2012年5月14日月曜日

#69 「結論が先にありき」は悪いのか?ーー大飯原発に関する世論

大飯原発の再稼働に対してメディアが「結論が先にありき」と批判しています。世論もこれに追随しています。どのメディアも反論を伝えないので、私が論理のおかしさを指摘します。
諸君には新聞の一面的報道を疑ってほしい。なに、新聞は読まない?テレビニュースも観ないで、スマホ(なんたる略語か。せめてスマフォにしてほしいものだ)しか見ないなら、メディアのカモにされてしまいますよ。
 望むと望まざるとに関わらず、諸君はリーダーになるでしょう。その時には持っている感性メーターを鈍くすることなく、感性でおかしいと思ったら論理思考を利かせてください。
 「オレのとは違うなあ」を憶えていますか?


◇ 「結論が先にありき」のどこが悪いのか?
 大飯原発をめぐる世論には論理が欠けている。
 第一に、大飯原発は福島の原発事故とは関係がない。以前より厳しくなった安全基準に従って定期検査が済めば稼働が再開される。言いかえれば、福島以前と同じ手順を踏むことは当然。
 第二に、政府と東電の事故対応があまりにも拙かったことで、政府も自治体も過剰なまでに感情に動かされている。現実には絶対安全というのは詰めることができない。まして安心は感情が収まるまで得られない。為政者は冷静に論理思考をもって目標、あるいは結論を出すことを求められる立場だ。
 第三に、「結論が先にありき」という批判にさらされようとも、国難の時こそ政府は出した結論を達成するために手段を尽くして実行しなければならない。果断に実行すれば、世論は変わるものだ。


 原発の対応以外に、広く世間では「結論が先にありき」が見られる。特に批判は起きない。
 例えば、企業経営者は大胆な経営改革を実行する時には、大局的に考えた上で目標を先に掲げる。他方、売上目標を立てる時には下からの積み上げを基に年度売上を決める。この二つは事によって使い分けられるのであり、良いか悪いかの問題ではない。
 もう一つの例を挙げよう。
 学者の論文でも始めに結論を出すことが少なくない。社会学などの論文の中には、先ず結論をつくり、その上で社会の事象から結論に沿うデータを集めて検証する論文がある。この場合、結論は仮設であり、仮設を検証することで一つの論文になる。自然科学の分野でも、予め立てた結論に従って実験を組み立て、関係する論文を引用して検証する論文がある。
 実行を伴う原発再稼働といろいろな学説がある論文の仮説を同等には扱うのは論理的でないかもしれないが、要は「結論が先にありき」は必ずしもすべて悪いとは言えないのである。


◇ 害ある政治家の選挙対策
 大飯原発が立地する福井県の知事も、周辺の知事も慎重姿勢で再稼働に待ったをかけている。
 政府の住民に対する説明が不充分と言うが、現実にはいくら説明したところで理解が得られることは難しいだろう。そして、知事は民意を尊重すると言う。枝野経産相も同じことを言っている。彼は常識人の域を出ないようで、トップダウンの決断をできるかどうか。
 私の憶測であるが、知事も経産相も本当は再稼働の必要を認識しているだろう。国の歳入は大半が個人と法人からの国税であるから、もたもたしていれば国の予算が減り、さらに難局を深めることになる。自治体の首長は、首相と経産相の決断に下駄を預けたいのかもしれない。
 政治家はみんな次の選挙を意識しているから、一定期間再稼働に反対しておけば、選挙で票を失うことを避けられる。
 事は原発に限らない。政府の社会保障・税の一体改革法案に自民党が待ったをかけているのも、一定期間抵抗抵抗しておけば、政府に押し切られたという形をつくる選挙対策だ。それにしても、国会審議をだらだらと引き延ばしていることは目にあまる。
 いずれにしても、原発再稼働は夏の電力消費のピークには間に合いそうもない。
 再稼働に反対、電気料金の値上げにも反対、停電はされたくないと相並び立たないことを唱える市民に対しては、地域ごとに停電させる計画停電を経験してもらうことになりそうだ。企業が海外立地を進める(雇用が失われ、自治体の法人事業税が減る)、企業が被る減益など節電と停電がもたらす結果をやっと分かってもらえる。
 電気料金の値上げがもたらすプラスを挙げれば、値上げによって代替発電が競争力を高めることだ。つまり、今より採算に合うことになる。しかし、それでなくとも国際的に電気料金が高い日本では、産業がこうむる不利がさらに大きくなることは避けられない。今はプラスより払う代償が大きい。


 選挙では、どうしても国の長期的政策より、生活に直結する政策が重視される。しかし、民主主義の根幹である選挙を軽視するわけにはいかない。諸君はどう考えるか?


 アメリカ企業の深夜操業
 一つアメリカの町の例を挙げてみたい。
 私が長年住んでいた町には、農村に囲まれた中に中小企業の集積がある。その中にユニークなブロンズなど非鉄金属の鋳造メーカーがあった。今も生き残り、世界的に知られる。ここでは格安の電気料金によって深夜から早朝までだけ電気溶解炉を稼働し、昼間は営業や経理などの部門で少数の社員が働くだけ。昼間の部門はSkeleton Crew(直訳すると、がい骨隊)と呼ばれる。     私が知る経営者を工場に訪ねて話を聴いたことがある。深夜勤務者はほとんどが兼業農家で、昼間は農業をやっている。兼業農家といえ、平均500エーカー(200ヘクタール)の農地を家族で耕作している。常のことながらアメリカ人の体力には驚かされる。
 日本でもこういう企業があるかもしれない。            (完)
  












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