2012年4月4日水曜日

#67 原発の即廃止は無責任ーー反対運動は注目される

消費税法案がやっと国会に提出されました。増税の前にやるべきことがある、という反対派の意見は片手落ちであり、増税も行政改革も併行してやらなければならないのです。
 消費税が8%に上げられるのは2年後ですから、それまでに公務員や国会議員の削減、年金制度の抜本改革、不要不急の公共事業の中止、海外援助の見直しなど行政改革の実行力を評価できる期間があります。総選挙は一年以内、諸君はこの時に民主党を評価すればよいのです。
 今回は賛成運動に比べて、反対運動は注目されやすいことがテーマです。


 民主党新人議員へ伝えよう
 国民新党の亀井代表が連立離脱を表明したが、8人のうち6人は彼に付いていかない。彼らは代表が石原新党に参加するために機会を狙っていたことを見抜いている。残留組が国民新党を継ぐことは当然。
 これは小沢グループにとって他山の石であり、消費税法案に対して30人が国会で造反したところで、大勢に影響はない。なぜなら、たとえ賛成者が過半数に達しなくても、どっちみち参議院で通すためには自民党の賛成を得なければならないから、衆議院でも自民党の支持を求めることになるからだ。自民党も賛成する方が選挙でマイナスにならないことを知っている。
 新人議員諸君、今こそ小沢の呪縛から解かれて、政治家として再出発する好機だ。
 小沢が「このままでは選挙で大敗する」と言うのは、敗因を政府・執行部の責任にするための口実つくりを始めたのだろう。野田首相が最善の努力をした結果が評価されても、選挙では過半数を切るに違いない。
 小沢グループの大半が法案に賛成すると、小沢グループから追放されるだろう。それでも造反組みは選挙では当選者が増えることになるだろう。
 外野席から見ている私が政治を理解できるはずがない、と新人議員諸君は思うだろう。しかし、半面、諸君は室内練習場の投手みたいなもので、球場の試合展開も観客のざわめきも分からない立場に置かれているのではないか。


◇ 原発即廃止は無責任
 本稿#55「原発ヒステリーに染まるな」と書いた後、ヒステリーが強まっている。何しろ反対運動は注目されやすい。
 原発再開に反対する論者は願望と現実を見分けできない。原発再開に賛成する私も原発廃止を願望している。問題はどう廃止するかだ。つまり、廃止するには日本全体と世界を見て現実的な計画を立てなければならない。ここに政治の責任がある。
 ノーベル賞文学者や九州の元大学教授のグループが署名を集めて原発即廃止の運動を起こしているが、国の置かれた現実を無視していることは無責任だ。文学者は「平和運動と原発廃止の信念を生涯貫いた」として尊敬されるだろう。私も敬意を払うが、これと国の現実は別の話。


◇ 東電と他の電力会社を分けて考える
 東電の事故は、連鎖事故を除けば、非常用の電源とポンプが浸水で使えなくなり、原子炉に冷却水を送れなかったことが元々の原因だった。アメリカの原発が洪水被害で止まったが、非常用電源が働いて運転を再開した。韓国の原発でも電源を一時失ったが、これも間もなく復旧した。
 それにしても、福島原発で働く技術者も保守作業者も、日頃原発の周囲を見回りながら誰も「津波が防波堤を超えたら非常用電源とポンプが水に浸かって働かなくなる。高台に移すべきだ」とか「6機もあるのだから共通で使える電源車とポンプを用意すべきだ」とか思わなかったのだろうか?どんな感性を持っていたのか?
 もし東電事故がなかったら、他の電力会社の原発は定められた定期検査に従って計画通りに再開していた。東電事故以来、管理水準も人心も上がり、ストレステストも加えられて安全が高まった。保安院も安寧の眠りから目覚めた。
 今、東電と他の電力会社の原発は分けて考えるべきだ。感情でいっしょくたにしてはいけない。


◇ 原発再開で雇用を守る
 これは若者世代にとって重要なことだ。電力の供給不安、電力料金の値上げ、円高、韓国などとの国際競争の中で日本企業が海外に逃げる。それに伴って関連企業も売り上げ減によって新規雇用を止め、さらにリストラに追い込まれる。倒産も増える。こんな環境下に置かれる若者には気の毒なことだ。
 「電力供給は足りているから原発は要らない」という意見が広まっているが、これは半面しか見ていない。電力会社は原油や天然ガスの売り手から足元を見られて言い値で買わされている。そのため電力会社は年間3千億円もの赤字を出している。これが続くかと思うとぞっとする。
 電力会社をつぶしてどうするんだ?

 知事の統治力が弱いspan>
 産業経験もない、技術経験もない知事の原発理解には限界がある。このことは問題ではない。
 知事に求められるのは、日本全体と世界を見る高い見識だろう。政府と民意の板挟みにある難しい立場であるにしても、民意を汲むだけでは統治と言えない。
 早い話、民意に従うだけなら政治家は要らない。

◇ 日米安保条約反対
 今の世代は知らないかもしれないが、1960年代始めの安保条約反対のデモはすごかった。国会を何万人ものデモが取り囲む学生運動がピークの時だった。
 私は大学野球部員で、「こんな時に野球をやっていていいのか?」と活動家に迫られたが、共感を持ちながらも野球部の練習を止めなかった。東京の大学で剣道部にいた友達は退部したという。
 今日の世界情勢を見ると、あの時反対していた私は正しかったのだろうか、と思う。 (完)















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