2014年10月28日火曜日

#126 北京たよりーーモンゴルの『ゲル』と『パオ』

 I氏が独自に中国と相撲を結ぶ話を伝えます。彼は相撲にも造詣が深いですね。 私は北京大相撲について長い間忘れていました。
 また、CSは若者諸君すべてに有用な心がけだと思います。

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 ひと昔前、北の富士と琴櫻が東西の横綱を張った1970年代の前半に北京場所が首都体育館で開かれ、周恩来首相も会場で拍手を送る映像が残っています。戦前の周青年の日本留学日記には相撲見物に行ったという記述はないと思いますが、1972年の秋に日中国交正常化を成し遂げた立役者として直後の大相撲興業には当然のように駆けつけたのでしょう。
 1971年春に北京での周首相との座談会に恵まれた時には、雛祭りの話題になりましたが、大相撲のことには触れなかったと思います。様式美が残される相撲の世界とはいえ、国交正常化を祝うイベント相撲の横綱が「富士」と「櫻」だったというのも、十両以上の関取の他に唯一の中国籍力士が特別参加し、その醜名(四股名。しこ名)が「清ノ華」だったということも、当時の友好気運に溢れていた時代の記憶とともに残っています。

  相撲の土俵の房の色、青・赤・白・黒の意味は? 東宮御所に住んでいる人を何故に東宮(はるの宮。皇太子)と呼ぶか? などなど身近な事例から、「青春」「朱夏」「白秋」「「玄冬」を導き、「青龍刀」「朱雀門」「白虎隊」「玄武岩」などへ派生しながら五行説の方位・季節・色などの入門ができます。
 北の富士が横綱だった頃に、庄司薫が書いた四部作「僕の好きな青髭」「赤頭巾ちゃん気をつけて」「白鳥の歌は聞こえない」「さらば怪傑黒頭巾」もこの五行説に従った題名だと思っています。  しかし若く元気な北の富士さんも古稀となる今、庄司薫という小説家を知らない若い人たちにこの四部作の話は通じません。有名ピアニストの旦那という言い方も失礼ですし・・・。
 庄司薫を知らないであろう20歳前後の学生の志向に配慮しながら、今年も奈良の大学で集中講座を務めました。中秋節休暇と夏休みの残り(甲子園を二日間だけにする我慢が必要)を利用して、毎年名月の時期に月餅を土産に母校を訪ねます。
 今年は天候にも学生にも恵まれ、秋場所の隠岐の海以上の気合を入れました(入れさせられました)。  過去5年の経験から、15コマ(90分/コマ)の最初の2コマを概説と互いの自己紹介に充てることにしています。その段階で登録者の中から、気合を入れて授業に来る学生の志向や要望を聴き取ります。
 準備したテーマの選択と修正をしながら、授業プランを伝えます。  レベルの高い中国語力と一定の中国実地体験がもつことが分かり、将来へ希望する方向も見えてきたので、今年は「CS」(CUSTOMER SATISFACTION。顧客満足)を軸にしようと決めました。授業料を払って受講し、文科省認定の単位を取るという顧客(学生)の基本的な要求を満たすことが当方の最低限のCSであります。
 CSの事例として、自己紹介は日本人相手に中国語ですることはありえず、「日本を知らない中国人に日本人の自分を紹介する」という基本を徹底。地名などの固有名詞に注意を払い、省・市・県で小さくなる中国の行政区分に注意。北京留学経験など中国人が関心を持つ事柄を挟む。紹介が終わって、質問がたくさん出てくるような構成にすること(溝通=コミュニケーションのキッカケという目的を認識する)といった指摘を重ねます。
 通訳者という仕事と立場の理解にもCSが肝要です。
 商談前の準備として、商談中の集中力(1時間が限界。それでも60%伝われば御の字)を関係者に理解してもらう。主語述語を明解にした短いセンテンスで区切ってもらう。外来語は極力避けてもらう。和歌俳句、漢詩や駄洒落も控えてもらう。通訳者の顔を見ず、しっかり商談相手を見てもらう。商談後の内容確認が最も大切などなど・・・  会食の席順などの基本を知ることも大切ですが、最近では敢えて拘らない新思考の中国人も居るので、臨機応変に判断。しかし通訳者の座る席はその場の鍵を握るので重要。

         (中略)

  授業の3時限目は13時からで、頭部(特に眼球付近)の血液が腹部の応援に行く時間帯です。ゲーム的要素を取り入れた漢字の話をしながら、柔軟な思考や発想を刺激することにしています。口や手を動かしていると頭も動き、眠気も覚めるようです。
 それを乗り切り5時限目は18時まで。山の端に大きな月も上がり、駅行きのバスも最終便です。二日目は同窓の下村教授・山澤さんと台湾からの王教授との会合の為、授業は17時には切り上げました。会合そのものは啓発の多い有意義なものでしたが、翌朝一番の学生からの「昨晩は愉しかったですか?」という言葉には、深読みすると「一時間の授業を聴けずに損した」という語気を感じ、CSの揺らぎを憶えました。
 最終日も順調に授業が進み、山之辺の道の近くでのランチミーティングもできました。課外学習という程のことではなく、例えば皿の上にあるタルタルソースの語源は韃靼族(タタール)から由来し、東大寺三月堂でのお水取りの韃靼(だったん)儀式も、大陸と若狭との交易の名残でしょう、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という一行詩も・・・といったお喋りです。(蝶々)  
 最終テスト結果も自己紹介を兼ねたスピーチもかなり高いレベルでした。それ以上に授業に取り組む気合に快い印象を感じました。「慣れ」ではなく、「馴れ」や「狎れ」に陥ってはいけないと言っている自分が授業に「馴れ」てしまっていたと反省しました。
 来年に向けてもっと気合を入れた準備をしようと思い、すでに良いテキスト(大連理工大学発行)を入手しました。一年一度、その年にどんなことを学んできたか、どんな新たな経験をしてきたかを自己検証しながら、次世代に伝える場を与えてくれる同学の教授に感謝するばかりです。教授は毎年、拙文の「上海たより」「北京たより」を編集し、適切な写真も付した上で製本して、集中講座に間に合わせてくれます。
  玄武の方角の夕焼けを見ながら、この先をずっと行くとモンゴル草原があり、ゲルで育った逸ノ城の故郷に繋がるのだと想像の翼を拡げました。NHKの藤井アナウンサーが「最近はウランバートルなど都市出身者が大半ですが。この逸ノ城は遊牧民としてゲルで暮らし、馬を乗りこなしてきました」と終始「ゲル」という単語を使っていました。遊牧民の移動式住居を「包(パオ)」と漢族が呼び、饅頭のような仮住まいという一種の蔑称が長く流布していたので、「ゲル」が勢いを得たのも喜びでした。                         (完)                                  


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