜日ということもあり、久々ということもあり、昼間から白酒の封が切られました。 董事長が笑いながら洒落で「(日本人の)お前もいることだし、今日の議題は釣魚島だな」と。

  総経理 「釣魚島っていくらで国が買ったんだっけ?」
  私     「20億日本円ちょっとでしょ」
    総経理 「そんなもんかぁ...」
    私    「董事長が買ったらどうですか?」
    董事長 『俺は親日だ!!』と青島共産党委員会で発表する」
    総経理 「それいいなぁ、皆な訳が分からなくなる、漁 業 権と油田採掘権を入札にして、一番高 
                    いとこに売ればいい」
  私     「あと董事長へのワイロね」
   総経理 「私がお金の管理しよう。ウチの管理費と董事長の欲しい分を抜いてから両国で折半」
   董事長 「ガハハハ」

という和やかで不謹慎な状況 その足で青島へ入り、ホテルで日本人自営業トップと面談。 ポカポカとカフェには秋の日差し。 結婚式でドンドンバンバン。 915、916という縁起の良い日付ですから連日、大結婚式の大賑わい。
 そこへ、黄島ジャスコが暴徒に襲われているという情報が入り、トップは若い衆に 「ちょっと青島ジャスコを見て来い」と。しかし、私の知ってる限り青島は何もなし。 そして、いつもの相撲居酒屋「玉海力」へ。そこでも普通に食事をしながら、中国人店長に聞くと、 「まぁ嫌な空気だけど・・・嫌な空気だと中国人が気にする変な感じだなぁ、具体的には何もないけど・・・」
  翌日の昼、空港へ行くためにタクシー乗車 タクシーの運転手が「あれ?お前は一楽の祐樹だろ?」よく見ると、昔馴染みの運転手です。 「どこ行くの?」、「北京」、「なんだぁ?暴動参加かぁ?」とこちらも不謹慎で呑気なもんです。
 運転手さんは「油より何より、あそこ刑務所にしちゃえばいい!そこへ溢れ反って、悪さをしている富二代や官二代を全部送り込む。水と種だけ与えて、あとは魚を釣って暮らせばいい!何であいつらの将来の為に、こんなに揉めなきゃいけないのか分からん!!!」と独自の論法を繰り広げてくれました。
  北京に着くとさぁ大変。即公安局との談判。 公安局は「全店中国国旗の掲揚をしないと店の安全を保証できない」の一点張り。 日本本社から「あらゆる判断は現地総経理判断でOK」との確認をもらっていましたので、これを拒否。 「国旗掲揚をしても安全の保証はない、やられる時はやられる、そんな中途半端な気持ちで進出していない。揚げるなら日中両国旗だ」
  政府機関から出向している副総経理はすでに中国国旗を購入済み、おまけに「釣魚島是中国的」の紙まで用意済み、私の公安への発言でアワアワです。 公安に対し「何も意地を張っているわけではない、当然のことを言っているだけだ。店に損害が出ても騒がないし、公開も後悔もしないし、危ないと感じたら即閉店するという条件でOKしてくれ、あなた方には決して迷惑はかけないから」
 公安も顔見知りゆえ、「(お前が)そう言うなら信じよう、その代わり、護衛をつけるからな」と三店舗に各二名ずつ護衛をつけてくれる結末に。そのまま無事本日まで閉店なしで営業出来ました。  
 9月18日、セブンイレブンは全店閉店 ユニクロの「釣魚島是中国的」事件がすっぱ抜かれるまで、デカデカと中国国旗を掲揚してました。一部店舗には「釣魚島是中国的」を貼ってました 実は当社も日本本社から送り込まれた若手の店舗運営者は言われた通りに貼ろうとしたそうです。
  「総経理から『貼るな』の命令を聞いた時には『意味分からんばい』でした」と後日談。 私も26歳で初めて中国の地を踏んだ時は何も知らず、何も考えず状態でしたので、あまりエラそうな事は言えません。 本社は連休明けの18日にはかなり混乱気味。その渦中、担当取締役に言わせて頂きました。
 「今回の騒動で皆さんが慌てるのは良く分かります。初めてのことでしょうから。  しかし、当社はその暴動をさせたり、コントロールしたりする本山と合弁していることを忘れてはならない。  私にとっては今回のような状況は日常の延長であり、いつも皆さんが中国に来て、高級レストランで食べて、高級カラオケで歌っている方が非日常だと思っています。今回の状態は半永久的で、恒常的なリスクであることを忘れてはならない」
 北京、上海などの大都市に居る多くの若者(あえて年齢で区切らず、あくまでも若者状態の)日本人には、今回の事で少しは日中の関係と、中国の現況と、中国の歴史を学ぶべきだと気付いてくれることを期待します。 どこの国にも、どの時代でも若者状態、つまり自己肯定の中だけで生きていく習慣の人たちが存在しているのではないでしょうか?
  『知らないで生きることの危うさ』と『知らないでいることのもったいなさ』を知る人が増えて欲しいと感じる次第です こういう時の中国の友人との会話は非常に有意義なもので、やはり歴史の話になります。そして、中国指導者の国家観、人間像などを知らずに生きていくのは「もったいない」と感じます。それ以上に自分の国の歴史を知り、伝えることの大切さを感じます。  父親が口癖のように言っていた「自国の歴史を相手の国の言葉で伝えることが、海外に住んで働くことの大前提」という事の大切さをひしひしと感じます。
 数年前の上海領事館襲撃以降に進出して来られた各社の内で、「消費大国中国」のみに魅せられて来た企業が、今回の状況をどのように感じるのか? 時間の経過とともに麻痺して忘れてしまうのか? 中国人民も麻痺して忘れてしまったと錯覚されるのか? そんな中で不謹慎な人間がまた一人出てきました。福岡に住む家内からメールが届き、「尖閣を売っちゃった栗原さんって、お父さんの地主仲間だって~、びっくり~、笑える~」とのこと。 笑えないよ...(苦笑)             (了)                


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