#125 人生に使う帰納法とは?――ノーベル賞を考える
前回でウクライナとスコットランドについて書きましたが、お誉めの意見一つをもらったものの閲覧はこれまで低調です。そりゃあ若者にとっては、いや誰でも関心事ではないから当然の結果でしょう。
しかし、私の意図にはもっと大事なことがあります。
日本、アメリカ、台湾3国の国際関係を一つの専門に研究している私には、ウクライナもスコットランドに関しては素人なのですが、これが発想を考える上で訓練になるのです。
私の発想の元は帰納法に基づいています。
諸君たちが仕事や私生活で決断する時に有用なことで、10人に1人でもいい、リーダーになる人材に分かってもらえればよいと思います。
説明してみましょう。
◇ 帰納法とは?
辞書によると、「個々の具体的事実から一般的な命題や法則を導き出すこと」と書かれており、演繹法とともに思考法の一つ。分かりやすく言えば、断片的な情報を分析して結論を出すことだ。
前回の稿ではこれに基づいて推論し、予測の結論を出している。結論が2打数1安打になるか、2安打になるかはいずれ分かる。どっちみち当たり外れがある。
さて、ここが重要なことであるが、諸君たちが仕事や私生活で岐路に立った時、この帰納法で考えると、直感に頼るよりは確かな決断を与えてくれる。諸君たちは日常的にこの思考法をしていると思うが、もっと意識することだ。
先ず、関連する大小の情報を集める。ばらばらに紙に書いてみる。
次に、分析して重要度によって取捨選択する。
最後に、決断する。
私はこれまで何度も危ない橋を渡ってきた。集められる情報は常に不充分であるが、それでも決断しなければならない。結論を誤ったこともある。それでも全体としては正しい決断をしてきたことが多い。大学の教養課程で論理学を学んで以来、何十年も思考法を鍛えてきたお陰だと思っている。誰でも安くて買える新書も読んできた。
諸君たちにはどんな職場でもリーダーの資質を磨くことを意識して心がけてほしい。
◇ ノーベル物理学賞
今年のノーベル物理学賞を日本の3氏が独占したことについて、日本のメディアはものつくりとしての青色LEDをとらえ過ぎている。
平和賞と文学賞を除く科学分野のノーベル賞は、本来、現象や理論を「発見」したことに与えられる。付帯的にものの「発明」が評価される例もある。
実例をいくつか挙げてみよう。
ショックレー博士の半導体。
彼は真空管に代わる半導体を1950年代から実用化の研究をし、その課程で世界で初めて素子の材料を発見し、理論を確立した。1956年に他の二人とともにノーベル物理学賞を授与された。
江崎博士は独自のトンネル理論によって1973年に物理学賞を授与された。半導体素子の一つであるエサキダイオードが実用化された。
どちらもその後世界で各種の半導体(トランジスタもその一つ)が広く使われることに貢献しているが、賞の対象は発見だ。
今回の青色発光ダイオード。日本の3氏が今年の物理学賞を独占した。原理の発見から実用化まで受賞者の色合いが異なるが、発見→実物つくり→製品化→マーケティングまで日本1国で成し遂げたことは世界で稀有な例だろう。
◇ 平和賞
市民団体が「日本国民」を対象として平和賞獲得運動を展開してきたが、受賞できなかった。私は受賞の可能性は無いと思っていたが、ノーベル委員会によって候補の一つにされたことは驚きだった。なぜなら、私は憲法9条の②項については改訂論者であるし、9条全体の改訂派は国民の半分になるかもしれないからだ。
諸君たちはあまり読んでいない六法全書には9条はこう書かれている。
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と
武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄す
る。
② 前項の目的を達成するため、陸空海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
今回、長年、児童労働の撲滅のために活動してきたインド人のサトヤルティ氏(60歳)が受賞したことは当然であるが、パキスタン人の少女マララ氏(17歳)の受賞には疑問を持った。活動実績はまだ弱いからだ。
ではなぜか?
銃弾で倒れて九死に一生を得てカムバックしたことに激励賞の意味があるほかに、大戦後ずっと領有権で戦争をし、今も戦闘をつづけているインド、パキスタン両国の間でバランスを取ろうとした配慮もあるかもしれない。
◇ 経済学賞
今回はフランス人が25年振りに受賞した。
それにしても日本人が受賞どころか候補にも挙げられないのは情けない。
全国に約600ある大学の中で、ほとんどの大学に経済学部があり、教授以下の研究者は4~5千人もいる。戦後しばらく理論を証明するための設備も予算も不足していた時代に受賞した物理学者に比べれば、研究環境も良くなり、スーパーコンピューターも使える今、経済学者にハンディはない。
テレビ出演に見向きもしない本物の経済学者もいるはずだ。もう次世代に期待するしかないか。 (完)
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