2011年4月2日土曜日

ネット月刊誌『言論大阪』#12、4月、2011   国文都市の計画見直しーー決着が本当に難しい

市長選挙でも市民は関心を持たなかった    私が住む茨木市には、前回で書いた安威川ダムのほかにもう一つ大阪府の公共事業がある。それは国際文化公園都市・彩都(国文都市)の建設。 95年にアメリカから帰国して間もなく、この計画について調査研究を始めた。結論は、とても事業として成り立たないということだった。ある与党の市会議員もオフレコで「成功見込みがないかもしれないが、お上が決めたことは止めようがない」と言った。それから私は地元ジャーナル紙で「なぜ事業が成り立たないか?」の理由を書いた。さらに詳しく書いた冊子を発行し、同志を募って市民の会を組織した。あげくに持ち前の実践病が出て、2010年の市長選挙に出馬した。
 
 結果は投票率が前回の29%から5%増えただけで、共産党候補とともに1万票をもらったが、両候補合わせても現職の4万票には届かなかった。久しぶりの民間人候補が出たことで、わずかに選挙を騒がせたに過ぎなかった。もともと投票率が50%を超えないと勝機がないことは分かっていた。それでも投票率に賭けた。 
 支持者の中から、私が掲げた地域経済振興、安威川ダム建設中止、国文都市計画の見直しの三つの主要政策から後の二つは取り下げるように忠告されたが、大阪府にとっても茨木市にとっても将来に禍根を残すことを知っていて取り下げるわけにはいかない。選挙が盛り上がらなくて、落選してもなんの意味もない。屁みたいな選挙になってしまう。  
 選挙運動中には、安威川ダム建設地域の掲示板ポスターが破られ、その他にも何枚か破られた。嫌がらせ電話も来た。その度に支持者に対して「存在感が出てきた」とジョークを言っていた。選挙後、支持者の一人に数人のゲストとともに慰労会を持ってもらった。会食の中で一人のゲストが言った。「公共事業より専門の経済政策を出しはったらよかったのに」と。私は経済政策を第一に訴えていたのにだ。街頭演説で訴えた政策は存在感どころではなかった。 
 今も多数派の市民は両事業について関心を持っていない。2008年の市長選挙では、現職以外に候補が出ず、この規模の都市では異例のことで、現職が無投票当選した。選挙崩壊だった。 
25年後の国文都市    1986年に本計画を推進するために国際文化公園都市建設推進協議会(協議会と略)が設立されてから25年が経った。次いで88年には事業主体になる国際文化公園都市株式会社(会社と略)が設立された。協議会は府、2市、民間企業が毎年寄付することで運営され、寄付者は会社の出資者と同じ。 その後どうなったか? 最近では協議会も会社も府民と市民の税金を使っているのに、ホームページに決算書を出していない。
 丘陵地にある三つの離れ島からなる国文都市は彩都と呼ばれ、西部地区は住宅地として開発された。UR都市機構が全体区画を担当、実際の住宅建設は民間不動産開発企業が行ってきた。人口5千人、一戸建てとマンションが建ち並ぶ景観が美しい。ニュータウン開発としてはまあまあの成功と言えるだろう。
 次に中部地区。国際交流施設、文化施設、研究所の建設に加えてホテルやデパートも誘致し、高名な学者の華々しい推薦文で謳われた計画は頓挫した。誘致した国のバイオ研究所には土地がなかったので、西部地区の外れに急遽変更して建てられた。ここ西部地区にベンチャー企業が数社進出しているが、まだ集積力が出るには至っていない。 土地を所有する会社が資本金30億円を増資したという話を聞かないので、資金がない。土地はまだ造成もされていない。
 10年ほど以前、茨木駅前にある札幌ビール工場のトップであった知人から工場を案内してもらったことがある。工場は手ぜまで、設備は古かった。閃いた発想を彼に投げてみた。「新立地で近代化工場にすれば従業員120人のままでもっと増産できるだろう。思い切って国文都市の中部地区に進出しないか。今は住居地域指定になっているが、準工業地域に変更させることは難しくないと思うよ。今の特等地を売れば投資資金にお釣りがくる」と。 その後、ビール類似の新製品の売上が伸び、本ビールの生産が減少した。彼は役員定年で退職した。私の提案は消えた。
 さらに、数年前ビール工場は閉鎖された。  前太田知事が退任する年に、武田薬品が新しく建てる中央研究所の誘致に動いた。すでに首都圏に自社土地を持ち、人材も手当てしていた同社の計画は決まっていただろう。同社は前知事の働きかけに対し、お付き合いしたのだと私は推測した。当然、西部地区への誘致は流れた。しかし、議会は準工業地域への変更を承認し、前知事の置き土産になった。これでいつでも工場を誘致できる条件になった。無害型の工場なら地域の発展を願う住民も反対しないだろう。
 最後に東部地区。三つの離れ島の中で最大であり、まだ自然の山林のままだ。 土地を先行所有した阪急グループは開発をあきらめた。土地の減価処理もしただろう。UR都市機構も開発から撤収した。完全に開発計画は中止になった。私は市民環境債という名前で市民が山林を買う形の公債を買ってもらうことを提案していたが、いずれ償還期が来る公債は、相次ぐ大企業の撤退で税収が減った茨木市では財政が許さないだろう。 
 さて、橋下知事はこの二つ目の府営公共事業をどう処理するのか?

住民訴訟が出た  
 最近、住民の一人が府と会社を相手取り、国文都市の計画倒れにより住宅価格が下落した損金の損害賠償を求める訴訟を起こした。計画では5万人の人口を謳いながら5千人にとどまることを知らなかったという。私の相場感覚では、良質のマンション3LDKが2500万円くらいで安い。だから完売した。投資による損失補填はできないことが原則としてある限り、気の毒ではあるが、この訴訟には勝てないだろう。


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