2009年9月26日土曜日

#13 危機管理の饅頭論と思い込み

私が「まんじゅう論」と称して、ビジネスに関して喩えを初めて書いたのは、97年に刊行された『大阪がかわる 地方がかわる』(三一書房刊)の中で、それ以来、講演でも執筆でも繰り返し提唱してきました。
 饅頭論とは何かと言うと、饅頭の皮は情実あるいは非論理、そしてあんこは論理あるいは道理を意味するものです。ビジネスでは、日頃あんこをしっかり練り、その上に営業センスや情実の皮で味加減や厚さを調整することが必要です。皮を厚くし過ぎたり、皮もあんこもごっちゃにすると、いずれ経営が破綻に追い込まれます。特に経営危機においては、あんこの論理に徹して再建することが基本です


 ビジネスに限らず、皆さんが困難に直面した時にも、情実を捨てて、先ず論理に基づいて考えることが大切です。私は問題の大小にこだわらずA3の白紙に書き出し、問題の要因を皮とあんこに分けて整理することにしています。そして、括弧、矢印、赤丸を付けた紙の全体を眺めるのです。多くの場合、頭で考えているより問題の数が少ないことに気が付きます。
 
 堅い話はさておいて、しがらみの皮に囚われることのほかに、もう一つ決断の障害である「思い込み」について書くことにします。
私は生涯で思い込みの呪縛のために判断を誤ったことが何度もあります。きわどかった経験はもっと多い。皆さん、一度立ち止まって見直してみましょう。

  
 恐い思い込みの呪縛

  • ずっと昔、日本企業から海外出張を始めた頃、バンコックでもう一人の技術者と泊った時のこと。私の部屋で飲んでいる途中、トイレに行った彼がなかなか出てこないので、様子を見に行くとトイレのドアが半開きになっていた。驚いたことに、逆向きに、つまり水槽に向かって座っていた。用足しが終わった彼に言った。「向きが反対だよ。便器には水槽を背にして座るもんだよ」と。ところが、彼は「安定感があるし、水もすぐ流せるから、オレの向きが正しいのだ」と言い張って自説を曲げない。彼の確信に対し、私が良しとする向きが間違っているのかと思ったほどだった。 あの頑固者は、38年経った今でもそうしているのだろうか。
  • アメリカの日系企業で役員をしていた時、技術者を連れてアムステルダムの近くにある会社に出張した。打合せが小休止した時に、彼とともに事務所のトイレに行った。ここで意見が分かれた。DAMEとHEERとドアにオランダ語で表記されているが、例の男女の絵がない。そこで、私が誰かに確かめてみると言うと、緊急度が高い彼は、「なにHEERは英語のHERに近いから女ですよ」と自信を持ってDAMEのドアに入って行った。2,3秒も経ったか、彼があわてふためいて飛び出してきた。DAMEが女だったのである。
  • 文楽人形劇をテレビで初めて見たのは、もう18年も前のことだった。数年前に劇場に出かけた。席のすぐ右側で三味線が演奏されていた。はたと驚いた。あの力強い響きの文楽独特の三味線を、長い間、琵琶だと思い込みしていたからだ。テレビには三味線が映っていたはずなのに。琵琶と一旦思い込みしたら、もう気づくことはなかった。今でも年に2回くらい文楽を観に行く。文楽の題目はすべて「情」の世界であり、日頃「理」の世界で仕事する私には精神安定剤のようなものだ。それに、いつも琵琶の思い込みを想い出させてくれる。


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